醜く美しいものたちはただの女の傍でこそ憩う

ふぁんたず

文字の大きさ
17 / 97
第二章 異世界で死に物狂いで貯金をします

4.理不尽という名の暴力

しおりを挟む
「娘さん、今日はボワシィの肉が安いよ」

 すっかり常連になった肉屋で、じゃあそれを5人ぶん、と注文する。

 ククルージャの人口はぜんぜんわからないけど、市場の規模からすると、日本でいう田舎街に毛の生えた程度、だろうか。
 日本の街や村のなりたちは、だいたいが平野や盆地に平坦に広がっていることが多い。まあ、港町とかもあるけどね。それに対し、このククルージャは街の外側をぐるりと壁が取り囲み、その内側で立体的に建物が展開している。面積自体はせまいけど、いちがいに日本のそれとは比べるのは難しい。
 歩いて街の規模を知りたくても、そこまで外出で足を伸ばせないし、何より迷路のようなつくりがその気を削ぐ。まあ市場の規模から察するに、町と市の間くらいか。やや町よりかもしれない。

 さて、買い物だ。
 市場について言えば、大型スーパーひとつぶんくらい。雑多な市場で、各店舗は整然と並んでいるわけではない。おのおのの屋台主が好き勝手に店を広げている格好なので、道に規則性がないのだ。そこをを練り歩くだけでけっこうな運動になる。

 面倒くさいこともある。それぞれが独立した小売店なので、会計がとにかく億劫。
 加えて数字は、私のなじみあるアラビア数字でもなければ、漢数字でもない。これが本当に困ってしまう。
 並べられた商品の上には木の札が無造作においてあって、それが値札なのだが、これが読めない。

 仕方ないので、私は両手の指を使って金額を確かめるのだ。数字の数え方は一緒(十進法だっけ?)なので、助かった。

 今日は野菜はすでに買ってあるので、あとはデザートの果物だ。
 四人は甘いものも大好きだ。会話の端々から察するに、今まであまり食べることはできなかったようなので、奮発していいものを手に入れようと心がけている。

 果物屋の前を通れば、売れた果実の芳醇な香りが鼻をくすぐる。

 ところで、こちらのイケメン(つまり、私にとってはその逆)は非常に臭いのだが、料理や果物、花などの香りに対しては、共通の認識を持てている。
 この世界の人たちにとっても、私にとっても、果物や花はいい香りなのだ。
 不思議だけど人の体臭に関しては、そういった逆転現象が見られる、ような気がする。
 明確な線引きはまだわからないが、私はそういう考えで落ち着いている。

 つまり、オレンジのにおいは誰にとっても魅力的ということだ。

「これ、十個ほしいです」

 言葉は聴いて話せるが、目の前の商品の名前まではわからない。オレンジに似ているが、こちらの世界での名前はきっと異なるのだろう。
 変に目立ちたくもないので、私はいつも便利なこそあど言葉で乗り切っている。
 これ、それ、あれ、どれ。
 うむ、便利。

 キリンみたいにのっぽでひょろっちい、ちょびひげ店主が、無愛想にオレンジもどきを取り分ける。

「8プルタ」

 はちプルタ。七百円くらいか。
 小銭をさぐると、ちょっと足りなかった。
 ボワシィの肉が思ったよりも高かったのだ。最低限の予算しか持ち歩かない私は、オレンジもどきをあきらめるか、ちょっと悩んだ。
 でも、めったに微笑まない阿止里あとりさんやユーリオットさんが、果物でほんのすこし口元をほころばすのを知っている。

「五プルタしか持っていなくて。ねえおじさん、たまにはおまけとか、どうですか?」

 そしてにっこり、微笑んでみる。
 とはいっても布をすっぽりかぶっているから、目元しか見えないだろうけど。

 キリン店主はちょっと瞬いて、口元を緩めた。

「いつも来てくれる、お嬢ちゃんの頼みかあ。どうするかな」
「この前だって、それいっぱい買いました。たまには、いいじゃないですか」

 それ、とはイチジクもどきのことだ。日本でもあまり食べたことはないが、控えめな甘さと独特の触感に私はやみつきだった。
 抱えるほど、この店でお買い上げしたのだ。

 キリン店主はうんうん、と大げさにうなずいた。

「覚えてるよ。いつもひとりだもんなあ。若いお嬢ちゃんだし、珍しい」
「覚えてくれてうれしいです。ついでにこれもおまけしてくれたら、もっとうれしい。そしたら次回もここに足が向かうかも」
「しょうがないなあ」

 相好を崩し、キリン店主は照れたように笑って、五プルタを差し出した私の手をにぎにぎ握った。
 正直、鳥肌が立った――その瞬間。

「触れるな」

 となりに、熱を感じた。

 反射的に見上げると、ユーリオットさんが厳しい顔で、キリン店主をにらんでいた。
 キリン店主の腕をつかみ、私の手から引き離したのだと気づいたのは、私が握っていた五プルタが、ちゃりんと並ぶ果物の上に落ちてからだった。

 あっけに取られていたキリン店主は、みるみる顔をこわばらせ、顔を真っ赤にして叫ぶ。
 化け物め、と、低くうなる。

「よくもそんななりで、あたりをうろつけるもんだ」
「触れるな。きさまなどが、この娘に」

 ユーリオットさんの硬質な声が、静かに響く。

「腕を放せ! そのにおいが取れなくなったら、どうしてくれる!」

 騒ぎに驚いたまわりの店主や客たちも、その目を吊り上げ、ユーリオットさんを聞き苦しい言葉で罵倒した。 
 私は呆然としていたけれど、ユーリオットさんに石が投げられ、そのこめかみから血がにじんだときに、何かが切れた。

「――やめて!」

 体中の血が沸騰するようだった。こんな激しい怒りは、初めてかもしれない。
 ユーリオットさんの前に飛び出して、両腕を広げる。

「誰がこの都市を魔獣から守っているか、知っているの。どんなに立派か。その身を挺して、あなたたちを守っているのは、この人! 恥じることなんて、何一つしていない。なのに――」

 あたりがしん、と静まり返った。
 あの娘、あいつを庇ったぞ、と、誰かが呟く。
 投げるなら、私にも石を投げればいい。
 そう思ってまわりを睨み付けると、私に向けられたのは、哀れみの目だった。

「かわいそうに、頭がおかしいんだ」

 キリン店主が、背後で呟く。

「まだ若いってのに、どうしたんだ。こいつに、質でも取られているのか?」

 向けられた同情の視線と声に、私はぽかんとしてしまった。

 言葉が、通じない。

 もどかしくて、私はいっそ地団駄でも踏みたくなった。

「違う、なんでわからないの。この人ほどかっこよくて、努力して、自分に厳しい人なんて、そういないのに」

 夜遅くに帰ってきてからも、分厚いぼろぼろの本を開いて、勉強しているのを知っている。
 無愛想だけど、私が洗濯であかぎれそうになった指先に塗る薬を、枕元にこっそり置いてくれてることを知っている。 
 私が買ってきた、庭にあるハーブの鉢植えに、毎朝水やりをしてくれているのを知っている。
 四人でくつろいでいるとき、誰かが言う冗談を聞き流すふりして、こっそり笑うのを知っている。

 怒りにぶるぶる震える私の腕を、ユーリオットさんが掴む。

「――もう、いい」

 ぜんぜん、よくない。
 私は息巻いてユーリオットさんを見上げて、冷や水をかけられた心地がした。
 ガラス玉のように無機質な、無垢な瞳。
 傷つくことに慣れている目だ。ここではないどこかに心を飛ばしている。

 ……そんなことに、慣れていいはずが、あるか!
 
 私はこめかみから流れる血を見て、どうしようかちょっと迷ったけど、彼の手を取って駆け出した。
 オレンジもどきが地面におちて弾むのが視界に写ったけど、もうどうでもよかった。

 これ以上、ユーリオットさんの心にものを投げられたくはなかったから。







 走りこんだ先が袋小路だと気づいて、私はようやく冷静になった。迷路のような壁はわりと行き当たりばったりで建設されたのか、こういう行き止まりも多くある。
 壁のレンガに手をついて、呼吸を整える。

 息が弾んでいる。

 ユーリオットさんは、ぜんぜん疲れてなかったけど。
 しょうがない。会社と自宅の往復くらいしか運動はしていなかった。ジムに通ったほうがいいかなとおなかの肉をつまみつつも、まだ先でいいよねと拓斗に話しかけていたものだった。

「……ユーリオット、さん。その、けが……」

 息を整えながら、顔を覗き込もうとした。
 すると、ユーリオットさんは壁に背をつけ、ずるずるとしゃがみこんでしまった。

「あの! い、痛いんですか」

 おろおろと傷口を見ようとするが、彼は顔を膝にうずめてしまって、ちっとも見えない。
 ユーリオットさん、と問いかけても微動だにしない。

「おまえ……何なんだ」
「な、何とは」
「何のつもりで、あんなこと言った」
「あんなこと」

 どのことだ、と、おうむ返しになってしまう私に焦れたのか、ユーリオットさんは顔を上げた。私は膝立ちだったので、いつもと異なり、私が彼を見下ろすような格好だ。

「立派って」
「りっぱ」
「言っただろう」
「言いました」

 やっぱりおうむ返しになってしまうのが、ばかにしてると思ったのかもしれない。ユーリオットさんはきゅっと目じりを吊り上げた。
 彼はとても美しいけれど、怒ったときのほうがもっと綺麗に見える。

「本気で、思ってるのか」
「もちろん。本気ですよ」

 すると今度は眉根を寄せて、理解できないというふうに頭を振った。

「おかしいよ、おまえ。おれたちをかっこいいって言ったり、あんなふうに庇ったり。そのたびにおれは、立っていられないくらいの目眩がするんだ」
「いいえ、おかしくありません」

 どう誤解されようと、これだけは言わなければ気がすまなかった。

「ユーリオットさんたちは、与えられた仕事を全力でまっとうしているんです。他の人たちがさじを投げるような仕事でも。さっきの人たちは、売りたくない相手には売らないどころか、買いに来たお客さんをえり好みするような人たちです。プロ失格です」

 私はどうにか励ましたかった。
 こんなに真面目で、努力家で、高潔な精神の男たちが自信を持てないでいるのは、太陽が昇らなくなるよりもひどいことのように思えてならないのだ。
 どうしたら、少しでも信じてくれるんだろう。

「……血が、止まらない」
「はい?」
「血が」

 脈絡のない会話は、彼にしては珍しい。けど実際こめかみから流れる血は、少量だけどたしかにまだ止まっていない。

「そうですね、どうしましょう」
「舐めればいい」
「えっ」
「唾液に含まれる成分は、血止めになる。そんなことも知らないのか」
「なるほど」

 知っていたけど、逆らわないでおく。
 触れられるのを避けていたのに、いきなり舐めるなんてことをしても嫌じゃないのだろうか。
 そう戸惑いながらも、私はそっと、そのこめかみに唇を寄せた。

 舌を出して、つとめてやさしく、その傷口にかぶせてみる。

 触れた瞬間、ユーリオットさんが弾かれたように、身体をゆらした。

「い、痛かったですか」

 ユーリオットさんはまた顔をうずめてしまった。大柄な人が体育すわりして頭を膝に突っ込んでるのって、なんかかわいいな。

 首をふるふると振る。痛くない、という意味だと思う。それから、小刻みに震えていた。

 拾ったばかりの拓斗そっくりの震え方だったので、私は少し迷ったけど彼の隣に座って、震えが止まるまでずっとその髪を撫で続けた。

 初めて触れる彼の稲穂色の髪は、思いのほか柔らかで、それは私に拓斗を思い出させて、彼らの人生と拓斗の今を想像した私は、ちょっと切なくなった。


しおりを挟む
感想 15

あなたにおすすめの小説

私が美女??美醜逆転世界に転移した私

恋愛
私の名前は如月美夕。 27才入浴剤のメーカーの商品開発室に勤める会社員。 私は都内で独り暮らし。 風邪を拗らせ自宅で寝ていたら異世界転移したらしい。 転移した世界は美醜逆転?? こんな地味な丸顔が絶世の美女。 私の好みど真ん中のイケメンが、醜男らしい。 このお話は転生した女性が優秀な宰相補佐官(醜男/イケメン)に囲い込まれるお話です。 ※ゆるゆるな設定です ※ご都合主義 ※感想欄はほとんど公開してます。

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

美醜逆転世界でお姫様は超絶美形な従者に目を付ける

朝比奈
恋愛
ある世界に『ティーラン』と言う、まだ、歴史の浅い小さな王国がありました。『ティーラン王国』には、王子様とお姫様がいました。 お姫様の名前はアリス・ラメ・ティーラン 絶世の美女を母に持つ、母親にの美しいお姫様でした。彼女は小国の姫でありながら多くの国の王子様や貴族様から求婚を受けていました。けれども、彼女は20歳になった今、婚約者もいない。浮いた話一つ無い、お姫様でした。 「ねぇ、ルイ。 私と駆け落ちしましょう?」 「えっ!? ええぇぇえええ!!!」 この話はそんなお姫様と従者である─ ルイ・ブリースの恋のお話。

黒騎士団の娼婦

イシュタル
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。 異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。 頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。 煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。 誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。 「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」 ※本作はAIとの共同制作作品です。 ※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。

この世界、イケメンが迫害されてるってマジ!?〜アホの子による無自覚救済物語〜

具なっしー
恋愛
※この表紙は前世基準。本編では美醜逆転してます。AIです 転生先は──美醜逆転、男女比20:1の世界!? 肌は真っ白、顔のパーツは小さければ小さいほど美しい!? その結果、地球基準の超絶イケメンたちは “醜男(キメオ)” と呼ばれ、迫害されていた。 そんな世界に爆誕したのは、脳みそふわふわアホの子・ミーミ。 前世で「喋らなければ可愛い」と言われ続けた彼女に同情した神様は、 「この子は救済が必要だ…!」と世界一の美少女に転生させてしまった。 「ひきわり納豆顔じゃん!これが美しいの??」 己の欲望のために押せ押せ行動するアホの子が、 結果的にイケメン達を救い、世界を変えていく──! 「すきーー♡結婚してください!私が幸せにしますぅ〜♡♡♡」 でも、気づけば彼らが全方向から迫ってくる逆ハーレム状態に……! アホの子が無自覚に世界を救う、 価値観バグりまくりご都合主義100%ファンタジーラブコメ!

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

【美醜逆転】ポジティブおばけヒナの勘違い家政婦生活(住み込み)

猫田
恋愛
 『ここ、どこよ』 突然始まった宿なし、職なし、戸籍なし!?の異世界迷子生活!! 無いものじゃなく、有るものに目を向けるポジティブ地味子が選んだ生き方はーーーーまさかの、娼婦!? ひょんなことから知り合ったハイスペお兄さんに狙いを定め……なんだかんだで最終的に、家政婦として(夜のお世話アリという名目で)、ちゃっかり住み込む事に成功☆ ヤル気があれば何でもできる!!を地で行く前向き女子と文句無しのハイスペ醜男(異世界基準)との、思い込み、勘違い山盛りの異文化交流が今、始まる……

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

処理中です...