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XXXVIII 嫉妬と優劣-V
しおりを挟む「アンドール……?」
彼がぽつりと私の姓を呟き、その表情を曇らせた。
てっきり手を振りほどいてしまった事を咎められるかと思ったのだが、彼は何やら考え込む表情を浮かべたまま黙り込んでしまった。
「どうかしたの?」
なんと無しにその言動が気になり、彼に問い掛ける。
「――あぁ、いや。何でもないよ」
だが彼がそれ以上何かを言う事は無く、「じゃあ、僕はここで」と短く告げ踵を返した。
腕を掴んでまでして引き止めて置いて、随分と呆気無い別れだ。一体彼が何を目的として私を引き止めたのかが分からず、彼の背を見つめながら首を傾げた。
「あぁ、そうだ」
まるで私の心情を読み取ったかの様に、タイミング良く彼が足を止める。
そして再び私と視線を交わらせた彼が、何処か不自然な笑みを浮かべた。
「これ、君にあげるよ。さっき花屋で貰ったんだけど、僕はこういうの必要無いから」
差し出されたのは、一輪の赤い薔薇。薄いクラフト紙で巻かれたそれは、確かに私の知る花屋の物だ。
だが、花屋で花を貰う、なんて事があるのだろうか。私も先程花屋を訪れたが、花を配る様な事はしていなかった。
――もしや、この薔薇には何か特別な意味が込められているのではないだろうか。薔薇には、“愛”を意味する花言葉が複数存在する。
この街の花屋は確か、まだ若い兄妹が両親の代わりに経営していたと記憶している。妹の方は年頃の愛らしい娘で、もしかすると目の前の青年に気があり個人的に贈った物なのかもしれない。
そんな物を、私が受け取ってしまっても良いのだろうか。
そもそも、必要無い物なら最初から受け取らなければ良かった話だ。見ず知らずの私に押し付ける事が出来るのなら、拒絶をするという事も出来ただろうに。
差し出された薔薇を受け取れずに居ると、私の心中を察したのか彼が苦笑いを浮かべた。
「受け取ってくれると嬉しいな。僕は花の手入れに詳しくなくて、直ぐに枯らせてしまうから」
クラフト紙に包まれた薔薇は、美しく咲き誇っている。こんなにも美しい薔薇を枯らせてしまうだなんて、あまりに花が可哀想だ。
「――そういう、事なら」
枯らせてしまうだなんて、いい脅し文句である。そんな事を言われてしまえば、受け取らざるを得ない。
仕方無く差し出された薔薇を受け取ると、彼が満足げに笑った。
「じゃあ、今度こそ僕は行くよ。もしまた何処かで会えたら、その時は“セドリック君も交えて”食事でも」
「ええ、是非」
自身も踵を返し、彼が行く先の反対側へと足を向ける。
――だが、僅かな違和感に気付きその足を止めた。
「……セドリックを、含め?」
振り返り、遠目に見える青年の背に視線を向ける。
彼には夫が居ると話しただけで、セドリックの名前は教えていない筈だ。それに、少女と口論になった際も少女はセドリックの名を出していない。
もしや彼は、セドリックを知っている人物なのだろうか。
ふと、既視感に似た奇妙な感覚に苛まれる。
何処かで、聞いた事のあるような名前だ。何処かで会った事があっただろうか。
だがどれだけ考えてみても、その答えが出る事は無い。
「――ガーランド……」
呟いたその名前は、ふわりと吹いた風に掻き消された。
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