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第八章 異世界の中の異世界とか、本当に勘弁してほしいです
2.遭遇しました、逃亡しました、落下しました
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何かに見られている。
そう思うと同時だった。服の下、全身の皮膚の上をナメクジが埋め尽くして這いまわる。そういう心地になった。
それだけでなく、下水のにおいを嗅いだときのような吐き気もこみ上げる。
それは背後から何かのせいに違いなかった。どくんどくんと心臓の振動すらその場に響く気がした。口の中に唾がたまって、でもうまく飲み込めなくて空気だけを飲み込んでしまう。
よくないものだ。そういう何かに見つかってしまったのだ。最初の、踏み出してはいけない方角に感じたよくない何かを凝縮したような何かに。
手がじわりと冷たく湿りだす。静止したまま全身を耳のようにして背後を探れば、その何かが一歩近づいた気がした。にちゃりとした粘着質な気配に総毛だつ。
腐った生ゴミから出た汁を脳天から垂らされて、それが首筋を伝って背骨から腰、ふともも、足首にかかとまでをぬめらせるかのような。
ぞわぞわと背筋が震えた。全身の毛穴が引き絞られる。恐慌状態の私が走り出してしまったのは悪手だったのかもしれない。その何かもすぐに追いかけてくるのがわかった。
背後のいやな気配がさらに濃くなってくるのを感じて、悪寒が強くなる。あたりに吐き気を呼ぶ悪臭が充満して、全身を這い回る蛆虫が皮膚の細胞を溶かしながら体内に入り込もうとされているみたいな痛みと不快感がまとわりつく。
そうだ、ここは穴で、たまですらよくわからないと言っていた未知の空間だった。いったい何があるのか知れやしない場所。ほかになんて言っていたっけ?
――暗く長く、深い闇の道。場所と場所をつなぐ通り道。どこに繋がるかは、通る者しだい。天珠がなければ自我も行き先も失い無に溶ける――
そりゃ、あんなよからぬものに捕まったら、全身を細胞レベルにまでどろどろに溶かされて、プルーチェみたいに飲み干されてもおかしくない! 私は走りながらも、たまらずうなじを右手で覆った。そこからの悪寒が止まらないのだ。
常識も違えば話の通じない原初的な恐怖。川で鮭はヒグマに遭遇したらこういう気分になるのかな。だとしたら鮭と握手をしたい。手ないけど。
私はときどき膝をかくんとさせながらも、ひたすら走った。暗闇のせいでうまく地面との距離感が測れない。目隠しをされたまま見知らぬところを走り回っているのと同じだ。
そして困ったことに、走っても走っても疲れない。いっそ疲れてしまえば諦めてそのへんに寝転がるのに。
突破口を見出せなくて空虚な気持ちにしかなれない私は泣きそうになる。どこへ向かっているかもわからなければ、後ろからは気味の悪い何かが着実に距離を縮めながら迫ってくる。
背中のちりちりとした灼けつくような気配が強くなるたびに、その何かが距離を詰めているのがわかった。さっきは数十メートル離れている感覚だったのが、いまや数歩ぶんも離れていない気すらした。
そしてそれは、ギィと私を襲った巨大トンボのポチュニトスとかとはまったく異なるのだ。きっと明確なかたちを持っていない。その気になればアメーバのようにその輪郭を変え、私の背中に張り付き捕まえることだってできるかもしれない。
そう考えた瞬間、うなじを押さえて走っていた右手の甲に何かが触れた。
ひりつくほどに冷たいのに熱く、私は声にならない悲鳴を上げて反射的に右手を振り回した。そのまま胸のあたりでかばうように背を丸めたとき、バランスを崩してとうとう地面に倒れこんでしまった。走っていた勢いそのままにごろごろと転がる。
とっさに右手の甲の、その何かが接触したところに左手で触れて、心臓がどくりと鳴る。
穴が開いていたのだ。
暗闇の中で目を見開いて、よく眺めてみる。暗いからもちろん何も見えない。もう一度左手でそっと触れてみる。甲の側から指先でなぞれば、そこにあるべき骨と皮膚の感覚がない。かわりに落ち窪んだ穴と、穴の側面、手の厚みの中身である筋肉や骨にそのまま触れた。ゴルフボールほどの穴。痛みはない。
「う……あ?」
混乱したまま、今度は手のひらの側から触れてみる。左手の中指はあっさり通り抜け、右手の甲の穴から貫通した。指を曲げれば穴を通して左手の親指と中指とで輪っかを作れた。お誕生日パーティーに折り紙で作ったかざりのように。
地震? と思った。違った。私の身体が震えているのだ。ぶるぶると勝手に振動し、歯の根もあっていない。そして地面に座り込んだまま、この穴を作った原因の何かがすでに正面にいることにも気づいた。
終わりだ。
次の瞬間、この何かはその全身をゲルのように薄く広げ伸ばし、私の頭から足元まで、ひとくちに包み込んで丸呑みをする。クリオネの捕食シーンが頭をよぎった。全身の皮膚は右手の甲と同じ末路を辿る。それでおしまい。
いやだ、と強く思った。
すねたユーリオットさん、上目遣いの月花、はにかむナラ・ガルさん、無表情の阿止里さん、そして足元に絡みつく拓斗。
それらの映像が一瞬で目の前をよぎって、光がほしいと強く願った。明かりさえあればと。明かり。天珠。
天珠?
色も形もとりどりのうつくしい珠を脳裏にイメージした次の瞬間――目の前に光が産まれた。
ほのかに赤く、そして紫がかった強い光だ。ひさびさの光は私の目を容赦なく刺激した。あまりの眩しさに上下左右すらもわからなくなって身体が硬直する。正面まで迫っていた何かもまた動きを止めた?
そして私がかろうじて薄目を開いたと同時に、それが光から逃げるように、するりと暗闇に消え失せるのが見えた。闇に消える前の一瞬、油と粘土をこねたような光沢をした、マカロニのように細いホースのようなものがびっしりと生えている部分が微かに見えた。それの身体の一部だろうか。
その光はひとしきりあたりを照らし出して、それからゆっくりと落ち着いていった。あたりも合わせてまた暗くなっていく。そして小さくなった光は豆電球のようになり、私の指先に落ちた。ふたつの石のような感触。
月花とギィの天珠だと、どうしてだかわかった。
縋るような怯えるようなみどりの瞳と、熱を孕んだ胡桃色の瞳を思い出す。
「……ありがとう」
右の手のひらで握り締めようとしたけど、手のひらの穴はそのままそこにあったので、通り過ぎてこつんと地面に落ちてしまった。
慌てて左手で拾う。右手に穴があるという前代未聞の状況に、きっと取り乱したりするべきところなんだろうけど、痛みがないのと暗闇で見えないのとで、わりと私は落ち着いているっぽい。落ち着いてるのかな。わからないけど。
あたりは再び暗闇になってしまったけど、左手の中、まだほのかにあたたかい天珠を握り締めて私は大きく息を吐く。
チェシャ猫は案内してくれないが、私には誰よりも頼りになる人たちがいるではないか。
早くククルージャに帰って、みんなとごはんを食べたいな。
おいしいごはん、みんなの笑顔、拓斗のもふもふ。がぜん、帰る気が増してきた。仕切り直しの気持ちで天珠を握り締めると、前方の暗闇、遠くのほうの地面にすうっとひと筋の黄色い光の切り込みが入った。と思う間もなくそこから光が噴き出す。
「はっ……え?」
私は呆然としながらも念のため目をこすってみるけど、やっぱり光は噴水の水のようにあふれ出ている。
なになになに、こんどは何とぶつぶつ呟いて眉を寄せながら、おそるおそる近づいてみる。次から次へといろいろなことが起こりすぎじゃないか? もうほんと説明がほしい。異世界の取扱説明書とかないのか! そう八つ当たりと鼓舞の感情を込めて、ぶちぶち言いながら切れ目まで数メートルほどのところまで近づいて足を止める。ふたの開いたマンホールを覗き込むように上半身を乗り出してみた。
紛うことなき切れ目である。切れ目の輪郭は不思議と黄色い色に揺らめいていて、私はそのあたたかみのある色に目を細めた。ナラ・ガルさんの天珠の色だ。
ゆっくりと息を吐きながら、さらに上半身をかがめて見下ろしてみる。
例えるならその状況は、床に張られた黒い布地にカッターを無造作に振り下ろした結果、コの字型になったかのような。そしてその下から光が噴水のように溢れて、黒い部分と光とが揺らめいている。その隙間、つまり地面の奥は眩しすぎてどうなっているか見当もつかない。
切れ目の一辺あたりの長さは20センチほどだろうか。私が立っている地面はその厚さも知れないほどにしっかりとしているのに、切られたそこの部分はまるで下には何もないかのよう。切られた薄いフィルムのように不規則に地面の表面がうごめいているのも理解できない。
「ゆ、夢の終わり? アリスみたいに、現実に戻れたり……したいわ。しないかな」
願望っぽくつぶやいて、もう一歩近づいてその隙間をそうっと覗き込んだ。
切り込みが狭くてよく見えないし、ぱたぱたと表面が動いていたので、思い切ってえいっと左手の小指で地面の表面をつまんでみる。とたんに勢いを増してあふれ出る、カメラのフラッシュをこれでもかと焚いたような白さ。
舞台照明ぜんぶを最大出力で当てられたかのような、その光の量にめまいがしてバランスを崩した私は、20センチ四方しかない隙間に左足から落ちこんだ。
シリコンの床に膝をしたたかに打つ痛みに身構えたけど、予想した痛みはなかった。
ばりばりと私のふとももがその隙間を破り広げる感覚があって、そんな画用紙みたいにかんたんに破れるのかと驚愕して、一瞬の浮遊感のあとでどすんと落下して――
その場所がどこだかわかった瞬間、もっと驚愕した。
目に映ったのは黄色いカーテン。エアコン。見慣れたシーリングライト。
つまりそこは、私のアパートの天井だった。
私だけが、逆さまに、天井に横たわっていた。
これ以上驚く展開って、これから先もあるんだろうか?
そう思うと同時だった。服の下、全身の皮膚の上をナメクジが埋め尽くして這いまわる。そういう心地になった。
それだけでなく、下水のにおいを嗅いだときのような吐き気もこみ上げる。
それは背後から何かのせいに違いなかった。どくんどくんと心臓の振動すらその場に響く気がした。口の中に唾がたまって、でもうまく飲み込めなくて空気だけを飲み込んでしまう。
よくないものだ。そういう何かに見つかってしまったのだ。最初の、踏み出してはいけない方角に感じたよくない何かを凝縮したような何かに。
手がじわりと冷たく湿りだす。静止したまま全身を耳のようにして背後を探れば、その何かが一歩近づいた気がした。にちゃりとした粘着質な気配に総毛だつ。
腐った生ゴミから出た汁を脳天から垂らされて、それが首筋を伝って背骨から腰、ふともも、足首にかかとまでをぬめらせるかのような。
ぞわぞわと背筋が震えた。全身の毛穴が引き絞られる。恐慌状態の私が走り出してしまったのは悪手だったのかもしれない。その何かもすぐに追いかけてくるのがわかった。
背後のいやな気配がさらに濃くなってくるのを感じて、悪寒が強くなる。あたりに吐き気を呼ぶ悪臭が充満して、全身を這い回る蛆虫が皮膚の細胞を溶かしながら体内に入り込もうとされているみたいな痛みと不快感がまとわりつく。
そうだ、ここは穴で、たまですらよくわからないと言っていた未知の空間だった。いったい何があるのか知れやしない場所。ほかになんて言っていたっけ?
――暗く長く、深い闇の道。場所と場所をつなぐ通り道。どこに繋がるかは、通る者しだい。天珠がなければ自我も行き先も失い無に溶ける――
そりゃ、あんなよからぬものに捕まったら、全身を細胞レベルにまでどろどろに溶かされて、プルーチェみたいに飲み干されてもおかしくない! 私は走りながらも、たまらずうなじを右手で覆った。そこからの悪寒が止まらないのだ。
常識も違えば話の通じない原初的な恐怖。川で鮭はヒグマに遭遇したらこういう気分になるのかな。だとしたら鮭と握手をしたい。手ないけど。
私はときどき膝をかくんとさせながらも、ひたすら走った。暗闇のせいでうまく地面との距離感が測れない。目隠しをされたまま見知らぬところを走り回っているのと同じだ。
そして困ったことに、走っても走っても疲れない。いっそ疲れてしまえば諦めてそのへんに寝転がるのに。
突破口を見出せなくて空虚な気持ちにしかなれない私は泣きそうになる。どこへ向かっているかもわからなければ、後ろからは気味の悪い何かが着実に距離を縮めながら迫ってくる。
背中のちりちりとした灼けつくような気配が強くなるたびに、その何かが距離を詰めているのがわかった。さっきは数十メートル離れている感覚だったのが、いまや数歩ぶんも離れていない気すらした。
そしてそれは、ギィと私を襲った巨大トンボのポチュニトスとかとはまったく異なるのだ。きっと明確なかたちを持っていない。その気になればアメーバのようにその輪郭を変え、私の背中に張り付き捕まえることだってできるかもしれない。
そう考えた瞬間、うなじを押さえて走っていた右手の甲に何かが触れた。
ひりつくほどに冷たいのに熱く、私は声にならない悲鳴を上げて反射的に右手を振り回した。そのまま胸のあたりでかばうように背を丸めたとき、バランスを崩してとうとう地面に倒れこんでしまった。走っていた勢いそのままにごろごろと転がる。
とっさに右手の甲の、その何かが接触したところに左手で触れて、心臓がどくりと鳴る。
穴が開いていたのだ。
暗闇の中で目を見開いて、よく眺めてみる。暗いからもちろん何も見えない。もう一度左手でそっと触れてみる。甲の側から指先でなぞれば、そこにあるべき骨と皮膚の感覚がない。かわりに落ち窪んだ穴と、穴の側面、手の厚みの中身である筋肉や骨にそのまま触れた。ゴルフボールほどの穴。痛みはない。
「う……あ?」
混乱したまま、今度は手のひらの側から触れてみる。左手の中指はあっさり通り抜け、右手の甲の穴から貫通した。指を曲げれば穴を通して左手の親指と中指とで輪っかを作れた。お誕生日パーティーに折り紙で作ったかざりのように。
地震? と思った。違った。私の身体が震えているのだ。ぶるぶると勝手に振動し、歯の根もあっていない。そして地面に座り込んだまま、この穴を作った原因の何かがすでに正面にいることにも気づいた。
終わりだ。
次の瞬間、この何かはその全身をゲルのように薄く広げ伸ばし、私の頭から足元まで、ひとくちに包み込んで丸呑みをする。クリオネの捕食シーンが頭をよぎった。全身の皮膚は右手の甲と同じ末路を辿る。それでおしまい。
いやだ、と強く思った。
すねたユーリオットさん、上目遣いの月花、はにかむナラ・ガルさん、無表情の阿止里さん、そして足元に絡みつく拓斗。
それらの映像が一瞬で目の前をよぎって、光がほしいと強く願った。明かりさえあればと。明かり。天珠。
天珠?
色も形もとりどりのうつくしい珠を脳裏にイメージした次の瞬間――目の前に光が産まれた。
ほのかに赤く、そして紫がかった強い光だ。ひさびさの光は私の目を容赦なく刺激した。あまりの眩しさに上下左右すらもわからなくなって身体が硬直する。正面まで迫っていた何かもまた動きを止めた?
そして私がかろうじて薄目を開いたと同時に、それが光から逃げるように、するりと暗闇に消え失せるのが見えた。闇に消える前の一瞬、油と粘土をこねたような光沢をした、マカロニのように細いホースのようなものがびっしりと生えている部分が微かに見えた。それの身体の一部だろうか。
その光はひとしきりあたりを照らし出して、それからゆっくりと落ち着いていった。あたりも合わせてまた暗くなっていく。そして小さくなった光は豆電球のようになり、私の指先に落ちた。ふたつの石のような感触。
月花とギィの天珠だと、どうしてだかわかった。
縋るような怯えるようなみどりの瞳と、熱を孕んだ胡桃色の瞳を思い出す。
「……ありがとう」
右の手のひらで握り締めようとしたけど、手のひらの穴はそのままそこにあったので、通り過ぎてこつんと地面に落ちてしまった。
慌てて左手で拾う。右手に穴があるという前代未聞の状況に、きっと取り乱したりするべきところなんだろうけど、痛みがないのと暗闇で見えないのとで、わりと私は落ち着いているっぽい。落ち着いてるのかな。わからないけど。
あたりは再び暗闇になってしまったけど、左手の中、まだほのかにあたたかい天珠を握り締めて私は大きく息を吐く。
チェシャ猫は案内してくれないが、私には誰よりも頼りになる人たちがいるではないか。
早くククルージャに帰って、みんなとごはんを食べたいな。
おいしいごはん、みんなの笑顔、拓斗のもふもふ。がぜん、帰る気が増してきた。仕切り直しの気持ちで天珠を握り締めると、前方の暗闇、遠くのほうの地面にすうっとひと筋の黄色い光の切り込みが入った。と思う間もなくそこから光が噴き出す。
「はっ……え?」
私は呆然としながらも念のため目をこすってみるけど、やっぱり光は噴水の水のようにあふれ出ている。
なになになに、こんどは何とぶつぶつ呟いて眉を寄せながら、おそるおそる近づいてみる。次から次へといろいろなことが起こりすぎじゃないか? もうほんと説明がほしい。異世界の取扱説明書とかないのか! そう八つ当たりと鼓舞の感情を込めて、ぶちぶち言いながら切れ目まで数メートルほどのところまで近づいて足を止める。ふたの開いたマンホールを覗き込むように上半身を乗り出してみた。
紛うことなき切れ目である。切れ目の輪郭は不思議と黄色い色に揺らめいていて、私はそのあたたかみのある色に目を細めた。ナラ・ガルさんの天珠の色だ。
ゆっくりと息を吐きながら、さらに上半身をかがめて見下ろしてみる。
例えるならその状況は、床に張られた黒い布地にカッターを無造作に振り下ろした結果、コの字型になったかのような。そしてその下から光が噴水のように溢れて、黒い部分と光とが揺らめいている。その隙間、つまり地面の奥は眩しすぎてどうなっているか見当もつかない。
切れ目の一辺あたりの長さは20センチほどだろうか。私が立っている地面はその厚さも知れないほどにしっかりとしているのに、切られたそこの部分はまるで下には何もないかのよう。切られた薄いフィルムのように不規則に地面の表面がうごめいているのも理解できない。
「ゆ、夢の終わり? アリスみたいに、現実に戻れたり……したいわ。しないかな」
願望っぽくつぶやいて、もう一歩近づいてその隙間をそうっと覗き込んだ。
切り込みが狭くてよく見えないし、ぱたぱたと表面が動いていたので、思い切ってえいっと左手の小指で地面の表面をつまんでみる。とたんに勢いを増してあふれ出る、カメラのフラッシュをこれでもかと焚いたような白さ。
舞台照明ぜんぶを最大出力で当てられたかのような、その光の量にめまいがしてバランスを崩した私は、20センチ四方しかない隙間に左足から落ちこんだ。
シリコンの床に膝をしたたかに打つ痛みに身構えたけど、予想した痛みはなかった。
ばりばりと私のふとももがその隙間を破り広げる感覚があって、そんな画用紙みたいにかんたんに破れるのかと驚愕して、一瞬の浮遊感のあとでどすんと落下して――
その場所がどこだかわかった瞬間、もっと驚愕した。
目に映ったのは黄色いカーテン。エアコン。見慣れたシーリングライト。
つまりそこは、私のアパートの天井だった。
私だけが、逆さまに、天井に横たわっていた。
これ以上驚く展開って、これから先もあるんだろうか?
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