公爵様、地味で気弱な私ですが愛してくれますか?

みるくコーヒー

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第16話 Abduction

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「たまには外に出るのも大切ね。」

 私は久しぶりに実家の外に出でメイドのアン・ボニーと共に街を歩いていた。

「またお嬢様とお出かけが出来て、とても嬉しいです!」

 アンは私の1つ下で、私が16歳の時からメイドとして働いている。
 仲の良い友人のように思っているが、しばしば私をもう1人妹が出来たような気分にさせる。

「公爵邸にはいつ戻られるのですか?」
「そうね……そろそろ戻らなければいけないとは思っているわ。」

 いつまでも子供ように駄々をこねてアレク様を困らせるわけには行かない。

「それにしても、今日は暑いわね。」

 太陽が照りつけ、私はその暑さに参ってしまう。手でパタパタと顔を仰いでみるが、熱風が顔にかかるだけだった。

「お嬢様! 最近、市井で冷たいお菓子が流行っているんですよ! ほら、あれです!」

 アンが指さす屋台には「シェイク」と書いてあった。シェイクとはなんだろう、看板にはバニラやチョコレートなど様々な味が書いてある。

「お嬢様は日陰で待っていて下さい、私が買ってきますから!」
「えぇ、ありがとう。」

 アンの申し出を受けて、私は道端の日陰で彼女を待つ。

「やぁ、ティミリア。」
「……ネイト侯爵。」

 突如現れ声をかけてきたネイト侯爵に私は視線を合わせないようにしていた。

「最近、中々会ってくれないから寂しかったよ。」
「手紙を差し上げた筈です。友人としてお茶をして話を定期的にしていたけれど、公爵がよく思わないのでもう会わないと。」

 私が冷たく突き放すように言うと、ネイト侯爵はぬっと顔を覗き込んできて無理矢理に私と視線を合わせた。

 ニヤリと不気味な笑みを浮かべている。

「そんなこと、僕にはどうだって良い。」

 突如、背後から口を押さえられ意識が遠ざかり視界が暗くなった。



 パチリ、と目が覚めたとき、そこは街中ではなく暗くて古い部屋の中だった。

 椅子に縛られ、身動きが取れない。

「ここ、は……?」

 どうしては私はここにいるのだろう?
 アンが冷菓子を買いに行くのを待っていて、それでネイト侯爵と遭遇して、それで……。

「気づいた?」

 ネイト侯爵が笑顔を貼り付けながら覗き込んできた。
 驚き、それから恐怖でヒッという声を上げてしまう。

 縄から抜け出そうと動いてみるも、椅子の動くガタガタという音が立つだけだった。

「い、痛いっ!」

 ネイト侯爵は私の肩に手を置きグッと力を入れる。

「ティミリア、あまり僕を困らせないでおくれよ。」

 ネイト侯爵の顔が今まで見たことの無いような表情を浮かべる。苛立ちと、それから今にも私を殺してしまいそうな鋭い瞳。

 私は恐怖から声を上げられず、身体を震わせることしか出来なかった。

「そうそう、大人しくしておいてね。」

 ネイト侯爵は再びニコリと笑みを浮かべた。

 その笑顔は、ただの作り物で裏の顔をわかってしまった私には恐怖以外の印象を与えなかった。

「僕はさ、君のことをもっと馬鹿だと思ってたんだ。とんだ過小評価だった、謝るよ。」

 何の話だかよく分からなくて、だけれどそれを問いかけるような勇気もなくて、ただ彼の話を聞いていた。

「女っていうのはさ、すぐ愛だ恋だと騒ぐ。僕が甘い言葉を吐いて、相手の欲しい言葉を投げかければコロリと落ちて思い通りになる。なんて愚かで、単純で、馬鹿な生き物なんだろう。」

 ネイト侯爵は苛ついたように口の端をひくりと動かす。

「その点、僕はロレッタを評価している。最初は愛を僕に求めてきたが、僕が彼女に少しも関心を示さないからすぐに切り替えて他所に愛を求めた。全く素晴らしい判断だ。」

 ロレッタと愛を築こうとしていたのはネイト侯爵の方ではなかったの?

 以前に聞いた話と違う。

 彼が話したことはどこまで嘘でどこまでが本当?
 もしかして、全部嘘……?

「ティミリア、君もだ。」

 ネイト侯爵は満足気に笑みを浮かべてこちらを見た。それは嘘の笑顔ではないとなんとなくわかった。

「君は最後まで僕に心を傾けなかった。つまらない人間だという僕の予想を覆した! 最初は何とも思わなかったが、うん、確かに君は他とは違うみたいだ。」

 ねっとりとした視線が私に注がれる。
 気持ち悪いと目を離したくなったが、目を逸らしたら負けだと自分に言い聞かせた。

 言葉が出てこない代わりに、反抗心だけでも視線で訴え、敵の姿を目に焼き付ける。

 それが精一杯の私の抵抗だった。

「あぁでも、その背景にアレクセン・ロベルタがいると思うと、かなり腹立たしい。」

 ネイト侯爵はぐしゃりと顔を歪めた。
アレク様への憎悪のようなものがはっきりと表情から感じられる。

「な、なぜ……。」

 絞り出すように声を出す。
 蚊の鳴くような声、それでいて震えていることがわかる。

 ネイト侯爵はそれを聞き取ったようで眉をぴくりと動かした。

「なぜ?」
「ア、アレク様を、そ、そ、そんなに、嫌うの、ですか?」

 口が震えて上手く話すことができない。だけれど、言葉を口に出来ていることが奇跡だと思った。

 何をされるのかわからないこの状況で。

「奴がいつも僕の邪魔をするからだッ!! いいか、僕は優秀だ。学生の時から仕事は完璧にこなしてきた。20の時、父から爵位を譲り受けた。そして初めての仕事で大きな功績をあげるはずだった。重大なポジションを任される予定だったからだ! だが、そのポジションはアレクセン・ロベルタに奪われた!!」

 ガン! とネイト侯爵は机を叩く。
 私は、その音に驚いてびくりとし、それによって椅子がガタンと音を立てた。

「そんな、ことで……。」
「そんなことだと!?」

 私がつい漏らしてしまった言葉にネイト侯爵は反応して般若の形相をこちらに向けた。

「貴族社会で最も重要なことは何だ? えぇ? 権力だろう!! 功績だろう!! 誰も彼もが爵位や名声の上で他人にマウントを取る、それが貴族社会で生きていくということだ!」

 私も一貴族だ。
 ネイト侯爵の主張がわからないわけではない。

 だけれど、それが道理を外れた行いに正当性をもたせるとは全く思えなかった。

「女ごときに僕の心がわかりはしないだろう。女は子どもの頃は親の爵位や功績によって与えられたものをまるで自分の手柄のように偉そうに語り、相手より上に立とうとする。結婚してからは、それが旦那の持つスペックに変わるだけだ。自分たちは大した努力もしないくせに。」

 ネイト侯爵は私を見ているが、真に私を見てはいなかった。私を通して世の中の貴族女性を見ていた。
 そして心底、見下した視線を送っている。

「だが男はどうだ? 貴族男性は自身の存在証明を自分で行わなければならない! どんな爵位を持つか、どんな功績があるか、その上で互いが評価される。僕はもっと評価されるべきだ……それなのに、奴は邪魔をする、奴の存在が僕を邪魔している。」

 ネイト侯爵は苛立ちをあらわにしながら話し続けるが、一区切りついたところで深く息を吸い込んだ。

 それから、息を吐くとまたニコリと笑みを顔に貼り付けた。
 そして、こちらを見る。

「無駄話をしすぎたね。」

 ネイト侯爵はポケットから出した高級そうな手袋をはめて、机の上にあるナイフを手に取った。

「いや、やめて、やめて!」

 私は彼から遠ざかりたかったが、椅子は全然動いてくれない。

「はい、これ遺書ね。」

 ネイト侯爵は手紙のようなものを胸ポケットから取り出して机の上にポンと置いた。

「い、しょ?」
「さっき君が書いたんだよ? 私はアレクセン・ロベルタからとても酷い扱い受け、耐えきれずに命を断ちますってね。」

 ありえない。
 確かに私はアレク様からの言葉や態度に心を痛めた。だが、それによって死を選ぼうなどと考えたことはない。

「わ、私は、書いてない。遺書なんて、書いてない。」
「紛れもなく君の文字で書かれているよ。そして、ここにも君の足で歩いてきた。」

 そんなはずがない。
 私は街でネイト侯爵にあって、それで誰かに口を押さえつけられて、そして気を失った。

 何も覚えていない。
 その、覚えていない間に、何かがあった?

「私に、何をしたのですか? 私は遺書を書いた記憶もないし、歩いてここへきた記憶も!」

 ネイト侯爵に訴えている途中に、グッと強い力で首を掴まれる。
 苦しい、息が出来ない。

「うるさいよ。」

 ネイト侯爵が苛立ちを含んだ低い声を発する。パッと手が離されると、私はゲホゲホと咳き込んだ。

「これだよ、これ。」

 ネイト侯爵が見せたのは小さな小瓶。
 その中には透明な薬品が入っている。

「やーっと手に入ったんだ。かなり高かったけど、その分効果は覿面だった。催眠をかける薬、これをハンカチに染み込ませて君に香りを吸わせた。そして君はここまで自分の足で歩き、自分の手で遺書を書いた。僕の指示通りにね。」

 ネイト侯爵はニヤリと笑って小瓶をポケットの中にしまった。

「さぁ、謎は解けた。もう心残りはないだろう?」

 ネイト侯爵はナイフを握りながら私に近づいてくる。私は悲鳴を上げながらも逃れようと足を動かす。
 少しだけ椅子が後ろに動いたが何かに引っかかりガタン! と倒れ「うっ!」と呻き声を上げる。

 ザッザッとネイト侯爵の足音が足元まで近付いたのが聞こえた。

「助けて!! 誰か!! 助けてッ!!」

 死にたくない、こんなところで。
 私の死がアレク様を追い詰めてしまうなんて嫌だ。まだまだ話すべきことがあるのに。

 ありったけの声で助けを求めるが、私の目の前には絶望しかない。

 ネイト侯爵が椅子を掴んで起こし、それによって彼と私の視線が交差した。
 その瞳は、獲物を狙う獣のように私を捕らえている。

「助けは来ない。」

 ナイフの切っ先がこちらを向いている。

 私は殺されてしまうんだ。
 涙が溢れる、もうおしまいだ。

 誰か助けて、助けて。

「アレク様……!」

 私は無意識で彼の名を呼び、ひたすらに助けを祈った。
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