【完結】ツンデレお嬢様弁護士は奮闘中! ~法と人情で悪を裁く! ~

月影 流詩亜

文字の大きさ
30 / 63
第五章:償いの天秤

第27話 高裁の壁

しおりを挟む

 冬の厳しい寒さが、首都東京の喧騒けんそうを包み込んでいた。
 東京高等裁判所の荘厳な建物は、その寒さの中で一層重々しく、訪れる者に威圧感を与える。英里香は、コートの襟を立て、隣を歩く中村誠に声をかけた。

「中村さん、いよいよ高裁の第一回期日ですね。地裁とは雰囲気が違うかもしれませんが、やることは同じです。
私たちの主張を、堂々と伝えましょう」

「…はい。先生、よろしくお願いします」

 中村の声は小さく、表情も硬い。
 地裁での一部勝訴という僅かな光も、県の控訴という現実の前に、再びかき消されそうになっている。
 彼の心労は察するに余りある。

 法廷内は、地裁よりもさらに厳粛げんしゅくな空気に満ちていた。
 高い天井、使い込まれた調度品、そして正面に座る三人の裁判官。
 その視線は鋭く、英里香は自然と背筋が伸びるのを感じた。
 新潟県側の代理人も、地裁とは別の、より老獪そうな弁護士に代わっている。県の本気度がうかがえた。
 控訴審の口頭弁論が始まった。
 まず、県側の代理人が立ち上がり、地裁判決を痛烈に批判した。

「第一審判決は、飲酒運転という行為の悪質性、及びそれが教育現場に与える深刻な影響を著しく軽視したものであり、到底容認できません。
 飲酒運転根絶は、新潟県民全体の悲願であり、社会的な要請であります…… にも関わらず、事前に厳格対応を通達していた教職員の行為に対し、安易に退職金の一部支給を認めることは、県の取り組みを骨抜きにし、他の教職員への示しがつきません。
 他の都道府県においても、同様の事案でより厳しい処分が下されている例は多数存在します!」

 代理人は、いくつかの判例を挙げ、処分の正当性を滔々とうとうと述べ立てた。
 その主張は、個人の事情よりも組織の論理と社会的な規範を優先するものだった。

 次に英里香が反論に立った。

「控訴人の主張は、形式的な厳罰化に終始し、本件の個別具体的な事情を全く考慮していません。  第一審判決が認定した通り、被控訴人・中村誠は、30年以上にわたり教育現場に貢献し、生徒・同僚から厚い信頼を得てきました。
 本件事故は物損にとどまり、被控訴人は深く反省しております。これらの事実を総合的に評価すれば、退職金の全額不支給という処分が、著しく均衡きんこうを欠き、過酷であることは明らかです。
 他の公務員の処分事例と比較しても、本件処分が突出して重いことは、第一審で提出した証拠が示しております。
 処分の公平性の観点からも、第一審判決は維持されるべきです」

 英里香は、地裁での主張を軸に、さらに裁量権の逸脱・濫用に関する法的論点を補強し、冷静に、しかし毅然きぜんと反論した。

 英里香は、この日のために準備した新たな書証も提出した。
 それは、明日菜の紹介で意見を求めた、労働法や行政法を専門とする著名な大学教授による意見書だった。
 懲戒処分の相当性を判断する上で、いかに個別事情の考慮が重要であるか、判例や学説を引用しながら詳細に論じられており、英里香の主張を学術的な見地からも裏付けるものだった。

 高裁での審理は、数回の期日を経て、長期化の様相を見せ始めた。
 新潟県側は執拗しつように地裁判決の不当性を主張し、英里香は粘り強く反論を続ける。
 その間にも、中村の心は少しずつ擦り減っていった。

ある期日の後、中村は弱々しく英里香に訴えた。

「先生……もう、これ以上は……。私のせいで、先生にも多大なご迷惑を……。もう、諦めた方が、いいのかもしれません……。新潟県には、逆らえないのかもしれない……」

その目には、かつての光が消えかかっていた。

「中村さん!」英里香は思わず声を荒らげた。

「何を弱気なことを言っているんですか !
ここで諦めたら、それこそ新潟県側の思う壺ですよ !
 私たちは間違ったことを主張しているわけじゃない。
 法廷で、正々堂々と戦っているんです。
 もう少しです。判決まで、どうか心を強く持ってください !」

 英里香の叱咤しったに、中村はハッとしたように顔を上げた。
 その強い眼差しに、彼は再び奮い立つ力を得たようだった。

 ある日の午後、東京の事務所で高裁に提出する準備書面を作成していた英里香は、少し煮詰まっていた。
 そんな時、ふと、巧の恋人であるジャンヌからもらったアロマオイルのことを思い出した。

「集中力を高め、心を落ち着かせる効果があるかもしれませんわ」と、優しい笑顔で渡してくれたものだ。

 英里香は、デスクの隅に置いてあったアロマディフューザーに、数滴オイルを垂らしてみた。
 ラベンダーと柑橘系の爽やかな香りが、ふわりと漂う。

(…うん、少しリラックスできるかも…)

英里香が深呼吸した、まさにその瞬間だった。

「むはー ! なんじゃこの魅惑的な香りはー!? 脳が覚醒する感じがするのじゃー !」

事務所のドアが勢いよく開き、潮来由利凛が目を輝かせながら飛び込んできた。
 相変わらずのフリル付き白衣姿だ。

「英里香ちゃん!この香りの秘密を教えるのじゃ !  妾の新発明『超記憶定着ブレインブースター』に、この香りの成分を加えれば、ノーベル賞は間違いなしじゃ!」

 言うが早いか、由利凛はディフューザーに駆け寄り、怪しげなスポイトを取り出してオイルを吸い取ろうとする。
「こら!由利凛!何するのよ!
 それは人からもらった大切な…あっ!」

英里香が止めようとした拍子に、ディフューザーが倒れ、オイルが由利凛の白衣にかかってしまった。
「あわわわ!妾の白衣がラベンダーの香りに !
 これでは学会で笑いものじゃ !」

「自業自得でしょ !」

 結局、事務所内はアロマの香りと、由利凛の奇妙な悲鳴と、英里香の怒声で満たされることになった。

(…本当に、あの子がいると落ち着かないんだから…)

由利凛をなんとか追い出し、英里香は再び書面に向き直った。
 くだらない騒動だったが、なぜか少しだけ気分が晴れたような気もする。
 ジャンヌの優しさと、由利凛の破天荒さが、知らず知らずのうちに英里香の心を支えているのかもしれない。

 高裁での審理は、いよいよ大詰めを迎えていた。 新潟県側の主張は平行線を辿り、英里香たちも反論を尽くした。
 あとは、裁判所の判断を待つばかりだ。地裁判決は維持されるのか、それとも覆されるのか。
 もしくつがえされた場合、戦いの舞台は最高裁へと移ることになるだろう。

 英里香は窓の外を見やった。
 東京の空は、冬の鉛色の雲に覆われている。
 だが、その雲の切れ間から、いつか必ず光は差すはずだ。

 英里香は気を引き締め、来るべき判決の日に備えるのだった。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! 仕事繁忙期の為、2月中旬まで更新を週一に致します。 カクヨム(吉野 ひな)様にも投稿しています。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。

旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
アークライト子爵家の四歳の末娘リリアは、家族から存在しないものとして扱われていた。食事は厨房の残飯、衣服は兄姉のお下がりを更に継ぎ接ぎしたもの。冷たい床で眠る日々の中、彼女は高熱を出したことをきっかけに前世の記憶を取り戻す。 前世の彼女は、ブラック企業で過労死した経理担当のOLだった。 ある日、父の書斎に忍び込んだリリアは、ずさんな管理の家計簿を発見する。前世の知識でそれを読み解くと、父による悪質な横領と、家の財産がすでに破綻寸前であることが判明した。 「この家は、もうすぐ潰れます」 家族会議の場で、リリアはたった四歳とは思えぬ明瞭な口調で破産の事実を突きつける。激昂した父に「疫病神め!」と罵られ家を追い出されたリリアだったが、それは彼女の望むところだった。 手切れ金代わりの銅貨数枚を握りしめ、自由を手に入れたリリア。これからは誰にも縛られず、前世で夢見た美味しいものをたくさん食べる生活を目指す。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

一億円の花嫁

藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。 父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。 もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。 「きっと、素晴らしい旅になる」 ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが…… 幸か不幸か!? 思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。 ※エブリスタさまにも掲載

処理中です...