忍びしのぶれど

裳下徹和

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第三章

③ 銀座煉瓦街

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 消沈しつつも仕事を滞りなく終え、一度小石川の自宅に帰った。そして、持っている中では一番ましな着物に着替え、気を取り直して家を出る。
 るまが暮らす神田カトリック教会のはなれに着く頃には、日が沈みかけていた。
 跳が到着すると、るまが戸を開き、はにかんだ笑顔を見せる。
 るまは簡素な小袖を着ていた。華美に着飾っているわけでもないのに、いつもより美しく思えた。
 二人連れ立って、銀座煉瓦街へ向かう。
 夕方でも暑さが残る夏の風が、ゆったりと吹き抜けていく。
 他愛もない会話が、やけに楽しく感じる。
 跳には富も地位も名誉もない。それでも、今この時は、小さな幸せを感じていた。
 るまが見たいというので、日本橋を越えてから江戸橋方面へ進み、完成した新駅逓寮へ向かう。瓦葺きの白壁の洋風二階建てで、正面入り口上部には大きな時計が設置されている。きれいな佇まいから、見物に訪れる人も多い。灯りがまだついているので、働いている者もいるようだ。女連れのところを見られて、ひやかされるのは嫌だったが、運良く仕事仲間とは会うことなく、離れることが出来た。また元の道へ戻り、銀座を目指す。
 太陽が姿を消し、闇が訪れた頃、二人は銀座にたどり着く。
 銀座の街は、徳川時代の面影を消し、煉瓦の建物が壮観に並ぶ、西洋風の街並みとして復活していた。
 道の幅は十五間(二十七メートル)。馬車や人力車が走る車道と、歩行者が通る歩道が分けられている。歩道の脇には、ガス灯が間隔をあけて立てられており、夜の街をぼんやりと照らし出していた。これから街路樹も植えられる予定らしい。
 そんな煉瓦街を二人で歩く。ガス灯の淡い光の中に浮かぶるまも美しかった。跳の鼓動が高鳴っていた。
 そんな跳の熱を冷ますかのように、るまはさめた声で語る。
「この街はきれいです。しかし、焼け野原の上に再建された美しさなのです」
 銀座煉瓦街は、皇居和田倉門付近から銀座・築地一帯まで焼き尽くした、銀座大火の焼け跡が変貌した姿なのだ。
「井上馨が都市計画を推し進める為、街を焼き払ったとも噂されています。まるでローマの街を焼き払ったと言われる暴君ネロのようですね。そんなきな臭いままの街なのに、美しいと感じ、心が躍る私がいます。私は悪なのでしょうか」
 全てが灰になってしまえば、火事の原因な容易に突き止められるものでもない。大火の後は、流言飛語が飛び交うものなのだ。
 本当はもっと楽しい会話をしたかったが、るまの真面目な話も受け止めてやりたく、跳は言葉を返す。
「悪ではないです。明治の世は屍の上に築かれている。それでも、そこで生き続けようとすることは、悪ではないはずです」
 自分に言い聞かせるように跳は言い、あたりを見回す。西洋風の豪華な建物が並び、洒落た格好の人々が行き交っている。完成間近の三井商店の建物も見える。開店したらさらに壮観な景色となるだろう。煉瓦の下に血塗られた歴史が埋まっていたとしても、街は美しく、そこにたたずむるまも美しかった。
 るまは、声に悲しみを混じらせ言葉を絞り出していく。
「私達の村には言い伝えがありました。いかなる苦難に出会おうとも、耐え続けていれば、再び宣教師様が現れて、私達を楽園へ導いてくれると。その言い伝えは現実のものとなりました。私達耐え続け、キリスト教宣教師様にお会いしたのです。これで私達は、楽園へ行けるのだと思いました。宣教師様も長い間迫害に耐え、信仰を持ち続けた私達に会い、たいそう喜んでくれました」
 るまはそこで息をつぐ。ガス灯に照らし出された横顔には美しく、悲しい。
「宣教師様とお話をしていく中で気付きました。長く離れている間に、宣教師様の信仰と私達の信仰は別のものになってしまったのです」
 跳は相槌をうつことも出来ず、るまの話を聞き続けた。
「宣教師様は、私達を楽園へは導いてくれません。政府が用意してくれた土地に移住しましたが、暮らし向きは豊かにならず、周囲の人々からの差別はなくなりません。私達の楽園は、死んだ後にしかないのです。いや、もともとそういう教えだったのです。でも、私達は現世の利益を望んでしまっていたのです。宣教師様との再会の先に豊かな生活を夢見ていたのです。私達は間違えていたのです。真の救済は死後の世界であることに失望し、イエスを磔にした愚かな民衆と同じように」
 跳にキリスト教の教えなどわからない。だが、るまの失望は痛い程伝わってくる。跳自身も、旧世界を壊せば、その先に豊かな人生が待っているのではないかとどこかで期待していた。しかし、新しい世界が訪れてみても、暮らし向きはそこまで変わらず、今も忍びのようなことをしている。るまに自分の姿を見ているようだった。
「父も母も、村の人達も、死後の世界に救済求める宣教師様から離れ、再び村の中にこもり始め、孤立しています」
 るまは、宣教師にも来栖村の人にも相容れない気持ちを持っているようだ。
「あの時、小塚原刑場で死ぬことが楽園への道だったのでしょうか」
 見殺しにされ死んで、名誉の死と称えられた忍びの女吹雪を思い出す。彼女は最後まで自分の死に意義を見い出していたのではないだろうか。生き永らえることより、潔く死ぬことに意義を感じていたのではないだろうか。
 跳はるまをみつめる。るまも弱々しい視線でみつめ返す。
「俺にキリスト教のことはわかりません。死んだ後どうなるかもわかりません。でも、現世で利益を得ること、生きて幸せになることは悪ではありません。もし生きて幸せになることを否定するのなら、それは神ではないでしょう」
 るまの顔に笑顔はなかった。だが、悲しみの色が少しだけ薄くなった気がした。
 慰めるべきなのか、励ますべきなのか、かける言葉がみつからない跳が迷っていると、るまは別のことを言い出した。
「私も学問をしてみたいです」
 話が突然別の方向へ飛んで跳は驚き、単純な質問を口にする。
「何故ですか?」
 跳の問いに、るまは少したじろぐ。
「それは……。私に知識があれば、ただ流されていくことなく、自分の力で生きていくことが出来ると思うからです。神に頼らずに生きていけると思うからです」
 るまの言葉にはどこか力がない。いくら時代が変わっても、百姓の娘が学問をして、自分の力で生きていくなど不可能だ。るまは簡単な文字すら読み書き出来ないはずだ。自分でも夢のような話だとわかっているのだろう。
「それは素晴らしいことです」
 嘘は言っていない。忍び時代に忍術ではなく学問をしていれば、薩摩や長州の方言ではなく、英語か仏語を学んでいれば、地べたをはいずり回るような生活を送っていなかったのではないだろうか。
「そうですよね。素晴らしいことですよね」
 るまが寂し気に微笑む。
 跳とるまが学問に打ち込んだところで、今さら何も変わりはしないだろう。今より少しだけ小賢しくなっても、それを活かすことが出来ず、底辺でもがきながら死んでいく。ただそれだけだ。
 るまとしても、学問で成り上がろうなどとは考えていないだろう。神を信じられなくなり、自分の村でさえ居心地の悪さを感じ、どこかに拠りどころを求めているのだ。
 俺を拠りどころにしてくれませんか。
 そんな言葉を思い浮かべてみるが、汚れた過去と明るくない未来が邪魔をして、声として口から出すことが出来ない。
 二人で無言のままみつめ合った。
 何か喋らねばと跳は焦るが、先に言葉を発したのはるまだった。
「私、字が書けるようになったら、手紙を書きます」
 無難な内容に、内心安堵しながら跳は返す。
「どこまででも届けます」
 東京の夜は明るくなったが、空に浮かぶ月の方が、まだまだ明るかった。

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