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禁断の箱庭と融合する前の世界(22)
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失恋して悲しくても腹は減る。お風呂に入っていないので体も匂う。部屋に引きこもる以前から備蓄していたおやつの干し果物は昨日で無くなった。
「お腹空いたけど、動きたくない・・・。外に出たくない。でもお腹減った。体も臭い。頭痒い」
―――コンコン―――
まただ。また姉妹の誰かがノックしている。
「もういいからほっといてよ!」
投げた枕がドアにぶつかりドンと音をさせる。音に驚いたのか一瞬間が空いた後、野太い女性の声がした。
「おでだ」
おで?女性で一人称がおで?誰?
「誰よ!」
「おではおでだ。ヘカティニスだ」
あまり面識のない闇側の英雄の名前にタスネは戸惑った。ゴブリンゲートと黒竜戦で見た以来だ。
タスネは急に怖くなる。
魔剣から繰り出される竜巻によって落下し、背骨をへし折られた傭兵や騎士の山を戦場に築くあのオーガがドアをぶち破って襲い掛かってくるのではと。
彼女はヒジリとは知り合いっぽいけど、自分には接点が殆ど無い。
「な、なんの用ですか?」
「ヒジリに頼まれて花と食事を持ってきた」
―――ガチャリ、バキャーン!―――
鍵の掛かったドアノブが無理やり捻られ壊れた。
ヘカティニスは普通にドアノブを捻っただけだったのだがドアノブの閂錠が馬鹿になり役目を果たさなくなった。
「ヒ、ヒィィ!」
タスネは怯えてベッドに潜り込むとオーガの重たい足音が近づいてくる。
―――ドスドスドス、コトトッ―――
「じゃあおでは用が済んだので帰るど。花は確かに渡したかだな」
バタン!ギィィィ・・・・。勢い良く閉まった扉だったがドアノブが壊れているので再びゆっくりとドアが開く。
タスネは恐る恐る顔を出し、ヘカティニスが去ったのを確認すると机の上を見た。
ぼんやりと光る白い花の植木鉢が置かれており、その横には粗末な黒パンと具の少ないスープが置いてあった。
食事を見た途端、お腹がグゥゥと鳴る。タスネはもう一度ドアの外に誰も居ないのを確認するとテーブルの椅子に座り、粗末な黒パンと野菜くずしか入っていない塩のスープを飲んだ。
(これ・・・、貧乏だった頃にいつも食べてた固くて不味い黒パンだ・・・。こっちのスープも・・・)
ヒジリは何故、貴族となった今の自分にこの食事を食べさせようと思ったのか。この花は何なのか。考えが頭の中をグルグルと巡り、涙がポロポロと出る。
(昔は貧しくて辛かったけど・・・ホッフが言うとおり悪いことばかりじゃなかった・・・。姉妹総出でキノコを採りに行った時はコロネが高級キノコを見つけて皆して喜び合ったり、誰も来ない秘密の川辺で背中を洗いっこしたり、ベッドに身を寄せあって寒い冬を乗り越えて、暖かい春の日差しの中で皆で背伸びしたり・・・。酔っ払っていたとはいえ何でアタシはあんなにネガティブだったんだろう?貴族としてのプレッシャーや忙しさからくるストレスを彼にぶつけて、自分がどんなに辛かったかばかりを嘆いて、アタシの事を気にしてくれた優しいホッフに酷いことをして・・・。プライドを傷つけられ、貴族であるアタシに脅されたホッフの気持ちを考えるとあんな目で睨んだのは当然だ。完全にアタシが悪い!もう遅いかもしれないけど、次にエポ村に行ったら絶対ホッフに謝ろう。許してくれるまで心から謝ろう!)
今までの自分は可哀想な悲劇のヒロインだと思い込み、悲しみに酔っていただけであった。それが如何に何も生まない行為かを知る。
食べ終えた食器を一階の炊事場に持って行こうと手に持ち、ふと花を見ると花からは誰かを思いやる優しい気持ちが伝わってくる気がした。
自分のことばかりじゃない、誰かを思いやる気持ちが。
(この食事は初心に戻れって事なのかな?お花を見ていたら、不思議と元気が出てきた!ありがとう、ヒジリ!大好きだよ!)
踏ん切りの付いたタスネの顔がそこにはあった。
ホッペを叩いて気合を入れると、食器を持って部屋から出て炊事場に向かう。
一番初めにタスネを見つけたのは、使用人の目を盗んで炊事場でおやつを漁っていたコロネだった。胸いっぱいに空気を吸い込んで喜びながら姉に飛びつく。
そして開口一番飛び出た言葉は「お姉ちゃん、くさ~~い!」だった。
エポ村の冒険者ギルドの自室で地走り族の男はハゲ頭を気にして鏡を見ている。以前まで櫛で流すことの出来た髪はサイドを残しててっぺんに一本だけになり、寂しくなった頭を撫でた。
「タスネがクロス地方の執政を任されるようになってからギルドの酒場の売上は下がる一方だ。酒場も人が少なくて、この禿頭のよう」
冒険者ギルドの長カンデは約束があったのを思い出して、時刻を数字で示す魔法の水晶を見た。
「ん?そろそろエポ村担当の役人様が来る時間だな?」
急に外から騒がしい声が聞こえる。カンデは来たか!と手を擦り合わせて外の様子を伺いに行った。
しかし、この騒ぎは自分の予想したものと少し違っていた。
今やギルドの酒場の売上を脅かす村民の酒場や料理店に送り込んだならず者達は、一人のハゲた牙のないオークメイジの魔法に打ちのめされていた。
料理店の主は店先のワゴンに入れてあった一番大きいパンをオークに差し出して感謝している。
(ば、馬鹿な!何でオークメイジがこんな所に?いや、豚人か?豚人のメイジなのか?オークにしては下顎の牙がない)
そこへ丁度査察に来ていた役人が騎士を連れて現れた。
本来ならばこの役人がならず者を追い払い、店に借りを作った所で厳しい査察をして有無を言わせず取り締まる予定だったのだ。
当然のごとく騎士は闇側の住人であるオークに詰問する。
「主はどこだ?牙無しオークよ」
「#$%&#$%&!」
牙のないオークは大抵の場合、奴隷なので主が近くにいるはずである。
(何だ?あのオーク。主からちゃんとした言葉を教わって無いのか?)
カンデはハゲ頭を擦りながら不思議なオークを取り巻きの中から見ている。
役人はある事に気がついたのか、怪訝な顔でオークを見る。
「ちょっと待てよ?わざわざ奴隷オークをメイジにする馬鹿がいるか?豚人にしては鼻が豚っぽくないし・・・。何かがおかしいぞ!」
下級騎士達は役人貴族の緊張した声に顔を見合わせて、それぞれがワンドとメイスを構える。
「主の名前を言え!魔法印を見せろ!」
「#$%&#$%&www!」
オークはパンをもしゃもしゃと食べながらキョトンとし、醜い顔を騎士達に向けて何かを喋ったがやはりその言葉は理解出来なかった。
「構わん、捕らえろ!」
役人が声を上げると騎士達は呪文を詠唱して【捕縛】をオークに向けて放った。
野次馬の地走り族も樹族も、誰もが身動きを封じられたオークが地面に這いつくばると予想したが、ハゲた黒髪のオークは全てをレジストしてしまった。
騎士達三人の【捕縛】を全てレジストする事は並のオークには無理だ。
「まぐれだ!続けて撃て!」
しかし何度詠唱しても騎士達の魔法は掻き消されてしまう。
オークは攻撃されているにも関わらずパンを食べ続け、愚鈍そうな濁った目で騎士達を見つめていた。
その姿が余りに不気味過ぎて騎士と役人が狼狽しているのは明らかである。
遂にメイスを持った騎士が魔法での捕縛を諦め接近戦を挑んだ。しかし、この騎士の接近戦は得意でないのか、簡単に避けられてメイスを奪われてしまった。
オークは取り上げたメイスを見て本物である事に驚き、怒りながら騎士の頭を拳骨で兜ごと殴った。
しかしそれ以上は何もしてこず、メイスを持ったまま近くのマジックアイテム店に入っていった。
「ど、どういう事だ?奴の目的は何だ?皆目見当がつかん」
この滑稽な出来事に野次馬たちはクスクスと笑っている。
役人は呆けながらマジックショップの窓から中の様子を伺った。
オークは店主と何か話しているが、メイスで脅している様子もなく何かのアイテムを売りつけようとしている。
しかし言葉が通じず、痺れを切らした店主が棚の奥から魔法のペンダントを持ってきてオークの首に掛けた。
「どうです?お客さん。これで言葉が解るでしょう?」
「あれ?言葉が通じるじゃん!最初から普通に喋れよ、糞ガキが!」
オークは怒っているのか笑っているのか判らない態度で店主を罵倒した。
「心通いのペンダント、銀貨一枚ね」
地走り族の店主がそう言うとオークは笑いながら応える。
「はいはい、このペンダントの魔法効果のお陰で僕ちゃんは会話出来ているのね。知ってる知ってる。そういう事にしといてあげまつよ。銀貨?銀貨ってなんだよ。中世じゃあるまいし。銀貨って事は百円ライター程度じゃ交換は無理か。さっき悪ガキから奪ったこのメイスやるから、このペンダントを交換してくれ。あと何か飲み物くれない?パン食ったら喉が乾いちゃってさ、オフッオフッ!」
店主は飲み物の話は無視してメイスに手をかざして魔法で識別を始める。
「これ、どっかの騎士の持ち物じゃないか。本当に買い取ってもいいの?結構いい値段するよ?」
チリンチリンと音がなってドアが開き、メイスを奪われた騎士が慌てて入ってくる。
「そ、それは私のだ!買い取らないでくれ!」
「じゃあ、お前払っとけよ、ペンダント代。じゃあな」
オークは飲み物を求めて外に出た。玄関付近に立っていた役人をオークは睨む。
「俺はいじめっ子の匂いが解るんだ。何故かって?忌まわしき子供時代に俺はいじめられっ子だったから。お前はいじめっ子と同じ匂いがする。さっきのもお前が指示してやってたんだろ?殴られたくなかったジュース代ぐらい出せ、糞ガキ!」
「は、はいぃ!」
役人はマジックアイテムのお陰でペラペラと喋る、魔法の効かないオークに怯えて銅貨の入った袋を差し出した。
オークは銅貨を見て不満気に言う。
「何だかチープで歪なお金だなぁ。本当に金か?玩具じゃないだろうな?もっとちゃんとしたのを寄越せ!」
ポカッと役人を殴る。役人は銀貨の入った小袋を差し出してこれで勘弁して下さいと頭を下げた。
「ナッハッハ!現実世界じゃカツアゲされていた俺でつが、この子供だけの世界だとカツアゲし放題ですわ!」
訳の分からない事を言うオークに役人は頭を下げながらこの事態を誰に連絡するべきかを考えていた。
(と、取り敢えずタスネ様に報告するか・・・。エポ村の担当役人に就任して早々こんな事が起きるとは・・・。ついていないな・・・)
見舞いに来たヒジリと庭で紅茶を飲みながら談笑するタスネの元に、エポ村担当の官吏が現れた。
「サヴェリフェ子爵・・・実は・・・。ふぁ!せ、聖下!」
奴隷であり、現人神であり、ツィガル帝国の皇帝でもあるデタラメな経歴を持つオーガに役人は縮こまる。
タスネはそれを察し早く要件を伝えるよう促す。
「急いでいるようですが、何用ですか?」
「はい、それが・・昨日エポ村に魔法の全く効かないオークが現れまして・・・。牙無しの主無し、更に【衝撃の塊】を使えます」
「で、被害はあったのかね?」
ヒジリはオークに興味を示した。整った顔が官吏をじっと見つめる。
「そ、それが被害らしい被害は無いのです。騎士のメイスが取り上げられ売られそうになったり、その・・私から銀貨を巻き上げたりと・・・」
オーガの目から光が消える。
「何だか、やる事が小さいな・・・。しかし魔法が効かないのはどういうことだ?エポ村に配置している騎士の練度はどれ位なのだ?主殿」
「えーっと・・・。確か、行き場のなかった魔法院のメイジを下級騎士にして主従契約をしたから、弱くはないよ。接近戦はからっきしだけど。なので魔法院のメイジの練度で繰り出す魔法を普通のオークが何度も無効化する事は無理だと思うわ」
「気になるな。主殿一緒に行こうか。私は主殿の準備が整うまで待つとしよう」
「解った!復帰して初めての仕事がヒジリと一緒だなんて何だか嬉しいわ!」
「うむ。一緒に何かをやるのは久しぶりだな。主殿」
タスネは急いで召使にレディを連れてこさせる。既に鞍は付いており直ぐにでも出発できるようになっていた。タスネは素早くレディに乗った。
出発しようとしたその時、イグナがとことこと歩いて来た。
「私も行く。ヒジリ抱っこして」
「いいのかね?主殿」
「勝手に消えてついてこられても困るしヒジリお願いね」
ヒジリはイグナを片腕に抱くとレディの速度に合わせて移動を開始した。
「君たちは、いつまで訳の分からない身分制度に頭を垂れるのか!死ぬまでか?私は思う!物事を深く考えずに、ただただ権力者に従う者はもはや人ではない。愚かな豚や牛と同じだ。何のために生き、何のために死ぬのか。それを決めるのは貴族ではない!君たち自身だ!さぁ立ち上がれ、地走り族の諸君!」
ヒジリ達がエポ村に到着するとオークメイジは妙に説得力のある言葉で地走り族を扇動していた。
地走り族の若者の半分は既にオークの言葉に魅了され、村の権力者達を縛り上げている。
冒険者ギルド長のカンデ、不意打ちを食らったのかだらし無く地面に突っ伏す騎士達、教会兼役場で働いていた樹族の官吏達が彼らを取り囲む地走り族の間から見える。
タスネは魅了された若者の中にホッフがいることに驚き、名を呼んだ。
「ホッフ!」
「なんだ・・・僕を土下座させた貴族のタスネ殿じゃないか」
「そんなオークの言うことに耳を貸しちゃ駄目!今ならまだ罪は軽いわ!そこの人達を開放して!」
ビュッ!と魔力で形成された鏃の付いた矢が、アラクネに乗るタスネ目掛けて飛んでくる。
地走り族を遥かに凌ぐ動体視力のアラクネのレディは素早く動いて矢を避け主を守った。
「罪?僕達が罪を犯しているというのか!じゃあ貴族の罪はどうだ?領民から絞りとるだけ絞って、虐げるだけ虐げて!役人はカンデのようクズから賄賂を受け取り、一部の者に有利になるよう取り計らう。これは罪ではないのか?それに貴族である君は言ったじゃないか!こんな村いつでも滅茶苦茶に出来るって!だから哀れな僕は貴族様に土下座をして村に手出ししないでくれと頼んだんだ!・・・なぁ皆!僕は何か罪を犯したか?地面に這いつくばって土下座して我慢した僕に、何か罪はあるのかい?今こうしているのもお前達貴族のせいだ!僕はもう我慢の限界なんだよ!」
オークメイジは静かに頷く。
「貴方が怒るのは当然の事なのです!我々には生きる権利がある!何者にも阻害されること無く、個人として胸を張って生きる権利が!貴族は誰にもそれを許そうとしない。言うなれば人として健康に生きようとする事を邪魔する癌みたいなものだ!抗えよ!若者たち!」
地走り族の若者を煽るオークをさっさと倒してしまえば、ホッフ達の勢いは止まると考えたイグナが【火球】をオークメイジに放った。
火属性に特化しているシルビィの練度で放った魔法はレジストすることは難しい。しかしヒジリがやるようにオークメイジも魔法をかき消してしまった。
魔法の見えないヒジリやウメボシには何が起きているのか判らず、ただイグナの表情を見て察するしか無かった。
「今、あの豚人はイグナの魔法をかき消したのかね?」
「かき消した。ヒジリと同じ」
イグナの失敗は逆に地走り族の若者を勢いづける。
「サトウ・マサヨシ様はタスネのオーガ同様、魔法は効かないぞ!馬鹿め!」
ホッフ達はヒジリやタスネ目掛けて矢を一斉に放つ。無駄だと解っていてもサトウの加護があるのでは無いかと期待して。
しかしそんな期待はウメボシのフォースフィールドの前では通用しない。
「マスター・・・。あのオークをスキャンした結果、地球人だと解りました。もう既に名前で日本人だと解りますが・・・」
「嘘をつけ、ウメボシ。アレはどう見ても牙のないオークか豚人だ」
悪口が聞こえたのかサトウが印を結ぶとヒジリの足元の地面が弾けた。
「ヒジリ、【衝撃の塊】に気をつけて!」
イグナがヒジリの後で叫ぶ。
勿論ヒジリには効かないし見えない。しかし地面に落ちた魔法の威力は見て解った。舗装された道路が弾け飛び破片がフォースフィールドに当たって落ちる。
「あの豚男は本当に地球人か?何故魔法が使える?首のペンダントはマジックアイテムではないのか?」
「それはウメボシにも判りません。解るのは彼が古い日本人であるということです。西暦二千五十年以降の地球規模の大災害や、AIの暴走で起きた戦争に適応する為の遺伝子改良痕が見受けられません」
「では日本語で話しかけてみるか?」
「はい、古い日本語はマスターの得意分野ですからね。まさかこんな所で役に立つとは思いませんでしたけど」
恐らくイグナに向けて撃っているであろう衝撃の塊をヒジリは前に立って軌道を塞ぎ、そのままサトウに近づいていく。
そして身長百七十センチメートル程のサトウ・マサヨシを見下ろす。
マサヨシもヒジリを見返した。
「お前も魔法の類をやるんだろ?ここの奴らはどいつもこいつも魔法に頼っている。お前に俺が倒せるのかな?ヌフフ。」
ヒジリは古い日本語で話しかけた。何語で話しかけようがペンダントが言葉を翻訳してしまうので意味が無いがヒジリはその事を知らない。
「やあ、古い日本人よ」
「何で俺が日本人だって解った?まさかお前も同類なのか?」
サトウのニヤけていた顔が少し動揺した。
「同類?まぁ同類と言えば同類だが。同じ日本人の血を引くものとして」
「お前が日本人だぁ?こんなデカイ日本人がいるか!というかお前、人間ですら無いだろ」
「そんな事より何故、君は血走り族を扇動しているのだ?」
「どうしてだって?彼らの境遇が余り可哀想だからだよ。ハハハ」
「そんな風には見えないな。どこか君はふざけている。あの地走り族達の境遇など微塵にも心配していないだろう?」
ヒジリの顔がサトウに近づいて影になる。
サトウは後ずさりをすると本音を吐露した。
「まぁな。俺は時間だか次元だか別宇宙だか判らないが、ある程度そういうのを移動できる能力がある。ここに来たのもたまたまだ。暇つぶしに彼らの話を聞いて扇動してみたんだよ。だが、吐いた言葉に嘘はねぇぞ?誰だって自由に生きる権利がある。貴族だ王様だなんて時代遅れもいいところだ。お前だって貴族なんていない世界から来たんだろ?だったら彼らの気持ちが理解できるはずだけどな」
「勿論、解る。しかし、今は彼らにとってはその時ではない。時代時代に合った生き方があり、その時代の不条理はその時代に生きる者達が少しずつ精神を成熟させながら解決していくものだ。異世界からの訪問者が口出しをするものじゃない。私はこの宇宙の住人であり、この星で生きていくと決めたから口出しをする。場合によっては前言撤回して急速に事を進める事もある。しかし、その尻拭いは必ず自分ですると決めた。君はどうだ?そんな覚悟があるのかね?」
サトウ・マサヨシはヘラヘラ笑いながらもヒジリに恐怖を感じて脂汗をかいて答える。
「ねぇよ。そんな覚悟。何で俺が背負わなきゃなんねぇんだよ。馬鹿か」
―――パーン!―――
ヒジリのビンタが甘ったれた豚面に飛ぶ。
打たれた頬を押さえたサトウ・マサヨシは動かない。
「では去れ。そして二度とこの世界に来るな」
「糞が・・・」
【衝撃の塊】を何度もヒジリに撃ち込んでいるようだが、効果はない。
「糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!」
「気が済んだかね?」
「済まねぇよ。もしこの世界にまた戻って来れるようだったら、次は必ずお前を邪魔してやるよ」
「それは無理だな。君にはその力がない」
「アァァァァァァァァアアアアアア!!!!」
サトウ・マサヨシはやり場のない怒りを叫びに籠め、ゲップと屁を同時にするとその場に悪臭を残して消えてしまった。
「何だこの匂いは・・・」
「ゲップとオナラを同時にしてこの世界から消えました。最後っ屁ってやつですね、マスター」
「なんて奴だ・・・。それにしても何を食えばこんな悪臭をひり出せるのか・・・」
指導者を失って逃げようとしていた地走り族をレディとウメボシが糸で次々と捕縛していく。
ヒジリは次々と捕まっていく地走り族を見てタスネに尋ねる。
「さて主殿、この者達の処分はどうするのかね?」
「あのオークメイジにそそのかされていたのだから無罪放免よ」
ホッフに負い目のあるタスネは糸に縛られて跪いて此方を睨む彼を見つめる。
「本当に?主殿は本当にそれでいいのか?」
「どういうこと?」
「彼の目を見たまえ。あの目は自らの意志でサトウの扇動に乗った者の目だ。サトウがいなくても切っ掛けが有れば同じことをしただろう。あの目は主殿を憎んでいる。貴族を憎んでいる」
「でもその原因を作ったのはアタシなの・・・」
「例え原因が主殿だとしてもだ。行動を起こしたのは彼の意思だ。今ある秩序やルールを乱したのも事実。乱した先の事まで考えて遂行する力があるならまだしも、彼がその力を持っているようにも見えない。恨みのみで動いている」
「アタシもそうだった。村人を恨んでエポ村を滅茶苦茶にしてやろうと考えたし、ホッフにも酷いことをさせた」
「しかし、それでも主殿は貴族だ。貴族として自分のやった行動に責任を取らなくてはいけない。貴族の責任とは何か。領民の安寧と秩序を守る事だ。主殿はそれを今以上に行うことで罪滅しとなる。だがホッフ達は違う。彼らが負う責任は犯罪者としてだ。もうこれ以上は言うまい。後は自分で決めたまえ」
タスネはヒジリの話を聞き、下唇を噛んでホッフ達の前に立つ。そして開放された騎士や官吏に命令する。
「この者達を・・・監獄へ送りなさい。・・・それからホッフ。貴方がこんな事をした原因はアタシにあるわ。謝って済む話じゃないと思うけども、本当にごめんなさい」
ホッフは声を出さずに笑ってから唾をタスネの顔に吹き付ける。
「ああ、君が何度死んで何度生まれ変わろうが、僕からの許しは無いと思え」
「ええ、それは覚悟しているわ。でもホッフ。貴方をこんな風にした原因はアタシでも、この道を選んだのは貴方よ。さよなら愛しかった人」
ホッフは何も聞かなかったかのように背筋を伸ばし騎士達に連れられて歩いていった。
タスネはホッフの背中を暫く見つめていたが、未練を断ち切りその場を立ち去った。その顔には涙はなく、貴族としての立場を貫こうという意志が現れていた。
「お腹空いたけど、動きたくない・・・。外に出たくない。でもお腹減った。体も臭い。頭痒い」
―――コンコン―――
まただ。また姉妹の誰かがノックしている。
「もういいからほっといてよ!」
投げた枕がドアにぶつかりドンと音をさせる。音に驚いたのか一瞬間が空いた後、野太い女性の声がした。
「おでだ」
おで?女性で一人称がおで?誰?
「誰よ!」
「おではおでだ。ヘカティニスだ」
あまり面識のない闇側の英雄の名前にタスネは戸惑った。ゴブリンゲートと黒竜戦で見た以来だ。
タスネは急に怖くなる。
魔剣から繰り出される竜巻によって落下し、背骨をへし折られた傭兵や騎士の山を戦場に築くあのオーガがドアをぶち破って襲い掛かってくるのではと。
彼女はヒジリとは知り合いっぽいけど、自分には接点が殆ど無い。
「な、なんの用ですか?」
「ヒジリに頼まれて花と食事を持ってきた」
―――ガチャリ、バキャーン!―――
鍵の掛かったドアノブが無理やり捻られ壊れた。
ヘカティニスは普通にドアノブを捻っただけだったのだがドアノブの閂錠が馬鹿になり役目を果たさなくなった。
「ヒ、ヒィィ!」
タスネは怯えてベッドに潜り込むとオーガの重たい足音が近づいてくる。
―――ドスドスドス、コトトッ―――
「じゃあおでは用が済んだので帰るど。花は確かに渡したかだな」
バタン!ギィィィ・・・・。勢い良く閉まった扉だったがドアノブが壊れているので再びゆっくりとドアが開く。
タスネは恐る恐る顔を出し、ヘカティニスが去ったのを確認すると机の上を見た。
ぼんやりと光る白い花の植木鉢が置かれており、その横には粗末な黒パンと具の少ないスープが置いてあった。
食事を見た途端、お腹がグゥゥと鳴る。タスネはもう一度ドアの外に誰も居ないのを確認するとテーブルの椅子に座り、粗末な黒パンと野菜くずしか入っていない塩のスープを飲んだ。
(これ・・・、貧乏だった頃にいつも食べてた固くて不味い黒パンだ・・・。こっちのスープも・・・)
ヒジリは何故、貴族となった今の自分にこの食事を食べさせようと思ったのか。この花は何なのか。考えが頭の中をグルグルと巡り、涙がポロポロと出る。
(昔は貧しくて辛かったけど・・・ホッフが言うとおり悪いことばかりじゃなかった・・・。姉妹総出でキノコを採りに行った時はコロネが高級キノコを見つけて皆して喜び合ったり、誰も来ない秘密の川辺で背中を洗いっこしたり、ベッドに身を寄せあって寒い冬を乗り越えて、暖かい春の日差しの中で皆で背伸びしたり・・・。酔っ払っていたとはいえ何でアタシはあんなにネガティブだったんだろう?貴族としてのプレッシャーや忙しさからくるストレスを彼にぶつけて、自分がどんなに辛かったかばかりを嘆いて、アタシの事を気にしてくれた優しいホッフに酷いことをして・・・。プライドを傷つけられ、貴族であるアタシに脅されたホッフの気持ちを考えるとあんな目で睨んだのは当然だ。完全にアタシが悪い!もう遅いかもしれないけど、次にエポ村に行ったら絶対ホッフに謝ろう。許してくれるまで心から謝ろう!)
今までの自分は可哀想な悲劇のヒロインだと思い込み、悲しみに酔っていただけであった。それが如何に何も生まない行為かを知る。
食べ終えた食器を一階の炊事場に持って行こうと手に持ち、ふと花を見ると花からは誰かを思いやる優しい気持ちが伝わってくる気がした。
自分のことばかりじゃない、誰かを思いやる気持ちが。
(この食事は初心に戻れって事なのかな?お花を見ていたら、不思議と元気が出てきた!ありがとう、ヒジリ!大好きだよ!)
踏ん切りの付いたタスネの顔がそこにはあった。
ホッペを叩いて気合を入れると、食器を持って部屋から出て炊事場に向かう。
一番初めにタスネを見つけたのは、使用人の目を盗んで炊事場でおやつを漁っていたコロネだった。胸いっぱいに空気を吸い込んで喜びながら姉に飛びつく。
そして開口一番飛び出た言葉は「お姉ちゃん、くさ~~い!」だった。
エポ村の冒険者ギルドの自室で地走り族の男はハゲ頭を気にして鏡を見ている。以前まで櫛で流すことの出来た髪はサイドを残しててっぺんに一本だけになり、寂しくなった頭を撫でた。
「タスネがクロス地方の執政を任されるようになってからギルドの酒場の売上は下がる一方だ。酒場も人が少なくて、この禿頭のよう」
冒険者ギルドの長カンデは約束があったのを思い出して、時刻を数字で示す魔法の水晶を見た。
「ん?そろそろエポ村担当の役人様が来る時間だな?」
急に外から騒がしい声が聞こえる。カンデは来たか!と手を擦り合わせて外の様子を伺いに行った。
しかし、この騒ぎは自分の予想したものと少し違っていた。
今やギルドの酒場の売上を脅かす村民の酒場や料理店に送り込んだならず者達は、一人のハゲた牙のないオークメイジの魔法に打ちのめされていた。
料理店の主は店先のワゴンに入れてあった一番大きいパンをオークに差し出して感謝している。
(ば、馬鹿な!何でオークメイジがこんな所に?いや、豚人か?豚人のメイジなのか?オークにしては下顎の牙がない)
そこへ丁度査察に来ていた役人が騎士を連れて現れた。
本来ならばこの役人がならず者を追い払い、店に借りを作った所で厳しい査察をして有無を言わせず取り締まる予定だったのだ。
当然のごとく騎士は闇側の住人であるオークに詰問する。
「主はどこだ?牙無しオークよ」
「#$%&#$%&!」
牙のないオークは大抵の場合、奴隷なので主が近くにいるはずである。
(何だ?あのオーク。主からちゃんとした言葉を教わって無いのか?)
カンデはハゲ頭を擦りながら不思議なオークを取り巻きの中から見ている。
役人はある事に気がついたのか、怪訝な顔でオークを見る。
「ちょっと待てよ?わざわざ奴隷オークをメイジにする馬鹿がいるか?豚人にしては鼻が豚っぽくないし・・・。何かがおかしいぞ!」
下級騎士達は役人貴族の緊張した声に顔を見合わせて、それぞれがワンドとメイスを構える。
「主の名前を言え!魔法印を見せろ!」
「#$%&#$%&www!」
オークはパンをもしゃもしゃと食べながらキョトンとし、醜い顔を騎士達に向けて何かを喋ったがやはりその言葉は理解出来なかった。
「構わん、捕らえろ!」
役人が声を上げると騎士達は呪文を詠唱して【捕縛】をオークに向けて放った。
野次馬の地走り族も樹族も、誰もが身動きを封じられたオークが地面に這いつくばると予想したが、ハゲた黒髪のオークは全てをレジストしてしまった。
騎士達三人の【捕縛】を全てレジストする事は並のオークには無理だ。
「まぐれだ!続けて撃て!」
しかし何度詠唱しても騎士達の魔法は掻き消されてしまう。
オークは攻撃されているにも関わらずパンを食べ続け、愚鈍そうな濁った目で騎士達を見つめていた。
その姿が余りに不気味過ぎて騎士と役人が狼狽しているのは明らかである。
遂にメイスを持った騎士が魔法での捕縛を諦め接近戦を挑んだ。しかし、この騎士の接近戦は得意でないのか、簡単に避けられてメイスを奪われてしまった。
オークは取り上げたメイスを見て本物である事に驚き、怒りながら騎士の頭を拳骨で兜ごと殴った。
しかしそれ以上は何もしてこず、メイスを持ったまま近くのマジックアイテム店に入っていった。
「ど、どういう事だ?奴の目的は何だ?皆目見当がつかん」
この滑稽な出来事に野次馬たちはクスクスと笑っている。
役人は呆けながらマジックショップの窓から中の様子を伺った。
オークは店主と何か話しているが、メイスで脅している様子もなく何かのアイテムを売りつけようとしている。
しかし言葉が通じず、痺れを切らした店主が棚の奥から魔法のペンダントを持ってきてオークの首に掛けた。
「どうです?お客さん。これで言葉が解るでしょう?」
「あれ?言葉が通じるじゃん!最初から普通に喋れよ、糞ガキが!」
オークは怒っているのか笑っているのか判らない態度で店主を罵倒した。
「心通いのペンダント、銀貨一枚ね」
地走り族の店主がそう言うとオークは笑いながら応える。
「はいはい、このペンダントの魔法効果のお陰で僕ちゃんは会話出来ているのね。知ってる知ってる。そういう事にしといてあげまつよ。銀貨?銀貨ってなんだよ。中世じゃあるまいし。銀貨って事は百円ライター程度じゃ交換は無理か。さっき悪ガキから奪ったこのメイスやるから、このペンダントを交換してくれ。あと何か飲み物くれない?パン食ったら喉が乾いちゃってさ、オフッオフッ!」
店主は飲み物の話は無視してメイスに手をかざして魔法で識別を始める。
「これ、どっかの騎士の持ち物じゃないか。本当に買い取ってもいいの?結構いい値段するよ?」
チリンチリンと音がなってドアが開き、メイスを奪われた騎士が慌てて入ってくる。
「そ、それは私のだ!買い取らないでくれ!」
「じゃあ、お前払っとけよ、ペンダント代。じゃあな」
オークは飲み物を求めて外に出た。玄関付近に立っていた役人をオークは睨む。
「俺はいじめっ子の匂いが解るんだ。何故かって?忌まわしき子供時代に俺はいじめられっ子だったから。お前はいじめっ子と同じ匂いがする。さっきのもお前が指示してやってたんだろ?殴られたくなかったジュース代ぐらい出せ、糞ガキ!」
「は、はいぃ!」
役人はマジックアイテムのお陰でペラペラと喋る、魔法の効かないオークに怯えて銅貨の入った袋を差し出した。
オークは銅貨を見て不満気に言う。
「何だかチープで歪なお金だなぁ。本当に金か?玩具じゃないだろうな?もっとちゃんとしたのを寄越せ!」
ポカッと役人を殴る。役人は銀貨の入った小袋を差し出してこれで勘弁して下さいと頭を下げた。
「ナッハッハ!現実世界じゃカツアゲされていた俺でつが、この子供だけの世界だとカツアゲし放題ですわ!」
訳の分からない事を言うオークに役人は頭を下げながらこの事態を誰に連絡するべきかを考えていた。
(と、取り敢えずタスネ様に報告するか・・・。エポ村の担当役人に就任して早々こんな事が起きるとは・・・。ついていないな・・・)
見舞いに来たヒジリと庭で紅茶を飲みながら談笑するタスネの元に、エポ村担当の官吏が現れた。
「サヴェリフェ子爵・・・実は・・・。ふぁ!せ、聖下!」
奴隷であり、現人神であり、ツィガル帝国の皇帝でもあるデタラメな経歴を持つオーガに役人は縮こまる。
タスネはそれを察し早く要件を伝えるよう促す。
「急いでいるようですが、何用ですか?」
「はい、それが・・昨日エポ村に魔法の全く効かないオークが現れまして・・・。牙無しの主無し、更に【衝撃の塊】を使えます」
「で、被害はあったのかね?」
ヒジリはオークに興味を示した。整った顔が官吏をじっと見つめる。
「そ、それが被害らしい被害は無いのです。騎士のメイスが取り上げられ売られそうになったり、その・・私から銀貨を巻き上げたりと・・・」
オーガの目から光が消える。
「何だか、やる事が小さいな・・・。しかし魔法が効かないのはどういうことだ?エポ村に配置している騎士の練度はどれ位なのだ?主殿」
「えーっと・・・。確か、行き場のなかった魔法院のメイジを下級騎士にして主従契約をしたから、弱くはないよ。接近戦はからっきしだけど。なので魔法院のメイジの練度で繰り出す魔法を普通のオークが何度も無効化する事は無理だと思うわ」
「気になるな。主殿一緒に行こうか。私は主殿の準備が整うまで待つとしよう」
「解った!復帰して初めての仕事がヒジリと一緒だなんて何だか嬉しいわ!」
「うむ。一緒に何かをやるのは久しぶりだな。主殿」
タスネは急いで召使にレディを連れてこさせる。既に鞍は付いており直ぐにでも出発できるようになっていた。タスネは素早くレディに乗った。
出発しようとしたその時、イグナがとことこと歩いて来た。
「私も行く。ヒジリ抱っこして」
「いいのかね?主殿」
「勝手に消えてついてこられても困るしヒジリお願いね」
ヒジリはイグナを片腕に抱くとレディの速度に合わせて移動を開始した。
「君たちは、いつまで訳の分からない身分制度に頭を垂れるのか!死ぬまでか?私は思う!物事を深く考えずに、ただただ権力者に従う者はもはや人ではない。愚かな豚や牛と同じだ。何のために生き、何のために死ぬのか。それを決めるのは貴族ではない!君たち自身だ!さぁ立ち上がれ、地走り族の諸君!」
ヒジリ達がエポ村に到着するとオークメイジは妙に説得力のある言葉で地走り族を扇動していた。
地走り族の若者の半分は既にオークの言葉に魅了され、村の権力者達を縛り上げている。
冒険者ギルド長のカンデ、不意打ちを食らったのかだらし無く地面に突っ伏す騎士達、教会兼役場で働いていた樹族の官吏達が彼らを取り囲む地走り族の間から見える。
タスネは魅了された若者の中にホッフがいることに驚き、名を呼んだ。
「ホッフ!」
「なんだ・・・僕を土下座させた貴族のタスネ殿じゃないか」
「そんなオークの言うことに耳を貸しちゃ駄目!今ならまだ罪は軽いわ!そこの人達を開放して!」
ビュッ!と魔力で形成された鏃の付いた矢が、アラクネに乗るタスネ目掛けて飛んでくる。
地走り族を遥かに凌ぐ動体視力のアラクネのレディは素早く動いて矢を避け主を守った。
「罪?僕達が罪を犯しているというのか!じゃあ貴族の罪はどうだ?領民から絞りとるだけ絞って、虐げるだけ虐げて!役人はカンデのようクズから賄賂を受け取り、一部の者に有利になるよう取り計らう。これは罪ではないのか?それに貴族である君は言ったじゃないか!こんな村いつでも滅茶苦茶に出来るって!だから哀れな僕は貴族様に土下座をして村に手出ししないでくれと頼んだんだ!・・・なぁ皆!僕は何か罪を犯したか?地面に這いつくばって土下座して我慢した僕に、何か罪はあるのかい?今こうしているのもお前達貴族のせいだ!僕はもう我慢の限界なんだよ!」
オークメイジは静かに頷く。
「貴方が怒るのは当然の事なのです!我々には生きる権利がある!何者にも阻害されること無く、個人として胸を張って生きる権利が!貴族は誰にもそれを許そうとしない。言うなれば人として健康に生きようとする事を邪魔する癌みたいなものだ!抗えよ!若者たち!」
地走り族の若者を煽るオークをさっさと倒してしまえば、ホッフ達の勢いは止まると考えたイグナが【火球】をオークメイジに放った。
火属性に特化しているシルビィの練度で放った魔法はレジストすることは難しい。しかしヒジリがやるようにオークメイジも魔法をかき消してしまった。
魔法の見えないヒジリやウメボシには何が起きているのか判らず、ただイグナの表情を見て察するしか無かった。
「今、あの豚人はイグナの魔法をかき消したのかね?」
「かき消した。ヒジリと同じ」
イグナの失敗は逆に地走り族の若者を勢いづける。
「サトウ・マサヨシ様はタスネのオーガ同様、魔法は効かないぞ!馬鹿め!」
ホッフ達はヒジリやタスネ目掛けて矢を一斉に放つ。無駄だと解っていてもサトウの加護があるのでは無いかと期待して。
しかしそんな期待はウメボシのフォースフィールドの前では通用しない。
「マスター・・・。あのオークをスキャンした結果、地球人だと解りました。もう既に名前で日本人だと解りますが・・・」
「嘘をつけ、ウメボシ。アレはどう見ても牙のないオークか豚人だ」
悪口が聞こえたのかサトウが印を結ぶとヒジリの足元の地面が弾けた。
「ヒジリ、【衝撃の塊】に気をつけて!」
イグナがヒジリの後で叫ぶ。
勿論ヒジリには効かないし見えない。しかし地面に落ちた魔法の威力は見て解った。舗装された道路が弾け飛び破片がフォースフィールドに当たって落ちる。
「あの豚男は本当に地球人か?何故魔法が使える?首のペンダントはマジックアイテムではないのか?」
「それはウメボシにも判りません。解るのは彼が古い日本人であるということです。西暦二千五十年以降の地球規模の大災害や、AIの暴走で起きた戦争に適応する為の遺伝子改良痕が見受けられません」
「では日本語で話しかけてみるか?」
「はい、古い日本語はマスターの得意分野ですからね。まさかこんな所で役に立つとは思いませんでしたけど」
恐らくイグナに向けて撃っているであろう衝撃の塊をヒジリは前に立って軌道を塞ぎ、そのままサトウに近づいていく。
そして身長百七十センチメートル程のサトウ・マサヨシを見下ろす。
マサヨシもヒジリを見返した。
「お前も魔法の類をやるんだろ?ここの奴らはどいつもこいつも魔法に頼っている。お前に俺が倒せるのかな?ヌフフ。」
ヒジリは古い日本語で話しかけた。何語で話しかけようがペンダントが言葉を翻訳してしまうので意味が無いがヒジリはその事を知らない。
「やあ、古い日本人よ」
「何で俺が日本人だって解った?まさかお前も同類なのか?」
サトウのニヤけていた顔が少し動揺した。
「同類?まぁ同類と言えば同類だが。同じ日本人の血を引くものとして」
「お前が日本人だぁ?こんなデカイ日本人がいるか!というかお前、人間ですら無いだろ」
「そんな事より何故、君は血走り族を扇動しているのだ?」
「どうしてだって?彼らの境遇が余り可哀想だからだよ。ハハハ」
「そんな風には見えないな。どこか君はふざけている。あの地走り族達の境遇など微塵にも心配していないだろう?」
ヒジリの顔がサトウに近づいて影になる。
サトウは後ずさりをすると本音を吐露した。
「まぁな。俺は時間だか次元だか別宇宙だか判らないが、ある程度そういうのを移動できる能力がある。ここに来たのもたまたまだ。暇つぶしに彼らの話を聞いて扇動してみたんだよ。だが、吐いた言葉に嘘はねぇぞ?誰だって自由に生きる権利がある。貴族だ王様だなんて時代遅れもいいところだ。お前だって貴族なんていない世界から来たんだろ?だったら彼らの気持ちが理解できるはずだけどな」
「勿論、解る。しかし、今は彼らにとってはその時ではない。時代時代に合った生き方があり、その時代の不条理はその時代に生きる者達が少しずつ精神を成熟させながら解決していくものだ。異世界からの訪問者が口出しをするものじゃない。私はこの宇宙の住人であり、この星で生きていくと決めたから口出しをする。場合によっては前言撤回して急速に事を進める事もある。しかし、その尻拭いは必ず自分ですると決めた。君はどうだ?そんな覚悟があるのかね?」
サトウ・マサヨシはヘラヘラ笑いながらもヒジリに恐怖を感じて脂汗をかいて答える。
「ねぇよ。そんな覚悟。何で俺が背負わなきゃなんねぇんだよ。馬鹿か」
―――パーン!―――
ヒジリのビンタが甘ったれた豚面に飛ぶ。
打たれた頬を押さえたサトウ・マサヨシは動かない。
「では去れ。そして二度とこの世界に来るな」
「糞が・・・」
【衝撃の塊】を何度もヒジリに撃ち込んでいるようだが、効果はない。
「糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!糞が!」
「気が済んだかね?」
「済まねぇよ。もしこの世界にまた戻って来れるようだったら、次は必ずお前を邪魔してやるよ」
「それは無理だな。君にはその力がない」
「アァァァァァァァァアアアアアア!!!!」
サトウ・マサヨシはやり場のない怒りを叫びに籠め、ゲップと屁を同時にするとその場に悪臭を残して消えてしまった。
「何だこの匂いは・・・」
「ゲップとオナラを同時にしてこの世界から消えました。最後っ屁ってやつですね、マスター」
「なんて奴だ・・・。それにしても何を食えばこんな悪臭をひり出せるのか・・・」
指導者を失って逃げようとしていた地走り族をレディとウメボシが糸で次々と捕縛していく。
ヒジリは次々と捕まっていく地走り族を見てタスネに尋ねる。
「さて主殿、この者達の処分はどうするのかね?」
「あのオークメイジにそそのかされていたのだから無罪放免よ」
ホッフに負い目のあるタスネは糸に縛られて跪いて此方を睨む彼を見つめる。
「本当に?主殿は本当にそれでいいのか?」
「どういうこと?」
「彼の目を見たまえ。あの目は自らの意志でサトウの扇動に乗った者の目だ。サトウがいなくても切っ掛けが有れば同じことをしただろう。あの目は主殿を憎んでいる。貴族を憎んでいる」
「でもその原因を作ったのはアタシなの・・・」
「例え原因が主殿だとしてもだ。行動を起こしたのは彼の意思だ。今ある秩序やルールを乱したのも事実。乱した先の事まで考えて遂行する力があるならまだしも、彼がその力を持っているようにも見えない。恨みのみで動いている」
「アタシもそうだった。村人を恨んでエポ村を滅茶苦茶にしてやろうと考えたし、ホッフにも酷いことをさせた」
「しかし、それでも主殿は貴族だ。貴族として自分のやった行動に責任を取らなくてはいけない。貴族の責任とは何か。領民の安寧と秩序を守る事だ。主殿はそれを今以上に行うことで罪滅しとなる。だがホッフ達は違う。彼らが負う責任は犯罪者としてだ。もうこれ以上は言うまい。後は自分で決めたまえ」
タスネはヒジリの話を聞き、下唇を噛んでホッフ達の前に立つ。そして開放された騎士や官吏に命令する。
「この者達を・・・監獄へ送りなさい。・・・それからホッフ。貴方がこんな事をした原因はアタシにあるわ。謝って済む話じゃないと思うけども、本当にごめんなさい」
ホッフは声を出さずに笑ってから唾をタスネの顔に吹き付ける。
「ああ、君が何度死んで何度生まれ変わろうが、僕からの許しは無いと思え」
「ええ、それは覚悟しているわ。でもホッフ。貴方をこんな風にした原因はアタシでも、この道を選んだのは貴方よ。さよなら愛しかった人」
ホッフは何も聞かなかったかのように背筋を伸ばし騎士達に連れられて歩いていった。
タスネはホッフの背中を暫く見つめていたが、未練を断ち切りその場を立ち去った。その顔には涙はなく、貴族としての立場を貫こうという意志が現れていた。
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