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第三章
⑬ 三井商店落成式
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今日の三井商店銀座店落成式では、煉瓦造りの建物の前に演壇を作り、そこで式典が行われるのだ。煉瓦街を宣伝する意図があり、新聞記者や来賓の者も出席する。爆薬が炸裂したら大惨事となる。
走っていると、同じ方向に走る藤田と遭遇した。
「何やっているんだ郵便屋」
少しだけ速度を落とし、桐桑が爆弾を作って、井上馨を狙っていることを告げると、藤田の顔色が変わる。
「こっちは別口の情報をつかんだ。藤巴党の一人をとっ捕まえて、少ししぼり上げたら、井上馨襲撃計画を吐きやがった」
やはり桐桑は、藤巴党の者達と共謀しているようだ。
「俺は煉瓦街へ向かう。藤田は応援を呼んできてくれ」
「わかった」
藤田は警視庁の方へ走り、跳は煉瓦街へ向かった。
息を切らせた跳が、三井商店の前に着いた時、式典が始まろうとしていた。
演壇の前には聴衆が押しかけ、演壇の上の来賓の中には、井上馨の顔もあった。
人混みの中に桐桑の顔を捜すが、見当たらない。藤巴党の者達が中にひそんでいるかもしれないがわからない。
三井商店が雇っている警護の者が数人いるが、戦力としては心許ない。
観衆の中から爆弾を投げつけるつもりかと思ったが、それらしき人物は見当たらない。
跳は迷いつつも、建物の裏にまわることにした。
三井商店の建物は、側面も煉瓦造りだった。表通りに面したところだけ煉瓦造りで、他のところは木造の建物が多い中、豪勢な造りだ。
裏側にさしかかると、人の気配がした。建物の角から顔を少しだけ出して確かめると、警護にあたっていた男が倒れており、その横では、桐桑がしゃがみ込んで何かしている。
不意打ちを仕かけるなら今だが、跳は交渉することを選び、一歩踏み出し声をかけた。
「こんな建造物密集地での花火は、違式詿違条例違反だぞ」
桐桑は驚く素振りも見せず、跳に薄笑いを向けて答える。
「それは立小便と同じくらい重罪だな」
立ち上がった桐桑の足元には、爆薬が仕かけられていた。
「このまま花火を打ち上げずに消えるのなら、俺は黙って見逃すぞ」
跳の提案に、桐桑の心が揺れることはない。
「ここで生きのびてどこへいく。忍びの生活を生き抜いて何があった。戊辰の争乱を生き抜いて何が残った。時代の流れには乗れず、小さな幸せすらつかむことが出来ない。俺には何もないんだ」
言葉を吐き出していくうちに、桐桑の表情が憤怒に染まっていく。
「能なしの火消しの処分は終わった。次は上っ張りだけの都市計画で、東京の街と俺の家族を焼き殺した井上馨だ」
冷静を装っていた桐桑の仮面が剥がれ、狂気が表面化してきた。
それでも跳は、桐桑の少しだけ残った正気の部分に語りかける。
「冷静になれ。東京の街を新しくする為に、古い街を焼き払うなんてこと、するわけないだろう」
「そちらこそ冷静に考えてみろ。何も進んでいなかった煉瓦街の計画が、火事のわずか二日後に道路改正が内定し、四日目に煉瓦化が決定し、六日目に布告。いくらなんでも早過ぎるだろう。仕組まれたものだったんだ!」
火事が計画を進めたのは確かだが、人為的なものという証拠など何一つない。だが、桐桑の中では、既に真実として凝り固まっているのだ。
「お前が殺した三人の消防団員を覚えているか。背中の龍の彫物の手には、玉ではなく髑髏が握られていただろう。それは、助けられなかった母と子を忘れない為だった。彼らはただのうのうと生きのびていたわけではない。過去を背負って火消しを続け、たくさんの人命を救っていたんだ」
跳は、憤怒に紅潮していく桐桑の顔を見て、自分の言葉は逆効果だったことを悟る。
「そんな言い訳聞きたくないんだよ。あいつらが何人救おうが、どんな重要人物を救おうが関係ない。俺の女房と子供を殺したんだ!」
桐桑は、声を上げながら懐に手を入れようとした。
跳は、すかさず拳銃を引き抜き、桐桑に狙いを定める。
「動くな。撃ちたくない」
桐桑は、ゆっくりと手を懐に差し入れながら答えてきた。
「撃たん方がいい。服の下に鎖かたびらを着こんでいる。銃弾が当たって火花が散ったら、足元の爆薬に引火する。仕かけたのはここだけじゃない。次々に誘爆するようにしておいた。俺もお前も、井上馨も、建物ごと吹っ飛ぶぞ」
桐桑の足元には爆薬が仕かけられ、そこから導火線が伸びている。本来は導火線に火をつけ、この場を離れるつもりだったのだろう。
桐桑までの距離は、三間半程度。このくらいなら頭を撃ち抜くことも可能は可能だが、呼吸を読まれてかわされるかもしれない。下手に撃ちまくれば、爆薬に引火するだろう。
跳は引き金にかけた指をしぼり切ることも出来ず、ただ歯を食いしばる。
桐桑は少しずつ手を動かし、懐から一本のマッチを取り出す。どこかに先端を擦りつければ簡単に発火し、その小さな炎は、大きな炎へと拡大していくことだろう。細く短いマッチ一本が、白刃より怖ろしかった。
どうにか桐桑の気をそらそうと、とっておきの話を聞かせることにした。
「忍びの首領三廻部焔膳を殺したのは俺だ。上野戦争のどさくさにまぎれて刺し殺した」
ほんの少し桐桑の顔に動揺が走ったが、すぐに元に戻り、薄笑いを浮かべて返してくる。
「三廻部焔膳を名乗っていたら本人が現れるかと思っていたが、既に死んでいたか。お前が殺さなかったら、俺が殺していただろう」
心を乱すことは出来なかったようだ。
一か八か発砲しようかと跳が思い始めた時、建物の表側が騒がしくなってきた。
何かが起こっている。
「桐桑。お前がけしかけた藤巴党の奴らか?」
桐桑は、表から聞こえる騒ぎを心地良さげに聞きながら言う。
「どうせ死ぬなら華々しくという貧乏士族なんていくらでもいる。利用出来るものは利用するのだ。どうせ打ち上げるなら、花火はでかい方が良いだろう」
表の方がどういう状況になっているのかわからないが、音だけでもただごとではないことはわかる。
跳達の方に向かってくる足音が聞こえた。敵か味方か、ただの一般人なのか。
桐桑はマッチを煉瓦に擦り付け火をつける。小さな炎が、跳には禍々しく思えた。
表側から走ってきた足音は、すぐそこまで来ている。桐桑の仲間ならば、跳は斬り捨てられるが、マッチの炎から目を離すことが出来ない。
桐桑が大きく息を吸い。炎が揺れる。終わりにするつもりだ。
撃ったら火が爆薬の上に落ちる。走って火を取り上げようにも間に合わない。後ろからは何者かが迫ってきていて、逃げ場もない。
跳の頭に死がよぎった時、建物の角から消防団の砥叶が姿を現した。
「龍神二号到着!」
そう叫ぶと同時に、砥叶の手に持たれた筒の先から水がほとばしり、桐桑を直撃した。
マッチの炎は消え、桐桑は体勢を崩す。
藤田が呼びに行った応援が間に合った。
砥叶が手に持った筒から伸びた管は、荷車の上に乗った機械につながっている。その機械の上部には長い棒が付いており、両脇を消防団員が一人ずつつかみ、上下させている。英国式腕用消火器だ。
蒸気ポンプ消火器が事実上使用停止となった後、欧州視察に行った川路利良により、英国式腕用消火器が数台輸入された。これは、二人の人間が両端を持って棒を上下させることにより圧力を生み出し、水を吸い上げて放出する機器だ。取り運びも操作も蒸気ポンプに比べ簡単で、日本には向いていた。訓練もこなし、後は実戦を待つのみの状態だったのだ。
「足元に爆薬が仕かけてある。あそこを狙ってくれ!」
砥叶は威勢の良い返事をして、筒の先を爆薬に向ける。
放水された水は勢い良く降り注ぎ、爆薬を使い物にならなくした。
桐桑は一言毒づいてから背中を見せ、走って逃げ始める。
跳はその背中に向けて銃弾を放つ。角度が浅く、桐桑の背中をかする程度だが、動きが鈍る。しかし、致命傷を与えるには至らない。鎖かたびらを着ていると言っていたのは嘘だ。騙されたのだ。
二発目を撃とうとすると、桐桑が手裏剣を投げてきて、跳は危うくかわした。
跳が怯んでいるうちに、桐桑は建物の側面へと姿を消す。
「この建物には他にも爆薬が仕かけられている。水浸しにしてくれ!」
「わかった!」
砥叶は方向転換して、水のつまった重い放水管を引きずって走り出す。
それに続いて、消防団の団員がポンプを動かした。
走っていると、同じ方向に走る藤田と遭遇した。
「何やっているんだ郵便屋」
少しだけ速度を落とし、桐桑が爆弾を作って、井上馨を狙っていることを告げると、藤田の顔色が変わる。
「こっちは別口の情報をつかんだ。藤巴党の一人をとっ捕まえて、少ししぼり上げたら、井上馨襲撃計画を吐きやがった」
やはり桐桑は、藤巴党の者達と共謀しているようだ。
「俺は煉瓦街へ向かう。藤田は応援を呼んできてくれ」
「わかった」
藤田は警視庁の方へ走り、跳は煉瓦街へ向かった。
息を切らせた跳が、三井商店の前に着いた時、式典が始まろうとしていた。
演壇の前には聴衆が押しかけ、演壇の上の来賓の中には、井上馨の顔もあった。
人混みの中に桐桑の顔を捜すが、見当たらない。藤巴党の者達が中にひそんでいるかもしれないがわからない。
三井商店が雇っている警護の者が数人いるが、戦力としては心許ない。
観衆の中から爆弾を投げつけるつもりかと思ったが、それらしき人物は見当たらない。
跳は迷いつつも、建物の裏にまわることにした。
三井商店の建物は、側面も煉瓦造りだった。表通りに面したところだけ煉瓦造りで、他のところは木造の建物が多い中、豪勢な造りだ。
裏側にさしかかると、人の気配がした。建物の角から顔を少しだけ出して確かめると、警護にあたっていた男が倒れており、その横では、桐桑がしゃがみ込んで何かしている。
不意打ちを仕かけるなら今だが、跳は交渉することを選び、一歩踏み出し声をかけた。
「こんな建造物密集地での花火は、違式詿違条例違反だぞ」
桐桑は驚く素振りも見せず、跳に薄笑いを向けて答える。
「それは立小便と同じくらい重罪だな」
立ち上がった桐桑の足元には、爆薬が仕かけられていた。
「このまま花火を打ち上げずに消えるのなら、俺は黙って見逃すぞ」
跳の提案に、桐桑の心が揺れることはない。
「ここで生きのびてどこへいく。忍びの生活を生き抜いて何があった。戊辰の争乱を生き抜いて何が残った。時代の流れには乗れず、小さな幸せすらつかむことが出来ない。俺には何もないんだ」
言葉を吐き出していくうちに、桐桑の表情が憤怒に染まっていく。
「能なしの火消しの処分は終わった。次は上っ張りだけの都市計画で、東京の街と俺の家族を焼き殺した井上馨だ」
冷静を装っていた桐桑の仮面が剥がれ、狂気が表面化してきた。
それでも跳は、桐桑の少しだけ残った正気の部分に語りかける。
「冷静になれ。東京の街を新しくする為に、古い街を焼き払うなんてこと、するわけないだろう」
「そちらこそ冷静に考えてみろ。何も進んでいなかった煉瓦街の計画が、火事のわずか二日後に道路改正が内定し、四日目に煉瓦化が決定し、六日目に布告。いくらなんでも早過ぎるだろう。仕組まれたものだったんだ!」
火事が計画を進めたのは確かだが、人為的なものという証拠など何一つない。だが、桐桑の中では、既に真実として凝り固まっているのだ。
「お前が殺した三人の消防団員を覚えているか。背中の龍の彫物の手には、玉ではなく髑髏が握られていただろう。それは、助けられなかった母と子を忘れない為だった。彼らはただのうのうと生きのびていたわけではない。過去を背負って火消しを続け、たくさんの人命を救っていたんだ」
跳は、憤怒に紅潮していく桐桑の顔を見て、自分の言葉は逆効果だったことを悟る。
「そんな言い訳聞きたくないんだよ。あいつらが何人救おうが、どんな重要人物を救おうが関係ない。俺の女房と子供を殺したんだ!」
桐桑は、声を上げながら懐に手を入れようとした。
跳は、すかさず拳銃を引き抜き、桐桑に狙いを定める。
「動くな。撃ちたくない」
桐桑は、ゆっくりと手を懐に差し入れながら答えてきた。
「撃たん方がいい。服の下に鎖かたびらを着こんでいる。銃弾が当たって火花が散ったら、足元の爆薬に引火する。仕かけたのはここだけじゃない。次々に誘爆するようにしておいた。俺もお前も、井上馨も、建物ごと吹っ飛ぶぞ」
桐桑の足元には爆薬が仕かけられ、そこから導火線が伸びている。本来は導火線に火をつけ、この場を離れるつもりだったのだろう。
桐桑までの距離は、三間半程度。このくらいなら頭を撃ち抜くことも可能は可能だが、呼吸を読まれてかわされるかもしれない。下手に撃ちまくれば、爆薬に引火するだろう。
跳は引き金にかけた指をしぼり切ることも出来ず、ただ歯を食いしばる。
桐桑は少しずつ手を動かし、懐から一本のマッチを取り出す。どこかに先端を擦りつければ簡単に発火し、その小さな炎は、大きな炎へと拡大していくことだろう。細く短いマッチ一本が、白刃より怖ろしかった。
どうにか桐桑の気をそらそうと、とっておきの話を聞かせることにした。
「忍びの首領三廻部焔膳を殺したのは俺だ。上野戦争のどさくさにまぎれて刺し殺した」
ほんの少し桐桑の顔に動揺が走ったが、すぐに元に戻り、薄笑いを浮かべて返してくる。
「三廻部焔膳を名乗っていたら本人が現れるかと思っていたが、既に死んでいたか。お前が殺さなかったら、俺が殺していただろう」
心を乱すことは出来なかったようだ。
一か八か発砲しようかと跳が思い始めた時、建物の表側が騒がしくなってきた。
何かが起こっている。
「桐桑。お前がけしかけた藤巴党の奴らか?」
桐桑は、表から聞こえる騒ぎを心地良さげに聞きながら言う。
「どうせ死ぬなら華々しくという貧乏士族なんていくらでもいる。利用出来るものは利用するのだ。どうせ打ち上げるなら、花火はでかい方が良いだろう」
表の方がどういう状況になっているのかわからないが、音だけでもただごとではないことはわかる。
跳達の方に向かってくる足音が聞こえた。敵か味方か、ただの一般人なのか。
桐桑はマッチを煉瓦に擦り付け火をつける。小さな炎が、跳には禍々しく思えた。
表側から走ってきた足音は、すぐそこまで来ている。桐桑の仲間ならば、跳は斬り捨てられるが、マッチの炎から目を離すことが出来ない。
桐桑が大きく息を吸い。炎が揺れる。終わりにするつもりだ。
撃ったら火が爆薬の上に落ちる。走って火を取り上げようにも間に合わない。後ろからは何者かが迫ってきていて、逃げ場もない。
跳の頭に死がよぎった時、建物の角から消防団の砥叶が姿を現した。
「龍神二号到着!」
そう叫ぶと同時に、砥叶の手に持たれた筒の先から水がほとばしり、桐桑を直撃した。
マッチの炎は消え、桐桑は体勢を崩す。
藤田が呼びに行った応援が間に合った。
砥叶が手に持った筒から伸びた管は、荷車の上に乗った機械につながっている。その機械の上部には長い棒が付いており、両脇を消防団員が一人ずつつかみ、上下させている。英国式腕用消火器だ。
蒸気ポンプ消火器が事実上使用停止となった後、欧州視察に行った川路利良により、英国式腕用消火器が数台輸入された。これは、二人の人間が両端を持って棒を上下させることにより圧力を生み出し、水を吸い上げて放出する機器だ。取り運びも操作も蒸気ポンプに比べ簡単で、日本には向いていた。訓練もこなし、後は実戦を待つのみの状態だったのだ。
「足元に爆薬が仕かけてある。あそこを狙ってくれ!」
砥叶は威勢の良い返事をして、筒の先を爆薬に向ける。
放水された水は勢い良く降り注ぎ、爆薬を使い物にならなくした。
桐桑は一言毒づいてから背中を見せ、走って逃げ始める。
跳はその背中に向けて銃弾を放つ。角度が浅く、桐桑の背中をかする程度だが、動きが鈍る。しかし、致命傷を与えるには至らない。鎖かたびらを着ていると言っていたのは嘘だ。騙されたのだ。
二発目を撃とうとすると、桐桑が手裏剣を投げてきて、跳は危うくかわした。
跳が怯んでいるうちに、桐桑は建物の側面へと姿を消す。
「この建物には他にも爆薬が仕かけられている。水浸しにしてくれ!」
「わかった!」
砥叶は方向転換して、水のつまった重い放水管を引きずって走り出す。
それに続いて、消防団の団員がポンプを動かした。
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