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XLII 甘いシトラス-II
彼女が私を見て、柔らかく笑った。その笑顔が美しく、釣られて自身も笑みを浮かべる。
何処か別の街から来た女性だろうか。これ程特徴的な風貌をしていれば、街でも目を惹く筈だ。一度見れば忘れないだろう。
現代の人間にしては随分と変わった風貌で、仮に魔女や占い師等の類だと言われても信じてしまいそうだ。
同性の私ですら見惚れてしまうその美しさに鼓動を高鳴らせながら、こっそりと彼女を盗み見る。
スカートを軽く摘み上げ、ゆったりとした動作で階段を上るその姿。背筋は伸ばされていて、動きに無駄が無い。これ程美しい佇まいの女性は、貴族の中にもそうそういないだろう。絵に収めたくなる程だ。
彼女を、もう少し間近で見て見たい。そんな願いも虚しく、お互い無言のまま擦れ違った。
「――Beliefs destroy not only one's own life, but also the lives of others.
《思い込みは自身の人生だけで無く、他者の人生までもを滅ぼす》」
突如自身の耳に届いた、鈴を鳴らした様な繊細な声。訛りの無い、心地の良い英語。
そして、不可解な言葉。
その言葉は、いつか丘の上で開いた黒の手紙を彷彿とさせた。あの手紙の意味は結局分からず終いであったが、あの手紙も、すれ違った彼女の言葉も、何か特別な意味があるような気がした。
「――待って!」
咄嗟に振り返り、その女性を呼び止める。
ここで彼女を逃してはいけない。ちゃんも真相を知らねばならない。そう本能的に感じ取る。
「――貴女は誰?あの手紙を送ったのも貴女なの?あの手紙と、今の貴女の言葉に、なんの意味があるの?」
階段を上りきった彼女が、足を止めた。そんな彼女の背に、感情に任せた言葉を投げ掛ける。
すると彼女はスカートを翻し、少し悪戯な笑みを浮かべて振り返った。ほんのりと赤い小さな唇の前に指を立て、「It's a secret《それは秘密》」と囁く様に告げる。
「――待って、待ってまだ、話が……」
彼女は踵を返し、ゆったりとした足取りで遠ざかっていく。
私はそんな彼女の背を見つめるばかりで、追いかける事が出来なかった。まるで根を生やした様にその場から動く事が出来ず、ただその場に立ち尽くす。
彼女を追い掛けて、私は何を問えば良いのだろう。私はあの手紙の差出人を覚えていない。よって彼女に名前を尋ねても、あの手紙の差出人と彼女が同一人物かを確かめる事も出来ない。
それに、彼女は“秘密”だと言った。あの手紙も、先程の彼女の言葉も、意味を聞いたところできっと彼女が何かを答える事は無いだろう。
漸く身体が動いた頃には、彼女の背は見えなくなっていた。
ぼんやりとした頭で先程の言葉を思い返す。
「……思い込みは、自身の人生だけでなく……他者の人生までもを、滅ぼす……」
彼女の言葉を復唱しながら、様々な事を思い浮かべた。
セドリックが拒絶をする事も、自殺した妊婦と自身を重ね合わせている事も、全て私の思い込みだ。勝手な決め付けでしか無く、そこに1つも真実は無い。
だが、メアリーの夢は?
あれは、あの言葉は、私の心情を表したただの幻なのだろうか。それとも、正夢や予知夢の1種なのだろうか。これから起こる未来をメアリーが代弁しただけで、あれは未来を見せたものなのかもしれない。
しかし、この世には逆夢と呼ばれるものも存在していた。
逆夢とは、事実とは逆の夢、実際には逆の事が起こる夢の事である。例えば夢で夫と離縁をしたとすれば、現実では夫との仲が深まるなど、そういったものだ。
メアリーのあの夢が、仮に逆夢などしたら。
先程の女性の言葉。まるで私に、思い込みを捨てろとでも言うようであった。
何を信じ、何を疑えばいいのか。
思考は絡まり、余計に分からなくなっていく。
やはり、あの女性を追いかけるべきだったかもしれない。そう思いながら壁にもたれ掛かり、まだ僅かに香る甘いシトラスに溜息を吐いた。
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