忍びしのぶれど

裳下徹和

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第二章

2 カトリック神田教会

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 跳が郵便配達の仕事で街中を回っていると、完成したカトリック神田教会が目に入った。 岩倉使節団の提言でキリスト教禁教令が廃止され、フランス公使ベルトミーの斡旋によりつくられたのだ。
 木造西洋風建築で、周囲の風景にはまだ馴染んでいない。
 教会の扉が開き、見覚えのある人物が姿を現した。るまだ。
 跳が声をかけるとるまが気付き、笑顔で寄ってくる。
「郵便屋さん。このあたりの受け持ちになったのですか? この間は、私達の為に、横浜から書状を持ってきてくれたと聞きました。本当にありがとうございました」
 頑張りが伝わったようだ。素直に嬉しかったが、冷静を装って跳は言う。
「る……、、み、皆さんが助かって良かったです」
 乍峰村の住民達は、裁判で無罪となり、キリスト教禁教令も廃止されたというのに、事件後まわりの村々から迫害が強くなって、政府により買い取られた土地に移住させられた。移住先は足立郡の舎人村近くで、来栖村くるすむらと名付けられ、農作をしている。キリスト教徒を保護しているという諸外国への宣伝の意味合いもあるのだろう。
「るまさんは、教会にお祈りしにきていたのですか?」
「いえ、私はここで働いているのです」
 るまは充足感に満ちた笑顔で続けた。
「私達の村には代々伝わる教えがありました。どんな苦難が訪れても耐え続ければ、再び宣教師様が来てくれると。私達は耐え続け、その時が来たのです」
 語るるまは目を輝かせ、恍惚とした表情を浮かべている。
「宣教師のジラール様も、禁教令を生き延びた私達と会い、大そう喜んでくれました。私達と共に歩み、導いてくれると言ってくれたのです。私には、教会で働くことも許可してくれました。教会の離れに住み込み、掃除や洗濯などをしています」
 るまは晴れがましい顔をしていた。生活は貧しいままだろうし、キリスト教に対する人々の視線はまだまだ冷たい。それでも幸せなのだ。
 そんなるまを見ていると、跳は少し羨ましいような気がしてくる。
「もし良かったら、留崎さんも一度礼拝に来てください」
 名前を憶えていてくれたことに喜びを感じつつ、跳は辞することにした。
「機会があればよろしくお願いします。では仕事があるので」
 背を向けて歩き出し、一度振り返ってみると、るまはまだ跳を見ていた。これだけで体に力がみなぎってきて、足が軽やかに動いた。
 郵便配達の業務に戻りながら、キリスト教の礼拝について想像してみる。るまに近付きたいが、小さな拒絶感がまとわりついてくる。自分が低くみられることには腹を立てるのに、他の者に対する偏見はなかなか拭い去ることが出来ない。跳は自分の小ささに腹立たしくなった。
    
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