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第一部 婚約破棄されました
14、叶恵さんの新しい年:上
しおりを挟むぷしゅーぅと大きなバスの車体がやれやれとばかりに息を吐き出す。お客は私しかいなかったが、私が村を出る前からご活躍のご老体なのである。むしろよく残っているなと感心半分、恐怖半分だ。
ところどころ剥げた黄色いクマさん…もとい何故か眉が鋭く尖った厳ついスナイパーの様な顔つきになってしまったバスさんの車体をお前も変わったなという意味でぽんぽん叩く。個人的には運賃の方だけでも変わらないで欲しかった…値上げは辛いっす。
「かなちゃんゆっくりしなね」
「おいちゃんもね。今日もお仕事お疲れ様」
ひょいと運転帽を上げるおいちゃんに私も労いの言葉を投げかけた。我が故郷は中々の田舎であるため、大抵の人と顔見知りなのだ。村民皆家族的な。
そう、初孫写真をえへへと自慢されるぐらいには仲がよい。前を見ずに写真の子一人一人を指差してこの子六郎太で…と見分けの付かぬ赤ちゃん6つ子の写真を見せながら教えてくれるくらいには仲がよい。
見ていない前方からシカやイノシシやカートを引いたお婆ちゃんが飛び出すのを五十年ばりの運転テクで避けつつ四流丸が英語を喋りだしたと自慢されるくらいには仲がよいのだ。
いや、聞いた感じ四流丸のは既に方言の病に侵されてるだけな気がするけどねおいちゃん。
キラキラネームよりも将来グレそうな名前たちに心配を抱いたりもしたが、というわけで無事和やかに故郷に到着する。
よいしょとスーツケースと鞄を担いでぐるりと懐かしいすすき野や田んぼを眺めていると、おいちゃんが運転席から少し心配そうに顔を覗かせた。
「かなちゃんわしはよぅ知らんけど、大変だったんじゃろ? 大丈夫かい」
「おいちゃんもう終わってる終わってる」
何でもない様にひらひら手を振って笑っていると、そうかい?と呟いてからおいちゃんは隙っ歯でにかっと笑った。今度は五つ子の娘達の話をしてくれるらしい。
「楽しみにしといてや~、またの~」
ぶろろろと小さくなりゆく車影に手を振りつつ、私はしみじみと思った。
おいちゃん、五つ子のは毎年聞いてやすぜ、と。
◇
「あ、姉やんおかえり~」
「ただいま~、悪いけど運ぶの手伝って~」
あいよと返事した寝巻き姿の妹を駆り出して荷物を運ぶ。こやつこんな時間から寝間着とは、ぐーたら三昧を過ごしていたな。
それにしてもスーツケースを段差の上に置くだけでもよっこいしょという声が漏れるのは年だからか、…そうか。
我が家の匂いや間取りを見ると、懐かしいというかやっぱり帰って来たなぁという感じがする。
「父さんは後で帰ってくるってさ~」
「了解、母さんは?」
「キッチンにいるよ」
ぺいっと妹である芽衣子の頭の上にお土産を置いてキッチンへとてくてく。
無難にシフォン生地のバナナである。おいしいんだぞー有名なんだぞー、だからまたかという冷めた目でバナナを見るな妹よ。
見覚えがないので新しく変えたのであろう数珠すだれの暖簾を潜れば、ことことと何かを温めている母の後ろ姿があった。どうやら気付いてないらしい
「ただいま~」
「え、叶恵!? あんた着くなら先に連絡入れなさいよ」
母上、驚いたのは分かったからお玉を近づけないでおくれって熱い! 雫熱い!
ぺろっ、おや?
「ごめんごめん、寄せ鍋?」
「そうよ、よそってあげるから其処に座ってなさい」
「母さんウチにも~」
「あんたはさっき食べたでしょ」
えーっとぼやく妹はバナナの包みを開けようと指を引っ掛けている。あっ、そんな適当にやると…
案の定無残なぼろぼろ姿にされたマスコットのバナナくんと目が合い、その悲しげな笑顔の姿を眺めていると、お茶碗に入れられた寄せ鍋ちゃんが目の前に。
お礼といただきますを言いはふはふと食べていると、対面に座っていた芽衣子の隣りに母が座った。
まずい、これでは逃げられない…しまった、罠だったか
真剣な顔で此方を見る母。バナナを口に運んではみかんを剥く妹。いや、妹は大丈夫かもしれない
「で、あれから何かあったの」
「別に、何もないわよ。もうお互い話もついたし、連絡も取ってないから」
「それきり?」
「そ、もう終わったことだって」
お茶碗に視線を逃がしながら簡潔に答えていく。事後報告だけして、早くこの話題は終わらせたい。お金面やら何やらまで報告を終えて一息吐いてると、妹が顎を机につけながら此方を見上げた。
「何」
「んー、べつにー」
もっきゅもっきゅといつの間にか1人で全部食べそうな妹からバナナを奪っていると、母が頬に手を当てはぁっとため息を吐く。
「それにしても、私はてっきりあんたたちが結婚するもんだとばっかり思ってたわ。まぁあんたも腐れ縁ってだけで結婚の気がなかったってんなら仕方ないかねぇ。別に村の人らのことなんて気にせずさっさと好きに解消すればよかったのに」
「そしたらさっきみたいに何で何で攻撃やら見合い話が来るでしょ。別にお互いにいい相手がいなかったんだからいいのよ」
「確かに結婚の話やら惚気話やらは全然してなかったけど…。はぁ、今時そういうものだと思ってすっかり騙されたわ。でもお父さんなんか娘を馬鹿にして!ってかんかんだったわよ」
「説明したのにまだ怒ってるの?」
「そりゃお父さんだっててっきり息子になるもんだと思って可愛がってたんだから裏切られたって思うだろうし、あんたも27よ? これから相手を探すなんて気が気がじゃないんだから怒りたくもなるわよ」
みかんをぱかっぱかっと割って皮を剥がしていく母。桂剥きなるみかんをただ早く食べる為だけに編み出された和歌山流の剥き方でひたすら量産している。母流のもやもや解消法だ。
騙された、裏切られたという言葉が胸の内を小さく引っ掻く。一つみかんを貰いながら苦笑いを隠す。家族には私にもそもそも結婚の意思はなかったとしておいた。
勿論なければ契約書やらの効力がなくなるので、そこは今まで付き合った分だからお金は貰ったとしてある。あまり村から出ない世間に疎めの母はそれで納得してくれたのだ。父の方は、どうやら騙されてはくれてないのかもしれないが。
うー、家族会議とかになったら嫌だなぁ、憂鬱だ。
アイツには、このフォローについては言ってない。フォローというか、私がもうこの話はこれでお仕舞いとしたかったから言ってるのだし、婚約破棄された可哀想な女よりもお金やら見合い回避やらとちゃっかりした女の方がまだ格好いいではないか。
一応平謝りの電話が雄輔のご両親から掛かってきた時にもそのフォローを入れたので、そこまで婚約破棄だなんだと大事になってない筈だけど。
別に母たちは雄輔達と連絡を取ってはいないらしいのでバレやしないだろうとたかを括っていると、妹がぽいっとみかんを投げてきた。ベルトコンベアーの如く胃袋にその他のみかんは入っているが、それにしてもこの食欲魔人がくれるとは珍しい。
「姉やんってさぁー」
「さっきから何よ」
もっきゅもっきゅと半眼の妹の動く口を眺めていると、母がちょっと出てくるわと立ち上がった。どうやらもうすぐ父も帰ってくるらしい。若干憂鬱になる。窓から見える外は冬至が近いこともあって既にとっぷりと暗くなっている。
テレビに雪景色が現れるのを何とはなしに眺め、お茶碗に二杯目の寄せ鍋を入れていると、程なくして玄関のドアが開く音が聞こえた。
「ただいま~」
「帰ったぞ」
軽い母の声と低めな父の声。おかえりーと父用にもう一杯よそっていると、さらにその後ろから耳を疑いたくなる程聞き慣れた声と可愛らしい声が聞こえた。
「叶恵、ちょっと来なさい」
「お邪魔します…」
普段全く見ない程口元を結んだ父。その後ろに居たのは落ち着かなげな雄輔と、青白い顔をした現婚約者さん。
噂をすれば何とやらですか。くくったたかがもう解けそうで叶恵愕然なのですが
内心ぷるぷるしつつお玉の熱い雫を飛ばして平然と寄せ鍋を見せてみる。
追加であと二杯寄せ鍋よそいましょうか父さん。いらないから早く来い? はい
ダメだった。
大人しく売られる子牛の気分で父の和室へと雄輔と現婚約者さんの後ろに付いて一緒に入っていると、こそこそと後ろに更に母と妹が列に並んだ。どこのカブを抜きにいくのだ。もはや隠れる気ゼロじゃないか。
母、妹よ、狭いけど聞き耳立てるくらいなら入ったらどうですかい
「座りなさい」
「はい」
どうやら笑い話に逃げている場合でもなさそうであり、私もため息を噛んで兜の緒を締め直した。
◇
厳しい顔付きで父は瞑目している。普段の父は真面目で大人しめの人間だ。普段の食卓での会話でも女3人の話を黙って聞き、偶に庭に紛れ込んできた野良猫を縁側で抱っこして日向ぼっこしているような人である。
私自身少し戸惑いながら父の皺の刻まれたその眼鏡越しの顔を伺った。
重苦しい沈黙の口火を切ったのは雄輔であった。
「小林家の皆様には本当によくして頂きました。それをこのような形で返すことになり本当に申し訳ありません」
雄輔と現婚約者の美樹さんが手を付き頭を下げる。母はおろおろし、父は無言。私は一息吐いて敢えていつもどおりに声を掛けた。
「顔を出すなんて聞いてなかったから驚いたわよ。よく逃げなかったわね」
「そりゃ…けじめだしな」
「うわぁ似合わなー。別にそんな畏まらなくていいわよ、あんたはどうか知らないけど元々結婚する気なんてなかったんだし」
「叶恵?」
「なに、そりゃ幼馴染なのに美樹さんのこと一言も相談してくれなかったのはショックだったけどね。あんたみたいな野猿なんてこっちからお断りなんだから逆に安心したわよ。だから、別に父さんもそんな大袈裟にしなくていいんだってば。ね、母さんからも何か言ってやって」
騙しちゃってごめんね?私みたいないい女と結婚できると思った?と雄輔に笑いかければ、こんな時だけ敏い雄輔は驚いた顔で私をみた。痛い子だけどこんな時こそ堂々としてればいいだろう。痛い子万歳。
別にあんたの為じゃないから顔を俯けなくてもいいのに
こんな時くらいアドリブ演技頑張りなさいよ元大根約者め
父さんの顔を伺うと、腕組みを解いた父が拳を握っていた。あぐらの上で握られた拳は少し震えている。こういう重い場面にあまり耐性のない父の声は少し震えていたが、静かに響く声に、茶化そうと言葉を紡ごうとした私は何も言えなくなってしまった。
「雄輔くん、叶恵から話は少し聞いている。その様子だと齟齬があるのかもしれないけど、それについては何も言わないよ」
「…はい」
「見ての通り不器用な子だ。それに一人で上手く隠してしまえるくらい強くて優しい子だ。君たちのことに外野がとやかく言うべきではないかもしれない。ただ幾つになっても僕たちの可愛い娘でね。恋愛面には疎いけれど、これでも親だからね、電話越しで強がっている声くらいわかるんだよ」
雄輔が此方を向くのが分かったが、私はそちらを向けなかった。婚約破棄されて自分の中で少し落ち着いてから家族からの電話を初めて取った日、父は私が泣いて縋りたくなるのを堪えていた精一杯の強がりを見抜いていたということか
俯きたいような、驚いたような泣き笑いたいような、自分でも今どんな顔をしているのか分からない。母と妹に見られるのは居た堪れないし恥ずかしいと、意識して目を閉じる。
「だから、婚約破棄ということに怒っているんじゃない。美樹さんに対しても、僕からは何も言わないからそちらの家族で話し合いなさい。ただ、もっとやりようはあった筈の中で、叶恵を蔑ろにして傷つけた方法を取ったことに僕は怒っている」
「…はい」
父は言いたいことは言い切ったとまた腕を組んで瞑目した。
2人が私の方へ頭を下げる。
「叶恵、今までありがとう。お前を最後に傷つけて悪かった」
母は心配そうに、妹は観察するように現状を見た。私は背筋を伸ばす。深呼吸
そうか、これで終わりか
「2人とも顔を上げて」
雄輔は何処か噛み締める様に、美樹さんは青白い顔のままだけど最後まで屹然とした姿勢でいた。美樹さんの様子に上等じゃないと思う。雄輔は存分に尻に敷かれるがよいわ
「こちらこそ、今までありがとう。私は幸せになるから、あんた達も辛気臭い顔はやめなさいね」
んじゃお先にと、まんま言い逃げを決行してそそくさと和室を出る。
あー恥ずかし!
もうこの年で家族会議とか恥ずかしいったらありゃしない!
ごそごそと動く音に、鉢合わせする前にとさっさと自室への退散を決行する。
荒れたわけではない、時間にして数十分もない程度。
それでも、また一つ一区切りする線が増えたと閉じられる玄関音を聞きながら思った。
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