【完結】新・信長公記 ~ 軍師、呉学人(ごがくじん)は間違えない? ~

月影 流詩亜

文字の大きさ
21 / 38
第三部:信長包囲網と天運の行方

第17話 半兵衛の死と遺言

しおりを挟む

​ 天正六年(1578年)、織田家の快進撃は続いていた。

 中国地方の雄・毛利家を討つべく、羽柴秀吉を総大将とした大軍が播磨国へと進駐する。
 だが、その輝かしい戦歴の裏で、一つの巨大な影が、静かに落ちようとしていた。
​ 織田家の軍師、竹中半兵衛重治が、病に倒れたのだ。
​ 長年にわたる過酷な軍旅が、彼の体を蝕んでいた。
 かつて神の如き知略を巡らせたその頭脳は未だ明晰であったが、彼の命の灯火は、風前の灯のように弱々しく揺らめいていた。

​ 播磨の陣中に設けられた静かな一室。

 秀吉は、枕元に座し、友であり、織田家にとって至宝の軍師である男の痩せこけた手を握りしめていた。

​「半兵衛……しっかりしろ。 貴様がおらんで、このわしが毛利の大軍を相手にできると思うてか」

​ 秀吉の言葉に、半兵衛は穏やかに微笑んだ。
 その顔色は紙のように白く、声はかすれていた。

​「……藤吉郎殿。あなたならば、ご心配には及びませぬ。あなたには、人蕩ひとたらしの天賦の才がある」

「才なものか。 貴様の知恵を借りてきただけのことよ」

​ 二人の間に、しばし沈黙が流れる。
 やがて、半兵衛は何かを思い出したように、静かに口を開いた。
 それは、秀吉にとって、あまりにも意外な言葉だった。

​「藤吉郎殿……一つ、わしの最後の願いとして、聞き入れていただきたいことがある」

「何だ、改まって。言ってみろ」

​「……呉学人殿のことです」

​ その名を聞き、秀吉は少し面食らった。

「誤先生か? ああ、相変わらず利家の所で、妙な幸運を振りまいておるわ。 あやつは戦よりも、内政の方が儲かるようだがな」

 秀吉は、どこか面白おかしな存在として語った。  だが、半兵衛の眼差しは、真剣そのものだった。

​「藤吉郎殿……呉学人殿には、決して逆らうな」

​ その、遺言ともとれる強い口調に秀吉は思わず息を飲んだ。

​「……どういうことだ、半兵衛」

​ 半兵衛は、弱々しい息をつなぎながら、最後の力を振り絞るように語り始めた。

​「わしは、ずっとあの方を理解しようと努めてきた。兵法で、算術で、人の心の機微で……わしが持ちうる全ての物差しで、あの方を測ろうとしてきた。だが、全て無駄だった」

​ その瞳は、遠い過去を見つめているようだった。
 稲生、金ヶ崎、長篠……数々の戦場が、彼の脳裏に去来しているのだろう。

​「あの人は、我ら人の子とは違うことわりで、この世を見ているのかもしれぬ」

​ 半兵衛の声には、畏怖の念がこもっていた。

​「我らが風を読み、流れを読むのであれば、あの方は風を吹かせ、流れそのものを作り出す。
 我らが人の知恵で戦うのであれば、あの方は天運そのものを味方につけて戦うのだ」

「……天運……」

​「そうだ。信長様が天下を取るには、あの方の天運が必ず、必ず必要になる……」

​ 半兵衛は、秀吉の手を、弱々しい力で握り返した。

​「ゆえに、頼む。 藤吉郎殿。
 あの方の献策が、いかに奇妙で、いかに常軌を逸しているように見えても、決してそれを侮り、退けてはならぬ。
あの方の言葉こそが、天の声。そう心得よ……」

​ それが、天才軍師・竹中半兵衛が、この世で発した最後の言葉だった。
​ 彼は、まるで肩の荷が下りたかのように、安らかな表情を浮かべると、そのまま静かに息を引き取った。
 彼は最後まで、呉学人を「天運に愛された究極の軍師」だと、固く、固く信じ続けて逝ったのだ。

​ 一人残された秀吉は、友の亡骸の前で、ただ呆然と座していた。

 半兵衛の遺言が、彼の頭の中で何度も何度も反響する。

​(違う理で世を見ている……天運……)

​ これまで、どこか面白く、得体の知れない幸運な男としか見ていなかった呉学人。

 その存在が、秀吉の中で、巨大で、そしてどこか神聖ささえ帯びたものへと、大きく姿を変えようとしていた。

​ 半兵衛が残した最後の計略。

 それは、呉学人という「伝説」を、決定的に不動のものとする、最強の一手だったのかもしれない。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

武田義信は謀略で天下取りを始めるようです ~信玄「今川攻めを命じたはずの義信が、勝手に徳川を攻めてるんだが???」~

田島はる
歴史・時代
桶狭間の戦いで今川義元が戦死すると、武田家は外交方針の転換を余儀なくされた。 今川との婚姻を破棄して駿河侵攻を主張する信玄に、義信は待ったをかけた。 義信「此度の侵攻、それがしにお任せください!」 領地を貰うとすぐさま侵攻を始める義信。しかし、信玄の思惑とは別に義信が攻めたのは徳川領、三河だった。 信玄「ちょっ、なにやってるの!?!?!?」 信玄の意に反して、突如始まった対徳川戦。義信は持ち前の奇策と野蛮さで織田・徳川の討伐に乗り出すのだった。 かくして、武田義信の敵討ちが幕を開けるのだった。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

皇国の栄光

ypaaaaaaa
歴史・時代
1929年に起こった世界恐慌。 日本はこの影響で不況に陥るが、大々的な植民地の開発や産業の重工業化によっていち早く不況から抜け出した。この功績を受け犬養毅首相は国民から熱烈に支持されていた。そして彼は社会改革と並行して秘密裏に軍備の拡張を開始していた。 激動の昭和時代。 皇国の行く末は旭日が輝く朝だろうか? それとも47の星が照らす夜だろうか? 趣味の範囲で書いているので違うところもあると思います。 こんなことがあったらいいな程度で見ていただくと幸いです

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

天正の黒船

KEYちゃん
歴史・時代
幕末、日本人は欧米諸国が日本に来た時の黒船に腰を抜かした。しかしその300年前に日本人は黒船を作っていた。

連合艦隊司令長官、井上成美

ypaaaaaaa
歴史・時代
2・26事件に端を発する国内の動乱や、日中両国の緊張状態の最中にある1937年1月16日、内々に海軍大臣就任が決定していた米内光政中将が高血圧で倒れた。命には別状がなかったものの、少しの間の病養が必要となった。これを受け、米内は信頼のおける部下として山本五十六を自分の代替として海軍大臣に推薦。そして空席になった連合艦隊司令長官には…。 毎度毎度こんなことがあったらいいな読んで、楽しんで頂いたら幸いです!

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

処理中です...