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第三部:信長包囲網と天運の行方
第16話 茶器を人質に
しおりを挟む 長篠での大勝により、武田という最大の脅威を退けた織田家。
天下布武への道は、もはや誰にも止められぬかに見えた。
しかし、信長様の覇道は、常に裏切りという名の毒蛇と隣り合わせだった。
今度の裏切り者は、松永久秀。
乱世の梟雄と謳われ、将軍殺し、大仏殿の焼き討ちなど、悪名を欲しいままにしてきた老獪な男だ。
彼は、石山本願寺に呼応する形で、信長様に対して再び反旗を翻したのである。
「松永弾正、居城である信貴山城に籠り、徹底抗戦の構えとの由!」
信貴山城は、大和と河内を見下ろす山上に築かれた、天下でも屈指の堅城として知られる。
軍議の席で、将たちの顔には緊張の色が浮かんでいた。
「力攻めは、多大な犠牲を覚悟せねばなりますまい」
「さりとて、あの老狐のこと。城を囲んだとて、いついかなる策を弄してくるか……」
重臣たちが頭を悩ませる中、竹中半兵衛が静かに進み出た。
「上様。 信貴山城を落とすは、兵糧攻めが最善かと。
城内の兵糧が尽きるまで、幾重にも包囲の網を敷き、じっくりと干上がらせるのです。時間はかかりますが、最も確実かつ、味方の損害を最小限に抑えられます」
それは、軍略の定石に則った、完璧な正攻法だった。
誰もがその策に頷き、信長様の裁可を待った。
しかし、信長様はどこか不満げな顔で、腕を組んでいる。
「……時がかかりすぎる。わしは、あの松永の首を、今すぐにでも刎ねたいのだ」
信長様の視線が、ふと、広間の隅で気配を消していた俺の方へと向けられた。
「どうだ、誤先生。貴様の『天運』で、この堅城を一息に落とす手立てはないものか?」
まただ……この、無茶振りが !
俺は、心臓が喉から飛び出しそうになるのを必死でこらえた。
城攻めの策など、俺のどこを探したって出てくるはずがない。
何か、何か言わねば……
焦る俺の脳裏に、ふと、陣中で兵たちが噂話をしていた光景が蘇った。
……松永久秀は、数多の悪逆の限りを尽くしてきたが、ただ一つ、命よりも大事にしている宝物がある。
それは、「平蜘蛛」と名付けられた、天下無双の名物茶器である、と。
その話を思い出した俺は、戦国の武将の複雑な価値観など全く理解せぬまま、素人考えで、思ったままを口にしてしまった。
「あ、あの……。申し上げます」
俺はおずおずと手を挙げた。
「久秀殿は、名物茶器『平蜘蛛』を命よりも大事にしていると聞き及んでおります。
つきましては……その『平蜘蛛』を差し出すことを条件に、降参を許すとお伝えになられては……いかがでしょうか……?」
しん、と広間が静まり返った。
次の瞬間、将たちから失笑が漏れた。
「たわけたことを。茶器一つで、あの梟雄が城を明け渡すものか」
「戦をままごととでも心得ておるのか」
俺は、顔から火が出るほどの恥ずかしさで俯いた。やはり、俺の考えることなど、この人たちの前では通用しないのだ。
しかし、信長様だけは違った。
玉座で、腹を抱えて笑い出したのだ。
「くっくっく……面白い!実に面白いぞ、誤先生!」
信長様は立ち上がると、満面の笑みで宣言した。
「よし、決めた!その手でいこうではないか!」
「「「はぁ!?」」」
将たちの驚愕の声を背に、信長様はすぐさま使者を立て、信貴山城の松永久秀の元へと送った。
その降伏勧告の内容は、前代未聞のものだった。
──「貴様の首には興味はない。だが、その代わり、秘蔵の茶器『平蜘蛛』を差し出せ。さすれば、命だけは助けてやる」 ──
数日後、織田の陣営に、信貴山城からの返答がもたらされた。
それは、言葉ではなく、城の天守から立ち昇る、巨大な黒煙だった。
報告によれば、信長様からの使者の言葉を聞いた松永久秀は、烈火の如く激昂したという。
「信長め、わしの魂である平蜘蛛を愚弄するか!このわしの命を、たかが器一つと同列に置くとは!もはや、生きてこの屈辱を雪ぐ道なし!」
そう叫ぶと、久秀は自ら天守に火を放ち、愛用の平蜘蛛の茶釜に火薬を詰めると、それに火をつけ、名物茶器もろとも、己の体を木っ端微塵に吹き飛ばして果てたという。
主を失った信貴山城は、あっけなく落城。
時間のかかる兵糧攻めを覚悟していた松永久秀の反乱は、あまりにも唐突な幕切れを迎えたのだった。
あっけにとられる将たちの中で、ただ一人、竹中半兵衛が静かに目を閉じていた。
(……見事だ、呉学人殿)
彼の脳裏には、呉学人の策の、その恐るべき深層がはっきりと見えていた。
(貴殿は、久秀が平蜘蛛を大事にしていることを知っていただけではない。
あの老獪な男の、天をも恐れぬほどの高い誇りと、その心の脆さをも、完璧に見抜いていたのだ)
命と宝を天秤にかけるという、常人には思いもつかぬ「侮辱」
それこそが、あの誇り高い梟雄を、自滅という最も速い破滅へと導く、唯一無二の一手だったのだ。
(最小の犠牲で、最短の時間で、敵将の心を砕き、乱を終わらせる……これが、貴殿の戦か)
半兵衛は、もはや感嘆を通り越し、呉学人の策の深淵を前に、ただただ戦慄していた。
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