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第二章:対決の法廷
第8話 対決の時
しおりを挟む倉田遥が涙ながらに訴え、法廷スタッフに付き添われて退廷した後も、法廷内には重苦しい静寂と、彼女の言葉の持つ痛切な響きが残っていた。
誰もが、声にならない感情を抱えているかのようだ。
やがて、裁判官が静かに口を開き、次の証人として被告・松永健司の名前を呼び上げた。
松永は一瞬、傍聴席に座る御門や、被告席の英里香と視線が合ったが、すぐにそれを逸らし、どこか芝居がかった、しかし内心の動揺を隠しきれないような硬い表情で証言台へと進んだ。
黒いスーツに身を包み、一見すると、どこにでもいる有能なビジネスマンといった風情だが、その内側に潜む傲慢さと歪んだ自己認識が、今日の尋問で白日の下に晒されることになるだろう、と英里香は静かに闘志を燃やした。
まずは、松永側の代理人弁護士による主尋問。弁護士は、あらかじめ打ち合わせされたであろう筋書きに沿って、松永に都合の良いストーリーを語らせていく。
「被告と倉田さんは、日頃から良好な師弟関係にあったのですね?」
「はい。彼女の成長を期待し、熱心に指導していました」
「事件当日、倉田さんの様子はいかがでしたか?」
「少し落ち込んでいるようでしたので、元気づけようと、事業所で少し話をしようと誘いました。彼女も、私を頼ってくれているようでした」
「事業所での行為については、合意があったと認識していた、と?」
「はい。その場の雰囲気や、彼女の態度から、そう判断しました。
決して無理強いしたつもりはありません。
今思えば、私の軽率な行動が誤解を招き、彼女を傷つけてしまったのかもしれないと、深く反省しております」
時折、反省しているかのような神妙な表情を作り、同情を引こうとする意図が見え隠れする。
しかし、その言葉には真実味がなく、空々しく響くだけだった。
主尋問が終わり、いよいよ英里香による反対尋問の番が来た。
英里香は静かに立ち上がり、証言台の松永と真っ直ぐに向き合った。その瞳には、揺るぎない決意と、鋭い知性の光が宿っていた。
「現代、いくつか確認させてください」
英里香の声は、低く、落ち着いていたが、法廷の隅々まで響き渡るような力強さがあった。
まず、事件当日の行動について、細かく質問を重ねていく。
遥の証言との些細な食い違いや、記憶の曖昧さを指摘し、松永の主張の土台を揺さぶり始めた。
そして、核心であるL○NEメッセージへと切り込む。
英里香は証拠として提出されているメッセージのコピーを松永に示した。
「原告は事件翌日、倉田さんに『すまん、わかっていたけど他にテンションを上げる方法が思いつかんかった』と送信していますね ?
先ほどの主尋問では『誤解を招いたことへの反省』のようなことを述べられましたが、この『わかっていた』とは、具体的に何を『わかっていた』のですか ?」
松永は一瞬、言葉に詰まった。
「いや、それは…彼女が仕事で悩んでいるのをわかっていた、という意味で…」
「悩んでいる部下を励ますために、突然キスをするのが、原告の指導方法なのですか ?
一般的な社会通念から著しく逸脱しているとは思いませんか ?」
英里香は間髪入れずに畳み掛ける。
「いや、だから、それは言葉のアヤというか、その場のノリで…」
「ノリ、ですか。倉田さんは深刻な精神的ショックを受け、うつ状態と診断されているのですよ。それを『ノリ』で片付けられますか ?
再度お聞きします。
あなたは何に対して『すまん』と謝罪したのですか ?
あなた自身の行為の、具体的にどの部分が『まずかった』と認識したから、謝罪のメッセージを送ったのですか ?」
英里香の執拗な追及に、松永は額に汗を浮かべ、視線を泳がせた。
明確な答えを避けようとするが、英里香はその逃げ道を許さない。
次に、英里香は「合意」の認識について切り込んだ。
「主尋問で、あなたは『倉田さんの態度から合意があったと判断した』と述べました。
しかし、倉田さんは明確に否定しています。
足を乗せてきたから ? その場の雰囲気 ?
あなたは、上司という絶対的な立場を利用し、部下の、もしかしたら誤解を招くかもしれない些細な行動や、あるいは明確な拒絶がなかったことを盾に、自分に都合よく『合意』があったと解釈し、一方的に行為に及んだのではありませんか ?」
「そんなことは断じてない !
彼女だって、嫌がっている素振りは全く見せなかった!」松永は声を荒らげた。
「『嫌がっている素振りが見えなかった』ことと、『同意があった』ことは全く違います。
あなたは、相手の明確な同意を確認することなく、自身の欲求を優先させた。 そうではないですか?」
英里香の冷静な指摘に、松永はぐっと言葉に詰まる。
さらに英里香は、中野さん(仮名)の陳述書(事前に証拠として提出済み)に言及した。
「あなたは、過去にも、元部下である中野さん(仮名)に対し、執拗な食事の誘いや、業務に関係のない二人きりでの面談要求、容姿に関する不適切な発言などを繰り返していた、と陳述書にありますが、これは事実ですね ?」
「記憶にない ! そんな昔のこと、言いがかりだ!」松永は顔を真っ赤にして否定した。
ここで、それまで静かに双方のやり取りを聞いていた裁判官が、静かに口を開いた。
「原告、本当に記憶にないのですか ?
陳述書には、時期や場所、具体的な言動がかなり詳細に記載されていますが。
もう一度、よく思い出して答えてください」
裁判官からの直接の問いかけに、松永は明らかに狼狽した様子を見せた。
「…いや、その…何か誤解があったのかもしれませんが…」
次々と矛盾を突かれ、裁判官からも疑念を呈された松永は、もはや冷静さを完全に失っていた。
英里香がさらに質問を重ねようとすると、
「だから、そう言ってるだろう ! しつこいな !」
「あなたに俺の何が分かるんだ!」などと、声を荒らげ、弁護士が慌てて制止する場面もあった。
彼の自信に満ちた仮面は剥がれ落ち、自己中心的で感情的な本性が露わになっていた。
英里香は、松永の感情的な反応を冷静に見据えながら、反対尋問の最後に、決定的な問いを投げかけた。その声は静かだったが、法廷内の誰もが息をのむような重みがあった。
「原告。あなたは今日、この法廷で、倉田さんが涙ながらに語った証言を、その耳で聞きましたね。
彼女の苦しみ、悲痛な叫びを聞いて、それでもなお、あなたはご自身の行為が『合意の上』であり、何ら問題のないものだったと、本気で主張されるのですか ?
被害者の苦しみに対し、あなたの心は、少しも痛まないのですか ?」
英里香の問いかけに、法廷は水を打ったように静まり返った。
松永は、顔をこわばらせ、何かを言い返そうと口を開きかけたが、結局、言葉を発することはできなかった。
ただ、ぐっと唇を噛みしめ、俯くだけだった。
その沈黙は、どんな饒舌な弁解よりも雄弁に彼の内心を物語っているように思われた。
あるいは、ほんのわずかながら、彼の中に残っていたかもしれない良心の呵責が、声になることを拒んだのかもしれない。
松永の尋問が終了し、裁判官が閉廷を告げた。
彼の証言は説得力を完全に失い、もはや「合意があった」という主張を維持することは困難だろう。
傍聴席の御門が、英里香に向かって小さく、しかし確かに頷くのが見えた。
橘弁護士も、安堵の表情を浮かべている。
英里香は、尋問の成果に確かな手応えを感じていた。
しかし、まだ終わったわけではない。
最終弁論、そして判決。 勝利は手の届くところまで来ているかもしれないが、最後まで油断することなく、最善を尽くさなければならない。
英里香は気を引き締め、法廷を後にした。
空はいつの間にか、梅雨入りを告げるような灰色の雲に覆われ始めていた。
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