古狼と獣憑き

ヒノ

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第二章

ナラキアの人々

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 ナラキアという街を一言で表すなら紡織都市である。
 周辺の村々から絹や麻類などの繊維素材が買い集められ、織り上げられた生地が同盟都市へと出荷されていく。分業によって生産ラインを効率化する手法が早くに確立された、まさに織物の工場なのだ。

 その影響もあって、服飾文化が進んでいることもこの都市の特徴だ。
 有力商人たちにとっては職人たちの精緻な作品で身を包むことがステータスであり、職人たちは材料の入手ルートや金銭面で手厚い支援を受けている。商人たちは織物の生産を指揮する生産層であると同時に、流行を牽引する購買層でもあるわけだ。
 そしてその風潮は一般の市民層にも広がっており、やはり職人の――といっても有力商人たちのそれよりランクは下がるが、作品を着るのがひとつのステータスだった。

 こうした服飾競争の果てに着古された衣服が集う古着屋も他の都市に比べて数が多く、通りを端まで歩けば一軒は見つかるかというほどである。



 ナラキアのメインストリートから何本か外れた通りは、それでも人々の活動的な午前中だけあって賑わっていた。パンなどの食料品や日用品を扱う店に金属細工の店、通りの奥では武具職人の工房も看板を提げている。
 そしてこの通りにもやはり、古着屋が一軒あった。

「こんにちは……」

 店の扉が押し開かれ、小さな客が顔を覗かせる。来店を知らせる鈴がなり、奥で座っていた店主の男が腰を上げた。目じりの皺と生え際の後退した頭が年季を感じさせる顔だ。
 店主は客の姿に訝し気に目を細めた。
 来店したのは金色の髪のまだ幼さのある少年が一人だけ。翡翠の瞳が目を引くが、衣服を扱う者としてはそれ以上にくたびれた服装が目に留まる。
 上流層ではないとして、そもそも金を持っているかすら怪しかった。

「いらっしゃい」
 
 店主は無愛想な声音で出迎えた。半分はひやかしを疑っているからだ。

「あの……姉様に贈る服を探しているんですけど」
「女性用か、ちょっと待ってな。おーい、客だ」
 
 用件を聞いた店主は店の奥に呼びかけると、再び椅子に腰かける。それからややあって店主と同年代ごろのふくよかな女が顔を出した。女性向けの担当は妻の役目というわけだ。

「はいはい。何をお探しで」
「姉様のために服が買いたいんです」
 
 その答えに女は破顔した。

「あら、プレゼントなの? なら良いのを選ばないとね」

 こっちにおいで、という声に従って進んでいくと、丈の長いスカート型の服が並んで掛けられている。

「お姉さんは何色が好き? ああ、もしかして嫁入りとかかい?」
「いえ、そういうわけでは。色の好みはわからないですけど、動きやすい方が良いと思います」
「動きやすいの、ね。すると……」
「あ……あと、背が高いんです」

 付け加えられた情報に女は物色する手を止めた。

「どれくらいだい?」
「ええと……」 

 何に例えようかと店内を見回し、店主の姿が目に留まった。腰かけているのでわかりづらいが男性の平均程度はあるだろう。

「おじさんよりも高いと思います」
「そりゃずいぶん大きいね」

 身長に個人差があるのはもちろんだが、男性よりゆうに大きいとなるとやはり珍しい部類だ。戦の神の祝福を受けた者は背も伸びやすい傾向にあるので、そういうことなのだろうと女は思った。
 しかしそうなると、女性用の古着の中から条件に合うものを見つけるのは当然難しい。
 
「悪いんだけどねぇ、お姉さんに合う大きさだとうちは扱いがないかなぁ。男性用のなら着れるとは思うけど」

 女の提案にしばし思案したのち、少年は首を縦に振った。

「男性用でも問題ないです。本人は……あまり気にしないと思うので」

 女は「そうかい?」と首を傾げたが、それだけ背が高いなら普段から男性用を着ることも珍しくはないのかもと納得した。
 しかしその推測は間違いである。

 何せ彼の"姉"はこれまで、服を着るという文化に触れることすらなかったのだ。ゆえに服装の性差など、そもそも概念として持ち合わせていないのである。





 ナラキアの北側を東西に走る大通り、ここは流行の先端を行く都としてはやや異質な空気が流れるエリアだった。半ば仕立屋たちの作品の展示場と化した中央周辺とは違い、この通りには端的に言って華がない。
 それはなぜか、答えは中央の丁字路に立つ一際大きな建物にある。

 聖伐同盟、ナラキア支部。大陸の西部で活動する聖伐部隊たちが籍を置く事務所だ。
 立派な門構えの扉からは武装した者達が出入りしており、通りに並ぶのも彼らに向けた商品を扱う店が多い。槌音の響く工房や薬師の店、端には古着屋の代わりにややへこんだお古のヘルメットや胸当てを安売りする露店などもあった。

 そして、そんな通りの一角にある料理屋もまた聖伐部隊の者達が訪れることが少なくない。

 昼とも朝ともいえない時間帯の、まばらに席の埋まった店の中、隅にあるテーブルで四人の男女が早めの昼食を取っていた。 
 奥に座る男のガタイの良さも目につくが、彼らが聖伐同盟の者かは顔を見ればすぐにわかる。左目の周りに藍色の紋様、聖伐部隊の証だ。
 藍色は七段階ある階級のうち下から二番目、弱い部類のチームではあるが、全員が十代であることを考えれば彼らはまだまだ伸びしろがある部隊といえる。

「あー、そういえば……」

 燻製にした赤身の魚をつつきながら、ボサボサの金髪に褐色肌の男がぽつりと話を切り出した。常に眠そうな目と頭にバンダナのように巻いた緑の布がトレードマークだ。

「俺らが街空けてる間に"神火槍ヴァレッティア"来てたらしいよ」
「えっ、うそっ!?」

 その話題に勢いよく食いついたのは対角に座っていた女だ。日に焼けた肌と後頭部で結んだ黒髪が活発な印象を与えるが、まさにその通り、他のメンバーをぐいぐい引っ張るムードメーカーだった。

「なんでなんで、なんかあったわけ!?」

 女がそれだけの反応を示すのも無理はない。
 "神火槍"は現役の聖伐部隊としては最高ランクの橙級、その中でも特に精力的に活動している部隊であり、聖伐同盟の内外を問わず憧れを抱く者達は少なくない。
 彼女もまたその中の一人というわけだ。

「静かに、他のお客さんに迷惑ですよエミナさん」

 女、エミナを窘めたのは隣に座る最年少のメンバーだ。
 短めに切られた茶髪と声変わりを終えたにしてはやや高めの声が特徴的で、他の三人からは弟のように可愛がられている。しかしある意味一番しっかりしているのは彼だった。
 咎められたエミナは小さく「ごめん」と口にし、広くないテーブルに乗り出しかけていた身をひっこめた。

「それで、なんで"神火槍"来てたわけ」

 やや声を落とし改めて聞き直す。
 話題を振った男は塩気の効いた切り身を口に運んでいた。

「んーと、なんかハガの森で厄介な猿が出たらしくって、それの討伐に行くために寄ってたらしいね」
「ほう」

 次に反応を示したのはバンダナ男の隣に座っていた黒髪のガタイの良い男だ。面長の顔に笑みを浮かべている。

「橙級に話が行くってことはその猿そうとうヤバイ奴なんだな」

 彼が興味を示したのは獣の方だった。聖伐部隊として活動していれば相対する可能性はもちろんあるため、そういった点で彼の反応も至って普通である。

「ゴグラっていうんだけど、まだどんな奴かあんまりわかってない種類だから、ヤバイというよりはヤバイかもって感じらしい。まあ低く見積もっても緑級程度はあるって話だけど」
「なるほど」

 男は相槌を打つと野菜を煮込んだスープを一口すくった。短い言葉の中に今の自分たちでは届かない領域への羨望が滲んでいた。

「でさ、出発したの何日前? 明日までにまた寄ってくれるかな?」

 エミナの興味は未だ"神火槍"のみに向いている。
 彼女は"神火槍"に所属する女戦士、アンダエッタに憧れているらしく、一目その姿を見たい、あわよくば言葉を交わしたいとさえ思っているようだ。

「あー、そこまでは聞いてないわ。森広いし猿もそこそこいるらしいからまだなんじゃないかな」
「んんーそっかぁ。だったらさぁ、あたしらが帰る日程ちょっとずらせない? せっかくのチャンスだしさぁ」
「ダメですよ。明日の車は押さえてあるんですから」
「そうだけどさぁ。錬成士までは押さえてないんだし、車一台だけならちょっとずらしてもいいんじゃない?」
「いやいや。いくら身内相手でも仕事だし、私情で到着遅れるのはまずいっしょ」
「だな。"神火槍"の帰りがいつかもわからないんだ。今回は縁がなかったと諦めろ」
 
 自分を除く全員から反対され、エミナはしぶしぶ口を結んだ。

 ナラキアを拠点に活動する彼らだが、春の始まりであるこの季節は例年、故郷の村に帰っていた。単なる帰省ではなく仕事のため、獣を狩るためである。

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