醜く美しいものたちはただの女の傍でこそ憩う

ふぁんたず

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第五章 異世界ですが、再就職をしたいです

8.こじれた糸、与えられた小瓶

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「聞き間違い、ではないんですかね。あなたの実子に、毒を盛れと?」

 私は右手で頭を押さえた。この男、ユーリオットさんの父親ではないのか。どういう背景でそういう話になるというのだ。
 男は怪訝そうに小首を傾げている。

「娘。おまえは面妖だな。あれのことを知った上で、ここに留まっているようだ」

 そうですよ、知ってます。というか近親婚の禁じられているなかで、妹さんに手を出したんですよね。ちゃんといろいろ責任とりましょうよ。
 と、すごく言いたくなったが我慢した。言いたいことを言うべき場面と、そうでない場面というものがある。

「困ったものだ。ようやくあれと平気で暮らせるものがいたと思ったのに」
「あの、正気ですか。息子さんでしょう?」
「違う」
「は」
「あれは人の子ではない。悪魔の子テクナトディアボルだ。よって私の子ではない」

 この人、何を言ってるんだろう。

「エッサラを私は真実愛した。彼女も私を愛した。ただあれの存在がすべてを狂わせた。濃い血は実を結ばない。ゆえにあれは誰の子でもない。悪魔の子」

 たっぷり5秒ほど、その言葉を反芻する。ようやく思考が追いついた。まったく理解はできないが、いいだろう、この男の言い分を、まずは聞こうじゃないか。

「それで。エッサラさんもあなたの意見に賛成してるんですか」

 言外に、違うだろうとほのめかす。私が会ったエッサラさんは情緒不安定ではあったけれど、そうは見えなかった。
 私が彼女の名前を出すと、男は気色ばんだ。能面を貼り付けたような顔に朱が差す。

「下女。気安く名を呼ぶなよ。おまえが我らの何を知る」
「何も知りませんよ。ただ、先日お目にかかる機会がありました。少なくとも、自分の子どもを殺したがっているようには見えなかった」
「おおそうか。そうだろうよ。エッサラは毒杯を干したのだ。私と同じ目線で世界を眺めることは、二度とない」

 なんだって。どういうこと?
 彼女は罪子であるユーリオットさんの存在で、心を病んだのではなかったか。

「そうだな、話してやろう。聞けばお前も、あれにこれを飲ませたくもなるというもの」

 そう言って、男はゆったりとした懐から、透明な小瓶を取り出した。
 香水瓶のごとく優美なカットが施された、親指くらいの小さな瓶。
 ことん、と机に置かれた音が、部屋に響いた。

 昔話の始まる音だ。







 私とエッサラは、六つ年の離れた兄妹だ。

 このカラブフィサの街でも、比較的古い血筋の家系。父親は政治に忙しく、母親は男遊びに忙しかった。典型的な貴族の家だった。
 乳母はふくよかで優しい女だったが、乳離れするとすぐにお堅い女中たちだけになった。
 表情ひとつ動かさない、人形のような召使いに囲まれて、私たちがお互いを愛するのは必然だった。

 エッサラは穏やかで控えめな性格だが、ときおり思いつめると自分だけで突っ走ってしまうところがあった。美味い果物を食べた直後に、その樹を庭に植えると言い出し、実行してしまう。咲き誇る鬱金香(チューッリップ)の球根をすべて植え替えると言って、泥だらけになりながら家のまわりを掘り起こしてしまう。そういう邪気のないことを。しかし基本的には、花や植物を世話するのが好きな、内向的な少女だった。

 父親の指示を受け、我々は与えられた義務に取り組む日々だった。私はまつりごとの歴史書や、遠方の国々の行政を学ばされた。エッサラは貴族の女としてのたしなみや、刺繍などだった。動く人形のような女中たちは、みな見張りだった。

 我々は息抜きが必要だった。我々は目を盗んでは、庭にある背の高い植物に隠れ、遊んだ。茂る草花の壁を手で掻き分け、隠れ鬼をすることをエッサラは好んだ。あとは相変わらず、土いじり。エッサラは植物の中でも、薬と毒の成分を持つ花を好んでいた。適量ならば我々を援け、過ぎれば死に至らしめる。すべては使い方しだいでおもしろいのだと、いつも微笑んでいた。私はその笑顔が見られるなら、どんなことでも耐えることができた。

 年を経て、エッサラ自身が花のように美しくなった。父親が危ぶんだときには遅かった。
 私たちは心も身体も、お互いなしでは生きていけないと思うようになっていた。

 私が十九、エッサラが十三のときに、身ごもった。

 泡を食ったのは父親だ。父はは政治的に有利になるよう、私に旧家の女を宛がうつもりだった。
 そして父親はエッサラが身ごもったときに堕胎させようとしていた。
 それについては私も賛成だった。先ほども言ったように、濃い血の中で子はできない。つまり私たちの子のふりをして生まれる、私たちの子どもでないものだから。
 しかし烈火のごとく反抗したのがエッサラだった。普段は温厚な彼女のその意志は鋼のように堅く、ついにはあれを生み落としてしまった。

 それからというもの、エッサラは私と向き合うことがめっきり減ってしまった。彼女の愛情はすべて、あの悪魔の子テクナトディアボルへ向けられた。私が部屋を訪ねても、あれが泣けば飛んでいって世話をする。すべてはあれが優先された。私は彼女を失いかけている。そう思った。

 そのことに苦しむ私に、父親がさらなる厄介を持ち込んだ。旧家の女との婚姻だ。

 私はエッサラを説得した。ふたりで逃げようと。だれにそしられようと、ふたりでいれば傷つくことなどない。

 エッサラは首を横に振った。あれを守るためだ。

 そして私は絶望しながら、望まぬ結婚をした。エッサラがそうするように言ったためだ。抗う気力もなかった。私が二十一、エッサラが十五のときだった。
 迎え入れた妻は高慢で、典型的な箱入り娘だった。
 妻を愛さない私に怒り、その矛先はエッサラの存在へと向けられた。
 妻とエッサラは私にきつく言いつけられた女中たちによって、間違っても会うことはないように注意していたが、妻はそれをかいくぐり、エッサラの部屋へ入ったのだ。
 部屋の隅で寝ていたあれを高々と掲げた。泣き叫ぶ赤子を守りたければ、これを干せと与えられた葡萄酒を、エッサラは干した。

 そして。夢の住人となった。

 ここに用意したのは、と再び小瓶を机に置きなおした。ことん、という音が、やはり部屋に響いた。

「エッサラが干したものと、同じ毒。私は私からエッサラを奪ったあれを憎んでいるが、一方でエッサラが愛を傾けたものだと思えば、彼女に与えてやりたいとも思い始めていた。これをあれに飲ませたなら、エッサラと同じ世界へ行けるのだ。エッサラもそう望むに違いない。今はただ、エッサラが望むであろうことを、私はしてやりたい」

 エッサラさんに毒を突きつけた彼の妻を、八つ裂きにしても飽き足らないという暴挙は、召し使いたちに必死に止められた。
 すぐに離縁をした。政略結婚させようとした、彼の父親すらも黙らせるほどに仕事に打ち込んだ。

 この広大な敷地に、抜け殻のようになったエッサラさんと、赤子のユーリオットさん、そしてこの父親が残された。
 こじれた糸はほぐれる機会を得ることなく、邸ごとに暮らしている。

 私は与えられる情報のすさまじさについていけず、ほとんど無意識に背後にあった壁に寄りかかった。

 出会ったころに、ククルージャの街でものを投げつけられたユーリオットさん。彼の手を掴んで逃げた袋小路。しゃがみ込んだ彼の背中。震えていた身体。深い慟哭。

「……ユーリオットさんは、それを」
「もちろん知らない。エッサラが毒を干したとき、あの邸へ幽閉した。これからも知らせるつもりはない」
「どうして。ねえ、彼はあなたとエッサラさんの子どもだよ。エッサラさんを愛するなら、どうしてユーリオットさんを愛せないの」
「くどい。悪魔の子テクナトディアボルだ。我らの間に、子はできぬ」

 違う「世界」の住人だ。何を言っても通じない。

「今までもな。さんざん試したのだよ。だが、罪子に関わることで神の怒りを買いかねないと、大金をはたいても関わるものはいない。むろん、私も」

 この男は。
 エッサラさんへ向けるその情念を、愛と呼ぶ人もいるのかもしれない。いっそ狂おしいほどの熱情。

「この小瓶は渡しておこう。また数日後、ここに来る」

 話は平行線のまま、男は去っていった。

 ひとりになった部屋で、ずるずるとしゃがみ込む。静かなのに圧倒的な存在感は、生まれ持ってのものか、政治の世界で身に付けたものか。
 私は大きく息を吐いた。

 誰も彼も言いたい放題言うものだ。彼らの重苦しい過去に引きずられそうになったが、無理やり思考を引き上げる。

 ククルージャでものを投げられて逃げ込んだ一角。そこで撫でた、ユーリオットさんの髪の感触がよみがえる。すこしだけ拓斗に似ていた柔らかさ。

 ユーリオットさんが、傷ついてほしくない、大切な人のひとりになっていることに気づく。 

 ユーリオットさんは、エッサラさんのことを何も覚えていないようだった。捨てられたと、そう思っているのかもしれない。
 でも違った。エッサラさんは彼を守ろうとした。そこには深い母の情が存在したのだ。

 お父さんは、エッサラさんを愛した。
 エッサラさんは、お父さんもユーリオットさんも愛した。だが、お父さんはユーリオットさんを憎んだ。エッサラさんの愛情を奪う相手だから。
 何も知らないユーリオットさんは、誰かを憎むことにも疲れて、死ぬために日々を生きている。

 少なくともエッサラさんは、ユーリオットさんを大切に思っていたのだ。
 伝えたい。知ってほしい。

 だが、そのまま伝えて信じてくれるはずもない。

 三者三様の心のもつれ。

 なんとか万事うまくいくように、その形を変えられないものだろうか。

「なんとかしてよ、とらえもん」

 少しでも気楽になりたくて、私は小さく呟いた。




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