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第七章 : デジタルの迷宮
閑話:黄昏時の守護者(ガーディアン)?
しおりを挟む高村亮を襲ったデジタルの罠との激闘が終わり、御門法律事務所には久しぶりに平穏と呼べる時間が流れていた。
季節は初夏。
空は高く澄み渡り、街路樹の緑が目に鮮やかだ。とはいえ、解決した事件の後処理や新たに舞い込む相談で、英里香の多忙な日々が変わるわけではなかった。
その日も、気づけば時計の針は午後八時を回っていた。
溜まった書類に目を通し、ようやく一息ついた英里香は重い鞄を肩にかけ、事務所のドアに鍵をかける。
「ふぅ……少し、根を詰めすぎたかしら……」
昼間の日差しとは裏腹に、夜風は少しひんやりと感じる。
英里香は、自宅までの最短ルートである人通りの少ない裏道へと足を踏み入れた。
高村事件以来、少しだけ警戒心が増したつもりだったが、今日のところは疲労感が勝っていたのかもしれない。
街灯がまばらな道を半分ほど進んだ、その時だった。
背後に不意に人の気配を感じた。
振り返る間もなく、強い力で腕を掴まれ壁際に押し付けられる。
「ぐっ…!」
息が詰まる。
目の前に立っていたのは、フードを目深にかぶり、マスクで顔を覆った男だった。
体格からして若い男だろうか。
その目だけが、フードの奥でギラリと光り、英里香に対する強い憎悪を放っていた。
(誰…!? まさか、佐伯の関係者…!?)
男は何も言わず、ポケットから取り出した鈍器、金属製のパイプのようなものを振り上げた。
まずい、避けられない!
英里香が咄嗟に身を固くした、その瞬間だった。
「そこまでだっ!!」
どこからともなく、凛とした、しかしどこか聞き覚えのある声が響いた。
声の主は物陰から飛び出すや否や、驚く犯人の腕を掴み、鮮やかな体捌きでパイプを叩き落とした。
「た、玉井刑事!?」
そこに立っていたのは、スーツ姿の玉井二郎刑事だった。なぜ彼がこんなところに?
「先生に、指一本触れさせません!」
玉井刑事は、英里香を背後にかばうように立ち、犯人と対峙する。
犯人は一瞬怯んだが、すぐに逆上し隠し持っていたナイフを抜き放ち、玉井刑事に襲いかかった。
「危ない!」英里香が叫ぶ。
玉井刑事は、訓練された動きでナイフをかいくぐり、犯人の体勢を崩そうとする。
しかし、犯人も必死だった。
揉み合いの中、ナイフの切っ先が玉井刑事の脇腹を深く抉った。
「うぐっ…!」
玉井刑事の顔が苦痛に歪む。
だが、彼は怯まなかった。
最後の力を振り絞るように犯人を突き飛ばすと、犯人はバランスを崩して転倒。
遠くからサイレンの音が聞こえ始めたことに気づいたのか、犯人は悪態をつきながら闇の中へと走り去っていった。
後に残されたのは壁に寄りかかり、脇腹を押さえて荒い息をつく玉井刑事と動揺しながらも彼に駆け寄る英里香だった。
「玉井刑事! しっかりして! 血が…!」
彼のスーツの脇腹が、じわりと赤黒く染まっている。
「だ、大丈夫です、先生……先生に、怪我がなくて…本当に…よかった……」
玉井刑事は痛みに耐えながらも、英里香の無事を確認すると安堵したように意識を失いかけた。
程なくして、連絡を受けた嵐や他の警察官、そして救急隊が到着し現場は騒然となった。
玉井刑事は担架で救急車に運び込まれていく。
英里香は、その姿を呆然と見送ることしかできなかった。
なぜ、彼はあそこにいたのだろうか……まさか、毎日……。
数日後、英里香は少し迷った末に、玉井刑事が入院している病院を訪れていた。
個室のドアをノックすると、「どうぞ」というか細い声が聞こえた。
ベッドの上で上半身を起こしていた玉井刑事は、英里香の姿を見ると、驚いたように目を見開いた。 顔色はまだ青白い。
「せ、先生 !? わ、わざわざお見舞いなんて…すみません、ありがとうございます!」
彼は慌てて姿勢を正そうとするが、脇腹の痛みに顔をしかめた。
「…動かないで。傷に響くでしょう」
英里香は、ベッドサイドの椅子に静かに腰を下ろした。買ってきた見舞いのフルーツバスケットをテーブルに置く。
「…体調は、どう?」
「は、はい! おかげさまで! 大したことありませんよ! すぐに復帰して、また先生の…あ、いや、都民の安全を守ります!」
玉井刑事は、空元気を出そうとするが、声に力がない。
英里香は、そんな彼をじっと見つめた。
そして、ふい、と視線を窓の外に向けた。
「……馬鹿ね。無茶ばかりして…」
ぽつり、と呟くような声だった。
「え?」玉井刑事が聞き返す。
英里香は、窓の外を見たまま、続けた。
「…でも……」
言葉が途切れる。何か言いたそうに、しかし、うまく言葉が出てこない、そんなもどかしさが彼女の横顔に浮かんでいた。
やがて、意を決したように、小さな、本当に小さな声で言った。
「……ありがとう、玉井刑事。…あなたのおかげで、助かったわ」
そして、やや早口に付け加える。
「……だから、早く良くなって……また、あの、変な…差し入れとか、持ってきなさいよ。……待ってる、から」
言い終えると、英里香は耳まで赤くなっているのを隠すかのように|俯《うつむ』いてしまった。
玉井刑事は、一瞬、何が起こったのか理解できずに、目をぱちくりさせていた。
しかし、英里香の言葉の意味と、彼女の珍しい(というか、初めて見る)しおらしい態度を理解すると、じわじわと、しかし急速に、顔が真っ赤に染まっていくのが分かった。
脇腹の痛みもどこかへ飛んでいきそうだ。
「は、はいっ!もちろんです!必ず!元気になったら、先生が驚くような、とびっきりの美味しいやつを、必ず持って行きます!!」
彼はベッドの上で、思わず敬礼のポーズをとっていた。
「……じゃあ、長居は悪いから、これで失礼するわ。……ちゃんと、安静にしてなさいよ」
英里香は、そう言い捨てると、逃げるように立ち上がり、足早に病室を出て行った。
ドアが閉まる直前、彼女の頬がまだほんのり赤かったのを、玉井刑事は見逃さなかった。
一人残された病室で、玉井刑事は、天にも昇るような気持ちで、しばらく天井を見つめていた。
(先生が…待ってるって…!)
脇腹はまだ痛む。
しかし、心は初夏の青空のように晴れ渡っていた。
一方、病室を出た英里香は、エレベーターホールで、まだ少しドキドキしている心臓を押さえていた。
(な、何を言ってるのよ、私は…!)
らしくないことを言ってしまった、という自己嫌悪と、それでも助けてくれた彼への素直な感謝の気持ち。
複雑な感情が、彼女の中で渦巻いていた。
この出来事が、クールな敏腕弁護士と、ちょっとドジだが憎めない熱血刑事の関係に、どんな変化をもたらすのか。
それは、まだ誰にも分からない。
ただ、黄昏時の裏道で生まれた小さな絆は、これからの物語に、新たな彩りを加えることになるのかもしれない。
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