醜く美しいものたちはただの女の傍でこそ憩う

ふぁんたず

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第五章 異世界ですが、再就職をしたいです

4.再就職に成功です

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 そういうわけで、私はなし崩し的にユーリオットさん(少年)の小間使いとあい成った。

 ゾエさんとも、初日以来めっきり会わない。本当にこのやしきでユーリオットさんと二人暮らし。ふたりきり。
 だからだろうか、まるですべてが完結しているように感じた。しばしば家に満ちる静寂にはっとさせられる。世界から音が消えたように思うことがあるのだ。

 大きな母屋は、それ単体でもまるで平安時代の貴族のような広さである。それこそたくさんの女中たちが働いているのだろうが、不思議なくらい出会わない。それぞれの邸は、およそ50メートルくらい離れているが、その数字以上に完璧に隔絶されているようだった。

 邸宅の門をくぐり、買い出しで店主とやりとりをしなければ、会話する相手はユーリオットさんだけである。

 ちなみに邸の配置はこう。この広大な敷地を真上から見ると、ちょうど漢字の「品」という配置で、三つの邸宅が建てられている。学校のグラウンドの向こう側に見えるような大きさで、それぞれは木々や茂み、庭などを間に挟み、レンガの道でつながっている。正三角形のような並び方だ。

 母屋がもちろん一番大きく、ほかの二つは母屋の四分の一くらいの大きさだろうか。何にしろすごい贅沢なつくりである。

 天珠ラーラ・アモが目的のはずのたまは、疲労を癒すためかずっと眠りに落ちている。私は依然としてどう動くべきかもわからないので、現実的な営みのために働くまでである。

 どんなときでも、衣食住は最優先なのだ。

 ククルージャでの住み込み奴隷生活を経験していたおかげで、目先のものごとに戸惑うことも少ない。
 ましてやここでは、裏手に個人用の井戸まで備え付けてあるのだ。何をするにも効率がいい。

 ククルージャやビエチアマンなど、ほかの街を見たことがあるため、比較ができるのは興味深かった。
 買い出しひとつとっても、さまざまな市場が街のいたるところで催されていたりもする。
 新鮮な海鮮系ならあっち、日用雑貨ならこっちというように、それぞれ特色ある市場が3つ4つある。どこも人出は多いので、ククルージャよりも、そしてビエチアマンよりも規模の大きな街なのだろう。

 私はまだ見ていないが、街のはずれ、いちばん西側へいけば、なんと海が見下ろせるのだという。暇を見つけて拝みたいものだ。

 邸の日々の生活についてだが。
 ユーリオットさんはもっぱら部屋に篭って、パピルスのような大判の紙を読み漁っているようだった。
 どのようにそれらを入手しているのかは不明だ。なんにしろここでも書物は貴重品。紙は流通しているようだが、印刷技術が存在しない。つまり書物は人の手で膨大な時間をかけて複写される。手間と人件費をたっぷり吸って、お値段は想像以上のはずだ。ご両親が何をしているか知らないが、よっぽどすごい人たちなのだろう。

 ユーリオットさんとの距離は、完全に主人と女中のそれである。
 良家の家人たちは下働きを空気のように扱う――とは聞いたことはあるが、まさしくそれだ。おはようございますとか、この野菜も残さず食べてくださいねとか言うと、見知らぬ言葉を聴いた犬のような表情になる。
 だから私も話しかけることは控えようかとも思った。それが正しい主人と女中なら。

 だがいかんせん孤独すぎた。買い物以外は誰とも話せない。つらい。

 そこで私は非礼と知りつつ、ユーリオットさんが怒り出さない範囲で、顔色を伺いながら話しかけることにした。なんだこいつ、という雰囲気から諦めモードになるまでそうかからなかった。

 あとはまあ、私はすでにユーリオットさんと暮らしていた経験があるので(未来ということになるのか?)、おおよそ彼の行動というか好みというかを知っていた。
 そのせいもあって、いろいろなものごとを比較的滞りなくやれている。

 たとえば。

「ユーリオットさん。朝ごはんです」
「ふん。なんだ、この怪しげな茶色いどろどろは」
「デミグラスソースもどきです。炒り卵に合いますよ」
「……」

 まんざらでもなさそうにもぐもぐしているので及第点だったのだろう。ちなみに未来の彼が好んでいたものだ。
 こっそり自分でソースをおかわりしてた。お皿もパンでふき取ったかのようにきれいだった。

 それから。

「新しい種、買ってきましたよー。市場で希少品って言ってたんです」
「はあ? ばからしい。種がなんの役に立つ」
「調合のお勉強、されているのでは? 薬草が手の届くところにあると、はかどるかなあと思いまして」
「……」

 数日後には、私が水やりをしようと庭へ出ると、すでにたっぷり与えられているので、気に入ってはくれたらしい。
 それどころか気づくと庭は新しく開墾されて、植えた品種がわかるようにタグまで刺さった、薬草畑が広がっていた。

 ほかにも。

「トランプしましょう」
「なんだ、子どもの遊びか? 興味ない」
「まあまあ、そういわず。一回だけ、付き合ってくださいよ」
「……」

 スピードは経験がものを言う。大人げなく圧勝した私からトランプをもぎ取って、部屋に篭ってしまった。
 翌日リベンジを申し込まれて大敗した。どや顔がかわいらしくも憎らしかった。

 そんなふうに、ひどく穏やかに日々が過ぎていった。

 私が、彼の言いつけを破ってしまうまで。







 その日は、風が強かった。

 私は市場で買い物を済ませて邸に帰宅したばかりだったが、買い物かごに入れていた布地がふわりと飛ばされた。

 ユーリオットさんがハンカチを作れと言ってきたので、そのために購入したものだ。
 彼は持ってないものはない。ハンカチだっていくらでも持ってるくせに、私が今まで誰にもハンカチを作ったことがないと知るや、そう命令したのだ。
 裁縫は苦手な私が憂鬱になっていると、それを見て上機嫌だった。その表情ときたら、嫌がらせするクラスの男子だ。

 ともかく、まっとうに雇ってもらっている間は雇用主には逆らえない。私はまっしろな木綿と、金色の糸を選んできたのだ。
 ユーリオットさんの麦色の瞳は、日の光を反射してべっこう飴のような、やさしい金色になることがある。それに似た色を選んでみた。照れくさいから言わないけど。

 その布地が、ユーリオットさんの邸まであと少しというところで、風に巻き込まれて生き物のように飛んでいったのだ。

 私は買い物かごをその場に置いて慌てて追いかける。
 気まぐれな魚のように漂ったそれは、飽きたかのようにふわりと地面に着地した。

 ユーリオットさんが近づくなと言った、東屋を抱く別邸の縁側にだ。ずいぶん飛ばされたものだ。

 私はあと一歩踏み出せば、別邸の庭に立ち入ってしまうというところで足を止めた。
 彼に雇われて「やれ」と言われた仕事は多い中、「やるな」という禁止事項はその唯一だったので、どうしようと思い悩む。

 でも見回したところで女中も誰もいない。

 そろりと足を忍ばせて、布地へ手を伸ばす。指先に乾いた木綿の繊維の感触を感じたとき、ぎぃという音が聞こえた。

 しゃがんだまま目だけを動かすと、開け放たれた窓の奥、揺り椅子ロッキングチェアに身を委ねる人がいた。

 規則的に揺れる木製の揺り椅子。ぎぃぎぃと軋ませながら、座る女性はまっすぐに私を見ていた。

 望むものすべてが満たされているというような、不思議な微笑をのせて呟く。

「からすさん、わたくしのお人形を、ごぞんじない?」

 ええと。ご存知ないですね。




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