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XXVIII 小さな劇場前にて-IV
「実は、今回アリスのコンサートでピアノを担当する筈だった演奏家が高熱で倒れてしまったんだ。ピアノ無しのアカペラでコンサートを開く事も考えたんだが、この日の為にいくつか新しく曲を書き下ろしているそうでね、ピアノ無しのコンサートは嫌だとアリスが……」
そこまで言って、ジャックが肩を落とす。
公演まで残り6日。コンサートに携わる人物にとって、最も忙しい時期だと言えるだろう。そんな中、貴重な演奏家が1人欠けてしまった事はコンサートに大きな影響を及ぼす。舞台やコンサートに携わった事の無い私ですら、その位の事は容易く想像が出来た。
何か、打開策は無いのだろうか。ジャックとは初対面だというのに、何処か他人事だと思えず1人頭を悩ませる。
「公演の中止や延期も視野に入れているんだが、これがマリアと会える最後のチャンスだって、アリスも頑固でね」
「……マリア?」
今迄黙っていたセドリックが、突如顔色を変えその名に反応を示した。
「マリア・ウィルソンでしょう?あの、有名な舞台女優の」
私の言葉に、ジャックが大きく頷く。
「舞台に興味の無いセドリックなら、知らないのも当然か。今はもう引退した女優なんだが、昔マリア・ウィルソンって女が居て――」
「あの女の事は知ってる」
説明は不要だとでも言う様に、セドリックが彼の言葉を制した。
マリアは確かに有名な女優だが、アリスを知らないセドリックが彼女の事を知っているのは意外だ。
隣のセドリックに視線を向けると、彼はなにやら複雑な表情をしていた。
「――“今回も”頼めるか」
そんなセドリックに告げられた、不可解なジャックの言葉。
“今回も”という事は、セドリックは過去にも彼の手助けをした事があるのだろうか。
だが、今回欠けた人員は演奏者。裏方の仕事とは訳が違う。
それに、セドリックが何か、楽器を演奏できるという話は今までに聞いた事が無い。楽器が演奏できるとしたら、貴族の人間か、演奏家を目指す者達に限定される。一般教養とは違う楽器の演奏技術を、セドリックが習得しているとは考えられなかった。
理解が追い付かない状況に、1人首を傾げる。
「もしかして君は、セドリックから何も聞いていないのかな」
ジャックと目が合った拍子に突如話を振られ、思わずびくりと肩が揺れた。
控えめに頷くと、「やっぱり話していないのか」と言葉を漏らし、呆れた様に笑う。
「セドリックは何故だか、幼少期からピアノが並外れて上手かったんだ。それこそ、プロの演奏家も舌を巻く程の腕前でね。ピアノが弾ける人間など、演奏家か貴族様か位だ。だから演奏家が足りなくなった時に、よくセドリックの力を借りていたんだよ」
「……そう、だったのね」
「だが昔から、セドリックはピアノを弾く事を酷く嫌がってね。それに、何故ピアノが弾けるかも教えてくれなくてな。それだけの腕があるというのに、演奏家にならないなんて勿体ない」
腕を組み、劇場の壁に凭れ掛かったジャックが深く溜息を吐く。
「――セドリックに、そんな特技が……」
初めて耳にした事実。彼の事が知れて嬉しい反面、夫婦になったからといって何でも知っている訳でも、教えてくれる訳でも無いという事を痛感し、僅かに胸が痛んだ。
誰にだって、思い出したくない事や他人に知られたくない事だってある筈だ。そんな当たり前の事すら忘れてしまう程、私はセドリックに対して盲目らしい。
気を抜けば溢れてしまいそうな様々な言葉に、きつく口を結ぶ。
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