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第四章:虚構の断罪者
第19話 開かれた法廷
しおりを挟む季節は巡り、うだるような暑さの夏が過ぎ、秋風が吹き始めた頃。
東京高等裁判所の一室には、あの日の再審請求から続く、長い緊張感が再び満ちていた。
今日は、鈴木一郎の再審請求に対する、裁判所の決定が言い渡される日だ。
弁護人席には英里香と御門、そして弁護団の面々が固唾を飲んで座っている。
傍聴席は、支援者や報道陣で埋め尽くされ、その中には嵐、巧、ジャンヌ、蝶子、明日菜、天音、そして由利子の姿もあった。
もちろん、一番前の席には、祈るような表情で固く手を握りしめる鈴木トメ子さんの姿がある。
検察官席の検事は、硬い表情を崩さないまま、静かに裁判官の入廷を待っていた。
三者協議で繰り返された激しい応酬。
検察側は、最後まで新証拠の価値を認めず、再審請求の棄却を求めていた。
果たして、裁判所はどのような判断を下すのか。 誰もが、息を詰めてその瞬間を待っていた。
やがて、廷吏の声が響き、全員が起立する。
裁判長以下三名の裁判官が、厳粛な面持ちで法壇に着席した。
法廷内が静まり返る。
裁判長は、手元の分厚い決定書に目を落とし、ゆっくりと、しかし明瞭な声で主文を読み上げた。
「主文。本件再審請求について、裁判所は、再審を開始する」
瞬間、法廷内に、まるで堰を切ったような声にならない声が満ちた。
「…… !」
トメ子さんは、嗚咽と共にその場に崩れ落ちそうになり、隣にいた支援者に支えられた。
とめどなく流れる涙が、彼女の深く刻まれた皺を伝っていく。
30年。
あまりにも長かった苦闘の末に、ようやく掴んだ希望の光だった。
傍聴席の嵐や巧たちも、互いに顔を見合わせ、安堵の息をつき、固く握手を交わした。
ジャンヌや蝶子の目にも、光るものが見える。
英里香は、込み上げてくる熱いものをぐっとこらえ、隣の御門と視線を交わした。
御門は静かに、しかし力強く頷き返した。
やったのだ。 重く厚い再審の扉を、ついにこじ開けたのだ。
裁判長は、続けて決定理由の要旨を述べ始めた。
「……弁護側から提出されたDNA鑑定結果は、最新の科学的知見に基づくものであり、その信用性は十分に認められる。
本鑑定結果は、確定判決が認定した事実、すなわち、事件現場に存在したのは被告人のみであったという事実に、合理的な疑いを生じさせるに足る新証拠と評価できる。
また、新たな証人の供述も、その内容は具体的であり、他の証拠との整合性も認められ、確定判決の事実認定に重大な影響を与えうるものと判断する。
……これらの新証拠に照らせば、『疑わしきは被告人の利益に』という刑事裁判の鉄則に基づき、本件について再審を開始するのが相当である……」
裁判所の判断は、弁護側の主張を全面的に認めるものだった。
検察側が執拗に繰り返した反論は、ことごとく退けられた。
決定言い渡しが終わり、裁判官が退廷すると、法廷内は抑えきれない歓喜と祝福の声に包まれた。
「先生! ありがとうございます! 本当に…!」
トメ子さんが、涙ながらに英里香の手を握りしめる。
「トメ子さん…! よかった…本当によかった……!」
英里香も、その手を強く握り返し、共に涙を流した。
しかし、検察はすぐさまこの決定を不服とし、最高裁判所に特別抗告を行った。
再び、暗雲が垂れ込めるかと思われたが、世論の後押しもあり、最高裁は異例の速さで検察の抗告を棄却。
これにより、鈴木一郎の再審開始は法的に確定した。
ついに、30年の時を経て、真実を明らかにするための法廷が開かれるのだ。
喜びも束の間、英里香たち弁護団は、すぐに再審公判に向けた準備に取り掛かった。
場所は、事件が起きたA市の地方裁判所。
東京から離れた場所での長期戦になる可能性もある。
御門法律事務所では、連日、再審公判の戦略会議が開かれた。
「再審公判では、我々弁護側が、鈴木さんの無罪を改めて立証していく必要がある。
検察側は、依然として有罪を主張してくるだろう。
おそらく、確定判決の枠組みを維持しようと、新証拠の信用性を徹底的に争ってくるはずだ」
御門が冷静に状況を分析する。
「はい。DNA鑑定の正当性、新証人の証言の信用性を、改めて法廷で証明しなければなりません。 巧兄さんのシミュレーション映像も、効果的に使いたいと思います」
英里香が、立証計画の骨子を説明する。
「真犯人の可能性についても、どこまで踏み込むか……難しい判断だな」
嵐が腕を組む。
再審公判の目的は、あくまで鈴木一郎の無罪証明であり、真犯人を特定することではない。
しかし、真犯人の存在を示唆することは、一郎の無罪を補強する上で有効な戦術となりうる。
「巧、DNA鑑定のデータ、シミュレーション映像の最終準備は?」
「問題ない。いつでも提出できるよ」
「中村和恵さんとの打ち合わせも進んでいます。彼女は、法廷で真実を語る覚悟を決めてくれています」
チーム一丸となって、再審公判への準備が着々と進められていく。
そんな中、英里香は東京拘置所にいる鈴木一郎と面会した。
再審開始決定の報を受け、彼の表情には以前にはなかった生気が戻っていたが、同時に長年の拘禁生活が刻み込んだ深い疲労と、これから始まる新たな戦いへの不安も見て取れた。
「先生……本当に、俺なんかのために…ありがとうございます…」一郎は、か細い声で礼を言った。「でも……また、昔みたいに、信じてもらえなかったらどうしようって…怖くなるんです……」
「大丈夫ですよ、鈴木さん」
英里香は、穏やかに、しかし力強く言った。
「私たちは、あなたを信じています。
そして、今度こそ、真実を証明するための武器を手にしています。
法廷では、私たちが全力であなたを守ります。
あなたは、ただ、ありのままを話せばいいんです」
英里香の言葉に、一郎の目に、かすかな、しかし確かな光が灯った。
一方、その頃。御門法律事務所の屋上では、再審開始決定の喜びに沸く潮来由利凛が何やら怪しげな筒状の物体を設置していた。
「ふははは! 歴史的快挙じゃ! 祝・再審開始! 妾が開発した、七色の『真実究明・祝賀花火』で、盛大に祝砲をあげるのじゃー!」
由利凛が、得意げに点火スイッチに手を伸ばした瞬間、背後から氷のように冷たい声がかかった。
「……由利凛。あなた、そこで何をしているのかしら?」
声の主は、明日菜だった。
その隣には、仁王立ちで由利凛を睨みつける母・由利子の姿も。
「ひぃぃぃっ! あ、明日菜ちゃん! お母ちゃん ! こ、これは、その、ささやかなお祝いで……」
「ささやか ?
この許可なく改造された違法花火(?)が ?
近隣から苦情が来たらどうするの !
大体、あなたはいつも…!」
明日菜の冷静な(しかし怒りに満ちた)説教が始まる。
「まったく、この子は…! 喜びを表す方法が、なぜこうも騒々しいのか!」
由利子のため息が響く。
「うぅ…そんなぁ……」
結局、由利凛の祝賀花火は、打ち上げられることなく、明日菜によって「没収」された。
ともあれ、長く閉ざされていた扉は、ついに開かれた。目指すは、A市の地方裁判所。
そこで行われる再審公判で、30年間「殺人犯」の烙印を押され続けてきた男の無実を証明すること。
英里香は、新たな決意と、支えてくれる仲間たちの存在を胸に、次なる戦いの舞台へと向かう準備を進めるのだった。
本当の戦いは、これから始まるのだ。
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