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第一章『旅立ちの朝』
心の在りか
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白い外套の男が一人、先頭に立って地下洞窟西側の入口へ案内し、その後ろにリンネ、もう一人の男、その傍にクローヴィアと続く。
これ以上リンネの機嫌を損ねるのを嫌ってか、誰も必要以上に口を開こうとはしなかった。彼女の苛立ちの原因は言うまでもなく、穢れた子、クローヴィアがいることだ。
クローヴィアは男の隣で、俯きながら前の二人の後を付いて歩いた。先ほどまでよりは落ち着いたが、やはりその表情は暗いままだ。
リンネはクローヴィアを見殺しにすることを是とした。白い外套の男たちは反対したが、しかしそれがそのままクローヴィアを受け入れたという意味にはならない。穢れた者への救済を説く神に従うことと、内心で穢れた者を嫌悪することとは両立する。
故に、人と出会った今もなお、クローヴィアは孤独の中にいた。
(僕は……)
考えなくてはならない。どうやって洞窟にいるイーシャとリンネら橙級聖伐部隊が衝突するのを避けるか。そのために彼女の後を付けたはずだ。
だが、頭が回らない。そもそも尾行はバレないつもりだった。それが見つかり、拒絶され……。
(僕の言葉は……聞いて貰えない? 穢れた人の話なんか誰も聞く耳を持たない? そうかもしれない。僕だったら? 僕だったら穢れた人の話を真に受ける? ……わからない。僕はもう、そっちの側だから)
思考の泥沼が静かに渦を描く。これ以上否定されたくない。無意識にそう願う少年が受け入れて貰おうとすること自体を放棄したのは自衛本能の業だった。
「――! 止まりなさい」
洞窟の入口にまもなく到着するというところで、リンネが一行を制止した。クローヴィアも虚ろな思考に水を浴びせられ立ち止まる。
先頭を行っていた男が続くリンネの言葉を待つように後ろを窺った。誰も止まれという指示に「なぜ」を問わないのは、おおよそは問わずともわかるからだ。
「そこの木を抜けた先に数匹います。おそらくは先ほどと同じ狼系の種、向こうもこちらには気づいたでしょう」
狼という単語にクローヴィアの心臓が跳ねる。が、すぐに違うと首を振った。
男の代わりにリンネが前に出る。後方にいるべき魔導士が進んで前衛を張ったのは、彼女にとって敵の脅威が取るに足らないからだ。
リンネは紫の玉が嵌まった杖を地面に突きたてると、足元に青の魔法陣を組み立てる。すると彼女は再び浮き上がった。飛行の魔法だ。
「すぐに片づけます。そこで待っていなさい」
三人を残しリンネは単身、獣のいる方へと飛ぶ。木々の間を抜けたところで、空を遮る物のない開けた空間に出た。地には緑の苔と岩場が広がっており、十メートルばかりの穴が大口を開けている。これが地下洞窟への入口だろう。
そしてその手前、まだ茶色の地面と緑が茂る草地に獣たちはいた。先のと同じ種の茶色い狼が四匹、何かを囲うようにして並び、宙を舞うリンネを警戒している。
リンネは狼たちではなく、その中心にある黒い物体に目を向けた。狼たちは空中への攻撃手段は持たず、飛んでいる間はいつでも一方的に嬲れる相手だ。故にゆっくりと状況の把握から行う。
目を細め物体を観察したリンネは、わずかに驚愕の色を浮かべた。
狼たちが囲っているのは獣の死骸、それも丸い体に長い腕と尻尾が生えた大猿、ゴグラのものだ。
誰があれを殺したのか、自然死という可能性を除けば当然その疑問が湧く。
囲っている狼たちは強さという意味で危険度の低い部類だ。
聖伐同盟の定める階級で言えば最下位の紫級上位程度、群れでもせいぜい一つ上の藍色程度の獣しか狩れないだろう。対するゴグラは藍色の二つ上、緑級上位程度の獣だ。両者の勝負に逆転はあり得ないと言い切っていい。
そも、ゴグラはこの森にとって規格外な存在であるため討伐対象となったはず、同族争い以外にこいつが負ける理由がない。
(あれらは死肉を漁りに来ただけのはず。しかし、なら誰があの猿を)
それを推測するには降りて死骸に近づき、調べる必要があるだろう。リンネは眉をひそめる。獣の死骸に触れるなど論外、近づくのも御免だ。
(狼だけ片付けて検死はあの男たちにやらせましょう)
指針を決めたリンネは最小限の魔法で手早く狼たちを焼き殺した。
検死、といっても目立つ傷がないかを確認するだけの大雑把なものだが、白い外套の男たちはゴグラの死骸を魔法の灯りで照らしながら調べていた。
リンネはその様子を、少し離れた岩の上に座りながら怪訝な顔で眺めている。
死骸は焼死体だった。
炎で焼き殺した。爪でも牙でもなく、おそらくは魔法で。炎の魔法を使う獣もいないではないが、数は極めて少ない。そしてそれらは往々にして、それこそ緑級程度の獣なら狩れるほどには強い。
(でも、あの猿はこの森で確認されている獣のどれより強いはず。猿共と同じ外から来た獣か、あるいは未確認の危険種がいた? 今まで見つからず、一切の被害を出してこなかったとでも?)
信じがたい話だが、可能性はゼロではない。目撃者がすべて殺されていればそれによる被害だとはわからないのだから。
「リンネ様、やはり目立った傷などは確認できませんでした。完全に炎で殺されているようです」
「そう、わかりました。他の聖伐部隊が動いているという話は聞いていませんが、一応人間と未知の獣の線、両方を留意しておきましょう」
「人間なら良いですが……仮に獣だったとして、遭遇した場合はどうしましょう」
その自然な問いに最も反応したのは、リンネの視界に入らない後方で様子を窺っていたクローヴィアだ。
クローヴィアにはわかっている。あれをやったのはイーシャだ。イーシャは炎の魔法が使える、彼女はここから地下洞窟に入ったんだ。
「フィレンスと相談する必要はありますが、ゴグラを狩る程の未知の獣が相手となれば、二人でかかるのは避けるべきという結論になるでしょう」
その答えにクローヴィアは胸を撫で下ろした。最上位部隊とイーシャ、どちらが強いかはわからない。とはいえ戦闘になればどちらかが無事では済まないのは確実、ならば戦いにならないのが一番良い。
だが次の一言にクローヴィアは停止した。
「ですから、四人全員で倒します」
リンネは静かに言い切った。
「洞窟外で遭遇した場合は一時撤退するしかないでしょうが、洞窟内なら、他の二人と合流まで時間を稼ぐ、ということも視野に入れるでしょうね」
「合流後そのまま戦闘に入られるということですか?」
「相手の強さ次第です。合流しても危ういようであれば全員で離脱し、十全に準備を整えたうえで再度狩りに出ます」
淡々と語られる処刑宣告にクローヴィアは青くなっていく。額を伝う汗が冷たいのは風のせいではない。
「いずれにせよ、この森にあの猿以上の危険種がいるならそれを放置するわけにはいきません。存在を確認した場合は"神火槍"の名に懸けて必ず仕留めます」
(――……っ)
クローヴィアは唇を噛んだ。
この感情は、なんだ――。
獣は不浄な存在、人を害する存在、だから聖伐部隊が倒す。そうだ、何も間違っていない…………でも、イーシャが標的とされそうな今、そのことがこんなにも苦しい。
クローヴィアは座り込み、身体を抱きかかえた。
昼間からずっとだ。僕はイーシャのことを心配していた。イーシャだけじゃない。僕はあの子供の狼にだっておかしな感情を抱いていた。あいつのために怒ったんだ。なぜ、どうして。相手は獣、忌避すべき存在……。
僕がおかしくなったのは、獣の神に魅入られた穢れた存在だから……?
冷え切った肌の下、血が沸騰したように燃える。
…………いや、違う。助けられたから、昨日もそう、今日の昼もだ、食べ物を持ってきてくれたのも、ずっとずっと、イーシャに助けられてばっかりだからだ。
それで恩を感じて…………獣に、獣にだ。僕は獣に感謝している。
………………いや、それも違う。だってそれじゃあ子供の狼に説明が付かない。僕はあいつに恩なんかない。あいつはただ勝手に付いて来て、それで死んだんだ。
やっぱりおかしくなっている。おかしくされているんだ、獣の神に。そうか。そうだ。魂が穢されているんだ。身体だけじゃない、心までおかしくなって当然だ。
ふと、リンネが立ち上がる。木々の向こうを見つめ小さくため息を吐いた。
「どうされましたか?」
「また獣の群れです。下がっていなさい、どうせ死肉でも漁りに来たんでしょう」
その言葉と同時にハガの木の影から狼の群れが姿を見せた。数は六、体毛は黒で先のとは別の種だ。
「不浄の者が不浄の気配に惹かれるのも道理。死んでも迷惑なのだから本当、救いようのない存在ね」
リンネが吐き捨てるように呟く。その背後で、クローヴィアは未だ、うずくまったままだ。
獣は不浄、そうだ、そして獣の神に魅入られた僕も同じ、不浄で、穢れた身体。
「……っ」
あの瞳の記憶が蘇る。穢れた身を拒絶する、神官と、黒い魔導士の瞳が。クローヴィアは目を瞑り胸を押さえた。
「はあ、はあ……はあ」
呼吸が荒い。あの視線の記憶が心を締め上げる。嫌だ……これ以上は嫌だ。これ以上僕は、誰からも――。
「はあ、はあ……はあ………………はあ…………………………」
瞼の裏に金色の瞳が浮かぶ。鋭くも温かな、澄んだ瞳が。
そうか、そういうことか。だから僕は――。
うずくまるクローヴィアを白い外套の男が窺う。そこには心配と不気味なものを見る目が同居していた。
「おい、苦しそうだけど大丈夫か? ……あっ、おっ、おい! 待て!」
瞼を開けたクローヴィアは、今しかないと言わんばかりに、全力で走り出した。男の制止も聞かず、ただまっすぐに。
「リンネ様、子供が洞窟の中に!」
「放っておきなさい」
「しかし――」
「忠告はしました、従わなければ命は保証しないと。獣の群れに臆したか知りませんが、勝手な真似をして死ぬのならそれもあれの意志です。追いたければあなたたちだけで行きなさい」
リンネは振り向くこともせず狼たちに魔法を飛ばす。
白い外套の男たちはクローヴィアの飛び込んだ穴の中を見つめた。そこは大猿、ゴグラの巣だ。闇の中、奴らの縄張りに入り込む勇気はなかった。
大丈夫だ、この道はイーシャが通った道、大猿はいないはず。早く行って、イーシャに追いつくんだ。
洞窟の中は完全な闇ではない。壁や天井に露出した白い鉱石が、昼間にため込んだ光を放出し仄かに道を照らしている。闇に慣れたクローヴィアの目なら足元も見えていた。
――イーシャと聖伐部隊の争いを避けたい、それは変わってしまった自分から目を背けるための言い訳だった。
本当は違う。避けたかったのは誰かが傷つくことじゃない、イーシャが傷つくことだ。
だって、当たり前じゃないか。獣だろうと関係ない、イーシャが僕を受け入れてくれたのは事実なんだ。そんな彼女が傷つくことを、黙って見過ごせるはずがない。
「待ってて……イーシャ」
伝えるんだ、迫っている危機を。逃げるんだ、一緒に――。
これ以上リンネの機嫌を損ねるのを嫌ってか、誰も必要以上に口を開こうとはしなかった。彼女の苛立ちの原因は言うまでもなく、穢れた子、クローヴィアがいることだ。
クローヴィアは男の隣で、俯きながら前の二人の後を付いて歩いた。先ほどまでよりは落ち着いたが、やはりその表情は暗いままだ。
リンネはクローヴィアを見殺しにすることを是とした。白い外套の男たちは反対したが、しかしそれがそのままクローヴィアを受け入れたという意味にはならない。穢れた者への救済を説く神に従うことと、内心で穢れた者を嫌悪することとは両立する。
故に、人と出会った今もなお、クローヴィアは孤独の中にいた。
(僕は……)
考えなくてはならない。どうやって洞窟にいるイーシャとリンネら橙級聖伐部隊が衝突するのを避けるか。そのために彼女の後を付けたはずだ。
だが、頭が回らない。そもそも尾行はバレないつもりだった。それが見つかり、拒絶され……。
(僕の言葉は……聞いて貰えない? 穢れた人の話なんか誰も聞く耳を持たない? そうかもしれない。僕だったら? 僕だったら穢れた人の話を真に受ける? ……わからない。僕はもう、そっちの側だから)
思考の泥沼が静かに渦を描く。これ以上否定されたくない。無意識にそう願う少年が受け入れて貰おうとすること自体を放棄したのは自衛本能の業だった。
「――! 止まりなさい」
洞窟の入口にまもなく到着するというところで、リンネが一行を制止した。クローヴィアも虚ろな思考に水を浴びせられ立ち止まる。
先頭を行っていた男が続くリンネの言葉を待つように後ろを窺った。誰も止まれという指示に「なぜ」を問わないのは、おおよそは問わずともわかるからだ。
「そこの木を抜けた先に数匹います。おそらくは先ほどと同じ狼系の種、向こうもこちらには気づいたでしょう」
狼という単語にクローヴィアの心臓が跳ねる。が、すぐに違うと首を振った。
男の代わりにリンネが前に出る。後方にいるべき魔導士が進んで前衛を張ったのは、彼女にとって敵の脅威が取るに足らないからだ。
リンネは紫の玉が嵌まった杖を地面に突きたてると、足元に青の魔法陣を組み立てる。すると彼女は再び浮き上がった。飛行の魔法だ。
「すぐに片づけます。そこで待っていなさい」
三人を残しリンネは単身、獣のいる方へと飛ぶ。木々の間を抜けたところで、空を遮る物のない開けた空間に出た。地には緑の苔と岩場が広がっており、十メートルばかりの穴が大口を開けている。これが地下洞窟への入口だろう。
そしてその手前、まだ茶色の地面と緑が茂る草地に獣たちはいた。先のと同じ種の茶色い狼が四匹、何かを囲うようにして並び、宙を舞うリンネを警戒している。
リンネは狼たちではなく、その中心にある黒い物体に目を向けた。狼たちは空中への攻撃手段は持たず、飛んでいる間はいつでも一方的に嬲れる相手だ。故にゆっくりと状況の把握から行う。
目を細め物体を観察したリンネは、わずかに驚愕の色を浮かべた。
狼たちが囲っているのは獣の死骸、それも丸い体に長い腕と尻尾が生えた大猿、ゴグラのものだ。
誰があれを殺したのか、自然死という可能性を除けば当然その疑問が湧く。
囲っている狼たちは強さという意味で危険度の低い部類だ。
聖伐同盟の定める階級で言えば最下位の紫級上位程度、群れでもせいぜい一つ上の藍色程度の獣しか狩れないだろう。対するゴグラは藍色の二つ上、緑級上位程度の獣だ。両者の勝負に逆転はあり得ないと言い切っていい。
そも、ゴグラはこの森にとって規格外な存在であるため討伐対象となったはず、同族争い以外にこいつが負ける理由がない。
(あれらは死肉を漁りに来ただけのはず。しかし、なら誰があの猿を)
それを推測するには降りて死骸に近づき、調べる必要があるだろう。リンネは眉をひそめる。獣の死骸に触れるなど論外、近づくのも御免だ。
(狼だけ片付けて検死はあの男たちにやらせましょう)
指針を決めたリンネは最小限の魔法で手早く狼たちを焼き殺した。
検死、といっても目立つ傷がないかを確認するだけの大雑把なものだが、白い外套の男たちはゴグラの死骸を魔法の灯りで照らしながら調べていた。
リンネはその様子を、少し離れた岩の上に座りながら怪訝な顔で眺めている。
死骸は焼死体だった。
炎で焼き殺した。爪でも牙でもなく、おそらくは魔法で。炎の魔法を使う獣もいないではないが、数は極めて少ない。そしてそれらは往々にして、それこそ緑級程度の獣なら狩れるほどには強い。
(でも、あの猿はこの森で確認されている獣のどれより強いはず。猿共と同じ外から来た獣か、あるいは未確認の危険種がいた? 今まで見つからず、一切の被害を出してこなかったとでも?)
信じがたい話だが、可能性はゼロではない。目撃者がすべて殺されていればそれによる被害だとはわからないのだから。
「リンネ様、やはり目立った傷などは確認できませんでした。完全に炎で殺されているようです」
「そう、わかりました。他の聖伐部隊が動いているという話は聞いていませんが、一応人間と未知の獣の線、両方を留意しておきましょう」
「人間なら良いですが……仮に獣だったとして、遭遇した場合はどうしましょう」
その自然な問いに最も反応したのは、リンネの視界に入らない後方で様子を窺っていたクローヴィアだ。
クローヴィアにはわかっている。あれをやったのはイーシャだ。イーシャは炎の魔法が使える、彼女はここから地下洞窟に入ったんだ。
「フィレンスと相談する必要はありますが、ゴグラを狩る程の未知の獣が相手となれば、二人でかかるのは避けるべきという結論になるでしょう」
その答えにクローヴィアは胸を撫で下ろした。最上位部隊とイーシャ、どちらが強いかはわからない。とはいえ戦闘になればどちらかが無事では済まないのは確実、ならば戦いにならないのが一番良い。
だが次の一言にクローヴィアは停止した。
「ですから、四人全員で倒します」
リンネは静かに言い切った。
「洞窟外で遭遇した場合は一時撤退するしかないでしょうが、洞窟内なら、他の二人と合流まで時間を稼ぐ、ということも視野に入れるでしょうね」
「合流後そのまま戦闘に入られるということですか?」
「相手の強さ次第です。合流しても危ういようであれば全員で離脱し、十全に準備を整えたうえで再度狩りに出ます」
淡々と語られる処刑宣告にクローヴィアは青くなっていく。額を伝う汗が冷たいのは風のせいではない。
「いずれにせよ、この森にあの猿以上の危険種がいるならそれを放置するわけにはいきません。存在を確認した場合は"神火槍"の名に懸けて必ず仕留めます」
(――……っ)
クローヴィアは唇を噛んだ。
この感情は、なんだ――。
獣は不浄な存在、人を害する存在、だから聖伐部隊が倒す。そうだ、何も間違っていない…………でも、イーシャが標的とされそうな今、そのことがこんなにも苦しい。
クローヴィアは座り込み、身体を抱きかかえた。
昼間からずっとだ。僕はイーシャのことを心配していた。イーシャだけじゃない。僕はあの子供の狼にだっておかしな感情を抱いていた。あいつのために怒ったんだ。なぜ、どうして。相手は獣、忌避すべき存在……。
僕がおかしくなったのは、獣の神に魅入られた穢れた存在だから……?
冷え切った肌の下、血が沸騰したように燃える。
…………いや、違う。助けられたから、昨日もそう、今日の昼もだ、食べ物を持ってきてくれたのも、ずっとずっと、イーシャに助けられてばっかりだからだ。
それで恩を感じて…………獣に、獣にだ。僕は獣に感謝している。
………………いや、それも違う。だってそれじゃあ子供の狼に説明が付かない。僕はあいつに恩なんかない。あいつはただ勝手に付いて来て、それで死んだんだ。
やっぱりおかしくなっている。おかしくされているんだ、獣の神に。そうか。そうだ。魂が穢されているんだ。身体だけじゃない、心までおかしくなって当然だ。
ふと、リンネが立ち上がる。木々の向こうを見つめ小さくため息を吐いた。
「どうされましたか?」
「また獣の群れです。下がっていなさい、どうせ死肉でも漁りに来たんでしょう」
その言葉と同時にハガの木の影から狼の群れが姿を見せた。数は六、体毛は黒で先のとは別の種だ。
「不浄の者が不浄の気配に惹かれるのも道理。死んでも迷惑なのだから本当、救いようのない存在ね」
リンネが吐き捨てるように呟く。その背後で、クローヴィアは未だ、うずくまったままだ。
獣は不浄、そうだ、そして獣の神に魅入られた僕も同じ、不浄で、穢れた身体。
「……っ」
あの瞳の記憶が蘇る。穢れた身を拒絶する、神官と、黒い魔導士の瞳が。クローヴィアは目を瞑り胸を押さえた。
「はあ、はあ……はあ」
呼吸が荒い。あの視線の記憶が心を締め上げる。嫌だ……これ以上は嫌だ。これ以上僕は、誰からも――。
「はあ、はあ……はあ………………はあ…………………………」
瞼の裏に金色の瞳が浮かぶ。鋭くも温かな、澄んだ瞳が。
そうか、そういうことか。だから僕は――。
うずくまるクローヴィアを白い外套の男が窺う。そこには心配と不気味なものを見る目が同居していた。
「おい、苦しそうだけど大丈夫か? ……あっ、おっ、おい! 待て!」
瞼を開けたクローヴィアは、今しかないと言わんばかりに、全力で走り出した。男の制止も聞かず、ただまっすぐに。
「リンネ様、子供が洞窟の中に!」
「放っておきなさい」
「しかし――」
「忠告はしました、従わなければ命は保証しないと。獣の群れに臆したか知りませんが、勝手な真似をして死ぬのならそれもあれの意志です。追いたければあなたたちだけで行きなさい」
リンネは振り向くこともせず狼たちに魔法を飛ばす。
白い外套の男たちはクローヴィアの飛び込んだ穴の中を見つめた。そこは大猿、ゴグラの巣だ。闇の中、奴らの縄張りに入り込む勇気はなかった。
大丈夫だ、この道はイーシャが通った道、大猿はいないはず。早く行って、イーシャに追いつくんだ。
洞窟の中は完全な闇ではない。壁や天井に露出した白い鉱石が、昼間にため込んだ光を放出し仄かに道を照らしている。闇に慣れたクローヴィアの目なら足元も見えていた。
――イーシャと聖伐部隊の争いを避けたい、それは変わってしまった自分から目を背けるための言い訳だった。
本当は違う。避けたかったのは誰かが傷つくことじゃない、イーシャが傷つくことだ。
だって、当たり前じゃないか。獣だろうと関係ない、イーシャが僕を受け入れてくれたのは事実なんだ。そんな彼女が傷つくことを、黙って見過ごせるはずがない。
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