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第七章 異世界であろうと、夢は見るようです

3.孤独な高山地帯・ルガジラ

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 そしてナラ・ガルさんとの生活が始まった。

 ここルガジラという名前の高山地帯での生活は、今までにも増してもの珍しくて、馴染むのには時間がかかりそうだった。もしかしたら今まで飛ばされたどこの土地よりも。

 聞きたいことはたくさんあるのだが、初対面という状況で怪しまれないように様子を見ながら尋ねていこうと、私はぐっと我慢をしている。







 さて、このルガジラがどんなふうに馴染みづらいのか簡単に整理しておこう。

 いろいろあるのだがその中でも衝撃だったのが、水がないこと!

 ないのだ。飲める水が。ここルガジラにおいて真水はそれこそ万金に値する。雨もほとんど降らず、雪もなければ川もない。すこし歩けば湧き水のたまる泉があるとナラ・ガルさんは案内してくれたけど、初めて見たときは絶句した。これは泉ではなく水たまりです、と返したら黙ってたし。

 なので水の入手方法はふたつ。

 ひとつめ。その洗面器みたいなサイズの泉から汲んでくること。湧き出る量は雀の涙だけどね。

 ふたつめ。家の屋根に降ったわずかな雨をかめに溜めておくこと。屋根は角度をつけてあり、雨どいを伝って溜められるようにしてあるのだ。ただそもそも雨があまり降らないので不安定なのが問題である。
 
 もちろん風呂などない。一滴の水も無駄にできない暮らしぶりは、日本で育った私には本当にしんどい。この世界でいちばん水にシビアだったのは砂漠のククルージャだったけど、それでも街に点在する井戸まで行けばそこにはたっぷりの水があったが、ここでは違う。文字通り限りがあるのだ。

 だから畑仕事で汚れた手を洗うにも、ナラ・ガルさんはまず水を口に含み、少量ずつ垂らして手を洗う。口を蛇口にするのだ。私はそれにとても驚いたし、最近ようやく抵抗なく真似できるようになった。

 日本で水を出しっぱなしで茶碗洗いをすることもあった私である。今思えば全身の毛穴が締まる映像だ。世界中でも日本はトップクラスに水に恵まれているということを思い出した。
 蛇口をひねれば水が出る国すら世界では少なく、さらにその水が飲めるのは20カ国もないんだっけ。

 知らないところで誰かが水をくみ上げて飲めるようにきれいにし、全国に水道管を張り巡らせ、24時間いつでも使えるようにしてくれていたのねとしみじみした。

 あっぱれ日本、すばらしいぞ日本。

 帰りたいぞ日本。
 




 家も、家と言うにはお粗末すぎた。

 言ってしまえば掘っ立て小屋だ。仮家ガダというこの地域独特の名前がある。

 寂れた漁村の海辺にあるような、台風きたらぺしゃんとなりそうな小屋そのもの。さすがに屋根はトタンではなくて木の板ではある。

 そこそこ太めの木を柱とし、壁は粘土質の土を貼り付けた土壁。風に曝され続けたせいか、ところどころ剥がれてぼろぼろの木組みが覗いてたりしている。それはあくまで風化っぽくて腐っているわけではないあたり、湿気の多い日本とは違う乾いた地域なのだなと思う。

 不思議なのは天井だ。私が背伸びすれば頭をぶつけてしまいそうに低い。だからナラ・ガルさんは身体を屈めないと動けない。ここは彼の家だというのに、どうしてそんな設計なんだろう?

 中に入ってすぐが六畳ほどの居間。床板なんてもちろんないから、いわゆる土間だ。真ん中に火を熾せる囲炉裏もどきの場所があって、その真上には小さな肉の塊も吊り下げられている。燻製にしているのだ。

 前にはらぺこの私の視線を受けて、腰のナイフで味見させてくれたことがある。得体の知れないものではあったけど、空腹に耐えかねてえいやっとかじれば、久々に塩の味がして信じられない量の唾液が出た。ちょっと硬いけどビーフジャーキーみたいでとても美味しかったんだけど。

 何の肉ですかともぐもぐしながら聞けば、無言で土間の壁際にある小山を指差された。近づいてよく見ると、それはかわいらしいウサギが数匹積まれたものだった。私は泣き笑いで飲み込んだ……。

 その小山のそばには他にも大きなネズミが積まれていたり、壁には乾燥した肉やしなびた野菜が吊るされている。そんでもって床には甕や鍋、器などが無造作に重ねられてたりする。

 居間の左右には小部屋があって、その片方を使っていいとのことでお言葉に甘えている。寝台と小さな机がひとつずつ置いてあるだけで余計なスペースはない。寝るだけだから困らないけどね。

 困っているのは寝台の寝心地だ。居候の身で言うのもアレだが、その、ばつぐんにひどい。長いこと手入れをされていないので、どう寝返りを打ってもがたがたと揺れるのだ。学校の机みたいに段ボールをはさみたい。初日なんかくたくたに疲れているはずなのに本当に寝付けなくて、床で寝ようかと真剣に悩んだ。取り急ぎなんとかしようと思うことのひとつである。

 家のまわりには割られた薪や、これから割るのであろう木材が転がっていて、薪に突き立てられた斧を見たときは「テレビでよく見る……」と声が漏れた。典型的な山の暮らしっぽい。

 家の外壁沿いには雨水の入った水甕が五、六個、傾いた地面にめり込ませるようにしてうまいこと並べられている。もちろんぜんぶ飲み水だ。

 ときどき虫とかが浮いてることもあるけど、そっと指で取って記憶から消去するように心がけております。




 
 あと、もうひとつ変わってること。それは近くにほかの家がないことだ。打ち捨てられた廃墟のような残骸はいくつかあるのだが、もはや家とは呼べない。

 なのでまさしく大高原の小さな家。こんなところで人が暮らしていけるとは思えなくて私は首を傾げる。人とは一人では生きて行けないのだ。コンビニがあるなら話は別だが。

「おひとりでここに住んでるんですか。その、まわりの家に住んでいた人とかって」

 そう思って尋ねてみたら、しばらく黙ったあとで教えてくれた。

「ルガジラとは土地の名前でありそこに住む人々の名前でもある。見てのとおり貧しい土地だ。作物はほとんど育たず、家畜の餌である草を求めて移動をし続けるんだけどね。一年に四回ほど場所を移り、それぞれの場所にこういう仮家ガダを建てておく。だがここでは昔、はやり病で多くのルガジラの民が死んだ。無事だった者はここを捨て、新しい仮家ガダをどこかに建てて暮らしているのだろう」

 つまり高山の遊牧民のようなものみたい。

 冬には暖かい方の仮家ガダへ、夏には涼しい地域にあるところへ移るのだ。野菜がまったく育たないわけではないけど、せいぜい自分たちが食べるぶんしか育てられないそうなので、そうした家畜の毛を売ることで主な生計を立てているのだ。たぶん物々交換で。

 そしてそこかしこにある廃墟は、そのはやり病によって見捨てられた仮家ガダのなれの果てということか。

 久々にナラ・ガルさんが戻ってきたときには、ここに残る仮家ガダは私たちが今いる、彼がかつて暮らしていたものだけになっていたと乾いた声で教えてくれた。

 だから使い捨てのような家なのだと納得する。同時にこんなに厳しい場所に住むより、もっと暮らしやすいところへ引っ越しちゃえばいいのにと呟けば、たまが風邪をひいたみたいな声で、それは異世界人の考えだなと囁いた。

 たとえどんな土地だろうと、生まれた落ちたところに根を張り生涯を終える。そうして命を繋いでくのだとも。

 広大な貧しい土地に散っていったルガジラの人たちの心境を、私は想像してみようとしたけれど、住民票ひとつ移せばすぐに引っ越せた私はちっともうまくいかなかった。

 羊のひづめをていねいに削って整えているナラ・ガルさんを横目に、畑にぽつぽつ生える雑草を抜きながらたまに小声で尋ねてみる。

「じゃあ、たまも別の場所に移りたいって考えずに、生まれたところで暮らしたいって思うわけ?」

(我輩は魔法使いの弟子なのだぞ)

 だから何だ。

(いちばんに願うもののためなら、住処すみかなどどこでもよいと考えるたぐいだ)

「いちばんに願うもの」

 そういえば天珠を集める理由でもそんなことを言っていた気がする。ひとつの魂とか何とか。いったい何のことなんだろう。たまのことだから、すごい秘術に必要なものだとか?

 思えばカムグエンで、三つ質問するところを二つしかできていなかったことも思い出した。あと一つ、私には質問する権利が残っているのでは?

 そう考えていると、がさがさの声でたまが聞いてきたので、私の思考はふつりと途切れた。

(縁子はすぐに移り住む生活をしていたのか? そうするのが当たり前の世界なのか)

「当たり前っていうか、家賃と立地とか便利さを考えて自由にみんな住んでいたと思うよ。……そういえば私はアパートの更新と合わせて、ちょっと引越しを考えたいとも思っててね。あのね、拓斗が動き回るのにちょっと手狭かなって思ってて。キャットタワーも置きたいしソファーの裏にもスペースを取って自由に動き回れるようにもしたい。日当たりがいい窓際なんかも拓斗はあったら喜ぶだろうし。どう、たまもそう思わない?」

 拓斗と新居を妄想してご機嫌な私が巾着を見下ろせば、たまの気配はすっかり寝ていた。

 こいつ本当、何様のつもりなんだろう?


 

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