醜く美しいものたちはただの女の傍でこそ憩う

ふぁんたず

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第六章 異世界は異世界でも、平穏な異世界がいいです

11.騒乱の幕切れ

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 話したいことはまだまだたくさんあったけど、私たちはガスのことをなんとかするため、すぐに別行動をした。

 月花はまたすぐに仮面をつけた。思うところがいろいろあるのだと思う。彼はガスの使用を止めるため、ウオンリュを追っていった。
 私は万が一使われてしまったときに誰もそれを吸わないようにするため、カムグエンへ向かった。

 別れ際に何か言いたげに口を開けた月花に、落ち着いたら会いに行くねと伝えた。月花は何かを確認するかのようにじっと私を見ていたが、やがて森の奥へ消えていった。

 私は足を開けばまたげてしまえるくらいの、小さな川沿いをひたすら下っていく。これをたどればカムグエンの湖へ出ると月花が言っていた。

 この密林全体の俯瞰図や、こんな小さな支流まで頭に入っているのかと舌を巻く。
 浅い川なので、開き直って水の中を小走りで進む。流れはそこそこ速いからか、水中の石に苔などもついてなくて進みやすかった。

 まるで祭りのようなにぎわいが聞こえてきて、私は足を速める。
 生い茂る樹が頭上を覆っているので、川の出口はまるでトンネルの出口のように切り取られている。
 その出口に手をついて覗き込めば、湖の奥、大きな川との境目でもつれ合う人たちの姿がある。叫べば私の声が届きそうなくらいの距離だ。

 そのあたりにはカムグエンの小舟が数え切れないほど浮かび、弓は絶え間なく撃たれている。
 播の人たちは川岸の陸上にもあふれ、湖に出ようとしている彼らの舟の援護射撃。こちらは弓だけでなく、砲丸のようなものが投げられているようだ。

 弾ける音。花火のようなにおいは火薬か。

 私はぎゅっと目を閉じて、それからヒルダを探す。よそ者の私の言葉に耳を貸してくれるのは彼女しかいない。
 あの河口にいてはだめなのだ。月花が教えてくれた。あそこはいつも風が吹き込んでいて、カムグエンの湖に空気が流れ込む。ガスを使われたら、被害はとんでもないことになってしまう。

 かといって舟もなしに湖へは入れない。私はあたりを見回すが、細かい枝や木切れが流れているだけで舟はない。

「どうしよう。どうしたら」

 私は必死に頭を回す。こういうときくらい、なにか閃いてもいいものなのに!
 そのとき、舟の上の弓を番えた男たちのひとりがこちらを見た。

 ケトさんだ。

 私は大きく息を吸い、思い切り叫んだ。ケトさんの名前を。
 こちらへ来てくれるかどうかは賭けだった。寡黙な彼が私に向ける瞳は、いつも静かな不審と疑いをたたえていて、歓迎されていないことはじゅうじゅう承知だったから。

 それでも今はかけてみるしかない。

 ケトさんは少しの間、何の反応も見せなかった。私だと気づいているに違いないので(カムグエンのみんなは私の数倍は目がいいってもう知っている)、どうすべきが考えていたのだろう。

 それから彼は隣の舟の青年に声をかけ櫂を取った。こちらへ向かってくれたのだ。
 私は彼がこの湖岸への最短ルートと思われるところまで走って回り込み、何をどう話そうか頭をめぐらせた。
 ケトさんは湖岸に着く前に櫂を止めた。私が助走しても、ぎりぎり飛び込めない距離で舟は止まる。

「ケトさん、あの」
「おまえがあいつらを呼んだのか」

 私の言葉をさえぎって、ケトさんは静かに口を開いた。

「おまえはヒルダにだけ断っていなくなった。そしてあいつらが攻め込んできた。いま戻ってきたあんたには、疑いしかない」

 私は何も言えない。

「かわいそうなのはヒルダだ。あいつは本当に、おまえを精霊セマガ御使いマライカだと信じている。俺は違う。害をもたらさないのならヒルダの好きにさせてやろうと思っていたがこうなっては話は別だ」

 播の手先か。
 そう吐き捨てて、弓を番えて私にぴたりと照準を合わせる。
 私はヒルダに申し訳がなくって、でもどうしようもなくて、そして口を開く。

「ケトさん。私はどう話せばいいかわからない。でもカムグエンの人にも播の人にも傷ついてほしくないと本気で思っています。そして今は時間がないの。お願い、ヒルダに会わせて」
「この状況でよくも言えたものだ。こうなった以上はもう止められない。去れ。さもなければ射る」
「できない。ヒルダに、会わせて」

 語尾が震えた。私はケトさんと向き合いながらも、本当は今すぐ逃げ出したいくらい怖い。つらいことばかりだ。足は泥とぬかるみでべしょべしょだし、全身の疲労はすごいし、おなかはすいたし。
 でも私は月花を投げ出したくない。ヒルダもだ。逃げてしまえば、二度と取り出せない鉛を飲み込むことになる。

「ケトさんは私を信じない。それでいい。私はヒルダと話がしたい」
「そうやって、あいつを丸め込む気だろう。あいつはお人よしなんだ。おまえに関わったばっかりに、皆からどう見られてしまうか」
「それでも! お願い!」

 私が一歩近づいた瞬間だった。右の肩口のあたりに衝撃を感じた。
 私はそのまま後方へ倒れこんだ。横向きにうずくまるようにして、顔を泥にこすり付ける。
 ケトさんが手を離したのだ。ようやく痛みが脳へ届く。今まで感じたどの痛みよりも鋭く強烈な痛みで吐き気がした。

(縁子!)

 たまの声が聞こえる。
 ああ、弓で撃たれたのだ。きっとどくどくと血が流れていくに違いない。そしてドラマみたいに、気を失ってしまうんだ――。

 私が悲劇のヒロインに思いを馳せたとき、ケトさんが呆れた声で呟いた。

「……刺さってはいないはずだが」

 ん? なんだって?

 私は右の肩口を見れば、確かに血どころか矢も刺さっていなかった。
 あの痛みはいったいなんだったんだろうと上半身を起こしてあたりを見れば、そばに弓の先を丸く削った矢が落ちている。

「子どもの練習用の矢だ。誤って人に向けても、打撲程度で済む。そんなふうに転げまわられるとは思わなかった」
「あっ、なるほど」

 人生で弓矢を向けられることなんてなかったから、私は勝手に妄想しちゃってたってこと? 恥ずかしい!

 巾着にいるたまからも無言の呆れを感じた。いやいや、これはしょうがないですって。

「でも、どうして」

 私はケトさんを改めて眺めた。ヒルダを大切に想っているに違いないこの青年は、明らかに私を煙たがっていたのに。
 仕方ないだろ、と渋面を作られる。

(この男、縁子を脅せば尻尾を巻いて逃げると踏んでいたんだろう。だが縁子は身体を張った。カムグエンのためにと。それが通じたのでは?)

「おまえのためじゃない。ヒルダのためだ」

 ちょっとばつが悪そうに水面を見て、顔を上げて、それから舟を岸につけてくれた。
 私は飛び乗る。
 ケトさんの漕ぐ舟は驚くほどの速さで進んだ。誰かが前方からこの舟をひっぱってくれているのかと思うくらいに。

 みるみる大きくなる、助け合いの家。私はお礼を言って飛び降りる。

「ヒルダ!」

 入り口の布をもどかしくかき分けて広間へ入る。見渡せば、驚いたようにこちらをみる女子どもでいっぱいだった。

「ユカリコ?」

 人垣の奥からヒルダがぴょこんと顔をだす。大きな目を見開いて、それからほっとしたように眉根を下げた。

「ヒルダ、助けて。みんなを、」

 彼女の顔を見て、私は眼の奥が熱くなる。いまはそれどころじゃないのに。
 ヒルダはじっと私の顔を見た。まるでそうすれば私の写真を取れるとでも言うくらい、身じろぎもせずに見つめ続けた。私はその視線を受けて、まるで自分が優美な毛並みのホワイトライオンにでもなったような心地になった。ヒルダは数回瞬いて、それからにっこり微笑んだ。花が咲くような笑顔、あたりが明るくなるような笑顔だ。
 笑うだけでまわりを幸せにできる種類の笑顔というものが、確かに存在するのだと、私は状況も忘れて見とれた。

「もちろん。精霊セマガ御使いマライカがそういうなら」

 あなたは言い伝えの少女なんだからなんでも言って。そう誇らしげに胸を張るヒルダのあたたかく湿った手をとって、ケトさんの舟に飛び乗る。

 少女じゃないとだけ、明言しておいた。






 
 湖岸での戦闘の勢いは、いまだ衰えていない。

 でもあの月花がその計画を立てていたのだとしたら、河口での衝突で終わらせるはずがない。
 まるで熟練の料理長のように、次から次へと動きを予定しているはずだ。
 湖岸に眼を凝らせば、ところどころに人の影も見える。急がなければならない。

ばんの人たちは特殊な煙を焚くつもりなの。それを吸ってしまえば動けなくなるどころか、最悪呼吸すらできなくなってしまう」

 私が早口にそう訴えれば、ヒルダは理解できないというように眉を上げたし、ケトさんは鼻にしわを寄せた。
 なんでおまえがそんなこと知ってるんだ、とケトさんが息巻けば、精霊の御使いだからに決まってるでしょ、とヒルダはにべもない。

「しかも風向きまで考えられるの。ほら、ここの風はたいてい、川から湖の方向に吹いているよね? 河口の人たちを別の場所へ誘導してほしい」

 何か反論しかけたケトさんをさえぎるように、ヒルダはわかったわとうなずいた。ケトさんは苦虫を噛み潰して、忌々しそうに私をにらむ。

 この寡黙な少年に私はちょっと同情した。尖っているようでも、中身はケトさんのほうがずっと繊細なのだ。よく言って天真爛漫、悪く言って図太いヒルダにかなうわけがない。
 ひたすら睨んでくるけど、尻に敷かれてることの八つ当たりをされても。

「問題はそれをどう納得して動いてもらうかよね。男たちって、本当に頑固であとに引くってことを知らないんだから」
「そ、そうなの?」

 まだ中学生くらいなのに悟りきっている口調に、私は気おくれしながら問い返す。
 そうよ。とヒルダがうなずけば、ケトさんがも小声で反論した。俺たち男は、女に口で勝てたことはないけどな。
 ヒルダがしれっと聞き流したあと、血相を変えて叫んだ。

「ねえ、あれ!」

 湖から川が流れていく河口。その不気味に暗い奥から、水面をすべるように白い煙が流れ出てきた。
 不吉な灰色をもったりと含んで、蛇のように音もなく訝しむ人たちに忍び寄っていく。

「離れて! その煙を、吸わないで!」

 ヒルダが声を張り上げた。私とケトさんが思わず耳をふさぐくらいの声だった。
 しかし向こうは喧騒のなか、命のやりとりをしているのだ。ヒルダの悲痛な声は届かなかった。

 煙が急に発生したことに、カムグエンの人たちどころか播の人たちも驚いたように動きを止めた。空気よりも密度が大きいのだろうか、空へ上ることなく水面を重くたゆたっている。
 ドライアイスのように靄が彼らの足元を覆っていく。

 異変はすぐに起こった。まず最初に湖岸で弓を持ってひざまずいていた播の兵士が痙攣しながら倒れこんだ。
 彼を皮切りに、両者から被害者が出た。煙に包まれた後、手先がままならないというように震えて、次に苦しげに喉を押さえ顔を歪める。最後にとても身体を起こしていられないと地面に崩れ落ちるのだ。
 その様子を見て、さすがに誰もが身を引いていく。播の人たちは森の奥へ逃亡していくし、カムグエンの舟も、煙を吸わないように避難していく。この煙の成り行きを観察するように距離をとった。

 だが煙は、水道を止め忘れたお風呂のようにとめどなく押し出されてくる。この速さで煙が侵入し続ければ、やがてはカムグエンの集落のほうへ届いてしまうのではないかとぞっとした。
 この煙、気化する時間が異常に遅いのだ。寒い日の呼気のように、一瞬で消えてなくなればいいのに。

「だめだ、ここにはいられない」

 ケトさんは湖底へ思い切り櫂を突き刺して舟を漕いだ。周りの舟も、その速さにおののくように少しずつ家のほうへ後退させられていく。
 ヒルダはしっかりと目を開けたまま、倒れこんだ人たちの沈む靄を見つめている。

 私は倒れこんでいった十数人のことを思った。彼らの年齢や、家族や、好物や趣味についても考えた。
 たった十数人と誰かは言うだろうか? 数からは伝わらない何かに、私は痛痒いような、小さな棘が刺さったようなもどかしさを覚える。

 月花。そう心の中で強く名前を呼んだとき、白い狐のお面が視界に入った。

 白狐ハウ・キュオだ。憎悪のこもった声で誰かが叫んだ。

 私は息を呑んで湖岸へ目を走らせる。

 ちょっとした高台になっている水ぎわに、ブーメランを背中に担ぐ月花の姿を見つけた。

 あたりの喧騒が止んでいく。水上のカムグエンの人たちはすべての元凶を見るように、陸上の煙から逃れるように移動した敵の兵士たちからは、希望のように視線が集中している。
 誰も何もしゃべらなかった。急に現れた月花の存在にただ戸惑っているのかもしれない。もしくは月花の背後から、地面をすべるようにして湖に流れ込んでくる煙の情景が場違いにも美しかったからかもしれない。

 そして現れたときと同じくらい唐突に、その煙はふと流れ込むのを止めた。人々がそれに気づいてざわめく。水面には先ほどの名残がくすぶってはいるが、それも徐々に空気に溶けていく。

 やがてすっかり煙が消えてなくなったとき、月花が口を開いた。

「カムグエンの民にお伝えします。播はこれより先の攻撃の一切を停止し、可能な限り早く去ります」

 玲瓏たる声が湖に広がった。はじめは誰もその言葉の意味がわからなかった。
 私もそうだ。いま月花は、播が撤退するということを言ったの?

 背後の舟からざわめきが広がり、怒号が飛んだ。
 それらはだいたいこういうことだ。信じられるわけがないだろう、勝手に来て勝手に森を焼く民族の言うことなんて。

 播の兵士たちにしてもそうだ。自分たちの指揮官が手のひら返しに撤退を告げたわけで、納得がいかないというように声を上げている。

 すると月花は背負っていたブーメランを手に取った。男たちが一気に身構えたが、月花は次の瞬間それを湖に投げ捨てた。

 あっと、誰もが口をあけた。水中に落下したブーメランはまるでビート版のように水から吐き出され、帰る家のないアメンボのように寄る辺なく漂っている。

「煙を吸った人への処置もすぐに伝えます。今後のことは播から使者を送ります」

 月花はそう言うと、踵を返し森へと入っていった。

 残された播の兵士たちは戸惑いでざわめいた。やがて兵士のひとりが更なる説明を求めるように月花を追って森へ入っていくと、残された人たちもそれに慌てたように続いていって、湖岸には彼らの足跡と壊れた弓や武器などが残された。

 カムグエンの男たちも、困惑と不審でざわめいている。あるいは見せかけの罠ではないだろうかと話し合っている。
 ヒルダもどうしようというふうにケトさんへ目配せをしているが、私は不安でいっぱいだった。

 なぜなら煙が止まったということは、月花はウオンリュと何かしらの対話としたはずだ。止めてと伝えていいよと言う男ではない。精神的にも肉体的にも対立はあったはずなのだ。月花が傷ついていないはずがない。
 そばにいたいと強く思った。でも今は、お互いそれどころではないとわかっていたので、舟のへりに力を込めながら叫んだ。

「落ち着いたら、会いに行くから! だから待っていて!」

 さっきの別れ際も伝えたけど、月花は完全には私のことを信じていないと思う。彼から見た私は、過去に自分と暮らしていたと身に覚えのないことをまくし立てる、ただのうさんくさい女のはずなので、もう一度念を押しておきたかった。

 突然わめきだした私に、誰もがぎょっとしたように視線を向けたとわかったし、このタイミングでこんなことを叫んだらいろいろまずいとも思ったが、どうでもよかった。月花が消えていった森の奥を見て、この声が届けばいいと強く思った。

 ヒルダがとっさに思いついたように、私のフォローを口にしてくれている。
 精霊セマガ御使いマライカのおかげで、こんな奇跡みたいなことが起こったとか、伝承の少女と特徴が一致するだとかだ。

 人々が戸惑いながらも三々五々引き上げていき、ケトさんが私を気遣うようにして舟を動かすまでずっと、私は森を見ていた。

 そしてそのようにして、このいざこざは一応の終結を見せた。
 



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