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第一章:蠢動
第3話:無機質な日常
しおりを挟む無機質な電子音が、鼓膜を直接揺さぶるように鳴り響いた。 午前六時三十分。
AIマザーによる強制的な起床命令だ。
零士は重い瞼をこじ開け、見慣れない天井の染みをぼんやりと見つめた。
昨夜は結局、ほとんど眠れなかった。
遠くで布が擦れるような幻聴と巡回するガーディアンの静かな浮遊音が、交互に意識を苛んだからだ。
食堂へ向かうと、すでに何人かの生徒が集まっていた。
誰もが寝不足そうな顔で目の下の隈が痛々しい。 テーブルには、昨日と寸分違わぬ栄養食のトレーが置かれている。
鬼塚蛮の姿は、まだなかった。
彼の不在は、食堂の空気を奇妙に静まり返らせていた。
暴力という絶対的な権力が消えたことで、新たなパワーバランスが水面下で生まれつつあるのを零士は肌で感じていた。
「おはよう、諸君。 本日の授業は、午前八時より開始します。 遅刻は許容されません」
マザーの声が、食堂のスピーカーから冷ややかに響く。
その声には、労りも、激励も、何の感情も含まれていない。 ただ事実を伝達するだけのプログラムの羅列。
午前八時。 零士は自室の机に向かい、壁のモニターの電源が入るのを見つめていた。
他の生徒たちも、それぞれの監獄で同じようにしているのだろう。
やがてモニターが明滅し、幾何学的な模様と共に『現代文』という文字が浮かび上がった。
『これより、現代文の授業を開始します。
本日のテーマは、芥川龍之介著『羅生門』における下人の心理的変容についてです』
マザーの合成音声が、淡々と文学作品の解説を始める。
それは、恐ろしく正確で、淀みなく、そして絶望的につまらない講義だった。
人間の教師が持つであろう、声の抑揚、熱意、脱線、そういったものが一切存在しない。
ただ、膨大なデータベースから抽出された情報が、無感情に垂れ流されるだけ。
零士は早々に聞くのをやめ、頬杖をついて窓の外を眺めた。
鉄格子の向こうには、昨日と同じ色のない風景が広がっている。
生徒たちの多くも同じようなものだった。
モニターの前で堂々と眠りこける者。
隠れてスマートフォンをいじる者。
爪を噛み、虚空を見つめる者。
しかし、完全に逸脱することは許されない。
数十分おきに、ガーディアンが音もなく廊下を巡回し、部屋のドアにある小さな窓から中を覗いていくのだ。
あまりに不真面目な態度が続くと、部屋の中に警告音が鳴り響き、「学習態度の是正」を勧告される仕組みらしかった。
見えない首輪をつけられた犬だ、と零士は思った。
氷村怜だけは、違っていた。
隣の部屋にいる彼女の姿は見えないが、きっと背筋を伸ばし、モニターに映し出される情報を冷静に分析しているに違いない。
この異常な教育システムそのものを彼女は格好の研究対象として捉えているのだろう。
授業後の僅かな自由時間。
零士は校舎内をあてもなく歩いた。
暴力の王が不在の中、新たな秩序が形成されつつあった。
蛇沼凶一郎は、不安げな表情を浮かべる生徒たちに次々と声をかけ、巧みな話術で懐に入り込もうとしていた。
「心配いらないよ、僕たちは仲間だ」
「力を合わせれば、きっと道は開けるはずさ」
その言葉は甘く、優しい。
だが、彼の目には獲物を見つけた蛇のような狡猾な光が宿っていた。
彼は恐怖を餌にして、新たな群れを作ろうとしているのだ。
女子の間では、鎖木枷夜がその支配力を強めていた。
我妻亞夢を始めとする数人を侍らせ、女王のように振る舞う。
彼女たちの会話は、誰かの悪口か、過去の自慢話か、あるいはこの最悪な状況への不満ばかりだった。
脆い結束で、互いの不安を紛らわしているようにしか見えない。
そんな中、どのグループにも属さず、一人で行動している生徒もいた。
終里暦
自暴自棄な態度で、誰とも口を利こうとしない少女だ。
彼女は、まるで脱獄の機会を窺う長期囚のように、壁の材質を確かめたり、監視カメラの死角を探したりしながら、執拗に校舎内を歩き回っていた。
その終里と、刃渡翔が、敷地の境界線近くで何か話しているのを零士は見かけた。
刃渡が、ポケットから取り出したパチンコ玉を敷地の外へ向かって弾く。
パチンコ玉は境界線から数メートル先で、バチッ! という青白い火花と共に弾け飛んだ。
見えない壁が存在するのだ。
「ダメだ。マザーの言ってた通り、電磁バリアか何かが張られてる。 物理的には絶対に出られねえ! 」
刃渡の絶望的な声が聞こえてきた。
終里は忌々しげに舌打ちすると、踵を返して校舎へと戻っていった。
その日の午後、歴史の授業中だった。
モニターには、日本の稲作文化の発展に関する資料映像が流れていた。
どこまでも続く青々とした水田の風景。
その映像が切り替わる瞬間、一瞬だけ、画面に激しいノイズが走った。
そして、そのノイズの中に別の風景が紛れ込んだ。
――霧のかかった、陰鬱な田んぼ。 その中央に立つ、白い人影。
それは、コンマ数秒にも満たない、サブリミナル映像のようなものだった。
零士は「あっ」と声を出しそうになり、モニターを凝視したが映像はすでに古代の遺跡を映し出していた。
「……今の、なんだ? 」
零士は周囲の気配を探ったが、他の部屋から物音はしない。 誰も気づいていないのか。
それとも、自分だけが見た幻覚なのか。
心臓が、嫌な音を立てて脈打つのを感じた。
授業が終わり、食堂で夕食を終えた後も零士の頭からはあのノイズのことが離れなかった。
校舎の裏手に出ると呪泉ルイが一人、地面にしゃがみこんで何かをしていた。
彼女は、小枝を使って地面に複雑な幾何学模様を描いている。 魔法陣か何かのように見えた。
「何してるんだ」
零士が声をかけると、ルイはゆっくりと顔を上げた。
血の気の失せた白い顔に黒々と縁取られた目が、不気味なほど大きい。
「結界よ」と彼女は囁くような声で言った。
「この土地は、良くない。 古くから、よくないモノに穢されてる。 守りを固めておかないと……招かれざるものが入ってくるから」
「招かれざるもの? 」
「昨日の夜、見たんでしょう?
亞夢だけの気のせいじゃないわ。
私も感じたもの。
遠くから、私たちをジッと『見てる』、粘つくような視線を」
ルイはそう言うと、再び地面の模様に意識を集中させた。
零士は、ルイの言葉に背筋が寒くなるのを感じながら、その場を離れた。
部屋に戻り、ベッドに倒れ込む。
無機質な授業。
形成されていく歪な人間関係。
そして、日常に紛れ込んでくる、じわりとした恐怖の欠片。
授業中のノイズ。
呪泉ルイの警告。
我妻亞夢の怯えきった顔。
バスから見た、あの案山子。
バラバラだった点が、少しずつ繋がり始め、一つの不吉な形を描こうとしている。
その夜、零士は眠りにつこうと目を閉じた。
巡回するガーディアンの浮遊音が、規則正しく廊下を行き来している。
不意に、その音が遠ざかった。
充電か、あるいは別のエリアの巡回か。
完全な静寂が、部屋を支配した。
耳が、ツーンとするほどの静けさ。
その、静寂の底から。
キ……、サ……。
本当に微かな、耳鳴りのような音が聞こえた。
遠くで、本当に遠くで、濡れた絹の布が、コンクリートの床を擦るような音。
――キ……サ……、キサ……、キサ……。
気のせいだ。疲れているんだ。
零士は、シーツを頭まで引き被った。
心臓が肋骨を叩いている。
音は、すぐに聞こえなくなった。
だが、一度意識してしまったその不快な響きは、鼓膜の内側にこびりついて消えてはくれなかった。
この学園の「日常」は、すでに静かに、そして確実に狂い始めていた。
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