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第三章 歩み寄り

第四十八話 天使?女神?(ジークフリート視点)

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 ユーカに、声を奪ったことを正直に伝えた。それは、途方もなく覚悟が必要なできごとで、トボトボと執務室へと戻る道中も、まだまだ苦しかった。


(嫌われたの……だろうな)


 やっと、そう、やっとのことで、自分に愛を返してくれる可能性のある片翼を見つけたというのに、俺は、俺自身の臆病な心のせいで、それを潰したかもしれない。声を奪うのではなかったという後悔は、もう数えきれないほど繰り返した。


(それでも、頼むから、少しでも想ってほしいなどという考えは、きっと、傲慢なのだろうな)


 どんなに謝罪しようと、声を奪った事実は変わらない。危害を加えてきた相手に心を許すことなど、そもそもあり得ないのだ。

 長い廊下の壁にトンッと背を預けると、俺はそのまま苦しい気持ちを押し込めるようにして頭に手をやり、うつむく。


「はぁー」


 長く、長く息を吐き、泣きそうになるのをグッと堪える。
 今頃、ユーカはメアリーに俺に対する罵倒を放っていることだろう。いや、もしかしたら、優し過ぎて、メアリーに言うこともできずに押し込んでしまう性格かもしれない。どちらにせよ、良い状況ではない。
 すぐ目の前に見える執務室へ向かわなければならないのに、今の俺は、一歩も動きたくなかった。
 どんなに謝っても、声を奪ったことは罪だ。きっと、魔族にとっての最大の罰、片翼から嫌われるという罰が下されるのだと思うと、胸が張り裂けそうなくらいに苦しい。


「えぇいっ、辛気臭いわねっ! さっさと入って来なさいよっ!」

「……リド、もうちょっと、空気を読んでくれないか?」


 暗い思考に鬱々と囚われていると、ふいに執務室の扉が開いて、中から赤い目を吊り上げたリドルが現れる。そして、そこには他にも、ハミルトンやナリクまでもが揃っていた。全員、俺の報告待ちだ。


「こうなることは最初から予想ずみでしょ! 良いから、こっちへいらっしゃいっ」


 ズルズルと引きずられるようにして執務室へ入った俺は、リドルに勧められるがままに椅子へと座り、じっと見つめられる。


「……ユーカに、声を奪ったことを伝えた」


 見つめられることが居心地悪くて白状すると、リドルは沈痛な面持ちで、『そう』とだけ告げる。


「ユーカ嬢の様子は?」

「分からない。落ち着いているようには見えたが、俺は読唇術もできないからな……メアリーを向かわせて、俺への愚痴があれば伝えるように告げておいた」

「なら、ユーカちゃんがこれからどう出るか、ね」


 結局は、メアリーを待たないことには何も分からないと知り、その場には重い沈黙が落ちる。


「僕も、鎖のこと、謝らないといけないんだよね」

「当たり前でしょう。ユーカちゃんは、ハミルの鎖のせいで動きが制限されちゃってるんだから」

「僕、万が一にでも嫌われたらと思うと、言い出せる気がしないよ」


 そう言った後、俺に視線を向けてきたハミルトンは『だから、ジークを尊敬する』と告げてくる。
 ただ、俺はハミルトンの尊敬などほしくはない。ほしいのは、ただ一つ。片翼であるユーカの心だけなのだから。

 そうして待っていると、すぐに、その時はやってきた。
 ノックの音に過剰に反応する俺の代わりに、リドルが入室許可を出して、メアリーを中に招き入れる。


「それで、どうだったの?」


 聞きたいが聞きたくないことをリドルが直球に尋ね、俺の心臓は緊張のために暴れ出す。こんな緊張は、戴冠式の時にも体験しなかった。


「はい、率直に申し上げますと……」


 穏やかに微笑みを浮かべるメアリーの言葉が、やけにゆっくりに聞こえ……その時はやってきた。


「ユーカお嬢様は、全く気にしておられませんでした」

「「「はっ?」」」

「…………えっ?」


 ハミルトン達が先に驚く中、遅れて、俺はその言葉の意味を理解する。


(気にして、いなかった?)

「では、これよりユーカお嬢様からの伝言をお伝えします。『声のこと、そんなに不自由も感じませんでしたし、大丈夫ですよ。それと、とっても遅くなりましたが、初めて出会ったあの時、助けてくださって、ありがとうございます。ジークフリートさんが良い人だってことはララとリリにも聞いていますので、責めるつもりはありません。理由もあったみたいですし、私のことを思いやってもくれていますしね』だそうです」


 メアリーのことだから、一字一句間違えることなく記憶して、話してくれているのは分かっていたものの、正直、予想外過ぎる反応に、どう対処して良いのか分からない。


「ユーカは天使なのかい?」


 ポツリと告げるハミルトンの言葉に、俺は頭を振って、即座に反論する。


「違う。女神だ」

「なるほど」


 呆然としながらお互いに納得し合っていると、ふいに頭に強い衝撃を受ける。


「二人してユーカちゃんが可愛いのは分かるけれど、呆けすぎよ」


 どうやらリドルに殴られたらしく、随分と頭が痛かった。良く見れば、ハミルトンも同じ状態だ。もしかしたら、俺達は思っていた以上に長く思考を飛ばしていたのかもしれない。


「後、もう一つ。『どうか、自分を責めないでくださいね』だそうです」

「やはり女神っ」

「それはもう良いわっ」


 あまりの慈悲深さに、我を忘れて叫ぶと、またしてもゴツンッという痛い衝撃がくる。


「ぬおぉ、リド、容赦がなさ過ぎないか?」


 さすがに二度目はきつく、俺は頭を抱え込んでしまう。しかし、俺の反抗はどこ吹く風で、リドルは真剣な表情で告げる。


「二人とも、良く聞きなさい。ユーカちゃんは、声を奪うなんて非道なことをされても動じなかったのよ? それは、正直言って、異常だわ。これがどういうことなのか、ちょっと考えれば分かるでしょう?」


 そう言われて、ようやく俺達はハッとする。


「日常的に声を奪われていた可能性が高いと思われる」

「じゃあ、もしかして、僕が鎖で繋いでいるのに変わった様子がないのも……」


 ナリクの言葉に、俺はサァッと血の気が引くのを感じる。ハミルトンも同じように青い顔をしていることにも気づかないほどに、余裕がなくなる。


(俺は、ユーカを虐げてきた者と同じことをしていた?)


 それでは、万に一つも好意を抱いてもらえる可能性などないではないかと、絶望的な気分に陥る。


「……ク、ジークっ! ちょっと、聞きなさいっ!」


 目の前が真っ暗になるような感覚に襲われていると、体が揺さぶられ、リドルの顔が真ん前にあることに気づく。


「あぁ……」

「まったく。何を考えたのかは分かるけれど、今はそれどころじゃないでしょう? 早く、声を取り戻してあげるために、必死に動くべきなんじゃないの?」


 そう言われて、ようやく、俺は随分と思考が狭まっていたことを思い知らされる。


(そうだ。嘆いてばかりではいられない)


 視線を巡らせれば、ハミルトンも俺と同じく、絶望に囚われているようだったが、リドルが打ち出した方針によって思考力を回復させたようだ。


「ただでさえ、あんた達はマイナスからのスタートなんだから、これくらいで落ち込まないのっ。今は、状況を改善することが一番重要よ」


 そうして、俺達の今後の方針は決まった。
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