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小説の終わりに

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 邪神の自爆による影響は、書庫に及ぶ事はなかった。

 半円形の虹色のドームは眩い光を放った後、エネルギーを放出しきって、擬似亜空間に飲み込まれ、静かに消えていった。

 そこには冷え冷えとした薄暗い、いつもの書庫があるだけであった。

「ナビ、施設の設備が壊れてないのであれば、放射能の除去を頼む・・・」

 サカモト博士は、気を失って地面に落ちている不憫なアンドロイドを抱きかかえると、優しく撫でた。

「何と言ってよいか・・・。かける言葉がないのう・・・」

 いきなり現れて擬似亜空間の壁を素手で破ったヒジリの息子は、【昏睡】の魔法効果が切れて目を覚まし、この場に父親がいない事がどういう事かを理解してへたり込んでいる。

 ハンサムなヒジリを、もう少し中性的にした感じの神の子は、ブツブツと何かを言っている。

「一度、元に戻った僕の家族は、これでまた滅茶苦茶だ。オーガの始祖神なんて助けなければ良かったんだ・・・。父さんは賢いはずなのに、時々好奇心に負けて、後先考えずに行動する」

「君の名前は何と言ったかな? セイバーだったか? あの男は・・・ヒジリという名前だったか? 君の様な大きな息子がいるとはな。その・・・、なんだ。お悔やみ申し上げる・・・」

 セイバーは伏していた顔を上げて、怒りの篭った目でサカモト博士を睨んだ。

「貴方の代わりに父さんは死んだんだ! 何が始祖神だ! ただの老いぼれじゃないか! 若い父さんの命を引き換えにするほどの価値が、一体どこにあるんだ!」

「・・・すまない」

「僕は最近まで幸せだったんだ・・・。何が切っ掛けだったかは判らないが、失った十五年間の記憶が、父さんと母さんの思い出で満たされていたからね。今回の件は、僕が過去に関わったから起きた事だとわかっている! でも! 何で父さんが貴方の為に死ぬ必要が何である?」

「何の話かわからんが、すまない」

「僕は過去を変えるために未来からやって来た、オオガ・ヒジリの息子ヤイバだ! 母はリツ・フーリー! 本当に幸せだったんだ・・・。父さんと母さんと公園で追いかけっこして遊んだ記憶も、きっと暫くすれば消えていく! 返してくださいよ・・・。僕の幸せな時間と父さんを! それに未来に戻れば間違いなく! 僕の可愛い弟や妹達は消えている!」

 時間を越えてやって来たというこの男の言う話は、本来科学者であれば信用するに値しない。しかしサカモト博士は、それを信じるに足る経験をしている。

「もし・・・、時間移動が可能ならば、今より過去に戻って、やり直せばよかろう?」

「そんな簡単に出来るのならば、やってますよ! タイミング良く狙った時間に来れるのも、奇跡なんだから! 次は上手くいく保証なんてない!」

「そうか・・・。すまない」

 博士は心から申し訳なくは思うが、いきなり書庫に召喚されて、思入れも何もない男が死んだ事に、そこまで心が動かなかった。

 が、博士のその態度に、ヤイバは納得がいかなかった。サカモト博士の襟首を掴み顔を引き寄せる。

「僕は未来のウメボシさんから聞いた事があるんだ。神の国の者が! 一番恐れる事は何かと! それは行方不明になる事だと言っていた! 父さんは! まさに! 今行方不明になった! よくわからない泡の向こう側で! 灰となって消えて! 死体すら残っていない! 復活の機会すらないんだ! 貴方なんかの所為で!」

「もう、そこまでにするのである・・・。ヒジリ殿の息子。博士を責めても仕方なかろう。忌むべきは邪神ではないかね?」

「ダンティラスさん・・・」

 ヤイバは博士を投げ捨てると、ダンティラスに縋って泣き始めた。

「解ってますよ・・・。そんな事! クソッ!」

「さぁ帰るのである。ここでずっと泣いているわけにもいかないだろう。帰って、皆にこの出来事を知らせるのが我々の義務ではないかね? 人知れず世界滅亡の危機を救った英雄の最期を、皆に知ってもらうのだ」

「父さんは・・・。幾度も世界の危機を救っていますよ・・・。何度も・・・。でも誰もそれに相応しい感謝なんてしたことがない。ズルイよ・・・。父さんは死んだのに、皆は今後も何事もなかったように生きていく。皆も死んでしまえばいいのに・・・」

「やめるのである、ヤイバ。闇に身を委ねるな。呪いの言葉は、現実となって災いを招く」

「それに【消滅】で消されたマサヨシさんは、僕の親友だったんだ。未来で性転換の実を食べて女になってしまい、一度は僕の事を好きになったんだよ! ハハハ! その後、男に戻ってね! マサヨシさんは、あれは黒歴史だから言うなって、顔を真っ赤にしてさ! ウフフ!」

 ―――ピシャ!

 ダンティラスの平手が、正気を失いかけたヤイバの頬を張る。

「気をしっかり持て!」

「嫌だ! もう僕は・・・。立つ気力もない。どこにも動かないぞ! ここで餓死して死ぬんだ! 父さんがいる安らぎの園に、僕も行くんだ!」

「世話が焼ける・・・」

 ダンティラスはため息をつくと、もう一度ヤイバに【昏睡】の魔法をかけた。

「すまないのである、ヤイバ。不意を突かなければ、君はかなりの確率で魔法をレジストしてしまう。さぁ今は眠って、心の傷を少しでも癒したまえ。目が覚めたら桃色城だ」

 そう言ってダンティラスはヒジリに貰ったサングラスをかけた。これで誰かが顔を近づけて余程見ようとしない限り、彼が吸魔鬼だとばれる事は無い。

「君の形見が役に立っているのである、ヒジリ殿・・・」

 吸魔鬼は触手を背中に隠すと、怪力で大きなヤイバを抱きかかえる。

 博士も責任を感じているのか、桃色城について行って、この出来事を説明すると申し出た。

 ウメボシを抱えると博士は、ダンティラスの後に続いて、例のエレベーターに乗って地上へと向かった。

 地上に出て大きな荷馬車を借りると、一同はグランデモニウム王国を目指した。
 



 窓から吹いてくるそよ風が、ランニングシャツ姿のマサヨシの肩を撫でる。

「ふがっ!」

 マサヨシは涎を拭いて周りを見る。ここはいつもの自室だ。パソコンもあり、アニメキャラのポスターも壁に貼られてある。

(あれ? 夢か?)

 ―――ドンドンドン

「正義! 今日こそは職安行きなさいよ! アンタがそんなだから、千佳が孫連れて、お爺ちゃん家に遊びに行くたびに、お兄ちゃんの仕事は決まったのか? って聞かれて恥ずかしい思いしてんだからね! 正義ィ!」

 マサヨシは、ガチャリとドアを開ける。

 同じ家にいながら、すれ違いで一年程、会っていない母親がそこにいた。

(六十代のオバサンって、何でこんなモジャモジャパーマ当てたがるのでつか・・・)

「えっ? あれ? あのどちら様で? マサヨシのお友達?」

 以前のスヌー〇ーのような髪型だった時と違って、今は毛が生えており真ん中分けのミドルヘアーだ。体重も百キロ近くあったのだが、六十五キロしかない。母親が驚くのも無理はなかった。

「何言ってんだよ、ババァ。俺だよ、オレオレ」

「面と向かったオレオレ詐欺なんて珍しいわね。・・・って、あんた正義?」

「そうだよ! ずっと自宅警備員をやってたマサヨシだよ!」

「うそ! 髪の毛生えてるじゃない! 体重も減ってる! それに背も高くなってない? 前は百七十センチくらいしかなかったわよね? 今は百八十センチぐらいあるわよ?」

「んぁ? そういえば背も伸びたかな・・・。お菓子ばかり食べるのを止めて、ウェブ小説ばかり書いていたからなぁ。時々バイトして稼いだ金で、健康的な食事もしてたから背も伸びたんじゃね?(ん~何か忘れているような気がする)」

「え? あんたいつの間にアルバイトなんてしてたの? だったら家に幾らかお金入れなさいよ!」

「も~煩いなぁ。じゃあ一万円だけな。バイトつっても日雇いだから、定期的な収入は無いし」

 ずっと引き籠りだった息子から一万円札を手渡された母親は、エプロンで目から染み出た涙を拭った。

「ここ一年ぐらい顔を見ないと思ったら、ちゃんと社会復帰の準備をしてたのね・・・。お母さん嬉しい・・・」

「はいはい、解ったから。もう扉閉めるよ? 俺また小説書かなきゃ」

「ちょい待ち! あんた、どんな小説書いてるの? まさかエロ小説じゃないでしょうね? 警察に捕まる様なもん書くんじゃないよ!」

「書くかよ! アホ! さっさと消えろ! ババァ! それから週刊少年ジャンプ買ってこい!」

 マサヨシは勢いよく扉を閉めて、パソコンの前に座った。

「えっと、どこまで書いていましたかな? そうそう、主人公であるマサヨシが、あっけなく邪神に消されたんだよな。ついでにヒジリも邪神と相打ちで死んだんだよな。へへへ、バッドエンドだなこれは。読者め! 読後感の悪さにのた打ち回るがいいっ! フヒヒ!」

 マサヨシは最後の数行を書き加える。

 ―――正義が必ず勝つなんてのは、現実では夢物語だ。現実の世界で正義面をして、本当に正義を執行しようとすると他人から疎まれるし、敵対者も現れ、大概は途中で誰かにハメられ、心を折られるものである。

 この世は、狡賢く、それでいて自分に大義が立つように振る舞った者こそが勝利する。

 この物語においての勝者は誰だったか? ヒジリか? マサヨシか? いいえ。

 勝者は全てを、ヒジリやマサヨシに押し付けて、自分たちは何もリスクを負わずに今後も生きていく、世界の人々でした。

 こうしてマサヨシは虚しい想いを胸に、現実の世界へと帰っていった。無敵と言われたヒジリも、地球政府から行方不明者認定され、二度と蘇る事は無かった。おわり。
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