殺人鬼転生

藤岡 フジオ

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闇ビャクヤ

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 上位竜種による【死の雲】。黒竜を中心にして、まるでホコリタケが菌糸を飛ばすかのごとく雲は拡散する。

 人型種の唱えるそれとは違い、桁外れの成功率を誇る死の雲が、周囲の者を次々と襲う。

 野次馬に来ていたゴブリンやオークは、雲に包まれた瞬間に絶命して倒れていった。

 生命力の高い者や魔力の高い者が、辛うじてレジスト出来る黒竜の魔法は、土の地面に死体の敷石を作り出していた。

「リンネ!」

 ロロムたちと共に死の魔法の範囲外にいたビャクヤは、黒竜に近かったリンネを心配して走り出す。

(リンネはメイジなのに頑強さや生命力が高いッ! 魔力値は普通だがこの二つがあれば十分にレジストできるはずッ!)

 つまり二段階でレジストできるのだ。体力が高いだけ、魔力が高いだけの者だと、一回だけしか抵抗できない。まぁそのどちらかが普通より高ければこの死の雲は耐えられる確率が高い。

 では、そんなに恐れる魔法ではないではないかと思うかもしれないが、特別な者はそうそういないのである。

 雲が晴れると同時に、人影が見えた。

 魔剣へし折りを盾にしてミスリル銀のフルプレートが、日光を鈍く反射させる女傭兵ヘカティニス。

 大盾を構えてじっと除き穴から黒竜の様子を観察する、慎重な帝国鉄騎士団団長リツ・フーリー。

 闇魔女イグナも問題なくレジストしている。

 残念なことに、この場に十人程いた砦の戦士たちの半分は逝ってしまった。高い体力を以てしても運が悪いとこうなる。

 そして・・・。

 晴れゆく死の雲の中に立つ人間の影。ショートボブをいつの頃からか伸ばし始めて、今はポニーテールになったビャクヤの恋人。

 膝を突いて項垂れるナンベルを庇うようにして立つリンネは、まるで騎士のようだった。

 それを見た途端にビャクヤの背中に悪寒が走る。知識が豊富だからこそ、真っ先に思い浮かぶネガティブな思考。

「まさか・・・ッ! 何もこんな時に発現しなくてもッ!」

 騎士の父親とスペルキャスターの母親の間に生まれたリンネはメイジの道を歩んだ。

 しかし時として誰もが、自分とは真逆のクラスのスキルを引き継ぐ事がある。

 親からのスキル遺伝。恩恵になることもあれば、足枷になることもある。バトルメイジを志した彼女に発現したスキルは―――、かばう、だった。




 庇護した相手が受ける全てを引き受ける騎士のスキル“庇う”は、死の雲からナンベルを守るために発動したようにビャクヤには見えた。

 物理攻撃の場合はなぜか自分の防御力で引き受けるが、魔法となると別だ。つまりリンネはナンベルのレジスト率で庇った事になる。

 死を免れる確率は一体どれほどのものだろうか? 恐らくは・・・。

「自分の勘などあてになるものかッ!」

 ビャクヤは嫌な予感を振り払ってリンネの肩を掴むと同時に、僅かに苛立ちを募らせながら横目で祖父の生存を確認する。

 ナンベルは死に際の黒竜が放った負のオーラのような何かを浴びてしまったのか、地面に膝を突いた体勢から動こうとはしない。憔悴しきっているようにも見える。

(祖父は元々生産職向きの人だッ! 家族を殺された復讐のために、強引に戦闘職に切り替えたのでッ! 魔人族としては中途半端な能力値なのだッ!)

 滅多に変わらない能力値をどうやって変えたのかは結局、ナンベルは話してくれなかった。祖父の変人染みた行動はそれらの代償なのかもしれない。

(なにはともあれッ! お祖父様が無事で良かったッ! おっと! それよりも我が愛しの恋人が、気がかりだッ!)

「リンネ!」

 学園の制服とマント越しに熱を感じる。しかし彼女は微動だにしない。顔の前で手をクロスさせたままだ。

「もう戦いは終わりました。黒竜は死にましたよ。リンネのスキルのお陰でお祖父様は助かりました。感謝します・・・。?!」

 触れているリンネの肩からどんどんと熱が逃げていくのがわかる。

(嫌だッ。認めたくないッ!)

「わが同胞の君」

 地面を見つめたままだったナンベルだったが、項垂れた頭を上げてこちらに奇妙なメイクの顔を向けた。

(言うなッ!)

「彼女は君の愛しい人のですか?」

「勿論ッ!」

「なんと言えばいいか・・・。雲に抗えない小生が死を覚悟したその時、彼女が騎士のスキルを発動するのを見ました。なぜに彼女が赤の他人である小生を助けようとしたのかはわかりませんが・・・」

(リンネは貴方を吾輩の祖父だと知っているから守ったのですよッ! 命を使ってまで!)

 ビャクヤの仮面の下から涙がポタポタと零れ落ち、雫が地面で王冠を作った。彼の体には負の感情に集る精霊が集まっていた。怒り、悲しみ、絶望、悔恨。

 周囲に広がる負のオーラ。

 しかしそれは闇堕ちの途中であるビャクヤのものではない。

 死んだと思っていた黒竜が動いて四足でしっかりと立ち上がり、長い顔を天に向けて笑っていた。

「ハハハ! 生贄の癒やし、大成功! おっと!」

 誰かが動く気配を感じた黒竜は、足を踏ん張って背中の羽根を動かした。

「おまえっ! 胸糞悪いど!」

 飛びかかってくるヘカティニスの、鈍器のような魔剣を黒竜は飛んで躱し、近くにあった巨石の上に移った。

 それからご馳走である死体の山を見て、蛇のような舌をチロチロと出し入れしている。死体の数に満足すると巨石の下で自分を狙ってウロウロするヘカティニスを見た。

「いやぁ~。危なかった。まさかこんなところで神シリーズを持つ者と出会うとはね。咄嗟にスキルを発動させて【死の雲】を唱えた僕は偉い」

 人のようにニィと笑う黒竜は、喋りながら喉をゴロゴロと鳴らしている。ブレスを吐く準備をしているのだ。

 ――――が。

「あああああああああああああああ!!!! リンネが逝ってしまったッ! 闇がッ! 闇が深まるッ!」

 突然発狂したビャクヤに周囲は驚く。黒竜と戦って死者が出ないわけがないからだ。

 精神があまりに脆弱な仮面のメイジを見て、黒竜ですら驚き、笑いとブレスの予備動作を止める。

 周りの事など目に入らないビャクヤはシルクハットを地面に叩きつけ、黒髪を掻きむしり叫んだ。

「まただッ! またリンネが死んだッ! ここにはッ! キリマルがッ! いないというのにッ!」

 驚く皆の中でほくそ笑む者が一人。

 それはエストに憑依したQだった。

(いける! ビャクヤの絶望が大きく溜まっていくのがわかる! 思いの外、この時が来るのは早かったな! あと少しだ! もっと現実逃避をしろ! この世界から逃げて、リンネのいる世界へ行きたいと願え! そうすれば異世界への霧が発生すること間違いなし! あとは霧が発生した瞬間、ビャクヤを掴んで自分の作った世界に引きずり込むだけだ!)

「吾輩はッ! 善なる行いを良しとして生きてきたッ! 人を助けッ! 慈悲の心も携えていたッ! なのにッ! 神はッ! 吾輩にッ! 試練ばかりを課すッ! 国境騎士の時もッ! リンネの時もッ! 神はッ! 願いに応じてくれなかったッ! 黒竜を倒すはずだったヒジリもこの場にはいないッ! 神などッ! 善などッ! もう糞食らえだッ!」

 闇堕ちというのは樹族にだけ起こる現象ではない。樹族は見た目が変わるのでわかり易いというだけなのだ。

 ビャクヤの体から闇色の湯気のようなオーラが立ち昇る。

 それを見たナンベルが、腰のポーチからスタミナポーションを出して飲むと立ち上がった。

「闇に堕ちた先輩としてアドバイスをしますが、そこから軌道を修正するのは容易ではないですよ、我が同胞。引き返すのです」

 死んだ者を贄にして蘇生や回復をする黒竜の生贄の癒やしは、近くにいた者の体力も奪う。

 スタミナポーションを飲んだ程度では大して回復はしないが、それでも恋人を失った仮面のメイジを慰めようと、ナンベルは気力を振り絞って歩きだした。

 が、それをビャクヤは睨みつけて止めた。

「来るなッ! リンネの命と引き換えにこの世にいる気分はどうですかッ! お祖父様!」

 頭を抱えて闇の霞の中から、目だけを光らせてこちらを見る仮面の魔人族に、ナンベルは優しく声をかける。

「(彼はなぜ小生をお祖父様と呼ぶのか?)勿論、悲しいですし、君の恋人には感謝の気持ちしかありません」

「嘘だッ! 自分が助かって当たり前だと思っているのでしょうッ!」

「嘘ではありません。しかし今、自分が助かっているのはそういう運命だったと、心の内で囁く薄情な自分がいるのも事実です。小生は善人ではないのでね。とはいえ、大事な人を失う気持ちはとてもわかりますヨ」

 攻撃の届かない場所で、黒竜は楽しそうに二人のやり取りを見ている。

 時折、イグナが黒竜に魔法を仕掛けるが、彼は簡単にレジストしてしまう。イグナの魔法攻撃を気にもせず、闇堕ちするビャクヤを見て目を細めていた。さぁ早く此方側へ来いと。

 少し離れた場所でマサヨシがロロムに言う。

「師匠はさっきから動く様子がないけど、帝国はこの件に介入しないということでつか?」

「ええ。既にリツが介入してしまっていますが、これは国際法違反です。彼女は後ほどチョールズから処罰を下されるでしょう」

「本当は助けたいんでそ? 師匠」

「勿論。できれば、この国の責任者であるヒジリ殿から許可が欲しいのですが・・・」

 リツのような団長の立場であれば、まだ言い訳が通じる部分はある。大盾が偶然飛んでいって黒竜の前に落ちたから、取りに行ったら襲われて、自衛行動に出たという苦しい言い訳でも情状酌量の余地はある。

 しかし、ツィガル皇帝の顧問である自分が、他国の戦闘に参加すればどうなるか。

 いらぬ誤解を招く可能性もある。黒竜をけしかけたのは帝国で、それを誤魔化すために、帝国の高官が自作自演をして戦ったのだと言いがかりをつけられるかもしれない。

 だが、ヒジリはそんな穿った見方をしないだろうとロロムは思う。しかし、彼の後ろにいる樹族たちはどうだろうか?

 自分が下手な事をすれば、全ての責任が命の恩人であるヒジリへと向かうのは必至だ。

「そういえば、俺は士官として正式採用されたんご?」

「ん・・・? 幾らマサヨシ君が私の弟子とはいえ、チョールズでもそう簡単に採用するなんて事はできないよ。立場的には仮採用といったところだね。待ちなさい、マサヨヨシ君。まさか・・・」

 マサヨシはビャクヤたちの方へと向かって歩き始める。呼び止めるロロムに片手を上げて閉じたチョキを作って傾けた。

「俺、まだ仮採用なんで。帝国は関係ありませんズリ」
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