召し使い様の分際で

月齢

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第30章 その頃、元皇族たちは……

ヘッダの失望と希望

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 エルバータの元皇后ヘッダと、長女ソフィ。
 冬の始まりに二人が歓宜カンギ王女の私邸に召し抱えられてから季節は移り、陽気は確実にぬくもりを増して、木々の彩りも日々鮮やかになっていく。
 ただし初々しい木の芽も、お日様を映したような道端の小さな花も、二人の目には路傍の石と同じ。ただそこにあるだけの、無価値なものでしかない。
 
 季節のうつろいなど、彼女たちにとっては忌々しいだけだった。
 寒さから解放されることのみが慰めで、あとは虚しい時間の経過を思い知らされるだけのこと。
 二人の感情は、これほど長く、召し使いと呼ばれる恥辱を受けながら留まることになるとは思っていなかったという、その焦燥と怒りに集中している。 
 ヘッダたちの想定では、もっと早い段階で、こんな呪わしい場所からは脱出しているはずだったのだ。

 エルバータの皇族ともなれば、蜘蛛の巣のごとく『裏の人脈』を張り巡らせているのが常識。
 そうした情報人たちは醍牙にも潜んでいるし、ヘッダたちが必要とする人物と連絡を取る術を、提供してくれもする。……腸が煮えくり返るほど足元を見られるが、背に腹は代えられない。
 そうしてどうにか、エルバータから隠し持ってきた金や宝飾品と引き換えに、情報人を通して有力な取引相手と面会する算段をつけた。

 その相手とは――この国の正妃泉果センカの兄である、弓庭後ユバシリ侯爵だった。

 彼らもまさか、自分たちが踏み潰したと確信していたエルバータの皇后に、良いように利用されるとは夢にも思っていなかったろう。
 実際に対面して、ヘッダがある『秘密』をほのめかしたときの弓庭後の、驚愕と怒りと屈辱に満ちた表情ときたら……しばらくヘッダとソフィの憂さ晴らしに役立ってくれたほど、愉快な見ものだった。

 弓庭後が自分たちと取引せざるを得ない『秘密』を、ヘッダは握っていた。
 それは、かつて泉香が、第二妃腹の双子王子を、エルバータの奴隷商人に売り飛ばしたという事実だ。
 ヘッダがそれを知らないはずがない。
 そうなるように誘導したのは、ヘッダだったのだから。

『裏の人脈』は、周辺国のさまざまな情報もヘッダに届けていた。
 その中に、醍牙の正妃と第二妃が一触即発という、ヘッダにとってはどうでもいい情報があった。

 ――醍牙の獣たちがどうしようと興味はない。動物のくせに人間の振りをして、自在に姿を変えるバケモノたちなんて、考えるだけでゾッとする。さっさと滅びてしまえばいいのに――

 そう、滅びてしまえばいいのだ。
 勝手に自滅してくれれば、なお好都合。
 醍牙の王族は国で最強の種族であると聞く。ならば王族の内輪揉めで王子二人が葬られるならば、巡り巡って醍牙の弱体化につながるのではないか。

 その頃のヘッダは、醍牙に欠片ほども脅威を感じていなかった。
 よって、本気で王家の内輪揉めで醍牙を滅ぼそうと考えたわけではない。
 目障りな獣たちが抱える火に油を注いで、大騒ぎするさまを見物するために、『裏の人脈』を使って情報を少し流してやっただけ。
 自分が投げた石によるさざ波が、どのように発展するかを楽しむために。
 泉香に近しい者の口から……

『面白い毒薬がありますよ』
『双子王子が邪魔ならば、エルバータの奴隷商人がお役に立ちますよ』

 そう吹き込ませて。
 もしその話に泉香が乗ってこなくても、それはそれでかまわなかった。
 だが愚かな獣は、面白いほど思い通りに動いてくれた。

 ときを経て、ヘッダから真実を伝えられた弓庭後の胸中はいかばかりか。
 自分になにかあれば、その経緯を記した手紙と証拠を公表するよう手筈を整えていると言ったヘッダの言葉を、嘘だと切り捨てる危険は冒せなかったろう。

 ただしヘッダも、弓庭後が自暴自棄になるほど追いつめてはならないと心得ていた。
 弱味を握っているからといって、直接亡命に協力させるなどという愚は犯さない。そんな大博打を打たずとも、まずは賠償金さえ払えればいいのだから。
 亡命云々はそのあと、監視の目が緩む頃までにじっくり考えておけばいい。

 ゆえに弓庭後に約束させた条件はひとつだけ。
 ただ一度、自分たち皇族の――皇帝、皇后、娘三人分の『手紙』をまとめて、二人の息子テオドアかランドル、どちらかに渡してほしいと。
 その条件を呑むなら、『秘密』は秘密のまま、証拠品も譲渡すると囁いたヘッダに、弓庭後もなにがしかの企みを感じただろうが、結果として取引は成立した。

 ――なのに。
 役立たずの弓庭後は、正妃共々失脚した。
 これでは『ただ一度』の約束を果たさせようがないではないか。

 どうにか別の駒を探さねばと焦っても、すでに手元で使える資金は尽きた。
 歓宜の目も光っているし、屋敷の使用人たちもそろって武術の心得がある者ばかりで、主人と同じく男も女も融通の利かない無骨者ばかりだ。口車に乗ってきそうな者は、この屋敷にいては見つからない。

 そうしてじりじりと焼かれるような焦燥を抱えながら、来る日も来る日も、朝から晩まで終わることなく燭台を磨かされる冬の、なんと長かったことか。よく凍死をせずに季節を越せたと驚くほどだ。
 おかげで二人とも、生まれて初めて『しもやけ』というものができた。手も足も痛痒い上、庶民のようにガサガサに荒れて、ヘッダは癇癪を起こした。
 だがどれほど泣いて抗議しようと、歓宜は冷めた表情で。

「お前たちが『寒いから室内でできる仕事にしろ』だの、『足が痛くなる仕事は無理』だのギャーギャーうるさいから、部屋の中で座ってできる仕事を与えてやったというのに……文句ばかり言っていないで、少しは感謝したらどうなんだ」

 これほど辛酸をなめているのに、どこに感謝の要素があるのか。
 いつまでも過去の因縁を根に持って、執拗に自分たちを辱める歓宜を、呪い殺してやりたいとヘッダは思った。
 そうして袋小路に入り込んだごとく、出口の見えない焦りと恐れに追いつめられていたのだが……


「お母様。これは神が与え給うた最後の機会ですわ」
「その通りよソフィ。さすがテオドア、わたくしの愛しい息子。エルバータの光輝の化身たる皇太子。あの子なら必ず事態を打開してくれると、信じていましたとも!」

 長男は長男で、状況を変えようと動いてくれていたのだ。
 見間違えようのないテオドアの筆跡による指示書と、皇太子の指輪を持った使いの青年がひっそりと現れて、明日また来るので準備を整えておいてくださいと言い置き、驚愕する間に去っていった。
 その指示書には、こう書かれていた。

 ――例の計画の『手紙』は、自分がまとめてランドルに送れそうです。だから母上とソフィの『手紙』も、使いの者に持たせてください。なお、この使いの男は、おれに懸想しております。おれの命令ならなんでも言うことを聞くよう躾けましたので、どうぞご安心ください――
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