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第四章:虚構の断罪者
第17話 見え始めた光
しおりを挟む深夜の大江戸グループ研究所。静まり返った分析室に、微かな電子音と共に、モニターのグラフが最終的なパターンを描き出した。
食い入るように画面を見つめていた巧の目が、大きく見開かれた。
隣で固唾を飲んで見守っていたジャンヌも、思わず息をのむ。
「…出た…!」
巧の声は、興奮と驚愕でわずかに震えていた。
長期間にわたる劣化と汚染という困難な壁を乗り越え、鈴木一郎のものとされるシャツに付着していた微細な血痕から、ついに検出されたのだ。
一郎本人とは異なる、第三者のミトコンドリアDNAの塩基配列パターンが。
「やった…やったわ、タクミ!」
ジャンヌが思わず巧の手を握る。
巧も、普段の冷静さを忘れ、安堵と達成感から深い息をついた。
30年前の事件現場に、一郎以外の何者かが存在したことを示す、動かしがたい科学的証拠。
それは、厚い司法の壁に風穴を開ける、決定的な一撃となる可能性を秘めていた。
「すぐに英里香に連絡を !」
夜明け前の研究所に、希望の光が差し込んだ瞬間だった。
その報せを受けた英里香は、まさに「消えた証人」の居場所を突き止め、その人物に会うためにA市郊外の古いアパートの前に立っていた。
明日菜と天音の情報収集能力が、事件後に姿を消した元味噌会社の経理担当・中村和恵(仮名)の現在の住まいを特定したのだ。
ドアをノックすると、やつれた様子の、しかし芯の強さを感じさせる初老の女性が顔を出した。
中村和恵さん本人だった。
英里香が身分を明かし、鈴木一郎事件の再審請求のために話を聞きたいと告げると、彼女の顔は恐怖と拒絶の色に染まった。
「お断りします !
あの事件のことは、もう思い出したくもないんです… !
どうか、そっとしておいてください !」
ドアを閉めようとする和恵さんの腕を、英里香は咄嗟に掴んだ。
「お願いします、中村さん !
あなたの証言が、無実の罪で30年間苦しんできた鈴木さんを救う唯一の手がかりになるかもしれないんです !」
「でも……話せば、また私や家族に危険が及ぶかもしれない…! 当時だって、警察や会社から、どれだけ圧力を受けたか…… !」
和恵さんの目には涙が浮かんでいた。
事件当時、彼女は会社の不透明な金の流れに気づき、それを警察に証言しようとした。
しかし、何者かからの脅迫めいた圧力と、警察自身の非協力的な態度によって証言を断念させられ、退職を余儀なくされたのだという。
以来、彼女はずっと恐怖と後悔の念に苛まれてきたのだ。
「あなたの恐怖は、痛いほど分かります。
ですが、ここで真実から目を背ければ、あなたは一生後悔し続けることになる。
そして、鈴木さんは…」
英里香は、和恵さんの目を真っ直ぐに見つめて訴えた。
「私たちは、全力であなたを守ります。
あなたの勇気が、この理不尽な状況を変える力になるんです。
どうか、私たちと一緒に戦ってください!」
英里香の真摯な言葉と、瞳の奥に宿る強い意志。
和恵さんは、しばらくの間、葛藤するように俯いていたが、やがて顔を上げ震える声で言った。
「……分かりました。 お話しします。 私が知っている、すべてのことを」
それは、長年の恐怖を乗り越えた、勇気ある決断だった。
数日後、御門法律事務所の会議室には、再び英里香、嵐、巧、そしてモニター越しの明日菜たちが集まっていた。
空気は以前とは違い、確かな手応えと高揚感に満ちている。
「第三者のDNA検出、そして中村和恵さんの証言協力取り付け…大きな前進だわ!」
英里香が、興奮気味に切り出した。
「中村さんの証言は衝撃的だった。
彼女は当時、専務が会社の裏金作りに関与しており、その金を巡って、ある人物……専務と対立していた例の元役員と激しく揉めていたのを目撃していたそうだ。
さらに、事件直前には専務がその裏金に関する証拠をどこかに隠した、という話も耳にしていたらしい」
「裏金……やはり、ジャンヌ君の仮説通り、会社の不正が事件の背景にあった可能性が高いな」
巧が頷く。
「そして、由利凛が見つけたメールの断片…『例の件、処理完了…秘密が漏れることは…』『鈴木一郎…利用価値あり…』。これらを繋ぎ合わせると、専務を口封じのために殺害し、その罪を、扱いやすい従業員だった鈴木一郎になすりつけようとした…そんな構図が見えてくる」
嵐が、鋭い刑事の目で推理を述べる。
「真犯人は、その元役員である可能性が極めて高い。中村さんの証言によれば、彼は事件当日、『体調不良で会社を休んでいた』ことになっているが、アリバイは曖昧だ」英里香が付け加えた。
第三者のDNA、新たな証言、状況証拠、そして動機。
パズルのピースが一つ一つ嵌まっていき、30年間隠されてきた事件の真相が、いよいよその輪郭を現し始めていた。
「ここまで証拠が揃えば、検察も無視できないはずよ」
明日菜がモニター越しに力強く言う。
「英里香、次は検察庁ね。未開示資料の全面開示を、改めて強く要求するのよ」
「ええ、そのつもりよ」
英里香は頷き、決意を新たにした。
翌日、英里香は検察庁を訪れ、鈴木一郎事件の担当検事と対峙していた。
冷静に、しかし毅然とした態度で新たに得られた証拠、特に第三者のDNA鑑定結果を示し、当時の捜査資料(指紋鑑定記録、未送致とされた証拠品リスト、取り調べ録音テープなど)の全面開示を要求した。
「これらの新証拠は、鈴木さんの無実と、真犯人の存在を強く示唆するものです。
検察庁には、速やかに全ての証拠を開示し、公正な再審手続きにご協力いただく義務があるはずです」
しかし、担当検事は顔色一つ変えず、書類に目を落としたまま、冷ややかに言い放った。
「弁護士が持ち込んできた『新証拠』なるものの信憑性は、極めて疑わしいと言わざるを得ませんな。
DNA鑑定は汚染の可能性も否定できない。
証人の記憶など、30年も経てば当てにならない。証拠開示の必要性は認められません 」
「ふざけないでください !
これは明白な証拠隠しです !
真実から目を背け、組織の体面を守ろうというのですか !」
思わず声を荒らげた英里香に対し、検事は鼻で笑うように言った。
「感情的になられては困りますな、大江戸先生。我々は法と証拠に基づき、粛々と手続きを進めるまでです。 お引き取りください」
交渉は決裂した。
検察の壁は、依然として高く厚い。
しかし、英里香の心は折れていなかった。
むしろ、その不誠実な対応に、闘志はさらに燃え上がっていた。
(見てなさい…必ず、あなたたちの隠した真実を、白日の下に晒してみせる…!)
その頃、大江戸グループ研究所では、DNA鑑定成功の祝杯(?)をあげようと、由利凛が試験管に入った虹色の液体を振り混ぜていた。
「ふふん、やはり妾の『幸運を呼ぶポーション』が効いたのじゃな! さあ、祝杯じゃ!」
由利凛が、その怪しげな液体をフラスコに移し替えようとした瞬間、ボフンッ!と音を立てて、フラスコから紫色の煙が噴き出し、天井のスプリンクラーが誤作動を起こした!
「わわわっ! また失敗じゃー!」
研究室は、たちまち水浸しと紫色の煙に包まれた。
駆けつけた巧は、頭を抱えて天を仰いだ。
「……由利凛、頼むから、もう何もするな……!」
確かな光が見え始めた一方で、相変わらずの騒動も絶えない。
しかし、どんな困難や邪魔(?)があろうとも、英里香たちの決意は揺るがない。
再審請求への道筋は、確実に見えてきたのだ。
次なる戦いは、法廷での検察との全面対決だ。
英里香は、気を引き締め、次の一手に備えるのだった。
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