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第五章:償いの天秤
第24話 誠実さの証明
しおりを挟む数日後、英里香は上越新幹線を降り立ち、信濃川が流れる新潟市の空気を吸い込んでいた。
中村誠との打ち合わせを経て、彼の長年の勤務実態と人柄を裏付ける証言を集めるため、彼の地元である新潟県の、とある地方都市へと足を運んだのだ。
駅前で待っていた中村の表情は、前回より幾分か和らいで見えたが、それでも緊張の色は隠せない。
「先生、わざわざこんな遠くまで…本当に、すみません」
「いいえ、当然のことです。さあ、行きましょう。まず、どちらから伺いますか?」
英里香は力強く頷き、中村の案内で調査を開始した。
最初に訪れたのは、中村が長年勤めた公立高校だった。
放課後の校舎には、部活動に励む生徒たちの活気ある声が響いている。
応接室で待っていると、定年を間近に控えた様子のベテラン教頭と、中村の元同僚だった数名の教師が顔を見せた。
「中村先生が…いや、本当に驚きました。あんな真面目な方が、どうして…」
教頭は、複雑な表情で溜息をついた。
「本当に、生徒一人ひとりに丁寧に向き合う先生でしたよ」
と、年配の女性教師が口火を切った。
「特に、勉強が苦手な子や、少し問題を抱えている子に対しても、決して見捨てることなく、根気強く指導されていました。『どの子にも、輝ける場所があるはずだ』って、いつも仰ってましたね」
「サッカー部の顧問としても、熱心でした」
と、若い男性教師が続く。
「自分の休みを返上して、練習や遠征に付きっきりで。マイクロバスの免許まで取って、自ら運転して生徒たちを運んでいました。
生徒からの信頼も厚かったですよ」
彼らの言葉からは、中村誠という教師が、いかに教育現場に情熱を注ぎ、生徒や同僚から慕われていたかがひしひしと伝わってきた。
英里香は、彼らの証言を一つ一つ丁寧にメモに取る。
これは、法廷で中村の「情状」を訴える上で、重要な武器になるはずだ。
次に訪ねたのは、中村の教え子たちが開いてくれた小さな同窓会のような席だった。
すでに社会人として活躍する彼らは、恩師の窮状を知り、協力を申し出てくれたのだ。
「中村先生には、本当に感謝しています。
私が高校を辞めずに卒業できたのは、先生のおかげです」
少しやんちゃそうな雰囲気の青年が、真剣な表情で語る。
彼は家庭の事情で荒れていた時期があったが、中村が親身になって相談に乗り、励まし続けてくれたのだという。
「進路相談でも、すごく親身になってくれて。
私の夢を、最後まで応援してくれました」
と、別の女性が微笑む。
彼らの口から語られるエピソードは、どれも中村の温かく誠実な人柄を物語っていた。
英里香は、彼らの言葉に耳を傾けながら、改めて「この人を、このまま終わらせてはいけない」という思いを強くした。
しかし、調査を進める中で、厳しい現実も突きつけられる。
英里香が新潟県教育委員会に、今回の処分の詳細な根拠や、過去の類似事例における処分内容について問い合わせると、担当者はマニュアル通りの冷たい対応に終始した。
「懲戒処分につきましては、地方公務員法及び県の条例に基づき、厳正に判断しております。個別事案の詳細については、個人情報保護の観点からお答えできません」
さらに、新潟県側は「飲酒運転根絶に向けた取り組み」として、中村が事故を起こす約9ヶ月前に、全教職員に向けて「飲酒運転に対する厳格な対応」を明記した通達文書を出していたことを強調してきた。
これは、県側が「注意喚起をしていたにも関わらず、それを無視した悪質な行為」として、処分の正当性を主張する強力な根拠となりうる。
「やはり、組織の壁は厚いわね…」
英里香は、資料を前に溜息をついた。
その夜、ホテルで報告書をまとめている英里香の元に、兄の嵐から連絡が入った。
『英里香か ? 例の件、少しだけだが情報が入ったぞ』
電話の向こうの嵐の声は、相変わらずぶっきらぼうだが、どこか妹を気遣う響きがあった。
『警視庁管内や、他の県の事例だがな…公務員の飲酒運転(物損)だと、停職3ヶ月とか、減給とかで済んでるケースも確かにある。だがな……』
嵐は言葉を続けた。
『教師はやっぱり、立場が違うんだよ。
子供たちの模範となるべき存在だからな。
警察官だって世間の目は厳しいが、それ以上かもしれない。
それに、その新潟県の「厳格対応」って通達が出てたってのが、かなり厄介だぞ』
「…分かってるわよ。ありがとう、お兄ちゃん。参考にする」
嵐の言葉は、英里香が感じていた懸念を裏付けるものだった。
渋々ながらも協力してくれる兄に、素直に礼を言う。
続けて、巧からも連絡があった。
『英里香、頼まれていたシミュレーションデータができたよ。 中村さんの退職金が全額不支給になった場合の、65歳以降の収支予測だ』
送られてきたデータは衝撃的だった。
年金の受給額だけでは、最低限度の生活すら維持するのが困難になる可能性が高いことを示していた。
特に、もしもの病気や介護が必要になった場合、経済的な破綻は避けられないだろう。
『退職金は、単なる功労報奨じゃない。
老後の生活保障という側面が非常に大きいんだ。それを全額奪うというのは、生存権に関わる問題とも言えるかもしれない』
巧の冷静な分析が、処分の過酷さを客観的に裏付けていた。
様々な情報が集まり、法廷での戦略が見え始めてきた矢先、英里香のスマートフォンがけたたましい着信音を鳴らした。
表示は「潮来由利凛」。
英里香は嫌な予感を覚えつつ、通話ボタンを押した。
『もしもし、英里香ちゃ~ん!
聞いてくれなのじゃ!
妾、ついに完成させたぞ!
その名も「絶対反省してるでしょメーター」じゃ!』
受話器の向こうから、いつものハイテンションな声が響く。
『これを中村さんに装着すれば、脳波から反省の度合いを99.9%の精度で測定できるのじゃ !
これで裁判官もイチコロじゃぞ !
今すぐ新潟に送るのじゃ !』
「……いらないわよ! そんな怪しげなもの!
大体ね、反省の気持ちはメーターで測るものじゃないの !」
英里香は、こめかみを押さえながら電話を切った。
あのお騒がせ発明家は、いつもながら斜め上の発想で事態を引っ掻き回そうとする。
(…まあ、少しは気が紛れたけど)
英里香は苦笑し、再び資料に目を戻した。
集まった証言、県の強硬な姿勢、兄と弟からの情報、そして由利凛の(役に立たない)発明。
全てを整理し、来るべき法廷に備えなければならない。
中村誠の誠実さは、多くの人が証明してくれた。しかし、それを組織の論理と社会の厳しい目がどう判断するのか。
英里香は、新潟市の夜景を見下ろしながら、法廷での厳しい戦いを覚悟し、静かに闘志を燃やすのだった。
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