【完結】新・信長公記 ~ 軍師、呉学人(ごがくじん)は間違えない? ~

月影 流詩亜

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第三部:信長包囲網と天運の行方

​閑話一:天下で最も面白い男 ​

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​ 退屈だ。

 この前田慶次、何より退屈というものが好かぬ。
​ 
 叔父御おじごである前田利家が治める近江・府中城。

 戦も一段落し、城内に流れるのは、生ぬるい泰平の空気よ。

 武士どもが集まれば、口を開くのは手柄話か、領地の石高の話ばかり。
 あるいは、鼻をすすりながら茶を点て、分かったような顔で首を傾げるか。

 どれもこれも、型にはまった、面白みの欠片もない代物だ。

​「ふん、つまらん。あまりにつまらんわ」

​ 俺は、自慢の虎皮をあしらった陣羽織を翻し、城の廊下をそぞろ歩いていた。

 何か面白いことはないものか。
 この俺の心を、魂を、震わせるような途方もない傾奇者は、この日の本にはおらんのか。

​ そんな折だった。

 庭先で槍の稽古をしていた足軽たちの、噂話がふと耳に入ったのは。

​「聞いたか?また、呉学人様がやったらしいぞ」

「おお、『誤先生』か!今度は何だ?」

「なんでも、利家様の領地で、飢饉に備えた米の種と、薬草の種を取り違えてお配りになったとか……」

「な、なんだと!?そりゃあ、打ち首ものの失態じゃねえか!」

「ところがだ。その薬草が、京で米の何十倍もの値で売れて、領地はかえって大儲けしたそうだ!」

「ひええ……! 相変わらねえな、あの方の天運は!」

​ 呉学人……
 またの名を、「誤先生」

​ その男の噂は、俺も聞き及んでいた。

 地図を上下逆さまに読んで、敵の本陣を奇襲した。

 あり得ぬ川の減水を予言し、上洛戦を勝利に導いた。

 風向きを読み違えて、長篠の最強騎馬隊を煙に巻いて壊滅させた。

 聞いた時は、正直、眉唾な法螺話だと思っていた。
 軍師なんぞ、小難しい顔で盤面を睨む、陰気な男ばかりと相場が決まっている。

​ だが、今の話はどうだ。

 種籾の取り違えが、領地を豊かにするだと?

 それは、もはや軍略ではない。天が仕組んだ壮大な戯れ言ではないか。

​「……面白い」

​ 俺の口から、思わず笑みがこぼれた。

​「なんだそりゃあ!
軍師でもなければ、福の神でもねえ。そいつは、とんだ傾奇者かもしれんわ!」

​ 俺は、居ても立ってもいられなくなり、叔父御のいる広間へと大股で向かった。

​「叔父御!頼みがある!」

「なんだ慶次、騒々しいぞ」

「例の軍師に会わせてくれ。呉学人とか言ったか? あんたがいつも頭を抱えている、あの男よ!」

​ 利家叔父御は、一瞬、ひどく面倒くさそうな顔をしたが、俺の目を見ると、諦めたようにため息をついた。

「……分かった。だが、決して無茶はしてくれるなよ。 学人は、お前のような男が最も苦手なのだからな」
​ ​
 ​
 対面の場は、庭先の松の木の下に設けられた。

 俺は、どっかりとあぐらをかき、どんな男が現れるのかと胸を躍らせていた。

 きっと、底の知れぬ笑みを浮かべた怪人か、あるいは、全てを見通す仙人のような翁か。

​ やがて、叔父御に促されて現れた男を見て、俺は拍子抜けした。

​「あ、あの……呉学人に、ございます……」

​ そこにいたのは、年の頃は俺とそう変わらぬ、ひょろりとして顔色の悪い、ただの気の弱い小男だったのだ。
 俺の派手な格好と、でかい体を見て、まるで蛇に睨まれた蛙のように全身を硬直させている。

​(……こいつが?)

​ これが、あの竹中半兵衛さえもが「天運の持ち主」と畏れた男か?

 失望、というよりも、俺の腹の底から、むくむくと笑いがこみ上げてきた。

 この、とんでもない落差。
 噂と実物の、あまりの隔たり。

​(ははっ!面白い! こいつは、化け物か、それともただの阿呆か!
 いずれにせよ、そこらの武将より、よほど面白いわ!)

​ 俺は、男の正体を見極めようと、大盃になみなみと酒を注ぎ、その前に突き出した。

​「まあ、固いことは言いっこなしだ、先生。一つ、酌み交わそうではないか」

「は、はひっ!きょ、恐縮に存じます……!」

​ 呉学人は、震える手でその大盃を受け取った。
 俺の視線がよほど怖いのか、その手は小刻みに震え、盃の酒がちゃぷちゃぷと揺れている。

​ そして、次の瞬間。

 案の定、というべきか。
 学人の手が、つるりと滑った。

​ ざばっ!

​ 盃の酒は、見事な放物線を描いて、俺が身に着けていた虎皮の陣羽織の、ど真ん中にぶちまけられた。

​ しん、と場が凍り付く。

 叔父御が「こ、こら、慶次!怒るなよ!」と慌てている。
​ 当の本人は、顔から血の気が失せ、真っ青になって震えていた。

 
​「ああ、私はなんというミスを~~~~~っ!」

​ 学人は、その場に額を地面にこすりつけ、死罪を待つ罪人のように動かなくなった。

​ 俺は、酒でじっとりと濡れた陣羽織を見下ろした。
 この虎皮は、俺が戦場で分捕った、とびきりの上物だ。
 普通なら、ここで大声の一つも張り上げるところだが……

​「……ん?」

​ 俺は、あることに気づいた。
 酒がこぼれた染みが、ちょうど、虎の顔の模様の、右目の部分に、ぽっかりと黒い円を描いていたのだ。

 それはまるで、今まで閉じていた虎の片目が、カッと見開かれたかのように見えた。

​ それを見た瞬間、俺の口から、我慢しきれない大爆笑がほとばしった。

​「ぶっはっはっはっは! 面白い! こいつは、あまりに面白いわ!」

​ 俺は、腹を抱えて笑い転げた。

 呆気にとられる学人と叔父御を前に、俺は濡れた陣羽織を指さして言った。

​「見ろ、学人先生! 貴様がこぼした酒のおかげで、わしの虎に魂が入ったわ!
 これぞまさしく、画点睛ならぬ『画点睛』よ!」

​ 俺は立ち上がると、未だに土下座している学人の肩を、バンと力強く叩いた。

​「気に入った! あんた、実に気に入ったぞ、呉学人! 
 お前こそ、この退屈な日の本で、俺が見つけた最高の傾奇者だ!」

​ 俺の豪快な笑い声が、城の庭に響き渡る。

 呉学人は、何が起きたか分からぬまま、ただ顔を上げて、呆然と俺を見つめているだけだった。

 この男と一緒にいれば、この先の人生、決して退屈することはあるまい。

 俺は、そう確信していた。

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