殺人鬼転生

藤岡 フジオ

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マムシ再び

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「ほう、降参するのか。まぁいいだろう。お前の命は助けてやるよ、樹族。さぁワイノスから離れろ」

 ビャクヤが両手を挙げて横に退くと、つい先ほどまでいたワイノスの姿が消えていた。

「何ッ! ワイノスはどこだ! 樹族!」

「へ? はて?」

 ビャクヤは振り返って背後にゴブリンがいない事に驚いている。

 ソラツメはビャクヤが謀を企ててているのかと思ったが、彼は本気で周囲を探している。

 少し離れたところでレッサーオーガの女の持つワンドから、マナの粒が僅かに舞い散っていた。

「くっ! あのオーガはメイジだったのか! 付与のスキルを使ってワイノスに【透明化】の魔法をかけたな? 俺の報復を気にせずにワイノスに味方するとは馬鹿なのか、肝が据わっているのか。どちらにしろ死ね!」

 クロビコノカミの左手の盾がパージして、腕からガトリングガンが飛び出た。そのガトリングガンがゆっくりと回転し始めてリンネを狙う。

「胸部ハッチを開きます。強制排出」

「なに?!」

 クロビコノカミの胸が開いてソラツメが地面に転げ落ちる。透明化したワイノスがクロビコノカミの股間部装甲の裏側にある、緊急用ハッチ開閉ボタンを押したのだ。

「【捕縛】!」

 ニー・ウンズが素早く魔法を唱えてソラツメの動きを封じた。

「ありがとうございます! 二―さん! それから透明化の魔法をかけてくれたオーガメイジさんも!」

 リンネはニッコリと微笑んで頷いている。

 国境の騎士はワンドを懐にしまって足早にクロビコノカミの操縦者の顔を見にきた。

「ふむ。一人称が俺だったから、てっきり男かと思っていたが・・・」

 銀髪に浅黒い肌のゴブリンの女―――ソラツメは魔法の縄で身動きができず、藻掻きながらワイノスを睨み付けている。

「殺すなら早くしろ!」

「殺すわけないよ。どうして君は僕を狙ったんだ?」

「お前が女みたいな顔をしているからだ!」

「どういう事かねッ!」

 ビャクヤも話に加わってきた。もっとワイノスを殺すに相応しい理由がその裏にあるに違いないと思って。

「お前が死ねば、ムロ団長は女を好きになって私にもチャンスが巡って来ると思ったからだ! お前さえ死ねば! お前がいけないのだ!」

(ふぁっ!? それだけッ!?)

 ビャクヤも驚いていたが、ワイノスはもっと驚いていた。

「そ、そんな事で・・・? それだけの為に爆弾に毒ガスを入れて僕に村人を殺させてたのか? 恋敵の僕を討伐する名目を作ろうとして・・・? 馬鹿な・・・」

 ワイノスは呆然として両膝を地面に突いて項垂れる。

「では・・・。薬で助かるはずだったあの村人たちは・・・。君の下らない嫉妬のために命を落としたのか?」

「いいや、お前のせいだ。あいつらはお前のせいで死んだのだ。お前の女みたいな顔が村人を・・・」

 ―――バチン!

 絶望して呆然自失とするワイノスを見下そうとして、膝立ちをしたソラツメの頬をリンネが叩いた。

「ワイノス君のせいなんかじゃないでしょ! 全ては貴方の嫉妬のせいよ! そんなくだらない事で人の命を奪うなんて最低だわ!」

 最低だが、そういう事が簡単に起きてしまうのが世の中なのだと二ーは心の中で思いつつも、リンネの真っ直ぐさに騎士として同意する。

「なぜ抑制できなかったのだ・・・。大人なら自分の感情を制御しなくては・・・」

「煩いぞ! 樹族! お前に俺の気持ちが解るものか! 思いを寄せる男が男色家だった時の気持ちが!」

 興奮状態にあるこのゴブリンに何を言っても無駄だと思ったニーは、首を横に振ってそれ以上は何も言わなかったが、代わりにリンネはこの件の焦点をソラツメに突きつける。

「知らないわよ! そんな事! それよりも、自分のやった行いを少しは悔いたらどうなの!」

 ソラツメのいう嫉妬など些細な事だ。問題は、その後にワイノスに向かう殺意が問題なのだ。

 しかしソラツメは自分が被害者でいかに苦しかったかという気持ちで思考停止しており、人々の死などまるで後悔していない。それが騎士の子リンネには許せなかった。

 言い争いになりそうになる二人にワイノスが手を上げて制止する。

「ソラツメ。君は昔から誤解や思い込みが激しかった。さっさと団長に自分の気持ちを伝えるべきだったんだ。なぜならムロ団長は君の事が・・・」
 
 ワイノスの言葉を聞いても、ソラツメは睨むのを止めない。

「嘘だ! ワイノスはいつも楽しそうに団長と話をしていただろ! 人見知りが激しい団長が、お前だけにはよく話しかけていた!」

「団長と僕はそういう仲なんかじゃない。彼は同じ悩みを持つ僕に、親近感を持ってくれていたんだ。団長は僕と同じでだったろう?」

 ワイノスは深くため息をついて、汗で濡れた黒髪をすくい上げ、顔の脂汗をゆっくりと手の甲で拭った。

「それに団長はよく僕に恋の相談をしにきていたものだよ。ソラツメは美しいし、どのゴブリンよりも強く、鉄傀儡の操縦も上手い。そんなソラツメが好きで妻にしたいっと何度も言っていた・・・。しかし、団長は自分が結構な歳で、尚且つ内向的で男らしくない事を悩んでいた・・・」

「嘘だ・・・。嘘だぁ・・・」

 涙と鼻水を垂らして泣くソラツメを見て、ビャクヤもリンネもやりきれない気分になった。

 この一連の出来事に救いはない。家のベッドに寝転んで読んでいた、必ずハッピーエンドになるような読み物ではないのだと。

 もう起こった出来事が元に戻る事はない。くだらない感情の暴走が、上手く行きそうだった全てをぶち壊したのだ。

 二人の事は自分に人生において全く関係はないが、これまでの愛憎劇が全て悪夢で、最初から無かった事にできればいいのにと、ビャクヤは無理な願いを心の中で呟く。

「霧が・・・」

 ニーが霧が晴れ始めた事に気が付いた。

「どうするのです? ワイノス殿。帰るなら今の内ですがッ!」

 ワイノスは慌てて立ち上がると、クロビコノカミに向いた。

「緊急事態だ、クロビコノカミ。マスター権限をソラツメから僕に移譲しろ。いいね? ソラツメ。君は元の時代に帰って罪を償うのだよ」

「・・・ああ」

「マスターの意思を確認しました。マスター権限をワイノス様に移します」

 クロビコノカミが再びハッチを開いて、新しい主を迎え入れる準備をしたその時。

「おーい! ビャクヤー!」

 建物が壊れても起きなかったエストが満面の笑みで走ってくる。

「だったらさー!」

 いつもと表情や口調の違うエストに違和感を覚えたが、ビャクヤは取り敢えず彼女が何を言おうとしているのかを聞くことにした。

「なかった事にすればいいのさ。起きた事実を消すんだよ! 解る? 消せばいいだけ!」

(エストの様子がおかしいな・・・。どうしたのだろうかッ! 消すとはどういうことかッ!)

 いきなりわけのわからない事を言う地走り族の少女に、皆顔を見合わせて困惑した。

「どういう事? エスト」

「こういう事!」

 リンネの問いに、エストが指をパチンと鳴らすと霧が再び濃くなっていく。その濃くなった霧の向こう側で倒れているゴブリンたちの姿が見える。

「僕が毒ガス爆弾を落とした村だ!」

「毒ガス爆弾が落ちなかった事にすればいいんだよ! 爆弾が落ちた事実を消すんだ! ボクはビャクヤの望みを叶える事ができるよ!」

「ボ、ボク?」

 いつの間にかボクッ娘になったエストにビャクヤが驚いていると、彼女はもう一度エストが指を鳴らした。

 すると霧の向こうで死んだはずの村人たちが、不思議そうに辺りを窺いながら次々と立ち上がり始めた。

「こ、これは神の奇跡!」

 ビャクヤは更に驚く。

 大量の死者を蘇らせたのは歴史上で知る限りで現人神ヒジリと悪魔キリマルだけだ。まさか聖騎士見習いのエストがこんな簡単に蘇生の祈りを使えるはずがない。

「彼女は聖騎士か何かなのですか?」

 ニーの問いかけに、彼女の素性は詳しく知らないがと前置きをして、恰幅の良い樹族であるビャクヤは答えた。

「ええーっと・・・。ああ! 思い出しました。彼女を吾輩に託して消えた男が言うにはそうです。聖騎士見習いだと言っておりました! あひゃ」

「まやかしではないのですよね?」

「そう思うなら帰って確かめてみなよ」

 エストは疑うワイノスに対して頬を膨らませて拗ねている。

(傲慢なエストがッ! こんなお茶目なポーズを取ることはないッ! やはり何かおかしいッ!)

「僕はその子を信じるよ。もし神の奇跡で全てがなかった事になっているのだとしたら・・・。僕はソラツメを許して、もう一度チャンスを与えたいと思うんだ。まずは感情の制御の仕方を・・・。おっと! 急がないと!」

 ワイノスはクロビコノカミに乗ると、ソラツメの背中を押して霧に入らせた。ソラツメは感情が不安定なのか、大泣きしながら霧に入っていく。

「よし・・・。皆さん、本当に色々とありがとうございました! この御恩は一生忘れません! 皆さんの勇気や助力を称えて、この出来事を図書館の公式記録として残しておきます! もし、僕たちの時代を飛び越して未来に行くことがあったら是非帝国図書館で確かめてみてください!」

 ワイノスがニヤリと笑うので、ニーは手を振ってそれに笑い返した。

「ハッハッハ! それは無理だな!」

「フフフ。それではッ! 帝国鉄傀儡団! 工作部隊所属! 機工士ワイノス! 帰還いたします!」

 クロビコノカミが軍隊式の敬礼をしている間に霧に包まれて消えていった。

「はぁ・・・。結局私たちはゴブリンのメロドラマに付き合わされただけだったか。ハハハ・・・」

 ニー・ウンズは苦笑いをしてため息をつき、壊れた詰所の玄関を見て頭を悩ませつつ、騒がしい三人を見つめた。

 いつから奇跡の祈りが使えるようになったのか、どうやって覚醒したのか、その変な喋り方と仕草はなんだとビャクヤとリンネの質問攻めにあっているエストの影から、ワースライムが人に変形する時のように人の形を作っていった。

「それにしても、あれが本当ならば神の奇跡とは凄いものですねぇ。シュシュシュ。ですがぁ・・・。彼女の行った奇跡は間違いなく神のそれなんでしょうか? よくわかりませんね。正体不明なものは怖い。これは人の本能なのです。シュシュシュ!」

(なに! マムシは仲間に報告をしに行っていなかっただと?)

 帝国の鉄傀儡が現れた時点でこの場から立ち去っていたと思っていたマムシが、苦無を持って現れたのだ。

 マムシの囁くような独り言は、ニーにしか聞こえていなかった。

 ビャクヤもリンネも彼の存在に気が付いていない。

 メイジがスカウト系に弱い理由がこれだ。潜伏している彼らを察知するのが非常に遅い。その察知能力の低さは戦士以下なのだ。

 危ない、などと言っている間にエストは重傷を負わされるだろう。事実、マムシの持つ刺突武器が少女の無防備な首筋に到達するまであと僅かだ。

(くそ! させるものか!!)

 ニーはワイノスの時同様、エストに我が子を重ね合わせて見ている。

(あの少女に守りの盾を発動させても間に合わない! ならばっ! 我は騎士の典範に則り弱きを守る! 身代わりの盾!)

 ニーの姿が瞬時に消えて、エストのいる場所に現れた。代わりにエストはニー・ウンズのいた場所に現れる。

 誰かを心の底から守りたいと思った時に発動する騎士の防御スキル、身代わりの盾は見事エストを守りきった。

 腕をクロスさせ自身の心臓と頭を守りつつ身代わりとなったニーは、血泡を口から飛ばしながら叫んだ。

「ビャクヤ殿! 警戒を! マムシはまだいるぞ!!」
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