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三章
無様なままではいられない
しおりを挟む「そこで迷うんだったら、もう決まってるようなもんじゃない。正しいことをしたいだとか、そうするのが正しいはずだとか、そんな無駄なことに縛られてても意味ないでしょ。それが本当にあんたのやりたいこと? 本当にそれでいいわけ? 『自由に生きる』って目標はどこいったのよ。理屈や合理性なんて捨てて、あんた自身がどうしたいのか、その心に従いなさいよ。それが『自由に生きる』ってことでしょ」
「……そう、なのだろうな。だが……」
だが、人やそう易々とは生き様を変えられない。変えたいとは思う。今でも思っている。
だが、そう思いながらも〝その後〟のことを考えてしまう。もしここで動いた結果、守るべき誰かが苦しんだら? 俺が動いたからこそ元よりも悪い結果になったら?
そう思うと、途端に口が動かなくなる。
これは、貴族として生きることを人生としていたからこその〝呪い〟……なのだろう。
貴族として生きることを、貴族として考えることを、自分の思いではなく全体の利益を優先することをやめることができないのだ。
「つまりあんたは、最後の後押しが欲しいわけね」
やれやれ、と呆れるような仕草をしたスティアは、俺から視線を外してリリエルラと視線を合わせるようにしゃがんだ。
「ねえ、リリエルラ。あんたたち、マリアの居場所って把握してる?」
「……マリアとは、あなた方と共に『樹林の影』と戦った女性でしょうか?」
いきなり何を聞いているんだ、と思ったのは俺だけではなかったようで、リリエルラもスティアの問いかけに困惑した様子を見せていたが、そんな状態であっても冷静に確認するように問い返した。
「あなた方っていうか、こいつと一緒にだけど、そう。そのマリアよ。マリアに助けを求めれば、きっと手を貸してくれるわ。で、そうなればもれなくこいつもついてくるってわけ。だってあんた、マリアのこと気に入ってるでしょ?」
「それは……」
気に入っているか否かと問われれば、俺はその問いに頷くしかない。マリア個人が気に入っていないと言うわけではないが、何よりもその在り方を好ましいと感じている。それこそ、スティアの言ったように助けを求められたら素直に助けになってやりたいと思う程度には。
もっとも、それは彼女ならば容易に誰かに助けを求めることはしないだろうと理解しているからこそのことだ。これがすぐに助けを求めてくるような人物であれば、その時は考えが変わっていたかもしれない。
「あ。気に入ってるって言っても、男女の仲ってわけじゃないのは知ってるから安心してちょうだい。そもそも、マリアみたいないい子が、あんたみたいな優柔不断なのに惹かれるわけないしね」
男女の仲を疑われているなど微塵も考えていないが、お前に言われると無性に頭にくるな。一言余分なのだお前は。
しかし、マリアを利用する、か……。確かにそうされれば俺は商人よりも彼女の方を優先するだろう。それほどまでに、彼女の在り方は尊いものだと思っている。
だが、そのようなことをしなくとも俺を『樹林の影』と戦わせる方法はあるのだ。
「……なんでそこまでする。助けたいのであれば、そう命じればいいではないか。わざわざマリアを呼び出し、戦わせて俺を引っ張るなどという手間を挟む必要はないだろうに」
そう。俺は今、スティアを主人とした隷属の首輪がはめられている。であれば、下手な策を弄さずとも、ただ命じればいいだけだ。「樹林の影を倒し、揺蕩う月を助けろ」と。それはこいつも理解しているはずだ。何せ、普段の生活の中であっても無駄に命令をしてくるようなやつなのだから。わからないはずがない。
それなのにどうしてこいつは命令をしないのか……。
いや、そもそもで言うのならば、俺が戦う必要すらない。こいつとルージェだけでどうにかなってしまうだろう。こいつらにはそれだけの力がある。敵の実力如何ではルージェは怪しいかもしれないが、スティアは負けることはないと断言できる。よほど油断しているか、阿呆な事をやらかさない限りはだが、それだけの能力は持っているのだ。
「そんなことしてなんの意味があるってのよ。これはあんたの問題よ。助けを求められたのはあんたで、どうするか悩んで決めるのもあんた。私じゃないわ」
それは……まあ、理屈で言えばそうだろう。
だが、今リリエルラは俺と言うよりも、誰かに助けて欲しくて、その候補に俺がいたから俺に助けを求めただけだ。助けてくれるのであれば、誰でもいいはずであり、その程度のことがわからないわけでもあるまい。
「もしどうしても決められないって言うなら、その時は仕方ない。私が命じてあげる。自分の事すら決められず、自分の心すら口にすることができないんだってんなら、私もあんたの主人として命じるわ。こうしなさい、ああしなさい、って。だって、ペットの進む先を決めるのはご主人様の役目だものね」
その言い様はまるで俺を揶揄するかのような……いや、実際に揶揄しているのだろう。ただし、ただの揶揄ではなく、侮蔑や嘲りの色が載せられているように感じた。
確かに、今の俺の状態には相応しい言葉だろう。自分の道を迷い、決める事を拒む様は、〝ペット〟と言っても差し支えないだろう。
だが、それを受け入れられるのかは別だ。
このような言葉をかけられ、それに甘んじていられるほど俺はおとなしい人間ではない。
……だが、この場合誰が悪いのかと言ったら、ふざけた言葉を吐きつけてきたスティアではない。そんなふざけた言葉を口にさせた俺が悪いのだ。
「——でも、それでいいわけ?」
良いわけがない。
それまでは表に出すまいと堪えていた感情が溢れ出し、俺は知らず知らずのうちに拳を握りしめていた。
「首輪を理由に命じられることを待ってるだけのペットでいいの? 最初に私に会った時の威勢の良さはどこに行ったの? 自分の道を守るために命すら賭けようとした誇りはどこに行ったの?」
あの時は自暴自棄も混ざっていた。家から捨てられ、貴族ではなくなり、今後はどう生きるべきか分からず生きる目的を失った。だから、みっともなく生きるくらいならば死んでも構わないと思った。
だがそんな勢い任せの無様な考えでも……誇りのために動いたことに変わりはない。
誇りを守るために、自身で考え、自身の意思で事を起こそうとした。
それが今はどうだ。やりたいことがあり、やらなければいけないこともある。今の感情や未来の結果を考えて迷い、その末に自身の道を他人に委ねる。
……ああ、なんとも無様なことか。
俺はもう貴族ではないのだ。後のことを考えて今を蔑ろにするなど、愚かしいことこの上ない。
貴族ではないのなら、自分を優先して動いても構わないはずだ。
元々俺が『揺蕩う月』に協力しなかったのは、今回の件を俺たちが協力して解決したとしても、俺たちがこの街から離れたら状況がより悪くなる可能性があるからだ。
俺の考えとしては今も変わらず、この街に長く留まるつもりはない。ここで問題を解決したところで、さらなる問題が出てくることだろう。そして俺たちがこの街を離れてしまえばそれはより一層酷いこととなる可能性がある。
しかし、それを解決することができる方法がある。
単純な話だ。長く留まらなくとも問題ないほどに状況を変えてしまえばいい。それだけのことだった。
民を虐げる商人をどうにかし、『樹林の影』もどうにかし、『揺蕩う月』が攻められないように手を打つ。その全てをこなせば、なんの問題もないことになる。
ならば、何を迷う必要があると言うのか。
「阿呆なことを言うな。俺の誇りは、常にこの身の内に存在している。恐怖に臆することもなければ、漏らして泣き叫ぶこともない」
力には義務が伴う。
貴族は易々と力を振るってはならない。
力で解決するのは貴族の振る舞いとしてはあってはならないも見苦しいことだ。
だが、今の俺は貴族ではない。
力があるのだからそれを使って何が悪い。
力で解決することの何が悪い。みっともないと言われようとも、貴族という立場ではなくなり自由となった俺にとって体裁など必要ない。
振るった力で全てを解決すれば、義務を果たすことになるはずで、それのどこに問題がある。
それに何より、憧れた『自由』を前にして無様な姿を見せるなど、俺自身が認めることができない。
俺は貴族ではない。ただのアルフだ。ただの旅人であり、縛られるものは何もなく、自由に生きる者。
ならば、好きに動き、全てを手に入れればいい。
「ふふん。それでいいのよ。……? ……も、もらっ!? ああああ! ああああんたっ! ななな、にゃに言って…何言ってんのお!? あの時のことは忘れてって言ったのにいいいい!」
俺の言葉で〝何か〟を思い出したスティアは慌てながら悲鳴をあげて俺につかみかかってくるが、それを逸らしてからリリエルラへと向き合った。
「リリエルラ。手を貸しても構わない。だが、条件がある」
「どのようなことでも伺いましょう」
「まず、俺たちが助けに行った後は、動かせる者を使ってオンブロ商会の方をどうにかしろ。不正の証拠を見つけ出し、もう二度と民を虐げることができないようにするのだ」
そうだ。この商人に関しては何も俺たちがやる必要はないのだ。リリエルラたちは動けば『樹林の影』に手を出されるから下手に動くことができなかっただけで、オンブロ商会に敵意がないわけではない。だからこそあれほど詳細な情報を持っていたのだ。
ならば、俺たちが『樹林の影』をどうにかすればいい。そうすれば、こいつらは自由に動くことができ、オンブロ商会へと仕掛けることができるようになる。
ともすれば、俺たちがやるよりも確実に結果を出してくれることだろう。
そして、そうなるのであれば俺が気にすることはなくなる。後顧の憂いをなくし存分に『樹林の影』と戦うことができるのだ。
「承知いたしました」
最初に会った時とも、今日この部屋に突撃してきた時とも違い、リリエルラは少女の姿に似つかわしくないほどに礼儀正しく跪き、俺の言葉に了承の言葉を返してきた。
あまりの態度の変化がほんのわずかに気になったが、そんなことはすぐに忘れて話を進める。
「加えて……裏で生きるお前達の事情は知っている。だから法を犯すなとは言わない。多少の悪事は仕方ないこともあるだろう。だが、理不尽な悪を行うな。弱者を守れ。貴族が守ってくれないと嘆き、自分たちを守るために武器をとったと言うのなら、同じ守られていない誰かを傷つけることは許すな。誰が相手だろうと、どんな状況だろうと、お前達の掲げた大義を貫き通してみせろ」
リリエルラ達『揺蕩う月』に協力するのは構わない。だが、結局は闇ギルドなのだ。助けた結果、より多くの民が傷つくと言うのであれば、俺はそれを認めることはできない。
多少の悪事なら見逃そう。だがそれが多少ではすなくなったら……『揺蕩う月』が俺に語った原点を忘れることになったら、その時は俺が責任を持って処理しよう。
「……私たちが生きていくことができるうちは、約束しましょう」
生きていくことができるうちは、か……。まあいいだろう。
「もう一つ。俺が手を貸して欲しいと言った時に、一度で構わないから手を貸せ」
「……承知いたしました。一度と言わず、何度でもあなたの指示で動きましょう」
こうして、俺達の契約は成立した。後は実際に行動するだけだ。
「……お前達、予定変更だ。商人の襲撃ではなく、『樹林の影』の処理に向かう。だが、これは俺の考えだ。スティアもルージェも好きに動け」
とくにルージェだ。こいつは正確には俺たちの仲間というわけではないし、商人の襲撃とて、こいつにとって意味があるから俺たちと協力してやるのだ。『樹林の影』討伐は、こいつにとって大した意味はないのだから、手伝わない可能性は十分に考えられる。
「まあ、いいんじゃない? 商人の方は『月』の人達がやってくれるんだし、ぶっちゃけて言うとボク達がやるよりも確実性があるでしょ」
まあそうだな。こちらは実働二人と阿呆が一人しかいないのだ。敵を倒すだけならばともかく、何か証拠を探すとなると不安が残る編成である。
その点で言えば、戦力は俺たちに劣ったとしても人数を使うことができる『揺蕩う月』が商会の方を担当した方が効率はいい。
「手伝うと言うのならそれで良い——何をする」
ルージェの言葉に頷きつつ言葉を返していると、なぜかスティアが俺の足を蹴ってきた。
その蹴りは本気ではない。が、それでも多少は痛みを感じる程度には強い。なぜこいつはこんなことをしているのだ?
「何をする、じゃな―――い! なんで言っちゃうの!? なんで私が漏らしたって言っちゃったの!?」
お前が漏らした……? ……ああ、先ほどの言葉か。
確かにあれは俺とお前が最初に会った時のことを揶揄した言葉ではあったが、それはお前と俺だけでしか通じない話だったはずだ。何も言わなければ単なる言葉でしかなかった。
「誰もお前が漏らしたとは言っていないだろ。むしろ、お前が反応したことでバレたように感じるが?」
「……ぅえ?」
「「……」」
スティアは間の抜けた声を漏らしてルージェとリリエルラへと視線を向けたが、二人は何も言わないままスッと顔を逸らした。
「ち……違うもん! 私じゃないもん! 私は漏らしてなんてないんだから! うわあああああん!!」
そんな二人の様子を見たスティアは、口元を戦慄かせたかと思ったら、大声をあげて泣きながら窓の外へと飛び出していってしまった。
「どうするの、あれ?」
「あのままでかまわん。どうせそのうち合流する。ずっと一人でい続けることなどできん奴だし、騒ぎが起これば憂さ晴らしのために敵に突っ込んでいくはずだ」
「それよりも、俺たちも行くぞ」
「うん。まあ予定とは違ったけど、これはこれでありだよね。というか、こっちの方が分かりやすくて良いや」
確かに、商人を調べて証拠を集めて小細工をして罪に問う、などと言うことをやるよりも、敵を倒して全て終わり、という方が分かりやすいではあるな。
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