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第三部:信長包囲網と天運の行方
閑話三:天運の正体
しおりを挟む 呉学人を観察すること。
それが、いつしか俺、前田慶次の日課となっていた。
叔父御の城に滞在する間、俺はほとんどの時間を、あの男の側で過ごした。
戦国の世にあって、これほど面白い見世物は他にない。
学人先生は、俺が近くにいるだけで寿命が縮むとばかりにいつもビクビクしていたが、そんなことは知ったことか。
観察すればするほど、確信は深まった。
この男の天運は、まやかしではない。
ある日、学人が利家叔父御に頼まれ、領地の地図に新しい街道筋を墨で書き入れていた。
俺が背後から「ほう、見事な筆さばきだ」と声をかけると、学人は「ひゃっ!?」と奇声を発して飛び上がり、硯をひっくり返して、墨を地図の上にぶちまけてしまった。
真っ青になって「ああ、私はなんという……!」と泣き崩れる学人の隣で、俺はその墨の染みを眺めて、目を見張った。
偶然できたその染みは、まるで新しい開墾地を示すかのように、これまで誰も気づかなかった山間の肥沃な土地を、くっきりと浮かび上がらせていたのだ。
またある日には、俺が「軍師たるもの、馬術も嗜まねばな!」と、無理やり彼を馬に乗せて野駆けに連れ出した。
案の定、学人は手綱さばきを誤り馬は暴走……林の奥へと消えていった。
俺が慌てて後を追うと、そこには、馬から振り落とされて泥まみれになった学人が、湯気の立つ泉に尻もちをついていた。
前田領における、最初の温泉が発見された瞬間であった。
(……やはりだ)
俺は、もう疑いようのない結論に達していた。
その日の夕暮れ。
俺は、縁側で一人、ぼんやりと空を眺めていた学人の隣に、どかりと腰を下ろした。
「先生よ」
「ひいっ!け、慶次殿!いつからそこに!?」
いつものように驚く学人を無視して、俺は真剣な声で切り出した。
「あんたの天運の正体、この慶次、見切ったぞ」
「て、天運の正体……でございますか?」
学人は、怪訝な顔で首を傾げている。
俺は、そんな彼をまっすぐに見据えて言った。
「世の軍師どもは、皆、こう考えている。策を弄し、知恵を絞り、天の流れを読み、それに逆らってでも勝利を掴もうとな。
半兵衛殿も、そういう男だったのだろう」
「……」
「だが、先生。あんたは違う。全くの逆だ」
俺は、にやりと笑った。
「あんた、本当は、何も考えておらんのだろう?」
その言葉に、学人の肩がびくりと跳ねた。
「い、いえ、その、私なりに、織田家のためにと、必死に考えては……」
そのしどろもどろの答えを聞いて、俺は満足げに頷いた。
「それでいい。それがいいのだ」
俺は、空を指さした。
「凡百の者どもはな、天という名の大きな流れに、必死で抗おうとする。
だから、小さな成功しか掴めんのだ。
だが先生、あんたは違う。
流れに身を任せ、抗うことすら考えず、ただ、つまずき、転ぶ」
「……」
「だからこそ、天が面白いと感じて、あんたの手を引いてくれるのよ。『こいつは放っておくと死んでしまうわ』とな。
あんたが転んだその先に、いつも奇跡という名の座布団を、そっと敷いておいてくれるのだ」
俺は、学人の肩を強く叩いた。
「つまり、先生の強さの秘訣は! 『諦め』と『うっかり』よな!」
それが、この俺、前田慶次が見出した、呉学人という男の天運の正体だった。
俺の言葉に、学人は、もはや森羅万象の真理でも聞かされたかのような顔で、ぽかんとしている。
「あきらめ……と、うっかり……。それはただの、私の欠点では……」
その、どこまでも分かっておらん様子を見て、俺は腹の底から笑った。
これでいい。この男は、このままでいいのだ。
俺は立ち上がると、空になった瓢箪を肩に担いだ。
「いやはや、面白い! 実に面白いものを見せてもらったわ!
あんたのおかげで、退屈せずに済んだ」
俺は、去り際に呆然と座している男に言い放った。
「先生よ! またいつか、この世が退屈になったら、あんたの盛大なうっかりを見に来るぜ!
それまで、せいぜい元気に転び続けるんだな!」
俺は、高笑いを残してその場を去った。
一人残された呉学人が、「私は、ただのダメな人間だと、太鼓判を押されただけではないか……」
と、夕陽の中で、さらに深い自己不信の沼へと沈んでいったことを、今の俺は知る由もなかった。
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