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XXXII 逆行再現-I
外は変わらず土砂降りだ。
公演途中で劇場を飛び出してしまった私は見知らぬ道に迷い込み、そして急遽振り出した雨に帰る事も出来ず空家の下で蹲っていた。そこまでは、確かな記憶だ。
だが自分でも知らぬ間に、考え事をしながらその場で居眠りをしてしまった様で、情けない事に私を探しに来てくれたセドリックに起こされ目を覚ました。
そして現在、21時過ぎ。私とセドリックは土砂降りの中無事自宅へ戻ってくる事が出来た。今しがた、お互い入浴と着替えを済ませた所だ。
「――足、大丈夫か」
お気に入りのブランケットを肩に掛けぼんやりベッドに座っていると、小さな木箱を抱えたセドリックが2階から降りてきた。
そして徐に私の足元に片膝を付き、私の足を軽く持ち上げる。
「……大した怪我じゃないわ」
「大した怪我じゃない訳が無いだろ」
今は血を全て洗い流してしまった為あまり目立たないが、確かに彼の言う通り私の足に残された傷は少々――いやかなり深い物だった。人の怪我となるとどんな些細な物でも心配になるのに、自身の身体の事になると途端に興味が失せてしまう。不思議だと思いながら、私の足の傷をまじまじと見つめるセドリックを眺める。
「靴、脱がすぞ」
「――あぁ……」
手当は自分で出来る。そう言おうと口を開いたが、言葉を発する前に彼の手がするりと私の靴を脱がせた。
その姿に思わず、“お姫様に跪く王子様のようだ”なんて思ってしまい、顔に熱が上っていくのを感じる。
6日間もまともに会話をしていなかったからだろうか。彼の事を今迄以上に意識してしまい、彼の触れている場所が妙に熱を持つ。
素足など、今迄散々ベッドで見せたというのに。込み上げる羞恥心に足を引き、傷が見える最低限の位置までドレスの裾を下した。
その仕草に疑問を抱いたのか、私の足を見ていた彼が顔を上げる。だが、私の表情を見てすぐに何かを察したのだろう。その表情が、僅かに緩められる。
「……お前、本当にそういう所可愛いな」
衝撃的な言葉と共に、徐に彼が足の甲にキスを落とした。
「――なっ……」
それはあまりに彼らしくない言葉で、自身の聞き間違いでは無いかと疑ってしまう程に信じ難い。だが私の顔を見て笑みを零した彼がもう一度、「本当に、可愛いよ」と呟き、聞き間違いでは無かったのだと覚る。
彼にはあまり、民衆的な言葉を使う印象は無い。事実、今迄に可愛い等の意味を持つ言葉を囁かれた事はあったが、今の様に包み隠さずストレートに伝えられたのは初めてだった。
羞恥を通り越し、くらくらと眩暈がする。そのまま後ろに倒れてしまいそうになるのを抑え、彼の手から逃れようと両足を引っ込める。
だが、逃すまいと素早く彼の手が私の足首を掴み、定位置に戻されてしまった。
「手当するから、暴れるな」
彼の手は、私の足首を掴んだまま。手当が終わるまでは離してくれなさそうだ。
真剣な面持ちで木箱を開くセドリックに、逃亡を諦め足から力を抜いた。
木箱から取り出されたのは、小さくカットされたガーゼと包帯に、いつか見た緑色の薬剤が入れられた小瓶。そして、消毒用アルコールだと思われる透明な液体。
擦り傷は大した事無いが、靴擦れは皮が捲れて皮膚が剥き出しになっている程の怪我だ。アルコールで消毒などすれば、当然激しい痛みに襲われる。
「――い、いやっ」
痛みの恐怖から、再び足を引っ込めた。
だがその拍子に、運悪く爪先が彼の手を蹴ってしまい、持たれていたアルコール瓶が滑り落ちる。
「――あ、」
しまった、と思った時にはもう遅い。小瓶が強く、床に叩きつけられる。
私達の元を離れ、ころころと遠くの方へと転がって行く小瓶。幸いにも、落ちた衝撃で瓶が割れる事は無く中身の液体も無事の様だ。
転がる小瓶を眺めながら、安堵の溜息を吐いた。
だが、安堵したのは私だけ。
謝罪の言葉を口にする前に、彼が呆れた様に大きな溜息を吐く。
「……まだ怒ってんのか」
彼のその言葉で、先程空家の下で交わした会話を思い出した。
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