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XXII 予期不安-III

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 ――丁度、カップの中の紅茶を全て飲み干した時。
 玄関の扉が開き、気怠げなセドリックが顔を見せた。足を引き摺る様にして歩く彼の顔には、寝不足からだろうか、疲労が滲んでいた。

「セディおはよう」

「……はよ」

「相変わらず眠そう」

「……眠い」

 軽い会話を交わした後、彼が定位置と化したアームソファに深く腰掛けた。

 彼の心に変化が訪れて、約2週間。
 一体何があったというのか、彼はある日を境に変わった。それには言うまでも無く、エルが関わっている。
 エルが彼を変える程の何かをしたのか、それともセドリック本人が自ら変化を遂げたのかは分からない。だが、エルに向けていた感情が変わり、セドリックがエルへの想いを“愛”だと受け入れたのは明瞭だった。
 その所為だろうか。エルの事を意識してしまっているのか2週間前から眠れぬ日が続いているらしい。

「紅茶、淹れようか」

「……砂糖とミルクは無しで頼む」

 彼の返答に首肯し、足早にキッチンへと向かった。
 今にも死にそうな顔をしてソファに座っている彼を見ていると、なんだか此方まで不安になってくる。早く解決させないと、このまま睡眠不足が祟って倒れてしまいそうだ。
 
 水を入れたケトルをコンロに置き、キッチン台に両手をついて項垂れる。
 エルの気持ちは、もう分かりきっているのだ。彼女は、間違いなくセドリックを愛してる。それは、彼女がを見ていて充分な程に伝わってきた。
 セドリックだって、もうエルを愛していると認めた様なものだ。彼は決して、小心者という訳では無い。周囲の事に無関心ではあるが、やるべき事はしっかりと熟せる人間だ。
 しかし、そんな彼をこれ程までに意気地無しにさせているのは一体何か。それは紛れもなく、関係の破綻だ。
 彼等の関係は、少々訳アリである。家を出た令嬢と、それを匿う男。その関係は、切っても切れないものだ。
 下手に愛を伝えて、それを相手が拒絶したら。全て忘れて今まで通りに、なんて事が出来ないのは私にだって分かる。ならば下手に関係を変えずに、“家出した令嬢と匿う男”のままで居た方が賢明なのではないか。そう思うのは当然だ。

 だがそれは、あくまで相手の想いが分からない場合のみである。
 エルは、これ以上無い程セドリックを愛している。他人である私が分かる位だ。その心中に秘めた想いは相当な物だろう。
 ならば、セドリックが取る行動は一つしかない。エルに想いを伝える事だ。
 これは他でも無くセドリックがしなければならない事である。エルに揺さぶりを掛けたって仕方が無い。女性側から求愛をさせる男だなんて、それこそ幻滅対象だ。
 力尽くでも、セドリックを動かさなければ。沸き上がったその感情は、最早使命感の様な物だった。


「――おまたせ。本当に砂糖とミルクいいの?」

 紅茶を注いだカップをセドリックに差し出し、返答が分かっていながらも問う。

「甘い物、苦手だって言ってるだろ」

「でも糖分取らないと頭回らないでしょ」

「そんなん、あっても無くても頭回んねぇよ」

 マクファーデンから聞いた話だが、血液中の糖濃度が低下すると疲労状態が増すそうだ。そして、疲労状態にある時に糖分と摂ると、疲労が回復するらしい。
 今の彼には、薬だと思ってでも糖分を取って貰いたいところだが、彼は強くそれを拒絶した。
 無理強いをしても仕方ないと諦めて、彼と向かい合う様にソファに腰を掛ける。
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