DachuRa 1st story -最低で残酷な、ハッピーエンドを今-

白城 由紀菜

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VII 鳥籠の外-II

「――あの女性、著名人だったりするのかしら」

 つい漏らした私の言葉に、彼が先程同様小さな反応を示した後、怪訝な視線を此方に向けた。
 まるで理由を問う様な彼の表情に、「何処かで見た事がある様な気がするの」と述べる。
 あれ程美しい人であれば、何処かの劇団等から声が掛かってもおかしくない。背も女性にしては高い方で、きっと踊りや演技などをさせればとても映えるだろう。
 そんな理由で著名人だと判断するのは安直だと分かっているが、どうしてもその既視感を拭う事が出来なかった。

「…気の所為じゃないのか」

「……そう言われれば、そうかもしれないのだけど…」

 私の煮え切らない返事に、彼が眉を顰める。

 記憶を隅から隅まで巡らせ、先程の女性と一致する顔を探す。
 社交パーティーの参加者?――いや、違う。
 昔遠くで一度だけ目にした事のある、王室の人間か?――それも、違う。
 どれだけ考えてみても、彼女の顔はどの記憶とも一致しない。それどころか、考えれば考える程その“答え”から遠ざかっている様に思えた。
 
 ――そういえば。
 幼少期に、父に大きな公演に連れて行かれた事があった。有名な女優と歌姫の舞台だったと記憶しているが、その時の女優の名前は何だっただろうか。
 ロンドン1有名で、尚且つとても美しい人達だった。彼女達の名前はこの歳になっても忘れる事は無かったのに、今の様に重要な場面でその名前が出て来ない。

「……うぅん」

 屋敷をあまり出た事が無く、更には社交パーティーで顔を合わせた人間では無いとすれば、思い当たるのはその公演しかない。心做しか、当時の女優は少し彼女に似ている様に思えた。
 だがかずらを着用している俳優が多く、その女優の顔も朧げではっきりと覚えていない。それにそんな有名な女優が、この時間の街を歩いている筈が無いだろう。

「――やっぱり、思い出せそうに無いわ。貴方の言う様に、気の所為だったのかもしれないわね」

 いつまでも考えていたって仕方がない。それに、彼女の素性を解き明かした所で今の私に大きく関わる問題でも無かった。ただ、その既視感が晴れるだけの話だ。
 それにもし、彼女がその時の女優だったとしても、何故此処に居たのかだなんてそれこそ彼女に直接聞かなければ分からない。
 呟く様にそう言って、彼の顔を見上げた。

 ――そこでやっと、“ある事”に気付く。
 彼の腕に、絡ませた自身の腕。ぴったりと密着させた身体。
 私は知らず知らずのうちに、大変な事をしでかしてしまっていたらしい。 

 傍から見て、私達は今どの様に見えているのだろうか。若い恋人同士に見えているか、それとも、眉目秀麗な男性とそれに執拗に言い寄る下品な女に見えているのか。

 一体いつから、どのタイミングで、私は彼にこんな事をしてしまっていたのだろう。
 はしたない事この上ない自身の行動に、顔から血の気が引いていく。だがそれと同時に、温かな彼の腕と密着させた身体に、心臓が張り裂けそうな程の鼓動の高鳴りを感じていた。

 ――このまま、離したくない。彼にもう少し、触れていたい。
 このまま気付かないふりをして、彼の腕に寄り掛かっていてもいいだろうか。

 そもそも、彼だって本当に嫌であれば振りほどく筈だ。事実、先程バルコニーで一度彼に手を振り払われている。
 だが今の彼は、私の行動を特別気に留めていない様で、嫌そうな素振りも見せない。つまり、拒絶するつもりは無いという事だろうか。
 辿り着いた思考に、更に鼓動が高鳴り胸の中が期待で満ちていく。

 だが、すぐさまその思考を塗り替えるのは新たに表れた不安。
 私は先程、バルコニーで拒絶する彼に執拗に迫ってしまった。彼が私を此処に連れてきたのは、ただこれ以上私に何を言っても無駄だと思ったからだという可能性もある。
 それとも、彼はこの様に女性に絡みつかれる事に慣れているのだろうか。彼ほど美しい容姿をしていれば、当然女性だって寄ってくるだろう。
 そう考えれば、今私の腕を振りほどかないのも納得がいく。

 ――何故、私を屋敷から連れ出してくれたの?

 思わず、口にしそうになってしまった言葉。開きかけた口を閉じ、その言葉を飲み込む。
 もし此処で、「何を言っても無駄だったから」「どれだけ拒絶しても言う事を聞かなかったから」「どうでもよかったから」なんて言葉を彼の口から聞いてしまえば、私は二度と立ち直れなくなるだろう。

 余計な事を、言うべきでは無い。

 それが、今の私が行きついた答えだった。
 極力、彼の迷惑にならない様に生きよう。なるべく彼の負担にならない様に。なるべく気配を消す様に。
 あの屋敷に居るよりも、あの狂った男の元に嫁ぐよりも、余程恵まれた生き方なのだから。

 私が彼の腕から手を離すのと、彼が足を止めたのはほぼ同時だった。彼が慣れた手つきで、ひっそりと佇む1軒家の鍵を解錠する。
 見る限り、此処は彼の自宅の様だ。派手でも無く地味でもなく、大きい訳でも無く小さい訳でも無い、平凡な民家。だが、持ち家があるという時点で、彼は相当良い暮らしをしている事が伺える。

 昔、労働者階級の人間は借家暮らしが普通だとモーリスから聞いた事があった。中流階級ともなれば持ち家は一般的の様だが、彼は恐らくそこまでの階級を持ち合わせていないだろう。
 明らかな、階級に見合っていない暮らし。彼は先程、自身の仕事を“人助け”と言ったが、もしや非合法的な仕事であったりするのだろうか。

 だがそんな思考は、すぐに頭の中から消え去る。
 彼の仕事が合法だろうが非合法だろうが、“貴族の令嬢を屋敷から連れ去った”、それだけで彼は重罪だ。
 もし仮に、昔モーリスが私に話したキャヴェンディッシュ家の令嬢の様に、警察込みで懸命な捜査が行われたとしたら。
 私達は、あの令嬢の様に屋敷から遠く離れた場所へ逃げていない。となると、見つかる可能性も充分に高い。
 警察に“保護”された私は誘拐の被害者となり、彼は加害者になる。そして、どれだけ私が彼の無実を叫んでもそれは誰にも届かない。

「――今更なのだけど」

 そんな考えに、無意識的に出た言葉。

「――私、此処にお邪魔しても問題無いのかしら…?」
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