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第六章:偽りの証明
第38話 明日への道標
しおりを挟む再審公判は、異例の速さで進んだ。
検察側は、新たな有罪立証を行うことを事実上放棄。
弁護側が提出したDNA再鑑定結果、真壁元警部補の証言、その他の証拠を覆すことは、もはや不可能だった。
そして、運命の判決の日。
東京高等裁判所の法廷。
裁判長は、集まった多くの人々の視線を受けながら厳粛に判決を言い渡した。
「主文。被告人、須田和夫は無罪」
その瞬間、法廷は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。
須田節子さんは嗚咽を漏らしながら、その場に崩れ落ちそうになるのを、隣にいた英里香がそっと支えた。
証言台の前に立っていた須田和夫は、しばらく呆然とした表情で立ち尽くしていたが、やがて、その目から静かに涙が流れ落ち、深く、深く頭を下げた。十数年ぶりに、彼の潔白が、公に証明されたのだ。
判決後、検察庁と絹川県警の幹部が、和夫と節子さんのもとを訪れ、深々と頭を下げて謝罪の言葉を述べた。
「誠に申し訳ありませんでした」
「我々の捜査に誤りがありました」
しかし、その言葉は、あまりにも形式的で空虚に響いた。
失われた時間と、彼らが受けた苦痛の重さを前にして、どんな謝罪の言葉も色褪せて聞こえてしまうのは仕方のないことだった。
英里香は、その後の記者会見で、改めて今回の事件の重大性を訴えた。
「須田さんの無罪が証明されたことは、大きな一歩です。
しかし、これで終わりではありません」
彼女は、強い口調で続けた。
「今回の事件は、単なる個別のミスや一部の捜査員の暴走ではありません。
自白を偏重し、客観的な証拠を軽視する捜査のあり方、科学鑑定の結果を鵜呑みにし、時にそれに固執する体質、そして組織の過ちを認めようとしない隠蔽体質。
これらは、日本の刑事司法全体が抱える、構造的な問題です。
二度とこのような悲劇を繰り返さないために、取り調べの全面可視化、証拠の全面的な開示、そしてDNA鑑定をはじめとする科学鑑定の精度管理体制の確立が、急務です」
英里香の言葉は多くのメディアで報じられ、司法制度改革への議論を再び呼び起こすきっかけとなった。
無罪を勝ち取った須田和夫だったが、彼の前途は決して明るいものではなかった。
十数年という長い空白期間、そして「殺人犯」というレッテルを貼られて生きてきた経験は、彼の心に深い傷を残していた。
社会復帰への道のりは、始まったばかりだ。
しかし、彼はもう一人ではなかった。
英里香や御門、嵐、巧、明日菜をはじめとする大江戸グループの全面的なサポート。
そして、ずっと彼を支え続けてきた支援者たちの存在があった。
住居の確保、就労支援、精神的なケア、認知機能のリハビリテーション……。
専門家チームが組まれ、彼のペースに合わせながら、社会との繋がりを少しずつ取り戻していくための、長期的な支援計画が動き出していた。
節子さんも息子の隣で穏やかな、しかし確かな希望を宿した表情で、その未来を見つめていた。
一方で、この事件には、苦い後味が残った。
再鑑定で検出された真犯人のものと思われるDNA。
しかし、公訴時効の壁が、その追求を阻んだ。
清水さなえちゃんの無念、残された遺族の思いは、法の下では完全に晴らされることはない。
「…時効か。 本当に、これで終わりなのか……」
嵐は絹川の事件現場の写真を眺めながら、唇を噛み締めた。
やるせない怒りと無力感が、彼の胸に渦巻いていた。
正義は、時に完全な形では実現しない。
その厳しい現実を、彼らは再び突きつけられたのだ。
御門法律事務所の窓辺に立ち、英里香は夕暮れの街並みを見下ろしていた。
須田和夫事件は、一つの区切りを迎えた。
しかし、それは新たな始まりでもあった。
冤罪を生む司法の構造、時効という法の限界、そして、法の下で救済されない人々の存在……。
弁護士として、一人の人間として、向き合わなければならない課題は山のように積み重なっている。
(それでも…進むしかない)
英里香は、心の中で呟いた。
たとえ一歩ずつでも、たとえ壁にぶつかっても、諦めずに、自分の信じる正義を追い求め続ける。その決意を新たにした。
ふと、事務所の奥から賑やかな声が聞こえてきた。覗いてみると、無罪判決のささやかな打ち上げの席で、またしても由利凛が何かを取り出している。
「和夫殿の新たな門出を祝して! これは『絶対道に迷わないナビゲーション靴下・改』じゃ!
これを履けば、GPSも届かぬ秘境でも、必ず目的地にたどり着けるのじゃ!」
「結構です!」
和夫の隣で、すかさず玉井刑事が割って入り、なぜか自分がその靴下を受け取ろうとしている。
「先生! 僕が代わりに、この素晴らしい靴下を!」
「あなたには必要ないでしょう」
英里香は呆れながらも、その光景に思わず笑みがこぼれた。
頼もしく、そして少し騒がしい仲間たちがいる。 一人ではない。
英里香は、窓の外に広がる無数の光を見つめながら再び前を向いた。
彼女の新たな戦いは、まだ始まったばかりだった。
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