5 / 13
2 最高の誕生日
2
しおりを挟む
空いた席に並んで座る。公園のベンチに座っていたときよりも距離が近い。肩が触れそうで触れない、何となくくすぐったいような心地いい感覚のままずっと座っていたかったのに、一つ目の駅を過ぎるとすぐに小田君は席を立った。
「ここ、どうぞ」
妊婦さんに声をかけたのだった。妊婦さんは、「すみません。ありがとう」と言ってわたしの隣に腰を下ろした。そんなことが咄嗟にできるなんてすごい。わたしは妊婦さんが近づいて来ていたことさえ気が付いていなかった。まだよく知りもしない小田君といきなりこんな風に出かけることになって、気持ちが浮ついていたのかもしれない。けれどもし気づいていたとしても、ちゃんと声をかけられたかどうかは自信がない。
しばらくして目的の駅で降りると小田君は言った。
「ちょっと歩くけど大丈夫?」
「ちょっとってどれくらい?」
「んー……まあ、大丈夫でしょ。行こう」
長い距離を歩くとしても、不思議と嫌じゃない。
「この辺詳しいの?」
「昔住んでたんだ。小学校の四年まで。川口さんは、来たことある?」
「海水浴場あるよね? もうちょっと行ったところに。あそこには子供の頃何度か連れて来てもらった。でもいつも車だったから電車で来たのは初めて」
「そう言えば俺さあ、そこの海水浴場で溺れかけたことあるんだよね。ガキの頃」
「そうなの!?」
他愛のない会話を重ねるうち、だんだんと普段の自分らしく話せるようになっていった。小田君はどう思っているかわからなかったけれど、わたしは話していて楽しかった。
「川口さん部活は?」
本当は「藍子でいいよ」と軽い感じで言いたいのに、言えない。
「今はやってない。中学の頃はバスケ部だったけど」
「バスケやってたの? じゃあ大丈夫だな。こっから近道するよ」
小田君はそう言うと、高台へと続く長い階段を一段飛ばしで駆け上がり始めた。
「えっ。ちょっと待ってよ!」
慌てて追いかけたものの、すぐに息を切らして足を止めてしまった。
「ほら早く早く」
上の方で小田君がわざとらしくと急かす。
「無理だって。ついて行けるわけないじゃない」
小田君はわたしのいる所まで下りて来てくれ、それからはゆっくりと、わたしのペースに合わせて一緒に上ってくれた。
「もうすぐだよ」
階段を上りつめた先は、高台の住宅地へと続く道路だった。下からぐるっと回って続いている道を、階段でショートカットした格好だ。
「ほら見て」
振り向くと、眼下に広がる街や、その向こうの海までも見渡せた。
「俺、ここからの眺めが大好きだったんだ」
「わかる。気持ちいいね」
「ここから景色見てると、飛べるんじゃないかって気になったりしてさ」
「そうできたら最高だね。階段登らなくていいし。絶対明日筋肉痛だよ」
「弱っちいな」
十月の風が、火照った頬をやさしく撫でる。
「せっかくだから、もうちょっと行ってみる?」
小田君は言った。
今度はどこに連れて行ってくれるんだろう。なだらかな上り坂をさらに登って行く。
しばらく歩いて、和風の立派な門をくぐった。
お寺?
門の中には広々とした境内が広がっていた。
「ここで小さい頃よく遊んでた」
「ここで?」
「隣にこのお寺がやってる幼稚園があるんだけど、俺そこに通っててさ。小学生になってからも、ここの境内によく遊びに来てたんだ。あっ、先生!」
視線の先に現れたのは年配のお坊さんだった。お坊さんは一拍遅れて誰だか気づいたようだった。
「翔太君かあ。久しぶりだね」
小田君は「幼稚園の園長先生なんだ。俺が通ってたときからの」と教えてくれた。
「こんにちは」と言いながら近づいて行く彼のあとを、わたしもついて行った。
園長先生はわたしにもニコニコと会釈をしてくれた。
「背が伸びたね。なんだか逞しくなって一瞬誰だかわからなかったよ。今日はガールフレンドと一緒か。羨ましいね」
聞き流したのか、小田君は否定しなかった。
「前に訪ねて来たのは……もう一年以上前だよね?」
「はい。中三のときです」
「だったよねえ。進路に悩んでいたんだったな。それで、結局十和崎に行ったんだったね?」
「はい」
「じゃあ今もサッカーを頑張ってるんだ?」
「まあ」
「そうかそうか。でもサッカーだけじゃなくて勉強も頑張らなくちゃダメだぞ」
小田君はごまかすようにへらっと笑った。
「せっかく来たんだから、中でお茶でも飲んで行きなさい」
「あ、いえ、今日は」
「何か愚痴を言いに来たんじゃないのかい」
園長先生はからかうように言って笑っている。
「今日はやめときます」
「まあガールフレンドの前だからね。弱音を吐いて、あんまりかっこ悪いところも見せられないか」
小田君はまた少し笑った。やっぱり「ガールフレンド」を否定はしなかった。わざわざ説明するのが面倒くさいのだろうが、悪い気はしなかった。もしかしたら、わざと否定しなかったんじゃないかなんて思ったりもしていた。
「ここ、どうぞ」
妊婦さんに声をかけたのだった。妊婦さんは、「すみません。ありがとう」と言ってわたしの隣に腰を下ろした。そんなことが咄嗟にできるなんてすごい。わたしは妊婦さんが近づいて来ていたことさえ気が付いていなかった。まだよく知りもしない小田君といきなりこんな風に出かけることになって、気持ちが浮ついていたのかもしれない。けれどもし気づいていたとしても、ちゃんと声をかけられたかどうかは自信がない。
しばらくして目的の駅で降りると小田君は言った。
「ちょっと歩くけど大丈夫?」
「ちょっとってどれくらい?」
「んー……まあ、大丈夫でしょ。行こう」
長い距離を歩くとしても、不思議と嫌じゃない。
「この辺詳しいの?」
「昔住んでたんだ。小学校の四年まで。川口さんは、来たことある?」
「海水浴場あるよね? もうちょっと行ったところに。あそこには子供の頃何度か連れて来てもらった。でもいつも車だったから電車で来たのは初めて」
「そう言えば俺さあ、そこの海水浴場で溺れかけたことあるんだよね。ガキの頃」
「そうなの!?」
他愛のない会話を重ねるうち、だんだんと普段の自分らしく話せるようになっていった。小田君はどう思っているかわからなかったけれど、わたしは話していて楽しかった。
「川口さん部活は?」
本当は「藍子でいいよ」と軽い感じで言いたいのに、言えない。
「今はやってない。中学の頃はバスケ部だったけど」
「バスケやってたの? じゃあ大丈夫だな。こっから近道するよ」
小田君はそう言うと、高台へと続く長い階段を一段飛ばしで駆け上がり始めた。
「えっ。ちょっと待ってよ!」
慌てて追いかけたものの、すぐに息を切らして足を止めてしまった。
「ほら早く早く」
上の方で小田君がわざとらしくと急かす。
「無理だって。ついて行けるわけないじゃない」
小田君はわたしのいる所まで下りて来てくれ、それからはゆっくりと、わたしのペースに合わせて一緒に上ってくれた。
「もうすぐだよ」
階段を上りつめた先は、高台の住宅地へと続く道路だった。下からぐるっと回って続いている道を、階段でショートカットした格好だ。
「ほら見て」
振り向くと、眼下に広がる街や、その向こうの海までも見渡せた。
「俺、ここからの眺めが大好きだったんだ」
「わかる。気持ちいいね」
「ここから景色見てると、飛べるんじゃないかって気になったりしてさ」
「そうできたら最高だね。階段登らなくていいし。絶対明日筋肉痛だよ」
「弱っちいな」
十月の風が、火照った頬をやさしく撫でる。
「せっかくだから、もうちょっと行ってみる?」
小田君は言った。
今度はどこに連れて行ってくれるんだろう。なだらかな上り坂をさらに登って行く。
しばらく歩いて、和風の立派な門をくぐった。
お寺?
門の中には広々とした境内が広がっていた。
「ここで小さい頃よく遊んでた」
「ここで?」
「隣にこのお寺がやってる幼稚園があるんだけど、俺そこに通っててさ。小学生になってからも、ここの境内によく遊びに来てたんだ。あっ、先生!」
視線の先に現れたのは年配のお坊さんだった。お坊さんは一拍遅れて誰だか気づいたようだった。
「翔太君かあ。久しぶりだね」
小田君は「幼稚園の園長先生なんだ。俺が通ってたときからの」と教えてくれた。
「こんにちは」と言いながら近づいて行く彼のあとを、わたしもついて行った。
園長先生はわたしにもニコニコと会釈をしてくれた。
「背が伸びたね。なんだか逞しくなって一瞬誰だかわからなかったよ。今日はガールフレンドと一緒か。羨ましいね」
聞き流したのか、小田君は否定しなかった。
「前に訪ねて来たのは……もう一年以上前だよね?」
「はい。中三のときです」
「だったよねえ。進路に悩んでいたんだったな。それで、結局十和崎に行ったんだったね?」
「はい」
「じゃあ今もサッカーを頑張ってるんだ?」
「まあ」
「そうかそうか。でもサッカーだけじゃなくて勉強も頑張らなくちゃダメだぞ」
小田君はごまかすようにへらっと笑った。
「せっかく来たんだから、中でお茶でも飲んで行きなさい」
「あ、いえ、今日は」
「何か愚痴を言いに来たんじゃないのかい」
園長先生はからかうように言って笑っている。
「今日はやめときます」
「まあガールフレンドの前だからね。弱音を吐いて、あんまりかっこ悪いところも見せられないか」
小田君はまた少し笑った。やっぱり「ガールフレンド」を否定はしなかった。わざわざ説明するのが面倒くさいのだろうが、悪い気はしなかった。もしかしたら、わざと否定しなかったんじゃないかなんて思ったりもしていた。
0
あなたにおすすめの小説
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
【完結】結婚式の隣の席
山田森湖
恋愛
親友の結婚式、隣の席に座ったのは——かつて同じ人を想っていた男性だった。
ふとした共感から始まった、ふたりの一夜とその先の関係。
「幸せになってやろう」
過去の想いを超えて、新たな恋に踏み出すラブストーリー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
短編 お前なんか一生結婚できないって笑ってたくせに、私が王太子妃になったら泣き出すのはどういうこと?
朝陽千早
恋愛
「お前なんか、一生結婚できない」
そう笑ってた幼馴染、今どんな気持ち?
――私、王太子殿下の婚約者になりましたけど?
地味で冴えない伯爵令嬢エリナは、幼い頃からずっと幼馴染のカイルに「お前に嫁の貰い手なんていない」とからかわれてきた。
けれどある日、王都で開かれた舞踏会で、偶然王太子殿下と出会い――そして、求婚された。
はじめは噂だと笑っていたカイルも、正式な婚約発表を前に動揺を隠せない。
ついには「お前に王太子妃なんて務まるわけがない」と暴言を吐くが、王太子殿下がきっぱりと言い返す。
「見る目がないのは君のほうだ」
「私の婚約者を侮辱するのなら、貴族であろうと容赦はしない」
格の違いを見せつけられ、崩れ落ちるカイル。
そんな姿を、もう私は振り返らない。
――これは、ずっと見下されていた令嬢が、運命の人に見初められる物語。
君は番じゃ無かったと言われた王宮からの帰り道、本物の番に拾われました
ゆきりん(安室 雪)
恋愛
ココはフラワーテイル王国と言います。確率は少ないけど、番に出会うと匂いで分かると言います。かく言う、私の両親は番だったみたいで、未だに甘い匂いがするって言って、ラブラブです。私もそんな両親みたいになりたいっ!と思っていたのに、私に番宣言した人からは、甘い匂いがしません。しかも、番じゃなかったなんて言い出しました。番婚約破棄?そんなの聞いた事無いわっ!!
打ちひしがれたライムは王宮からの帰り道、本物の番に出会えちゃいます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる