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鐘音が鳴り響く中で

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 警戒する村に人影は少なかった。

 時折、海から吹いてきて波しぶきを高く上げる寒風が煩い。

 そんな中をヒジリは、ジュウゾやウメボシと共に警戒しながら歩き回っている。狭い村とはいえ、それなりの小屋や櫓などの遮蔽物があり、死角は多い。

「今もマギンは、村民のふりをして潜んでいると思うと腹立たしいな」

 ヒジリは爪を噛む。自分の滞在中に村の子供を殺された事が非常に悔しいのだ。

(地球人は完璧であらねばならないのに、惑星ヒジリに来てからの自分は失敗だらけだ)

「マスター。その癖は十二歳の時に直したはずです」

 ウメボシに指摘され、ヒジリは無意識に爪を噛んでいた事に気づく。

「おっと」

 手をおろして誤魔化すようにして、ウメボシに現状の様子を聞く。

「入江にある漁船の様子を見に行っている者が二人、作業小屋で網を直している者が三人です」

「ではその五人を重点的に警戒しよう」

 ジュウゾはヒジリの言う事が理解できなかった。今朝刺された子供は家の中で、―――しかも親がいる近くで刺されたのだから、外にいる五人を警戒しても意味がないと考える。

(なぜ他の子供の心配をしない? 所詮オーガはオーガか・・・)

 しかしこの飄々とした変人オーガは、オーガの始祖神と同じ種族のオーガだ。一般的に星の国のオーガ、或いは星のオーガと呼ばれている。

(いや、何か村人を守る手立てがあるのだろう)

 そう考えてジュウゾは何も言わず、ヒジリの背後を数歩遅れてついていく。

 すると門の辺りでタスネ子爵とフラン聖騎士見習いが見えてきた。




 タスネは殺人鬼が村内にいる現状を理解していないのか、村の門の前でシバベロスがフランを舐めまわしている姿を見てニヤニヤしていた。

「ちょっと! お姉ちゃん! この犬何とかしてよ! 何でこんなに顔を舐めてくるのよ?」

「その犬はね、何でか知らないけど女の人が好きなのよ」

「なんでよぉ。いやらしい犬ぅ!」

「あら? その子、メスよ? だから全然いやらしくないわ。人懐っこくて可愛いから思わず魅了してテイムしちゃったけど、全然言う事きかないのよね。他の子はちゃんと村を守ってくれているのに・・・」

 漁船の様子を見に行っていた村のリーダーであるガノンとその右腕のハックルが、フランとシバベロスのじゃれ合いを見て笑いながら帰ってきた。

「いやぁ、凄いですな、タスネ子爵様。子爵様の魔物のお陰でいつも周辺をうろついている魔犬が全くいなくなりました。ありがとうございます」

 村の四方に立つ巨大なファイアードレイクを見て、ハックルが愛想のいい笑顔でタスネに礼を言う。

 どこにでもいる普通の闇樹族の見た目をしている彼の目は、炎を纏う翼竜に少し怖気づいているようだと、タスネは思った。

「餌は一年ぐらい食べなくても平気だし、人は食べないから安心して下さいね」

 怖がる自分を安心させようとした子爵の気遣いだったが、怖がりなのを見抜かれたようで、ハックルは少し恥ずかしい顔をする。

「おっと、私はそんなに怯えた顔をしていましたかな? それにしても良かったな、ガノン。これで盗賊や魔物に怯えなくても済むぞ」

 そう言ってハックルがガノンの肩に手を置こうとしたその時、手裏剣が彼の手の平に刺さった。

 ハックルの指の間で何かが光ったような気がしたが、それは直ぐに消えた。

「毒針とは小賢しいな、マギン」

 ジュウゾの冷たく低い声が門の方から聞こえてくる。ヒジリとウメボシもやって来た。

「何のことですか? それにいきなり投擲武器を投げるなんてどういう事です?」

 ハックルは手を押さえて苦痛に顔を歪ませた。

「そうだ! 何の権限があってこんな事をするのだ、裏側!」

 ガノンも手を水平に薙ぎ払って怒りを表す。

「ふん、相変わらずお人好しだな。だから身内に足を引っ張られて闇堕ちし、こんな寒村で惨めな生活を送ることになるのだよ、父上」

「なに?」

 ヒジリは、ガノンを父上と呼ぶジュウゾに驚いた。

「君は樹族の中でも結構な年寄りだろう? ええと・・・。君の父親は既に老人の姿になっていてもおかしくないのではないかね? 幾ら死に際まで老化しない種族とはいえ」

「言ってなかったかな?ヒジリ陛下。私はエリート種だ。寿命は普通の樹族の倍はある。シュラス陛下も同じくエリート種だ」

 ガノンは覆面をしている男が息子だとは思っていなかったので、「まさか!」と声に出した。

 そして驚きながら両手を軽く前に出してジュウゾを抱きしめようと近づく。

 親子の再会劇の横で、シバベロスが嬉しそうにハックルに飛びついて顔を舐めまわしだしたので、タスネは驚いた。

「男の人には無愛想な上に、絶対近寄らないのに、珍しいわね・・・」

 ヒジリは顎を撫でて片目を瞑り、ハックルを見た。

「決定的だな。観念したまえ、マギン・シンベルシン」

 ウメボシの人口クモ糸がハックルを捕えると縛り上げた。

 するとハックルの体が奇妙にゴワゴワと動き、皮膚が剥がれ落ちていく。闇樹族の青白い肌の下から、濃い青色をした魔人族の肌と幾何学模様が見える。

「なんだ・・・?」

 見えている肌から大量の垢を出しながら、ハックがマギンに戻る様を見てヒジリは眉間に皺を寄せた。

「魔法ではなく物理的に変態していたのか。となると元の姿に戻るのも相当体力を消耗するだろう」

 急激に体を変化させれば、当たり前だがエネルギーの消費は大きい。

 凄まじい速さで新陳代謝を繰り返しているようなものだからだ。普通の者であれば死んでしまってもおかしくはない程の体力の消耗だが、マギンはハァハァと肩で息をしながら、緩んだクモ糸を抜け出し裸のまま逃げ出した。

「無駄なことを・・・」

 ジュウゾがガノンを突き飛ばし、フラフラしながら無様に逃げるマギンを追いかける。

 脚に魔法を掛けているのか、フラフラしつつも素早く逃げるマギンは、逃げた先の小屋の曲がり角でイグナと鉢合わせになった。

「わわー!」

 イグナは突然現れた全裸の魔人族に驚いて、魔法を詠唱する事も出来ず、思わずワンドをフェンシングのように構えて五月雨突きを繰り出した。

「シュバ! シュバババー!」

 混乱するイグナは、抑揚のない声で効果音を出しながら、素っ裸の魔人族を牽制する。

「ちょ! イタタタ!」

 マギンはイグナの攻撃に対し、腕を盾にして防御をしたが、そこで無駄に体力を使い果たしてしまい、とうとう倒れてしまった。

「ほう、流石は闇魔女殿。接近戦も得意と見える」

 ジュウゾが声に笑いを含みながらそう茶化すと、マギンに飛びつき取り押さえた。

 イグナは裏側の長の皮肉を無視して、ヒジリに飛びつく。

「変態がいた!」

「ああ、確かに彼女は変態していた」

 微妙に意味が齟齬する二人の会話に、ウメボシが「プーー!」と笑った。

「まぁ元々変態ですし、変態していましたからね」




 テント内でヒジリはガノンに事の経緯を説明し、詳細を教えなかったのは村に無駄な混乱を起こしたくなかったからだ。混乱すれば、それをマギンが利用する可能性が高かった。

「すまん。ガノン殿」

 と、謝ると同時に、こっそりと犠牲となった少年の再構成蘇生をカプリコンに依頼する。数秒後、少年の家から両親の驚きと喜びの声が聞こえてきて、ヒジリは満足気に軽く頷いた。

「我々の事で君たちを巻き込んでしまって本当に申し訳なかった、ガノン殿」

 テーブルの向こう側で再び頭を下げるグランデモニウム王国国王に、ガノンは畏まる。

「と、とんでもない! 頭をお上げ下さい、陛下! 陛下の問題というよりも、これは樹族国の不始末ですよ! 陛下が謝る事など微塵もありませんから!」

 そう言ってガノンは覆面姿の息子を睨みつけた。

 しかし、ジュウゾも睨み返す。

 この父親の腑抜けた優しさが家族を崩壊させたからだ。物事の先を見通さず、誰にでもいい顔をするこの八方美人のせいで、家族は薄汚い貴族の策略で引き裂かれたのだ。

「ふん、どの目で私を睨むのだ? 父上。母上は身の潔白を証明するために自害したというのに、貴方は今ものうのうと生き伸びて再婚までしてらっしゃる。私はずっと貴方が自害したとシュラス陛下から聞かされていたのだがね?」

 そう言われてガノンは溜息をついて脱力し、目を伏せた。

「妻は自害したのではない。我が家を悪人に仕立て上げるための、口封じとして殺されたのだ。そんな私を哀れに思ったシュラス国王陛下が私を自害した事にして国外追放にし、お前を近くに置いてくれると約束してくれた。当時の陛下はまだまだ国内では力がなく、それが精一杯だったのだよ。それにしてもまさかお前の生きる居場所が裏側だったとはな・・・」

「我ら家族を引き裂いた貴族と王族は、共にシュラス陛下の命によって粛清されましたよ、父上。貴方がこんな寒村で村長の真似事をしている間に! 憎き彼らは派手な散り様でした。獣人達を扇動し、謀反を起こして! 最後はウォール家の者に焼き殺されました! フハハッ! 仇討ちは、家長ではなく、ウォール家の者の手で成されたのです! 実に情けない話です!」

 その後、気まずい沈黙がこの親子の間にいつまでも続きそうだったので、ヒジリは咳払いをする。

「親子喧嘩なら外でやってくれたまえ。ところでウメボシがマギンをスキャンした結果、遺体の一部が見つかった」

「それはどこにありますかな? 陛下」

「ごほん・・・。そうだな、マギンの体内にある」

 体内から? とジュウゾは考えてから、それがどこにあるかの予想がついた。覆面の下で顔を歪ませる。

 殺した相手の体の一部を持ち歩く殺人狂の話はよく聞く。しかしそれを体内に入れておくマギンの狂気に、感情を制御する事に慣れた裏側の長でさえ寒気を感じた。

「魔法の効果なのかは知らないが、腐敗を免れたこれらの遺体の欠片の殆どが、樹族の物だ。長年、彼女が樹族国で暗殺業をしていた事が解る。その中に二つ有った目玉は我が国民のものだ。これだけは貰っておく。残りはそちらで鑑定して遺族の元へ送ってやってくれ」

 そう言って透明の袋に小分けされた遺体の欠片を、ヒジリはジュウゾの前に押しやる。

「さて、これにて事件は一件落着だ。久しぶりにナンベルの孤児院で紅茶でも頂こうか。なぁ? ウメボシ」

 ウメボシは妙にニコニコしており、それどころか涙目である。

「ええ! そうですね! マスター!」

 二人だけで何かを解っている様子を見て、これまでずっと傍観していたリツは思う。

(何か良いことがあったのかしら?)





 ヒジリ達が乗るスレイプニル車に村民たちは手を振る。

 村人の中には、マギンに殺されて地中に埋められていたハックルや、刺突武器で絶命したテルケシが元気な姿でいた。

 王は最後まで、テルケシが仮死状態だった、実はギリギリ死んでいなかった、とガノンや村人に言い張った。

 なぜそこまで必死になって言い張るのかは謎だったが、ガノンはそんな王の姿を脳内で浮かびださせる。

「ヒジリ・オオガ王か・・・」

 珍しいオーガメイジ。格闘家も兼ねている。黒い薄型鎧の肩に雷のマーク。

「ああなるほど。能力者とは自分の能力を隠したがるものだ」

 ヒジリ陛下は蘇生能力がある事をあまり知られたくないのだな、とガノンは勝手に納得した。

 皆が手を振る中、グランデもニウムの新国王は森の向こうへ去っていく。

「王はこんな末端の村にまで発展の約束をしてくれた! 約束が本当なら、陛下はお人好し過ぎるよ!」

 誰かがそう言った。それを機に、皆がヒジリ王の事をあーだこーだと話をするが、ネガティブな話題は一つもなかった。

 冬の冷たい風が止まり暖かい春のような日差しが村民を照らす。それはまるで苦しかったこれまでの生活が上向きになる兆しだとガノンは思った。




 スレイプニルの足音は意外と煩い。八本の足が起こす地響きは遠くからでも解る。

「おや? ゴデの街であれに乗るのはヒジリ君ぐらいですが。キュキュ」

 校長室で耳を澄ますナンベルは小指を立てて紅茶を一啜りしたが、カップをテーブルに置くとガタガタと揺れるので嫌な顔をして立ち上がった。

「煩いですねぇ、そろそろ下校時間が近いとはいえ、まだ授業中ですよ・・・」

 孤児院は街の学校としての役割を担っている。

 そうするようにヒジリに頼まれたからだ。なので新しく増設した校舎には、算数や読み書きを習うゴブリンやオークの子供たちで溢れかえっている。オーガの子供たちは、体が大きいので急造の仮校舎で授業を受ける事となった。

 ナンベルは後ろ手を組んで廊下を歩き、教室を覗いては生徒の様子を見て嬉しそうに頷く。

「うんうん、あの煩い足音以外は、今日もいつも通りの授業ですヨ。って! キエェェェーーー!」

 我慢の限界に達したのか、ナンベルは校長室から出ると校門まで一目散に走り、こちらに向かってくるスレイプニル車に拳を振り上げた。

「静かになさい! まだ授業中ですヨ! コラーーー!」

 拳を振り上げたついでに、奇妙な踊りを踊りだすナンベルはだったが、大きなスレイプニル車のタラップを降りてくる魔人族の子供を見て呆然とし、動きを止めた。

 嬉しい予感に心臓が激しく鳴りだす。

(――――あれは!)

「お父ちゃん!」

「あわわわ! ルビ!」

 数十年前の、幸せだった時のままの娘が手を振っている。

 一瞬、時を遡ったのかと錯覚して周囲を見渡すが、いつもの風景だ。

 しかし夕方に近い西日が辺りをセピア色にしているので過去に戻ったのではないかと、疑う。時間を操る能力者は極々少数だが存在するからだ。

 白いワンピースにモコモコとした防寒具を着させてもらっている娘は、鼻水を垂らしながら、両手を広げて一生懸命走ってくる。

 驚きつつもナンベルは娘を受け止め抱きしめた。

 娘の柔らかい頬が自分の頬に当たり、徐々に過去の後悔や苦しみから解放されるのような感覚が押し寄せ、絶望も悲しみも全てが吹き飛ぶ喜びが、体中を巡りだした。

「これは夢ですか? いえ、そんなはずはない !確かに我が娘は生きている! ルビは確かに生きているンです! キュキューーー!」

 ナンベルは今生きている娘の感触に、夢ではないと確信してポロポロと涙を流した。

 授業の終わりを告げる鐘の中、貧民街の殺し屋道化師と恐れられたナンベルの顔はただの父親のそれに戻っており、その周りでヒジリ達は拍手をして喜ぶ。

 ウメボシが嬉し涙を零しながら、ホログラムの拍手をする。

「おめでとうございます、ナンベル様」

 その横で、正の感情を抑えきれなくなったヒジリが、装甲をパージさせながら熱を放つ。

 ――――プシュー!!

「君は実に運が良かったな!」

 そう。マギンが持っていた目玉は、ナンベルの娘のものだったのだ。
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