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VIII 夢の中に生きる-VII
――何処か、おかしな所でもあっただろうか。
服は問題なく身に付けられている筈だ。それに、髪だって手櫛ではあるものの、きちんと整えた。リボンタイは未だ結べていないが、今の私に大きな問題は無い筈。
それとも、「おかえりなさい」と言ってしまった事が失礼だったのだろうか。頭の中を様々な事がぐるぐると回り、酷く困惑する。
そんな今も、彼の視線は私に釘付けだ。鼓動が高鳴るを通り越して、最早動悸がする。
「…ふ、服、ありがとう。わざわざ、選んでくれて」
長い沈黙に耐え切れず、必死に頭を回した結果口に出したのは、先程マーシャに遮られてしまって言えなかった言葉。
その言葉に漸く我に返ったのか、彼が私からふいと顔を逸らし、短く「マーシャに用意させただけだ」と返答した。
逸らされてしまった為良く見えないが、彼の頬は心做しか赤く染まっている様に見える。彼が何故先程私の姿を見て固まってしまったのかは分からないが、私に問題があった訳では無かったのだと分かり思わず安堵の溜息を漏らした。
「マーシャは、貴方が念入りに選んでくれたと言っていたけれど?」
「……あいつ、余計な事を…」
彼が溜息交じりに呟き、今度は私に背を向けてしまった。
「お前が着てたドレスに似たものを選んで持ってきただけだ。他意は無い」
怒り口調にも感じられる程、彼の言葉や声は素っ気無い。先程見えたあの赤い顔は、見間違えだったのだろうか。じわりとインクが滲み広がっていく様な不安を覚え、思わず彼の方へと歩み寄る。
私よりも、頭1つ分以上高い背。男性らしい、広い背中。彼は男性の中ではかなり細身の方で、女装をすれば女性にだって見えるのでは無いかという程、華奢な体つきをしている。
だが、こうして改めて彼の姿を見てみれば自身とは大きく違い、やはり彼は男性なのだと再確認させられる様だった。
――感じた“それ”を、上手く言葉には出来ない。更には、明確な物ですら無い。
今の彼は何処かふわふわとしていて、とても不安定に見える。言葉にするなら、根無し草の様、だろうか。
このまま捕まえておかなければ、そのうち私を置いて遠い所へ行ってしまう。そんな、焦燥感にも似た不安に駆られ、思わず彼の背に掌を触れさせた。
綺麗に皺が伸ばされたシャツ越しに、彼の体温を感じる。そしてそのまま、ペットが飼い主に甘える様に、額をぐりぐりと彼の背に押し付けた。
「…なんだよ」
彼の声は、相変わらず冷たい。
「別に」
そんな彼になんと声を掛ければいいのか分からず、私も素っ気ない言葉で返答する。
一晩経った今でも、彼に抱くこの気持ちが何か分からなかった。彼を見ていると鼓動が高鳴り、彼に触れているだけで触れた場所が熱を帯びる。だが心の何処かではそれがとても切なくて、常に私を苛む様に“不安”が付き纏う。
そしてマーシャの様に、セドリックと親しい間柄の女性を見た時に沸き上がる妙な感情。それは黒く重量感があり、苛立ちや焦りにも、不安や悲しみにも似た妙な感情だ。それの名前が分かれば、私の気持ちは晴れるのだろうか。
考えてみれば、昨晩からずっとこんな事ばかり考えている気がする。ずっと、名前の無い感情に苦しみ続け、それに悩んでは、結局同じ結論に至る。“こんな事、いつまでも考えていても仕方がない”と。
「――私、貴方の事好きよ」
不意に、口を衝いた言葉。
その言葉を口にしたのは他でも無い自分自身だというのに、なんで突然そんな事を言ってしまったのかと、自身が一番驚いた。
頂点にまで達した鼓動に、一気に顔に熱が溜まっていく。
――好き。
その言葉は、決して特別な物では無い。紅茶が好き、美しい花が好き、愛らしいデザインのドレスが好き、それと、同じだ。
――同じ、筈だ。
「――出逢ってたった一晩しか経ってない男に、そんな事軽々しく言うもんじゃねぇよ」
ぽつりと、彼が呟く様に漏らした言葉。そして、とても切なげな声。
それは私に言っている様で、何処か独り言の様にも感じられた。
「……セドリック」
彼の名前を呼ぶと同時に、彼が私から距離を取る様に離れた。彼の背に触れていた手は彷徨い、宙に取り残される。
――ダメだ、このままでは。彼の心は離れていく一方で、私に繋ぎ留めておくことは出来ない。
そもそも、気持ちがあるとは一体どういう状況を指すのだろうか。彼の心は、彼の気持ちは、最初から私にあったのだろうか?
どれだけ考えても分からない、答えが出ない。考えれば考える程、頭の中は絡まっていく。
「仕事があるから」
玄関扉のドアノブに、彼の手が掛かる。
――待って。行かないで。
そう言いたくても、彼に手を伸ばしても、此処で彼を引き止めるのが正しいのかが分からず、何も言葉が出てこない。
未だ嘗て無い程の焦燥感に、呼吸が浅くなる。胸がずきりと痛み、様々な思考が回るのと同時に、目も回る。
だが、自身の瞳に映った“ある物”に、不思議な位綺麗にその不安が解けていくのを感じた。
それは、去り際に見せた彼の表情。
照れ隠しでもするかの様に眉間に皺の寄ったその顔は、熟れた林檎の様に真っ赤に染まっていた。
服は問題なく身に付けられている筈だ。それに、髪だって手櫛ではあるものの、きちんと整えた。リボンタイは未だ結べていないが、今の私に大きな問題は無い筈。
それとも、「おかえりなさい」と言ってしまった事が失礼だったのだろうか。頭の中を様々な事がぐるぐると回り、酷く困惑する。
そんな今も、彼の視線は私に釘付けだ。鼓動が高鳴るを通り越して、最早動悸がする。
「…ふ、服、ありがとう。わざわざ、選んでくれて」
長い沈黙に耐え切れず、必死に頭を回した結果口に出したのは、先程マーシャに遮られてしまって言えなかった言葉。
その言葉に漸く我に返ったのか、彼が私からふいと顔を逸らし、短く「マーシャに用意させただけだ」と返答した。
逸らされてしまった為良く見えないが、彼の頬は心做しか赤く染まっている様に見える。彼が何故先程私の姿を見て固まってしまったのかは分からないが、私に問題があった訳では無かったのだと分かり思わず安堵の溜息を漏らした。
「マーシャは、貴方が念入りに選んでくれたと言っていたけれど?」
「……あいつ、余計な事を…」
彼が溜息交じりに呟き、今度は私に背を向けてしまった。
「お前が着てたドレスに似たものを選んで持ってきただけだ。他意は無い」
怒り口調にも感じられる程、彼の言葉や声は素っ気無い。先程見えたあの赤い顔は、見間違えだったのだろうか。じわりとインクが滲み広がっていく様な不安を覚え、思わず彼の方へと歩み寄る。
私よりも、頭1つ分以上高い背。男性らしい、広い背中。彼は男性の中ではかなり細身の方で、女装をすれば女性にだって見えるのでは無いかという程、華奢な体つきをしている。
だが、こうして改めて彼の姿を見てみれば自身とは大きく違い、やはり彼は男性なのだと再確認させられる様だった。
――感じた“それ”を、上手く言葉には出来ない。更には、明確な物ですら無い。
今の彼は何処かふわふわとしていて、とても不安定に見える。言葉にするなら、根無し草の様、だろうか。
このまま捕まえておかなければ、そのうち私を置いて遠い所へ行ってしまう。そんな、焦燥感にも似た不安に駆られ、思わず彼の背に掌を触れさせた。
綺麗に皺が伸ばされたシャツ越しに、彼の体温を感じる。そしてそのまま、ペットが飼い主に甘える様に、額をぐりぐりと彼の背に押し付けた。
「…なんだよ」
彼の声は、相変わらず冷たい。
「別に」
そんな彼になんと声を掛ければいいのか分からず、私も素っ気ない言葉で返答する。
一晩経った今でも、彼に抱くこの気持ちが何か分からなかった。彼を見ていると鼓動が高鳴り、彼に触れているだけで触れた場所が熱を帯びる。だが心の何処かではそれがとても切なくて、常に私を苛む様に“不安”が付き纏う。
そしてマーシャの様に、セドリックと親しい間柄の女性を見た時に沸き上がる妙な感情。それは黒く重量感があり、苛立ちや焦りにも、不安や悲しみにも似た妙な感情だ。それの名前が分かれば、私の気持ちは晴れるのだろうか。
考えてみれば、昨晩からずっとこんな事ばかり考えている気がする。ずっと、名前の無い感情に苦しみ続け、それに悩んでは、結局同じ結論に至る。“こんな事、いつまでも考えていても仕方がない”と。
「――私、貴方の事好きよ」
不意に、口を衝いた言葉。
その言葉を口にしたのは他でも無い自分自身だというのに、なんで突然そんな事を言ってしまったのかと、自身が一番驚いた。
頂点にまで達した鼓動に、一気に顔に熱が溜まっていく。
――好き。
その言葉は、決して特別な物では無い。紅茶が好き、美しい花が好き、愛らしいデザインのドレスが好き、それと、同じだ。
――同じ、筈だ。
「――出逢ってたった一晩しか経ってない男に、そんな事軽々しく言うもんじゃねぇよ」
ぽつりと、彼が呟く様に漏らした言葉。そして、とても切なげな声。
それは私に言っている様で、何処か独り言の様にも感じられた。
「……セドリック」
彼の名前を呼ぶと同時に、彼が私から距離を取る様に離れた。彼の背に触れていた手は彷徨い、宙に取り残される。
――ダメだ、このままでは。彼の心は離れていく一方で、私に繋ぎ留めておくことは出来ない。
そもそも、気持ちがあるとは一体どういう状況を指すのだろうか。彼の心は、彼の気持ちは、最初から私にあったのだろうか?
どれだけ考えても分からない、答えが出ない。考えれば考える程、頭の中は絡まっていく。
「仕事があるから」
玄関扉のドアノブに、彼の手が掛かる。
――待って。行かないで。
そう言いたくても、彼に手を伸ばしても、此処で彼を引き止めるのが正しいのかが分からず、何も言葉が出てこない。
未だ嘗て無い程の焦燥感に、呼吸が浅くなる。胸がずきりと痛み、様々な思考が回るのと同時に、目も回る。
だが、自身の瞳に映った“ある物”に、不思議な位綺麗にその不安が解けていくのを感じた。
それは、去り際に見せた彼の表情。
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