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第四章:虚構の断罪者
第20話 真実の行方
しおりを挟む秋晴れの空の下、静岡県A市の地方裁判所には、早朝から多くの人々が詰めかけていた。
鈴木一郎の再審公判初日。
30年の時を経て開かれる真実究明の場を一目見ようと、報道陣や支援者、そして一般の傍聴希望者が長い列を作っていた。
法廷内は、異様な熱気と緊張感に包まれている。
弁護人席に座る英里香は、深く息を吸い込み、心を落ち着かせた。
隣には御門、そして弁護団のメンバーが並ぶ。
検察官席には、高裁での三者協議でも対峙した、あの冷徹な表情の検事が座っている。
そして、被告人席……正確には「再審被告人」席には、硬い表情で、しかしどこか一点を見つめるように座る鈴木一郎の姿があった。
彼の人生が、この法廷で再び裁かれようとしている。
傍聴席の最前列には、トメ子さんが支援者に支えられながら座り、固唾を飲んで開廷を待っている。
嵐、巧、ジャンヌ、蝶子、明日菜、天音、由利子も、それぞれの思いを胸に英里香たちの戦いを見守っていた。
その中に、なぜか熱心に手元のノートに何かを書き込んでいる由利凛の姿も見える。
一体何をメモしているのやら……。
やがて、裁判長が入廷し、開廷が宣言された。再審公判の火蓋が切って落とされたのだ。
まず、英里香が立ち上がり、冒頭陳述を行った。
「弁護人は、本再審公判において、鈴木一郎氏がA市一家惨殺事件について無実であることを明らかにします。
確定判決は、不確かな物的証拠と違法な取り調べによって強要された疑いのある自白に基づいた、重大な事実誤認によるものです。
我々は、新たに発見された科学的証拠、及びこれまで闇に葬られてきた証言に基づき、鈴木氏の無実を証明するとともに、事件の真相に光を当てるべく、全力を尽くします」
英里香の声は、静かだが、確信に満ちて法廷内に響き渡った。
続いて、証拠調べが開始された。
弁護側が最初に申請した証人は、DNA鑑定を担当した大江戸グループ研究所の主任研究員だった。
証言台に立った研究員は、巧が補佐しながら作成した詳細な資料と分かりやすいスライドを用いて、今回のDNA再鑑定のプロセスと結果を説明した。
「……鈴木氏のものとされるシャツに付着していた血痕から、鈴木氏とは異なる第三者のミトコンドリアDNA型が明確に検出されました。
これは、30年前の証拠ではありますが、最新の技術と厳密な管理下で行われた鑑定であり、汚染の可能性は極めて低いと断言できます。
この結果は、事件現場に鈴木氏以外の人物が存在したことを強く示唆するものです」
検察官は、反対尋問で鑑定手法の僅かな瑕疵や、ミトコンドリアDNA鑑定の限界などを執拗に突き、証拠の信用性を揺さぶろうとした。
しかし、研究員は巧のサポートを受けながら、専門家として冷静かつ的確に反論し、鑑定結果の客観性と科学的妥当性を揺るがせなかった。
次に証言台に立ったのは、元味噌会社経理担当の中村和恵さんだった。
彼女は、緊張で顔をこわばらせながらも、英里香の優しい問いかけに導かれ、震える声で語り始めた。
「……事件当時、私は会社の経理を担当しておりました。
その中で、専務が会社の資金を不正に流用し、裏金を作っていることに気づいてしまったんです……」
和恵さんは、裏金の存在、それを巡る専務と例の元役員との間の激しい対立、そして事件直前に専務が何かに怯え、「証拠を隠した」と漏らしていたことなどを、具体的に証言した。
さらに、警察にそのことを話そうとした際に受けた圧力についても、涙ながらに語った。
「……『余計なことを話すと、あなたのためにならない』と……会社の上司からも、警察の方からも、そう言われました……。
怖くて、真実を話すことができませんでした……。
ずっと、ずっと後悔していました……」
検察官は、反対尋問で和恵さんの記憶の曖昧さや、証言の信憑性を攻撃した。
「30年も前のことを、なぜ今更そんなに詳しく覚えているのですか ?
あなたの個人的な恨みや、弁護士に誘導された記憶ではないのですか?」
その侮辱的な質問に、英里香が鋭く立ち上がった。
「異議あり! 質問は証人の人格を不当に貶めるものです!」
裁判長は異議を認め、検察官に注意を与えた。和恵さんは涙を拭い、気丈にも顔を上げて答えた。
「忘れることなどできませんでした。
私のせいで、無実の人が苦しんでいるかもしれない……その思いが、30年間ずっと私を苛んでいたからです !」
彼女の魂の叫びは、法廷にいる多くの人々の心を揺さぶった。
続いて、巧が証言台に立ち、自ら作成したコンピューターシミュレーション映像を用いて、事件当日の状況を解説した。
「……こちらをご覧ください。
これは、現場の見取り図、当時の気象データ、そして鈴木さんの身体能力などを基に、公式記録にある犯行……寮を抜け出し、専務宅に侵入、犯行に及び、証拠隠滅後、寮に戻ることを再現したものです。
ご覧の通り、最も効率的なルートを通ったとしても、物理的に極めて困難、不可能に近いことが分かります」
視覚的に示された犯行の不可能性は、説得力を持って傍聴席にも伝わった。
さらに弁護側は、当時の捜査がいかに強引で、自白偏重であったかを立証するため、嵐と蝶子が入手した元捜査員の証言(書面)や、自白の任意性・信用性に疑義を生じさせる心理学者の意見書などを提出。
確定判決の根幹である「自白」そのものを、根底から揺さぶっていく。
再審公判は、まだ始まったばかりだ。
しかし、次々と繰り出される新証拠と、説得力のある証言によって法廷の空気は確実に変わり始めていた。
検察官の表情には焦りの色が浮かび始め、裁判官も、より深く事実関係を探ろうと、鋭い質問を投げかける場面が増えてきた。
被告人席の鈴木一郎は、固唾を飲んで審理の行方を見守っている。
彼の目に宿る光は、絶望から微かな希望へと、少しずつ、しかし確実に変わりつつあるように見えた。
真実の行方は、まだ誰にも分からない。
しかし、30年間閉ざされてきた闇に、確かな光が差し込み始めていることだけは、間違いなかった。
英里香は次なる証人尋問に向けて、気を引き締め、ペンを握り直した。
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