聖女様はなんでもお見通し!

千咲

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005.聖女、ワインを手に入れる。

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「オストヴァルト団長!? 私のシズク酒どこやったの!?」
「聖女様、決めつけは良くない。団長、聖女様が」

 稽古場では聖騎士団の団員たちが軽装で汗を流していた。軽装どころか、上半身裸の団員も多い。汗臭い。めちゃくちゃ、汗臭い!
 この国では一つ時から三つ時まで仕事をする人が多いけれど、聖騎士は鍛錬のために終業時刻が過ぎても自分の体を鍛えている人が多い。
 稽古場にいる汗臭い団員の中から団長を探す。何度か会っているから顔は知っている。髭面の男を探すとすぐに見つかった。私のあまりの剣幕に、団員たちが団長までの道を開けてくれたのだ。

「これはこれは聖女様。このようなむさ苦しい場所にわざわざお出でいただかなくても、御用がありましたら自分が出向きましたのに」

 本当にむさ苦しい! 目に入るのは汗をかいた筋肉ばかりよ! 厚い胸板! 上腕二頭筋! ラス、これみよがしに大胸筋をピクピクさせるなっ!!

「シズク酒! わかる? 青色の瓶に入ったお酒!」
「酒?」
「私が元の世界から持ってきたお酒! まだ返してもらっていないんだけど!」

 団長は詰め寄ってきた私を見下ろしたあと、困ったようにグライスナーさんを見た。助けを求めたのか、「何だコレは」と問いたかったのかわからない。
 けれど、心当たりはあったみたいだ。

「あぁ、それならディークマン様にお渡しいたしましたが」
「おのれ、ディークマン!!」

 私が稽古場を飛び出そうとしたのを、グライスナーさんが慌てて肩を押さえて止めようとする。

「どいて、グライスナーさん!」
「どくわけないだろ。聖女様、あんた、ちょっと頭を冷やしたほうがいいんじゃないか? たかが酒のことじゃないか。許可なくあんたに触れたことへの処罰なら甘んじて受けるから」
「……たかが酒?」

 グライスナーさんの言い方に、カチンと来た。腹が立つ。ムカムカして仕方がない。あのシズク酒がどんなものかもわからないくせに。私がどんな気持ちでいるのか、わかっていないくせに!
 涙が溢れてくる。ポロポロなんてかわいいもんじゃない。ドパドパ出てくる。私はこの世界に来て初めて泣いているのだ。

「あのお酒はね、ヤマさんが差し入れてくれたの! 今年で酒造業をやめるから、最後の差し入れだって、持ってきてくれたの! たかが酒よ、わかってるわよ。でも、私にとっては、もう戻れなくなった故郷の、たった一つの思い出なの。故郷に帰ったとしても、もう二度と飲めないお酒なの! ヤマさんは酒蔵を閉めるんだから! もう二度とっ……! それをっ、それを返してもらいたいと思って、何が悪いわけ!?」
「聖女様……」
「聖女様なんかじゃない! 私はそんなに清廉潔白じゃない! 尊いものなんかじゃない! ただの、普通の、女なの! 清里あやめなの!」

 そうだ。私はただの普通の女だ。清里あやめという名前の女だ。聖女様、聖女様と呼ばれるような清く正しい存在じゃない。期待されても応えられない。
 惨めだと思われても一緒に召喚されたお酒を取り返したいし、バカだと思われても聖騎士団の団長や副団長に食ってかかる。元の世界に大きな未練はないにしても、もっと美味しいご飯やお酒を楽しみたかったし、ちゃんとした職に就いて、誰かと恋をして、孫や曾孫の顔を見て、人生を謳歌してみたかった。それくらいの欲はあった。
 全部全部奪われたのに、奪った人たちはそれを何とも思っていない。聖女なのだから当然だって顔をしている。聖女だから元の世界に戻れないのは当然だし、聖会や儀式をつつがなくやり終えるのは当然で、聖女の力を、《奇跡》を、信徒のために使うのが当然だって、思っている。
 そんなバカな話、ある?
 聖女に人権はないわけ? 自由は? それもいちいち許可がいるんでしょ? 大主聖様の! あのディークマン様の!
 ふざけんなー!!
 涙は引っ込み、怒りがいきなり込み上げる。一瞬で沸騰した感じ。フランスメーカーのケトルより速い。
 けれど、怒りで肩を震わせる私を見て、能天気な声が頭上から降ってきた。

「そりゃ、ディークマン様が悪いッスね! だって、シズクザケって聖女様の私物っしょ?」
「確かに! 私物を勝手に持っていったってことだもんなぁ?」
「団長、ディークマン様から命令されたとは言え、聖女様の許可なく私物を持ち出すのはダメじゃないスか!」
「ほらほら、聖女様、涙を拭いてくださいよ」
「お前! それはお前の汗臭いシャツじゃねえか!」
「使っていないタオルなら! ここに!」

 聖騎士団の団員たちの優しい声が雨のように降ってくる。最初に「ディークマン様が悪い」と言ってくれたのは、ラスだった気がする。きっと、肩を震わせていたのを「泣き止んでいない」と勘違いして、皆慌てたのだろう。
 ……もう、毒気が抜けちゃうってこういうことを言うのね。怒りが急速に収まっていく。代わりに、涙がまた出てくる。団員たちが優しすぎる。
 誰かがくれたハンカチを引っつかんで、涙を拭う。
 あー、もうっ! 私がいい歳してホームシックにかかったみたいで格好悪いじゃないの!

「……すまない、聖女様。自分はその、あんたがもう元の世界に戻れないことを失念していて」
「別に、もういいよ。もう戻れないし、シズク酒が戻ってこないのもわかったから」

 グライスナーさんはちょっと伏目がちで、私と目を合わせようとしない。でも、言い過ぎたと思ってくれているようだし、「あんた」呼ばわりしたくなるような女だという自覚もあるから、そのあたりを咎めたりはしない。しないから、ちょっとだけ貸しにすることにしよう。

「申し訳ありません、聖女様。あなたの大切なものだと知らずディークマン様に渡してしまって……代わりに、と言っては何ですが……自分の持っている酒で、良ければ」
「酒!!」

 瞬きの間に《ヴィンツ・オストヴァルト。ワインコレクター》と見える。団長、ワイン好きなのね!? っていうか、本当は渡したくないのね? すっごく歯切れが悪いし、声は小さくなるし、団員たちも「収蔵棚のワインを団長が振る舞うなんて」「俺たちになんて絶対にくれないのに」とざわついているのだから。

「ワインはお好きですか?」
「お酒なら何でも!」
「では、聖暦一八一五年の『赤の宝珠』はどうでしょう?」

《赤の宝珠……アネキア公国ルーバー地方産出のワイン。一七九六年のものが至高》とあるから、一七九六年一択じゃない?

「一七九六年のものは?」
「せせせ聖女様、それは!」
「さすがに団長の給金でもなかなか買えるような代物ではありませんよ!」
「じゃあ、ディークマン様にお願いすればいいじゃない? ディークマン様が私のシズク酒を持って行ったんだから」

 オストヴァルト団長、顔が引きつっている。グライスナーさんは頭痛がするのか片手を額に当てている。団員たちは首を左右にブンブン振っている。つまり、彼らの反応から考えるに、私の提案は無理難題、一七九六年の赤の宝珠を手に入れるのは難しいということだ。
 残念。飲んでみたかったのに。

「……一八一五年の赤の宝珠でもいいよ。我慢する」
「そうしていただけると助かります」
「じゃあ、私もこれ以上シズク酒のことを言及するのはやめる。皆にみっともないところを見せて悪かったわ」

 きっとフジ様や他の聖女様なら、こんなことで取り乱したりはしないのだろう。もっとうまく立ち回るのだろう。
 私はやっぱり聖女の器じゃない。狭量すぎるもの。もっとおおらかでなくちゃ。ほんと、ちょっと落ち込むわ。
 まぁ、そんな気持ちも団長が手にしている黒い瓶を見て吹っ飛んだ。
 やっほー! 赤の宝珠! ワイン!

「ありがたく頂戴いたします!」

 団長がなかなか手を離さず、未練がましくワインを見つめていたけれど、私は容赦なくボトルを手元に引き寄せた。
 ふふふ、ワインゲットォォ!
 これで少しはストレスから逃れられるはず! きっと!
 ……そう信じていいのよね?


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