古狼と獣憑き

ヒノ

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第一章『旅立ちの朝』

その背に乗って

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「イーシャ――」

 クローヴィアの祈るような声は雷鳴に掻き消される。

 ハガの森地下洞窟最深部、森の白狼イーシャと最上位聖伐部隊、橙級"神火槍ヴァレッティア"の戦いは佳境を迎えていた。

 黒の魔導士リンネの十八番、雷撃を絶え間なく浴びせることで敵の足を止め命を削り取る"雷撃の檻"に囚われたイーシャは、まさに身を削られる最中にありながらなお、切り札である魔法の発動に入った。

 口元に蒼炎が宿る。だがその勢いは微弱なまま成長の兆しすら見せない。

(これなら、間に合う)

 最後の賭けに出たイーシャへと突撃しながら、フィレンスは思う。
 イーシャの魔法の発動とリンネの魔法陣の完成、比べれば後者の方が明らかに早い。魔法陣に集中を割いている分雷撃の檻の密度は下がっているが、それでも敵が動けていないのが勝負の行く末を物語っている。

 完成したリンネの魔法が直撃すれば、あの獣はそれ以上戦うことはできないだろう。

(そうなれば、リンネは間違いなく止めを刺すだろうな)

 彼女が獣に慈悲をかけることはまずない。フィレンスもそれが正しいと思っている。だがそのときは――。

 後方で戦いを見守る、幼い少年の姿がよぎる。
 彼とあの獣との間にどういったやり取りがあったかは推し量ることもできないが、彼があの獣を友、あるいはそれ以上に想っていることは確かだ。
 ならばそれを奪う者の責任として、傷ついた彼を蔑ろにしてはならないだろう。

(初めてだな、こういうことは……――!)

 勝負が決した。
 ほぼ完成しかかっているリンネの魔法陣に対し、イーシャの炎は育つどころか

「もはや切り札を放つだけの体力も残っていないようね」

 リンネがイーシャに杖を向ける。杖の頭部に嵌まった紫の宝玉が内部から光を発した。いよいよ発動だ。
 
「――!」

 勝利を確信していたリンネは――故に遅れて違和感に気付いた。炎が消えてなお、イーシャの黒い模様はまだ光っている。

(不発じゃない――まさかこいつ、何か違う魔法を)

 一歩、遅かった。その可能性に気が付くと同時に、リンネの視界は青色に染められた。



「――っ!」

 走るフィレンスの足元から蒼炎が吹き上がる。予想外の方向からの一撃が全身を熱で包み込んだ。

「馬鹿なっ……」

 不意の攻撃をもろに受け、体勢を崩す。回る視界の中で、リンネも同様に足元から炎の攻撃を受けているのが見える。

(ここに来て別の魔法だと――まさか、切り札はこのための囮か)

 だとすればまずい。この攻撃の威力自体は軽くはないものの、それ単体で戦闘不能にはならない。だがリンネも直撃を受け集中が途切れた今、あの獣は雷撃の檻から解放されている――。

「ぐはっ……」

 フィレンスの無防備な背中に尻尾が叩きつけられる。白狼の巨体に回転の勢いが加わった渾身の一撃、たとえ堅固な鎧に守られていたとしてもその衝撃は殺しきれない。
 地に叩きつけられランスさえ取り落とす。フィレンスといえどすぐに起き上がってくることは難しいだろう。

 イーシャは倒れたフィレンスを一瞥した後、リンネへと向き直った。
 
 切り札を印象付け、もうひとつの魔法の可能性から意識を逸らす。二人ともを射程に捉えて不意打ちを決め、作った一瞬の隙で前衛を無効化する。
 想定以上の傷を負うことにはなったが、予定通り彼女との一対一には持ち込めた。

「さて、お前にはこいつ以上に返さねばな」

 リンネ向け、駆ける。

「獣風情が、近寄るな!」

 白い魔法陣が浮かび、雷撃が走る。だが彼女と正面から相対したイーシャなら躱すことは難しくない。

「さっきの技はなかなか効いたぞ。もう一度やってみたらどうだ」
「っ……、いいだろう……!」

 雷撃の雨、あの檻には劣るものの、苛烈な攻撃がイーシャを襲う。イーシャはそれを時に躱し、時にその身に受けながら疾走する。

 咄嗟の魔法では格下でもなければ止められない。

 リンネは飛んだ。飛行の魔法で後退する。だが、イーシャの方が速い。距離を詰め飛び掛かった。

「我が友に詫びろ、そうすればこの一撃で許してやってもいい」
「誰がっ……――」
 
 返事は聞かず正面からぶつかる。リンネは杖で受け止めようとしたが、耐えきれず後方へ勢いよく転がった。

 三度地に身体をぶつけたリンネは、再び浮遊し体勢を立て直す。獣と接触し、地に背を付け、身体が痛む。屈辱のあまりの大きさに顔は歪んでいた。

「まだそんな顔ができるか、なら――!」
「はあああああああっ!!」

 背後からランスが襲う。イーシャはこれを飛び越えた躱した。
 怒声と共に繰り出された切れのない一撃はダメージを与えるためというより、イーシャの注意を自分に向けるためのものだろう。
 フィレンスが戦線に復帰する。

(一撃しか入れていないとはいえ流石に早いな。こちらも手負いゆえ、あまり長引かせたくないが…………!)
 
「おいフィレンス、これはどういう状況だ」

 通路から新顔が現れた。大きな剣を持った鎧の女と、細長い槍を持った背の高い男。合流を待っていた仲間だろう。おそらくは彼ら四人でチームだ。

「知らねぇ獣にボコられてんじゃねぇか。なんだこいつは……」

 剣を持った女が怒気を放ち近づいてくる。背の高い男からも抑えきれず殺気が漏れ出していた。

「返し足りないが仕方ない、ここまでだな」

 勝機なしと判断し、イーシャは身を翻した。

「あっ、おい! 待ちやがれ!」

 背中に女の怒声が飛ぶ。だがイーシャとて、これから一対四ができる自信はとてもじゃないがない。

「さあ行くぞクローヴィア」

 離れて見守っていたクローヴィアの元へ駆ける。クローヴィアは涙をためた微笑みで迎え、両手をあげた。

「乗せて! 一緒に逃げよう!」
「! ……わかった」

 クローヴィアの腹に鼻を潜らせすくいあげる。そこから滑らせるようにして背中に移した。

「しっかり掴まれ、飛ばすぞ!」
「うん!」

 クローヴィアを乗せ、イーシャは駆け出した。
 空間の出口へと、途中で通路に隠れていた白い外套の男たちが悲鳴をあげたが、そんなものは意にも介さない。風を切って地上へとひた走った。



「身体は大丈夫なの? 無理してない?」

 ひとまずの窮地を脱したイーシャにクローヴィアが問いかける。傍目から見ても彼女の受けたダメージが軽くないことぐらいはわかった。

「走るぐらいは無理ではないが……今日明日は戦闘はごめんだな。あいつらレベルの相手など以ての外だ」
「やっぱり、そうだよね……」

 その答えにクローヴィアの声音は暗くなっていく。

「ごめん、戦いを止めたくてイーシャのところに来たのに、結局止められなかった。ううん、むしろ……」

 自分がきっかけでイーシャとあの魔導士は対立した。仮にそのことと関係なく戦いになっていたとしても、クローヴィアはそこに負い目を感じていた。

「助かった」
「えっ?」

 急な礼にクローヴィアは戸惑う。自分の行動は失敗に終わった。助けようとはしたが、実際に助けられたとは思えなかった。

「お前があいつらの仲間のことを教えてくれなければ、おそらくはもっと長期戦のつもりで戦っていただろう。多少無理をする形にはなったが、結果的に私は生存した」

 うかつに二つ目の魔法を見せてしまえば相手の立ち回りは慎重になる。故に一度で両方に対し不意打ちを成功させ、その隙を確実に活かさなければならなかった。
 敵を射程に捉えるための突撃で相手の得意技を喰らうことにはなったが、そうでもしなければ戦いは長期化し、万全な状態での敵の合流を許していただろう。

「お前の行動のおかげで私は助かった。それは忘れるな」
「…………うん」

 クローヴィアは毛皮に顔をうずめる。無駄ではなかった、イーシャの助けになれた。それがただ嬉しかった。

「それよりも、よかったのか?」

 今度はイーシャが切り出した。誰かを乗せたのが初めてだからか意外にも背中の感触がくすぐったく、会話で気を紛らわせたいのだ。

「よかったかって、何が?」
「背中に乗って、触れてもだ。前は拒んだだろう」
 
 初めて言葉を交わした夜、あれからかなり経ったようで、しかしまだ昨日か一昨日の話だ。

「いいよ、イーシャは」
「ふっ。私は、か。どんな心境の変化だ、それは」
「だって……イーシャは、嫌がらないでしょ」
「私は特に嫌がる理由がないからな」
「そっか。そうだね……」

 クローヴィアはくすりと笑った。
 
 視界がやや明るくなり、一陣の風が金の髪を薙いだ。洞窟の外、森の空気が鼻腔をくすぐる。

「クローヴィア」
「なに?」
「大猿は倒した、無事外にも出られた。ならば、そろそろ答えを聞かせてもらえないか」
「…………うん」

 皆まで聞かずとも、何の返事を求められているかはわかっている。

「森の外、一緒に行こう」
「よし、ではこのまま行くか!」

 外へと飛び出し着地したイーシャは、そのままさらに加速する。木々の間を縫い、風になって走った。

「えっ、このまま!?」
「こういうのは勢いだ。それにあいつらが追って来るやもしれんからな、早めに動いた方がいい」
「ちょっと待ってよ、森を出る前に取りに行きたいものがあるんだけど」
「なに? わかった、どこに行けばいいんだ」
「車のとこ……ええと、イーシャと最初に会ったところ」
「わかった。曲がるぞ」 

 そう言うや否や一蹴りで方向を変える。クローヴィアは思わず強く毛を掴んだ。長く、艶やかな白い体毛。預けた身体がじんわりと温まる。
 
 月は既に坂を降っている。優しい光に照らされながら、少年を乗せた狼は森を駆け抜けた。




 
 ハガの森西部、幹の白い巨木が茂る合間の少し開けた空間に、捨てられた車が転がっていた。大猿、ゴグラによって倒された車は車輪が曲がっており、もう使い物にはならないだろう。

「あった。よかった、無事で」

 車の転がる辺りの草むらをかき分け、クローヴィアはひとつの袋を拾い上げた。中からは金属の擦れ合う音がしている。

「なんなんだ、それは」
「お金だよ」
「おかね?」

 クローヴィアの答えにイーシャは首を傾げている。

「街に行くならこれがないと困るんだ。イーシャも人間の街に行きたいんでしょ?」
「そうだな。人の世界がどんなものかも見てみたい」

 旅の危険はイーシャが排除する、人の世界のことはクローヴィアが教える、そういう契約だ。

「取りに来たかったものはそれだけか?」
「うん」
「よし。では……行くか」

 クローヴィアを再び背に乗せ、イーシャは森の外へと歩き出す。洞窟を飛び出たときの熱は時間と共に冷めやり、今はただ故郷の土を踏みしめていた。

「……寂しい? 森を出るの」
「どうだろうな。住み慣れた地だが、それだけだ。再び帰って来ることはない、そんな予感がするよ」
「そっか……」

 イーシャはまっすぐ前を見つめたまま歩き続ける。その背中でクローヴィアは揺らされていた。

「こわくはないの?」
「ふっ、恐れ知らずならとうに森を出ていたさ」
「そうだったね……」

 この森最強の獣も、未知の世界に憧れると同時に、踏み出すことを恐れた。故に彼女は森を出るきっかけを欲していたのだ。

「だが、やはり恐れよりも好奇心が勝った」

 そう言葉にした後で、イーシャは。瞼を閉じた。

「……今は楽しみだよ。この森の外にどんな世界が広がっているか、この足で歩いて確かめたい。クローヴィアもそうは思わないか」
「……うん…………」

 背中からは一拍置いて妙に気の抜けた返事が返ってくる。

「ん……? おい、クローヴィア?」

 様子を窺うと、クローヴィアは両手でイーシャに掴まったまま、静かに寝息を立てていた。夜通し緊張の中にあったからか、眠りに落ちるのも無理はない。

「まったく、私だって休みたいのだがな」

 呆れたように笑いながら、イーシャは静かに歩き続けた。

 やがて木々が途切れると、そこには一面に青々とした草原が広がっていた。月は沈み、代わりに地平の向こうから陽の光が差し込み始めている。
 
「こんなにも、眩しいか……」 

 開けた視界を遮る物は何もない。まだ辺りは薄暗かったが、まっすぐに差す光にイーシャは目を細めた。

 それからしばらく歩き、立ち止まる。背中に乗せた友を落さぬよう、静かに振り返った。
 巨木のそびえる庭に数多の命を抱えた森の姿は、一匹の獣など如何に小さな存在かを思い知らされるほど雄大だった。
 これも、外に出なければ見られなかった景色だ。

 光と影に彩られた故郷の姿を瞳に焼きつける。少しだけ感傷に浸った後、イーシャは再び歩き出した。





                         ――――第一章「旅立ちの朝」完。
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