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2.望むもの
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「久しぶりだな、リネー」
「ご無沙汰しております、」
部屋に父親が訪れていた。いつも通り物色して、売れそうなものを持って帰るのだ。
毛皮のような目立つものは、リネーがわざわざ着て行って屋敷に忘れて来たことにする事もあったが、宝飾品などは数が多くてリネーにはどれが希少価値の高いものかわからないし、小さい物なので、袋ひとつさえあればいくつでも持って帰れてしまう。好きなようにしてくれと、ただ父親が宝石や金銀を見繕ってる間に、リネーは椅子に座って読書を進める。
父親と話すような話題もない。話題と言えば、どうやってアルベルトを陥れるかという話になるが、この部屋ではさすがにそんな話はできない。
リネーの私生活など興味もないだろうから、ただ、ただ、この家に金目の物を探しに来ているのだ。アルベルトからすればよくこの家を訪れて、嫁入りした子を気に掛けている良き親にでも見えているのだろうか。どうせ一時間ほど物色すれば気が済んで大人しく帰るだろう。
「おお、いいものを貰ったな」
「え」
珍しく弾んだ父親の声が聞こえて顔をあげる。
先ほどまで部屋の真ん中に置かれた宝石のショーケースを見ていたはずの男は、気が付けばリネーのベッドサイドに立っていた。その手にはあの箱が乗っている。
眠る前に、ベッドサイドに置いていたのを忘れていた。いつもなら枕元の棚の中に閉まっていたのに。
アルベルトに貰ってから、一カ月が経っていた。他の宝飾品や買ったものは全て父親の元へすぐに渡っていたのに、それだけは唯一リネーの側に置かれていた。忘れていたのだ。父親へ渡すのを。枕元の棚に閉まっていたから、いつも家に帰る時に持っていくのを忘れていたし、父親が棚を開けることがなかったから気づかれる事がなかった。
(いつも忘れずに机に閉まっていたのに)
「これなら高く売れるだろう」
「…………それ、は……名前が……入っていて」
金細工の端に丁寧に彫られた草や花の意匠の隙間に、木の枝や、花弁に扮してリネーの名前が彫られていた。
『あなたに良く似合う』
「ああ、別に。このくらいなら目立たないし売るのに支障はない」
◇◇◇
「……ネー……、リネー?」
「あ……」
「大丈夫ですか? 顔色が良くない……いや、明かりのせいかな。何かありましたか? 俺の思い過ごしならいいんですが……」
部屋に残ったのはグレージュの箱と白のリボンだけだった。
数日すれば精巧なダミーの懐中時計がリネーに秘密裏に届けられるだろう。
「……いや、……えぇと、……今日は父と、長く話したから、少し疲れたかな」
「ああ、お父上がいらしてたんですよね。俺もご挨拶出来れば良かったんですが」
「また次の機会もあるだろ」
いつもの夜のふたりだけの茶会ももう何度目か数えられないほどになってきている。
穏やかなアルベルトの口調に癒される。アルベルトも、まさか自分が贈ったものが次々と偽物にすり替えられているだなんて夢にも思っていないだろう。リネーの部屋は今や偽物で埋め尽くされている。
この家に来てから三カ月が経とうとしていた。そろそろアルベルトもリネーの事を知って、警戒を緩める頃だろう。リネーはこの三カ月、従順にアルベルトの伴侶として過ごしていた。必要なパーティーには連れ立って参加して、貴族同士の付き合いについてもマメに手紙を書いて、小さな茶会に呼ばれれば参加して、どこにも疑わしい事はなかったはずだ。
(大量の買い物も別に怪しまれはなさそうだ)
宝飾品も、衣服も、商人を呼びつけて買うことは別に気にならないようだった。むしろ日中一緒に居る時間が少ないお詫びにもっと強請っても良いくらいだとすら言ってくる。
疑われない事はありがたいことだったが、もう少し警戒心を持った方がいいと内心で呆れてしまう。
(ここまで、出会ってすぐの人間に心を許せるものだろうか。人が良すぎる)
きっと、今のリネーが何を言っても、アルベルトは許すだろう。何も断らないに違いない。
ここまではリネーの想定通りだった。最初に考えていた通り、アルベルトはリネーの言う事は何でも聞く。怪しまない。これならば、作戦は次の段階に移してもいいだろう。今日、父親が去り際に言っていたのは「準備は進んでいる」という一言だった。
「リネー、何でも言ってくださいね。貴方の欲しがる物なら全部あげたいですし、貴方に喜ばれたい。望むことでも、物でもなんでも、言ってください。必ず叶えます」
「…………あ、……りがとう」
(欲しい物なんか、考えたこともない。望むことも、そんなのは)
望んではいけないものだと思っていた。
部屋へと戻って、ベッドの側の棚を開ける。
そこには相変わらずグレージュの箱が置かれていた。箱を開けても何も入っていないのはわかっているのに、いつもの流れで開けてしまった。
欲しい物と、言われても何ひとつ思い浮かばない。
望むこと、と言われれば、父親に言われた事を達成できることと、ラニに誰か良い相手を、とそれだけが思い浮かぶ。
「……私が望むこと、……何も思いつかないな」
父親はあんなにも欲望にまみれているのに、もしかしたら自分には父親の血が流れていないかもしれないと思うほどに似ても似つかない。鏡を見ると、母親によく似た姿が映っている。今、母親がこの場にいたら、別の人生があったのかもしれない。
父親にも愛されて、母親にも愛されて、
「…………現実を見ろよ」
ここには父親も母親もいない。
話しかける相手は自分ひとりだけだ。
「ご無沙汰しております、」
部屋に父親が訪れていた。いつも通り物色して、売れそうなものを持って帰るのだ。
毛皮のような目立つものは、リネーがわざわざ着て行って屋敷に忘れて来たことにする事もあったが、宝飾品などは数が多くてリネーにはどれが希少価値の高いものかわからないし、小さい物なので、袋ひとつさえあればいくつでも持って帰れてしまう。好きなようにしてくれと、ただ父親が宝石や金銀を見繕ってる間に、リネーは椅子に座って読書を進める。
父親と話すような話題もない。話題と言えば、どうやってアルベルトを陥れるかという話になるが、この部屋ではさすがにそんな話はできない。
リネーの私生活など興味もないだろうから、ただ、ただ、この家に金目の物を探しに来ているのだ。アルベルトからすればよくこの家を訪れて、嫁入りした子を気に掛けている良き親にでも見えているのだろうか。どうせ一時間ほど物色すれば気が済んで大人しく帰るだろう。
「おお、いいものを貰ったな」
「え」
珍しく弾んだ父親の声が聞こえて顔をあげる。
先ほどまで部屋の真ん中に置かれた宝石のショーケースを見ていたはずの男は、気が付けばリネーのベッドサイドに立っていた。その手にはあの箱が乗っている。
眠る前に、ベッドサイドに置いていたのを忘れていた。いつもなら枕元の棚の中に閉まっていたのに。
アルベルトに貰ってから、一カ月が経っていた。他の宝飾品や買ったものは全て父親の元へすぐに渡っていたのに、それだけは唯一リネーの側に置かれていた。忘れていたのだ。父親へ渡すのを。枕元の棚に閉まっていたから、いつも家に帰る時に持っていくのを忘れていたし、父親が棚を開けることがなかったから気づかれる事がなかった。
(いつも忘れずに机に閉まっていたのに)
「これなら高く売れるだろう」
「…………それ、は……名前が……入っていて」
金細工の端に丁寧に彫られた草や花の意匠の隙間に、木の枝や、花弁に扮してリネーの名前が彫られていた。
『あなたに良く似合う』
「ああ、別に。このくらいなら目立たないし売るのに支障はない」
◇◇◇
「……ネー……、リネー?」
「あ……」
「大丈夫ですか? 顔色が良くない……いや、明かりのせいかな。何かありましたか? 俺の思い過ごしならいいんですが……」
部屋に残ったのはグレージュの箱と白のリボンだけだった。
数日すれば精巧なダミーの懐中時計がリネーに秘密裏に届けられるだろう。
「……いや、……えぇと、……今日は父と、長く話したから、少し疲れたかな」
「ああ、お父上がいらしてたんですよね。俺もご挨拶出来れば良かったんですが」
「また次の機会もあるだろ」
いつもの夜のふたりだけの茶会ももう何度目か数えられないほどになってきている。
穏やかなアルベルトの口調に癒される。アルベルトも、まさか自分が贈ったものが次々と偽物にすり替えられているだなんて夢にも思っていないだろう。リネーの部屋は今や偽物で埋め尽くされている。
この家に来てから三カ月が経とうとしていた。そろそろアルベルトもリネーの事を知って、警戒を緩める頃だろう。リネーはこの三カ月、従順にアルベルトの伴侶として過ごしていた。必要なパーティーには連れ立って参加して、貴族同士の付き合いについてもマメに手紙を書いて、小さな茶会に呼ばれれば参加して、どこにも疑わしい事はなかったはずだ。
(大量の買い物も別に怪しまれはなさそうだ)
宝飾品も、衣服も、商人を呼びつけて買うことは別に気にならないようだった。むしろ日中一緒に居る時間が少ないお詫びにもっと強請っても良いくらいだとすら言ってくる。
疑われない事はありがたいことだったが、もう少し警戒心を持った方がいいと内心で呆れてしまう。
(ここまで、出会ってすぐの人間に心を許せるものだろうか。人が良すぎる)
きっと、今のリネーが何を言っても、アルベルトは許すだろう。何も断らないに違いない。
ここまではリネーの想定通りだった。最初に考えていた通り、アルベルトはリネーの言う事は何でも聞く。怪しまない。これならば、作戦は次の段階に移してもいいだろう。今日、父親が去り際に言っていたのは「準備は進んでいる」という一言だった。
「リネー、何でも言ってくださいね。貴方の欲しがる物なら全部あげたいですし、貴方に喜ばれたい。望むことでも、物でもなんでも、言ってください。必ず叶えます」
「…………あ、……りがとう」
(欲しい物なんか、考えたこともない。望むことも、そんなのは)
望んではいけないものだと思っていた。
部屋へと戻って、ベッドの側の棚を開ける。
そこには相変わらずグレージュの箱が置かれていた。箱を開けても何も入っていないのはわかっているのに、いつもの流れで開けてしまった。
欲しい物と、言われても何ひとつ思い浮かばない。
望むこと、と言われれば、父親に言われた事を達成できることと、ラニに誰か良い相手を、とそれだけが思い浮かぶ。
「……私が望むこと、……何も思いつかないな」
父親はあんなにも欲望にまみれているのに、もしかしたら自分には父親の血が流れていないかもしれないと思うほどに似ても似つかない。鏡を見ると、母親によく似た姿が映っている。今、母親がこの場にいたら、別の人生があったのかもしれない。
父親にも愛されて、母親にも愛されて、
「…………現実を見ろよ」
ここには父親も母親もいない。
話しかける相手は自分ひとりだけだ。
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