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6 バレてしまった嘘
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梅雨の晴れ間は貴重だ。何日も雨が続いた後の青空は、いつもにも増して清々しい。
勇樹の家には洗濯機とは別に古い乾燥機があったのだが、梅雨を前に壊れてしまい、ここ数日、常に洗濯かごは満杯状態だった。家の中に干してもなかなか乾かないので、次を洗っても干す場所がないのだ。だからそれらをまず片っ端から洗濯機に放り込み、洗っている間に、家じゅうの窓を開け放して掃除をした。やっているうちにだんだんとはまってしまい、いつもはしないような細かな所まで掃除していたら、いつの間にか昼を過ぎてしまっていた。
昨夜の残り物で昼食を済ませて居間の畳に寝転がると、そよそよと風が吹き抜け、いつもより余計に体を動かしたせいもあって、当然のごとく眠気が襲ってきた。
たしかもうすぐ二時になる頃だ。このまま眠ってしまったら本当に気持ちいいけれど、おそらくちょっとやそっとでは目が覚めない。でも心ゆくまで昼寝をすると、夜眠れなくなる。
どうしよう。夜のために今は起き上がって買い物にでも行こうか。それとも今夜のメニューは冷蔵庫にあるもので適当に済ませるとして、欲望のままに目を閉じてしまおうか。そんなことを考えているうち、意識は遠のいて行った。
ちょっとやそっとでは目が覚めないだろうと思っていたのに、うとうとし始めてからほんの二十分ほどで目を覚ました。風が止み、暑さで目が覚めてしまったのだ。まだ六月とはいえ、ぐんと気温が上がった梅雨の晴れ間はあなどれない。
ごろんと寝返りを打ち、うっかりスマホの上を転がってしまって背中が痛いし、喉も渇いているしトイレにも行きたいしで、結局眠り続けるのをあきらめてぬぼっと体を起こした。だがすぐには動く気になれず、ぼんやりと座ったまま、庭ではためく洗濯物を眺めていた。
「こんにちは」
開け放った縁側の向こうに突然現れたのは知世だった。玄関ではなく庭の方に直接顔を出したのだ。
「びっくりしたー。お昼寝から起きたばっかりでぼうっとしてたから」
「すみません驚かせちゃって。ピンポン鳴らしたんですけど鳴らなかったから。スカッて感じで」
知世が縁側に腰掛ける。
「本当に? 壊れちゃったのかな。っていうかどうしたのこんな時間に。勇樹仕事だよ」
奈瑠も縁側に出て、膝を抱えて座った。
「そうなんですけど、奈瑠さんはいるかなーって思って」
「どうかしたの?」
「仕事ですっごくむしゃくしゃすることがあって、何も手に付かなくなっちゃったんです。だから全然はかどらなくて、もういいやって抜けて来ちゃいました」
「そうなの? 何があったの? ……ってわたしに言ったってしょうがないか。わたし何もわからないもんね」
「聞いてくれます? ひどいんですよ? 新しいクライアントなんですけどね」
知世は堰を切ったように話し始めた。よっぽど頭にくることがあったのだろう。業界は違えど奈瑠にもそんな経験はある。途中何度もうなずきながら、話を聞いてやった。
「なんか奈瑠さんに愚痴聞いてもらったらだいぶすっきりしました。来てよかった」
「ねえ知世ちゃん、喉乾かない?」
「そう言えば。しかもここ暑いですね」
知世は日差しを遮るように手のひらをかざした。奈瑠もずっとそう思ってはいたが、話の腰を折るのもどうかと思い我慢していた。
「今日はもう会社には戻らないんでしょ? 飲まない?」
「いいですね! 飲んじゃいます?」
二人はにやっと笑い合った。
「上がって待ってて。持ってくるから。おつまみあんまりいいのないけど」
まずはトイレを済ませてから、冷えた缶ビールとナッツやスナック菓子の袋を居間のテーブルの上に並べた。プシュッと開けて「かんぱーい!」と缶を合わせる。
「昼間っから飲むビールって格別ですよね」
「そうだねえ。目の前の景色が今イチだけどね」
庭では大量の洗濯物が、久々の太陽の光を浴びて気持ちよさそうに風に揺れている。
「奈瑠さん、あのときの電話、元彼からだったんですか?」
「へ?」
一瞬何の話なのかわからなかった。
「勇ちゃん何も言わなかったけど、あの場の感じからするとそうなのかなあって。三人でご飯に行ったとき。電話がかかってきて、奈瑠さん飛び出して行ったでしょ」
保之からの電話のときだ。
「ごめんね。せっかく誘ってくれたのに。結局知世ちゃんたちも食べないで帰ったんだってね。わたしが空気を台無しにしたせいだよね」
「いいんです。それは。でも勇ちゃんあのときすごく心配してましたよ。奈瑠さんのこと。心配してたっていうか、怒ってたっていうか。彼氏みたいに『ほっとけよ』とか言っちゃって。勇ちゃんってホント奈瑠さんのこと好きですよね」
「やめてよ気持ち悪い」
ごまかすようにビールを口に運ぶ。
「で、やっぱりあの電話は、元彼から?」
ゴクンと飲み込んでからうなずいた。
「まだ忘れられないんですか? その人のこと」
今度はううん、と横に首を振った。そして、飛んで行ったのは相手の様子がおかしかったからで、実際その後救急車で運ばれて入院したことを説明した。
「そうだったんですね。勇ちゃん何も話してくれないから気になってたんです」
「でもあのときは、自分でも、もしかしたらまだ好きなのかもってちょっと思ってたんだ。けど違った。彼が退院してからもう一度会ってちゃんと話をしたの。あ、このことは勇樹には内緒ね。また怒られるから。でね、そのときはっきりわかったの。ああ、わたしはもうこの人のことを好きじゃないんだなって」
「どれくらいつき合ってたんですか?」
「二年半くらいかな」
「で、別れたのはいつ頃なんですか?」
「今年の二月」
「じゃあまだ、四か月くらい……」
「自分でもわりと驚いたの。もっと引きずるんじゃないかと思ってたから」
「結婚を考えたりもしてたんですか?」
「まあね。年齢も年齢だし、運命の相手だとか思ったりしちゃってたからね」
実際に結婚が決まっていたことや、それが土壇場でダメになったことまでは話さなかった。
「その人じゃなかったってことですね。奈瑠さんの運命の相手は」
「そういうことみたい」
奈瑠はまたビールを一口飲み、ナッツをつまんだ。そのとき、隣の雨宮さんがひょっこり庭に顔を出した。
勇樹の家には洗濯機とは別に古い乾燥機があったのだが、梅雨を前に壊れてしまい、ここ数日、常に洗濯かごは満杯状態だった。家の中に干してもなかなか乾かないので、次を洗っても干す場所がないのだ。だからそれらをまず片っ端から洗濯機に放り込み、洗っている間に、家じゅうの窓を開け放して掃除をした。やっているうちにだんだんとはまってしまい、いつもはしないような細かな所まで掃除していたら、いつの間にか昼を過ぎてしまっていた。
昨夜の残り物で昼食を済ませて居間の畳に寝転がると、そよそよと風が吹き抜け、いつもより余計に体を動かしたせいもあって、当然のごとく眠気が襲ってきた。
たしかもうすぐ二時になる頃だ。このまま眠ってしまったら本当に気持ちいいけれど、おそらくちょっとやそっとでは目が覚めない。でも心ゆくまで昼寝をすると、夜眠れなくなる。
どうしよう。夜のために今は起き上がって買い物にでも行こうか。それとも今夜のメニューは冷蔵庫にあるもので適当に済ませるとして、欲望のままに目を閉じてしまおうか。そんなことを考えているうち、意識は遠のいて行った。
ちょっとやそっとでは目が覚めないだろうと思っていたのに、うとうとし始めてからほんの二十分ほどで目を覚ました。風が止み、暑さで目が覚めてしまったのだ。まだ六月とはいえ、ぐんと気温が上がった梅雨の晴れ間はあなどれない。
ごろんと寝返りを打ち、うっかりスマホの上を転がってしまって背中が痛いし、喉も渇いているしトイレにも行きたいしで、結局眠り続けるのをあきらめてぬぼっと体を起こした。だがすぐには動く気になれず、ぼんやりと座ったまま、庭ではためく洗濯物を眺めていた。
「こんにちは」
開け放った縁側の向こうに突然現れたのは知世だった。玄関ではなく庭の方に直接顔を出したのだ。
「びっくりしたー。お昼寝から起きたばっかりでぼうっとしてたから」
「すみません驚かせちゃって。ピンポン鳴らしたんですけど鳴らなかったから。スカッて感じで」
知世が縁側に腰掛ける。
「本当に? 壊れちゃったのかな。っていうかどうしたのこんな時間に。勇樹仕事だよ」
奈瑠も縁側に出て、膝を抱えて座った。
「そうなんですけど、奈瑠さんはいるかなーって思って」
「どうかしたの?」
「仕事ですっごくむしゃくしゃすることがあって、何も手に付かなくなっちゃったんです。だから全然はかどらなくて、もういいやって抜けて来ちゃいました」
「そうなの? 何があったの? ……ってわたしに言ったってしょうがないか。わたし何もわからないもんね」
「聞いてくれます? ひどいんですよ? 新しいクライアントなんですけどね」
知世は堰を切ったように話し始めた。よっぽど頭にくることがあったのだろう。業界は違えど奈瑠にもそんな経験はある。途中何度もうなずきながら、話を聞いてやった。
「なんか奈瑠さんに愚痴聞いてもらったらだいぶすっきりしました。来てよかった」
「ねえ知世ちゃん、喉乾かない?」
「そう言えば。しかもここ暑いですね」
知世は日差しを遮るように手のひらをかざした。奈瑠もずっとそう思ってはいたが、話の腰を折るのもどうかと思い我慢していた。
「今日はもう会社には戻らないんでしょ? 飲まない?」
「いいですね! 飲んじゃいます?」
二人はにやっと笑い合った。
「上がって待ってて。持ってくるから。おつまみあんまりいいのないけど」
まずはトイレを済ませてから、冷えた缶ビールとナッツやスナック菓子の袋を居間のテーブルの上に並べた。プシュッと開けて「かんぱーい!」と缶を合わせる。
「昼間っから飲むビールって格別ですよね」
「そうだねえ。目の前の景色が今イチだけどね」
庭では大量の洗濯物が、久々の太陽の光を浴びて気持ちよさそうに風に揺れている。
「奈瑠さん、あのときの電話、元彼からだったんですか?」
「へ?」
一瞬何の話なのかわからなかった。
「勇ちゃん何も言わなかったけど、あの場の感じからするとそうなのかなあって。三人でご飯に行ったとき。電話がかかってきて、奈瑠さん飛び出して行ったでしょ」
保之からの電話のときだ。
「ごめんね。せっかく誘ってくれたのに。結局知世ちゃんたちも食べないで帰ったんだってね。わたしが空気を台無しにしたせいだよね」
「いいんです。それは。でも勇ちゃんあのときすごく心配してましたよ。奈瑠さんのこと。心配してたっていうか、怒ってたっていうか。彼氏みたいに『ほっとけよ』とか言っちゃって。勇ちゃんってホント奈瑠さんのこと好きですよね」
「やめてよ気持ち悪い」
ごまかすようにビールを口に運ぶ。
「で、やっぱりあの電話は、元彼から?」
ゴクンと飲み込んでからうなずいた。
「まだ忘れられないんですか? その人のこと」
今度はううん、と横に首を振った。そして、飛んで行ったのは相手の様子がおかしかったからで、実際その後救急車で運ばれて入院したことを説明した。
「そうだったんですね。勇ちゃん何も話してくれないから気になってたんです」
「でもあのときは、自分でも、もしかしたらまだ好きなのかもってちょっと思ってたんだ。けど違った。彼が退院してからもう一度会ってちゃんと話をしたの。あ、このことは勇樹には内緒ね。また怒られるから。でね、そのときはっきりわかったの。ああ、わたしはもうこの人のことを好きじゃないんだなって」
「どれくらいつき合ってたんですか?」
「二年半くらいかな」
「で、別れたのはいつ頃なんですか?」
「今年の二月」
「じゃあまだ、四か月くらい……」
「自分でもわりと驚いたの。もっと引きずるんじゃないかと思ってたから」
「結婚を考えたりもしてたんですか?」
「まあね。年齢も年齢だし、運命の相手だとか思ったりしちゃってたからね」
実際に結婚が決まっていたことや、それが土壇場でダメになったことまでは話さなかった。
「その人じゃなかったってことですね。奈瑠さんの運命の相手は」
「そういうことみたい」
奈瑠はまたビールを一口飲み、ナッツをつまんだ。そのとき、隣の雨宮さんがひょっこり庭に顔を出した。
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