醜く美しいものたちはただの女の傍でこそ憩う

ふぁんたず

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第五章 異世界ですが、再就職をしたいです

5.テクナトディアボル

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 私よりは年下だろう。女性は腰までのゆるやかに波打つ金髪と茶色い瞳を持っていた。

 ぎぃ、ぎぃと、揺り椅子を前後に動かしながら、おなかのあたりでゆったりと両手を組み合わせて寛いでいるように見える。

 その顔は私にとっていたって平凡なものなので、この世界でも普通なのだと思う。
 ただ浮かべている微笑みはひどく満ち足りたものに見え、内面の穏やかさを表しているようにも思える。

 とても仕立てのいいドレスを身にまとっている。刺繍や布地の光沢が数段上なのだ。
 この邸の主人なのかもしれない。私はユーリオットさんに言われたことを思い出し、慌ててここから離れようとした。

「か、勝手に入ってすみません。すぐに出て行きますから」

 私が言い募っても、女性はまるで聞こえなかったかのように鼻歌をうたいだす。

「あら。そうなの。どなたさま?」

 返答してもいいものか迷ったけど、様子を伺いながら控えめに答えた。

「縁子と申します。ユーリオットさんに仕えています」

 彼女は口元をすぼめた。かたちのいい唇が、緩慢な動きで音をなぞる。まるで耳の聞こえない人に伝えるかのように明確に。
 そんなふうに、ゆーりおっと、と囁いたかと思うと、次の瞬間――泣き出した。
 私が不思議に思う間もなかった。

「ひどいわ。お人形をどこにかくしてしまったの。あれがないなら、わたくしはどうすれば」

 さめざめと顔を覆ってその背を小刻みに揺らす彼女に、私は呆然とする。お人形? とは何のことだ。
 そう思ってあたりを見回せば、彼女の座る揺り椅子の下になにやら丸い物体が落ちていることに気づいた。

「あ、あの。椅子の下にあるものは、お探しのものでしょうか」

 控えめにそう告げると、彼女は弾かれたように顔を上げて私を見た。

 陽光の射す白いテラス。その手前に、布地を掴んで立っている私。薄暗い部屋の奥で泣く女性。まるでどこかの境界線の上にいる心地になる。

 なぜなら彼女は、私を見ているようで見ていない。その焦点ははるか遠く――それこそ、夢の世界とか過去だとか――に合わせられているかのようで、私はみぞおちのあたりがひゅっと冷やされた気になった。

 彼女はゆっくりと椅子の下を覗き込み、じっくりとその人形を見つめた。おもむろに手を伸ばし、それを手に取る。

 おなかのあたりに抱き上げて、恋する少女のように微笑んだかと思うと、次の瞬間にはそれを力の限り投げ捨てた。私から数メートル手前で、大きく弾んで滑ってとまった。
 そして彼女は泣き叫びだす。

 まるで赤ん坊のような泣き方だ。その場を支配するかのような彼女のエネルギーに圧倒され、動けないでいると、物音を聞きつけたのだろう女中が部屋へ入ってきた。

「エッサラ様。いかがいたしましたか」

 それはゾエと呼ばれていたあの奥女中だった。無表情のままだが、そこには主君を案じる心が見える。彼女はまずエッサラと呼ばれた女性を見て、私を見て、それから叩きつけられた人形を見た。
 そしてゆっくりと表情を硬くして、出て行きなさいと囁いた。

 私はかすかにうなずいて、弾かれたように踵を返す。

 庭の茂みを走り抜ければ、枝が鞭のように私の頬や手を打った。

 遠くにユーリオットさんのいる邸を見ながら、あの人形は、と思う。

 麦穂の髪。茶色い瞳。彼を模して作ったかのような、ぼろぼろの人形を。







 置いておいた買い物かごを拾って、邸へ入る。

 リビングの机で書物を眺めていたユーリオットさんが、不機嫌そうにこちらを見た。
 買い物かごを台所に置く私を見ながら、首を回して息をついた。

「ずいぶん遅かったんだな。おれは腹が減ったぞ。それに今日をいつだと思っている」

 今日をいつだと思っている? ずいぶん変わった文章だ。

 誰かの誕生日でしたかね。そう不思議に思いながら時計を見る。いつもなら昼食を用意している時間。ちなみにここでの時間の計り方は、ククルージャと同じく日時計である。ちょうど影がいちばん短い。真昼どき。
 すみませんと謝りながら、私は話してしまおうと思った。
 どうせゾエさんからも報告は行くのだろう。隠しているよりも話してしまったほうがいい。私の性格的にも隠すのはつらい。

「ユーリオットさん。謝らなければならないことが」

 彼はひとつ瞬いた。すうっと、ものごとを見極める議長のような面持ちに変わる。すこしだけ顎をあげて、先を促す瞳で私を見る。

 そして話した。ハンカチの布地が飛ばされたこと。近づくなと命じられた邸まで飛んでいってしまったこと。誰もいないからと思って足を踏み入れたこと。奇妙な女性のこと。
 ただ人形のことだけは、どうしてだか話す気にならず、口に出さないでおいた。

 ユーリオットさんは終始硬い表情だった。聞き終わると私から視線を外し、庭で小さな芽を出した薬草を眺めた。
 その横顔に浮かぶものは何だろう。子どもにあるまじき苦悩と、行き場のない憤りのようなものだったかもしれない。
 彼はしばらくそのままじっとしていた。私も立ったままじっと彼を見ていた。庭を横切る蝶々が、気まぐれのように花にとまって、その茎を揺らしている。

 私はふと、場違いなことを考えた。蝶々と蜘蛛の恋について。きっとそこには破滅しかない。もし恋に落ちてしまったらどうなってしまうのだろう――。

「……おまえは、どうして逃げ出さないんだ」

 それは質問というよりは独白の温度だったので、私は黙ったまま続きを待った。

「おれの名前を知っていたな。つまり、テクナトディアボルだってことも知ってるはずだ。なのに、どうして」

 私は唇を引き結ぶ。音としては入ってくるが、その奥にある意味を理解できない。
 ユーリオットさんは私の表情をみて、そうだったのか、というように眉をあげた。刺さっていた棘が抜けたような爽快感と、石を飲み込んだかのようなやるせない絶望とが、ないまぜになったかのような色を乗せて。

「知らなかったのか。だからだ。だからおまえは、のうのうとおれの側仕えなんてやれていたんだ。知らないだけだ。そうでなければ、いったい誰が好き好んでおれの近くにいたがるっていうんだ」

 おかしそうに唇をゆがめて、ユーリオットさんは前髪をくしゃりと握りつぶした。
 せいせいしたというように、彼は大きく深呼吸をした。
 私は何がなんだかわからない。

「いいさ。教えてやる。おまえが会った女は、おれの母親で、それでいて、おれの父親の妹にあたる女というわけだ」

 テクナトディアボル。街で囁かれたあの言葉は。

 悪魔の子テクントディアボル。ユーリオットさんは、まるで親しい友人を呼ぶように呟いた。




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