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XXXIII 懐かしい香り-I
温かい風が、髪を揺らす。
彼を仕事へ送り出し、粗方家事を終えた昼過ぎ。今にも雨が降り出しそうな空を眺めながら、食材の買い出しをすべく街へと足を向けていた。
アリスのコンサートは想像していた以上に反響を呼んだ様で、1週間が経過した今でも街はアリスの話題で持ち切りだった。
アリスの歌声を聴いた者と、聴く事が出来なかった者。両者の間で言い争い等が起こる事は無く、瞳を輝かせアリスの魅力を語り合っている。そんな姿は、見ていてとても微笑ましい。
中には歌姫を目指すと言って、ジャックの劇場に存在する小さな劇団に入団した子供も居た様だ。
各方面からアリスの名前が聞こえる中、私は頭の中に買い足すべき食材を並べながら、雨が降り出す前に買い出しを終えなければと1人店を急ぐ。
「――エルちゃん!」
その場に響いた、私を呼ぶ声にぴたりと足を止める。私をこの様に、大声で呼ぶ人物など1人しか居ない。
近くの雑貨屋へ視線を向けると、声の主――ライリーが良くないオーラを放ちながら私を手招いていた。その姿に、呼ばれた理由の大体の想像が付く。
抑えられない苦笑いを漏らしながら、彼女の店へと歩み寄った。
「今日はどうしたの、ライリーさん」
私のその言葉とほぼ同時に、彼女の顔が怒りに滲む。
――あぁ、これは長くなりそうだ。
瞬時にそれを察し、彼女に悟られぬ様彼女の背後に設置された壁時計を一瞥した。
決して時間に限りがあるという訳では無いが、今日着ているドレスはこの前セドリックに誕生日プレゼントとして買ってもらったばかりの服だ。雨に濡らしたくないというのが本音である。
だが彼女はそんな気持ちなど露知らず、捲し立てるように喋り始めた。
「聞いてくれよエルちゃん!今日、うちの商品が子供に盗られたんだ」
「盗られたって……、万引き……?」
「あぁそうだ。私がちょっと目を離した隙にね。でも、その子供はまだ善悪の区別もつかない様な小さな子だったんだよ!」
彼女が大きな溜息を吐いて、商品台の裏側の椅子に乱暴に腰掛けた。
「盗られた物も、比較的安価な物でね。見逃してやってもいいかと思ったんだが……、幾ら小さな子だからといって盗みが許される訳じゃない。その子供を捕まえて、話をしたんだ」
「そうだったのね。それで、その子供はなんと?」
「小さな子供なりに罪悪感があったのか、叱るまでも無かったよ。『ごめんなさい』って繰り返して、泣きながら商品を返してくれた。どうやら街の子供がうちの商品を付けているのを見て、それが羨ましかったそうだ」
「……親に、買って欲しいと強請ったりはしなかったのかしら」
「そう!それ!問題はその親なんだよ!」
突如スイッチが入った様に大声を出したライリーが、バンと商品台を拳で叩いた。その音と声に、周囲の人達が一斉に此方を向く。
「小さな子供だ、善悪の区別がつかないのは仕方がない。だが、それを教育するのが親ってもんだ。だから今回の事を、その子供の母親に注意も兼ねて報告したんだよ」
「はあ……」
「そしたらその母親が、『子供のした事にいちいち腹を立てるなんて大人気ないですね』って言ったんだ!信じられないよ!あんな人間が人の親だなんて!」
「……それは、そう、ね……酷い人……」
確かにその母親の発言も問題があり、人としても、母親としても許されるものでは無いだろう。だが階級制度の仕組みを彼女以上に知ってしまっている私は、その話を聞いて“良くある話だ”と瞬時に思ってしまった。
貴族社会では多少の上下関係にも厳しく、常識の欠けた発言など数えだしたらキリが無い。それに、稀にマーシャから仕事の愚痴を聞く事もあり、人間のその様な発言は聞き慣れていた。
だが目の前の彼女は、それ等を“仕方無い”と妥協する事無く、良い事は良い、悪い事は悪いとはっきり言える人間だ。きっとこの世界ではとても生きづらいだろうが、彼女の様に真っ直ぐな人間には好感が持てる。定期的にこうして彼女から愚痴を聞き、その都度彼女の人柄の良さを再確認していた。
思わず漏れてしまった笑みを隠す様に手を口元へ遣り、今も止まらない彼女の愚痴に相槌を打つ。
彼を仕事へ送り出し、粗方家事を終えた昼過ぎ。今にも雨が降り出しそうな空を眺めながら、食材の買い出しをすべく街へと足を向けていた。
アリスのコンサートは想像していた以上に反響を呼んだ様で、1週間が経過した今でも街はアリスの話題で持ち切りだった。
アリスの歌声を聴いた者と、聴く事が出来なかった者。両者の間で言い争い等が起こる事は無く、瞳を輝かせアリスの魅力を語り合っている。そんな姿は、見ていてとても微笑ましい。
中には歌姫を目指すと言って、ジャックの劇場に存在する小さな劇団に入団した子供も居た様だ。
各方面からアリスの名前が聞こえる中、私は頭の中に買い足すべき食材を並べながら、雨が降り出す前に買い出しを終えなければと1人店を急ぐ。
「――エルちゃん!」
その場に響いた、私を呼ぶ声にぴたりと足を止める。私をこの様に、大声で呼ぶ人物など1人しか居ない。
近くの雑貨屋へ視線を向けると、声の主――ライリーが良くないオーラを放ちながら私を手招いていた。その姿に、呼ばれた理由の大体の想像が付く。
抑えられない苦笑いを漏らしながら、彼女の店へと歩み寄った。
「今日はどうしたの、ライリーさん」
私のその言葉とほぼ同時に、彼女の顔が怒りに滲む。
――あぁ、これは長くなりそうだ。
瞬時にそれを察し、彼女に悟られぬ様彼女の背後に設置された壁時計を一瞥した。
決して時間に限りがあるという訳では無いが、今日着ているドレスはこの前セドリックに誕生日プレゼントとして買ってもらったばかりの服だ。雨に濡らしたくないというのが本音である。
だが彼女はそんな気持ちなど露知らず、捲し立てるように喋り始めた。
「聞いてくれよエルちゃん!今日、うちの商品が子供に盗られたんだ」
「盗られたって……、万引き……?」
「あぁそうだ。私がちょっと目を離した隙にね。でも、その子供はまだ善悪の区別もつかない様な小さな子だったんだよ!」
彼女が大きな溜息を吐いて、商品台の裏側の椅子に乱暴に腰掛けた。
「盗られた物も、比較的安価な物でね。見逃してやってもいいかと思ったんだが……、幾ら小さな子だからといって盗みが許される訳じゃない。その子供を捕まえて、話をしたんだ」
「そうだったのね。それで、その子供はなんと?」
「小さな子供なりに罪悪感があったのか、叱るまでも無かったよ。『ごめんなさい』って繰り返して、泣きながら商品を返してくれた。どうやら街の子供がうちの商品を付けているのを見て、それが羨ましかったそうだ」
「……親に、買って欲しいと強請ったりはしなかったのかしら」
「そう!それ!問題はその親なんだよ!」
突如スイッチが入った様に大声を出したライリーが、バンと商品台を拳で叩いた。その音と声に、周囲の人達が一斉に此方を向く。
「小さな子供だ、善悪の区別がつかないのは仕方がない。だが、それを教育するのが親ってもんだ。だから今回の事を、その子供の母親に注意も兼ねて報告したんだよ」
「はあ……」
「そしたらその母親が、『子供のした事にいちいち腹を立てるなんて大人気ないですね』って言ったんだ!信じられないよ!あんな人間が人の親だなんて!」
「……それは、そう、ね……酷い人……」
確かにその母親の発言も問題があり、人としても、母親としても許されるものでは無いだろう。だが階級制度の仕組みを彼女以上に知ってしまっている私は、その話を聞いて“良くある話だ”と瞬時に思ってしまった。
貴族社会では多少の上下関係にも厳しく、常識の欠けた発言など数えだしたらキリが無い。それに、稀にマーシャから仕事の愚痴を聞く事もあり、人間のその様な発言は聞き慣れていた。
だが目の前の彼女は、それ等を“仕方無い”と妥協する事無く、良い事は良い、悪い事は悪いとはっきり言える人間だ。きっとこの世界ではとても生きづらいだろうが、彼女の様に真っ直ぐな人間には好感が持てる。定期的にこうして彼女から愚痴を聞き、その都度彼女の人柄の良さを再確認していた。
思わず漏れてしまった笑みを隠す様に手を口元へ遣り、今も止まらない彼女の愚痴に相槌を打つ。
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