殺人鬼転生

藤岡 フジオ

文字の大きさ
上 下
162 / 299

竜のしっぽ亭

しおりを挟む
 転移魔法でツィガル帝国領土に現れたビャクヤは、エストがいなくなった事に内心ホッとしていた。これ以上歴史上の重要人物と関わるのは良くない事だからだ。

 過去の出来事に関わった神の子ヤイバはどうなったか。

  ツィガル帝国を守った後、寿命まで生きたという話もあれば、世界を変えられなかった事で蓄積した心の暗い滓に飲まれて沈んだという話もある。もし後者なら自分もそうなる可能性があるとビャクヤは身震いした。

「あのまま一緒にいたとしても、エストと共に法王討伐をする事はなかったとは思いますがッ! これ以上関われば、何らかの影響を与えていたかもしれませんッ!  路銀を渡してあげられなかった事が唯一の心残りですがッ! これで良かったのでんす・・・」

 ちゃんとエストとお別れができなかったという罪悪感が、仮面の魔法使いにそう言い訳をさせる。

 そんなビャクヤを気遣うようにリンネは微妙に話題を変えた。

「エストの様子が変だったけど、なんだったのかしら。コズミックペンがどうのこうのって言ってたわ」

「コズミックペン? さぁ・・・。何かしら個人的に抱える問題でもあるのでしょう。それを乗り越えて彼女は成長し、やがて立派な聖騎士となるのです・・・。さぁツィガル城下町が見えてきましたよ。結局、樹族国で路銀を稼ぐようなクエストを受けていないのでっ! あそこの竜の尻尾亭でご飯を食べながら、良い依頼票でも物色しましょう。活動資金がないと何もできませんからねッ!」

 歩き出そうとしたビャクヤは小石につまずいて倒れそうになったが、それをリンネが支える。

「なんだかヘトヘトだね、ビャクヤ。それに胸や仮面から栗の花の匂いがするわ」

 リンネが意地悪く笑って、匂いを嗅いでくる。

「誰のせいですかッ! 人の寝込みを襲って尚且つッ! 吾輩がフラフラしながら射精していると肉棒にしゃぶりついてきたのは! そしてエストをほっぽって御セッセ三昧! 吾輩の陰嚢はッ! 白い中身と引き換えにッ! 後悔が沢山詰まっていますよッ!」

「だって凄く気持ち良かったんだもん。気持ちがいい事は誰だってもう一回! ってなるでしょ? 後悔するほどエストが気になるなら、私を跳ね除けて追いかければ良かったじゃん」

 拗ねたリンネはマントからはだけるビャクヤの胸をクンクンと嗅いで、ぺろりと舐めて逃げた。それはビャクヤは自分のものだという表現なのだろうか。

「先に入ってるね!」

 金色のポニーテールを揺らして振り向くと、リンネは青い目を細めて笑顔をこちらに向け、竜の尻尾亭に先に入ってしまった。

 暫く恋人の笑顔の残像を脳内で見ていたビャクヤは我に返る。

「ちょっと! リンネ! この時代の竜の尻尾亭に一人で入るのは危険ですよッ!」

 急いで荒くれ者がたむろするであろう、竜の尻尾亭の扉を開けたビャクヤだったが、心配とは裏腹にリンネは何事もなくカウンターに座って水を注文していた。

 ビャクヤの心配とは逆に、冒険者ギルド兼酒場には荒くれ者よりも冒険者の方が多く、戦闘の陣形の話に夢中なオークや、武器の手入れに熱心なオーガ、情報交換をするゴブリンなどがいた。

(故郷に帰ってきたものの、やはり吾輩のいた未来と一緒、というわけにはいきませんなッ! どことなくふざける事を許さないような、余裕のない空気を感じます)

「お嬢ちゃん、どこから来た? グランデモニウム王国のオーガかい? 背がちいせぇからよ。地走り族かと思ったぞ」

 カウンターに立つオーガが悪気なくそう言って、水をリンネの前に出した。

「え~。これでも身長は地走り族よりも高いんですけど。私はニムゲイン王国から来たの。ワイドシーの真ん中にある島国だよ」

「あ~、確か・・・聞いた事あるな。ノームがそれらしいこと言ってたけど、早口過ぎて聞き取れなかったわ。ガハハ! ノームが話題に上げたって事は、ノーム並みに珍しい客だってことだな。まぁゆっくりしていってくれや」

 この時代のオーガは気の荒い者しかいないと教師から聞いていたので、ビャクヤは拍子抜けしながらリンネの横に座る。

(意外と気のいい連中ですねぇ・・・)

「仮面の坊主・・・。うっぷ! おめぇなんか生臭ぇな。注文は?」

 ビャクヤは臭がられても気にせず、財布の中を探る。

 未来から来る時に持っていた、自前のツィガル鉄貨を探していたのだ。鉄貨はここ一世紀ほどデザインが変わっていないから使えるはずだ。

「あ、思ったよりあるんごッ! ではちょっと贅沢をしてッ! オティンポを二つ下さいッ!」

「えっ! おちんぽ?」

 リンネはビャクヤが狂ったのかと思って眉根を寄せて見つめる。

「おちんぽではありませんッ! もうッ! リンネは恥ずかしいレディですねッ! それは今朝あげたでしょうがッ!」

 ビャクヤが恥ずかしそうにして、ひそひそと注意すると、店の主人がゴハゴハと笑った。

「可愛くて真面目そうな顔から、そんな言葉が出るとは思わなかったぜ、お嬢ちゃん! いいものが見れた! おちんぽじゃなくてオティムポな。牛の名前だ。でっかい牛でよ、野牛の割に脂肪が程よく乗ってて美味いんだわ! だがな・・・」

 オーガはエプロンで笑い涙を拭きながら、ハァとため息をついた。

「今は樹族国とグランデモニウム王国が戦争おっぱじめようとしてるだろ? で、戦場になる場所のすぐ近くにある絶望平野ってとこに、オティンポ牛は生息してんだわ。戦争になれば当然、牛肉の流通は止まる。ただでさえ希少な肉だから、尚更市場には出回らなくなる」

 ここで店の主は声を潜めてビャクヤに情報を提供する。主はビャクヤをオティムポ牛料理を頼めるだけの財力がある客と判断し、ツィガル滞在中は贔屓にしてくれるようサービスをしているつもりなのだろう。

「これは噂だがよ、ヴャーンズ皇帝陛下は漁夫の利を狙ってるらしいぜ。樹族国との戦争に勝っても負けてもグランデモニウム王国を占領するつもりでいるらしい。ここにいる冒険者たちも、噂を聞いて帝国からの傭兵依頼を待っている奴らばかりだ。こいつらが活躍して戦争に勝ったら、オティムポ牛は食い放題になる! そうなったらこの竜の尻尾亭でバンバン注文してくれよな!」

 ふむ、と頷いてビャクヤは取り敢えず適当なランチを二つ頼んだ。

「グランデモニウム王国はずっと帝国の支配下に入る事を拒んできましたからねッ! 温厚なるヴャーンズ皇帝陛下もそろそろ堪忍袋の緒が切れる頃でしょうッ! 戦争でグランデモニウム王国が疲弊したところを狙うとは賢いですねッ!」

「だろう? これまでの脳筋皇帝とは一味違うよな」

 ここでビャクヤは歴史がおかしい事に気が付く。自分が知っている歴史とは流れが違うのだ。

(ん? なにかが変だッ! まず帝国の魔法騎士団のミスで、”死者の行進“という歴史的大悲劇が起き、グランデモニウム王国民の殆どがゾンビと化したはずだがッ? そしてヒジリが大規模な浄化の光で死者を全滅させッ! 神としての威光を示し、弱体化したグランデモニウムを支配したはずッ! 吾輩もその光景をこの目で見た! なのにッ! そんな噂話が一つもないのはおかしいッ!)

 ビャクヤはそもそもなんで自分は、この世界と同じ線上の未来人だと思い込んでいたのだろうかと考える。

(吾輩はなぜッ! この世界を自分のいた未来へと進む轍と考えたのかッ! リンネに召喚されてゲートをくぐる時になぜかそう感じたからだッ! 自分は過去へ行くと思わせる何かがッ! あのゲートをくぐる時にあったッ!)

 しかしいくら考えても、その時の事は爪の先ほども思い出せない。

(まぁ色々考えても無駄なことッ! 目下は資金を稼いでッ! ツィガル城の宝物庫に入る手段を考えねばッ!)

 ビャクヤはオーガが目の前に置いた肉を食べようとして、フォークとナイフを探したが見つからなかった。

「失礼、ご主人。フォークとナイフがないのだがねッ!」

 オーガが「へ?」という顔をした後、暫く間が空く。それから腹を抱えて、ぐばらぐばらと大笑いした。

「魔人族が上品なのは知っているがよ! ここじゃあ、料理は手掴みで食うのがマナーだ!」

「・・・」

 やはり時代が違えばマナーも異なる。一世紀後には愚鈍なオーガですら、ナイフとフォークぐらい使えるようになっている。

「仕方ありませんねぇ・・・」

 ビャクヤはなるべく脂が付かないように注意を払いながら、肉塊の側面から飛び出ている骨を掴み【切り裂きの風】を唱えた。

 肉は綺麗なサイコロ状になって皿の上に落ち、店の主人や冒険者たちから「オオ!」と感嘆の声が上がる。

「アークメイジだ!」

 誰かがそう言ったが、ビャクヤはその褒めたたえる声を聞いていなかったのか、普段通り澄まし顔で角切り肉が乗った皿をリンネに譲る。

「ありがと、ビャクヤ」

 リンネはカウンターのコップの中にあった、オーガ用の使い捨てつまようじを手に取ると肉を刺して食べ始めた。

「ビャクヤが切ってくれたから食べやすい」

 にっこりと笑うリンネにビャクヤも微笑み返していると、店の主人が話しかけてきた。

「ツィガルじゃあよ、メイジは面と向かって戦えない臆病者として馬鹿にされている。だが流石に今のは見事だったぜ。俺ぁ魔法は詳しくねぇが、範囲を細かく決めて呪文を発動させるなんてぇのはよぉ、高位のメイジにしかできねぇんだろ? あんたヴャーンズ皇帝並みにすげぇんだな」

 力こそ全てという考えの脳筋が多い闇側国では、奇跡と魔法は軽んじられている。それでも実力を示すことができれば誰もが態度を改めるのだが、実力を示さないメイジはやはり罵倒の対象にされやすい。(※闇側に僧侶は殆どいない)

 しかしビャクヤは知らず知らずのうちに、酒場にいる全員から尊敬を得るだけの実力を示していたのだ。

 尊敬の視線を受けるビャクヤは、ようやっとそれに気が付き、後頭部を掻いてから照れ笑いをした。

「あれぇ? 吾輩、何かやっちゃいましたぁ?」
しおりを挟む

処理中です...