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LIV 失ったもの-II
彼の言葉に、思わず果物を採択する手が止まる。
言わずもがな、スタインフェルド家は私の元婚約者が居る家だ。スタインフェルド家は社交界でも名高く、嫡男のキースが端正な顔立ちをしている為か令嬢方が噂しているのをよく耳にしていた。
「――勿論、知っているわ。お名前を聞いた事がある、程度だけれど」
まさか、彼の口からスタインフェルド家の名が出るとは思わなかった。いくらエインズワース家とはもう関係が無いとはいえ、一度は関りを持った家の名が出ると気が転倒する。
動揺に満ちた心中を覚られぬ様当たり障りない返答をし、グースベリーに手を伸ばした。
目は口程に物を言う、なんて言葉があるだろう。今主人と目を合わせれば、確実に私の動揺が伝わってしまう。現に、表情に動揺が滲んでしまいそうで取り繕うのに必死だった。
果物の採択を続けながら、「そのお宅がどうかしたの?」と話の続きを促す。
「――先日、嫡男のキース・スタインフェルドが死んだらしい」
突如、動揺した心に投げ込まれた爆弾。
指先で摘まんだグースベリーが滑り落ち、石畳の上を転がった。
「ご、ごめんなさい」
慌てて拾い上げ、買い取ろうと主人に手渡す。しかし、主人は軽く笑って新しいベリーと交換してくれた。
「どうしたんだそんなに動揺して、人が死ぬ事は珍しくないだろう」
「少し、驚いてしまって」
薄情な話ではあるが、実際この世界の人間が死ぬ事は然程珍しくはない。質の悪い感染症や伝染病、不治の病に侵されて命を落とす人間は多くいる。
しかし、貴族の人間が死ぬ、というのは少し訳が違った。
貴族の人間は病や感染症に侵された際、有り余る金で最も腕の良い医者を雇い、高額な薬を買う。故に、碌な治療も受けられない労働社会階級の人間とは違って生き永らえる事が殆どだ。
それに、スタインフェルド家程の名家の人間が病に侵されたともなれば噂が広がるのも早い。だが今回、そんな噂は1度も耳にしていなかった。
となれば、考えられるのは事故死か他殺。
早まる鼓動に声が震えるのを感じながらも、「死因は分かっているの?」と主人に問う。
「あぁ、それが……、スタインフェルド家は慈善活動の一環で15年ほど前に養女を引き取ったらしいんだけど、どうやら養女と嫡男は不仲だった様でね。その養女が、嫡男を刺したらしい」
「刺した……?」
「まだ噂って段階だから、断定は出来ないけどね。でも養女は行方不明になってるって話もある。少なくても、嫡男が死んだのは本当だよ」
指先が、微かに震える。
キースが、死んだ。それは私にとって、何よりも好都合だ。もう、キースに偶会するのでは無いかと怯えながら街を歩かなくて良い。
事実、娘を連れて街を歩いている時はずっと不安だった。もし娘を連れている時にキースと偶会してしまえば、彼に娘が居る事を知られてしまう事になる。今更になって彼が私達に危害を加えるとは思えないが、それでも彼の目に娘の姿を触れさせたくはなかった。
そんな彼が、死んだ。
胸の中を渦巻くのは安堵か、欣快か、それとも恐怖か。少なくても、動揺をしているのは確かだった。
しかし、動揺をするのも当然だろう。幾ら嫌いな相手だったとはいえ、恐怖を抱いていた相手だったとはいえ、私の元婚約者だ。関りのあった人物の死である。
それに、キースを刺した養女は行方不明だという話も上がっている様だ。人を刺した人間が、このロンドンの何処かに居る。それだけでも畏怖感のある事実だった。
「――エルさん、大丈夫?」
「えっ……?」
主人に声を掛けられ、ふと我に返る。
「ごめんなさい、考え事をしていて」
「幾ら俺の噂話がつまらないからって、考え事なんて酷いなぁ」
「つまらないなんて思っていないわ。ちゃんと聞いていたもの」
彼は時々、あまりに噂話ばかりをしているからか客に「煩い」「しつこい」「つまらない」等と言われていた。それを、彼は少々気にしている様だ。私の言葉に、「つまらなくない?本当に?」と執拗に聞き返してくる。
「本当よ。でもごめんなさい、今日は急いでいるの。また後日聞かせて頂戴」
選んだ果物のお金を払い、バスケットの中に果物を詰めていく。
キースの死について、本当はもっと話を聞きたかった。だが、これ以上の話を知るのが怖くもあった。
それに、今日はレイの勉強を見なくてはならない為、あまりこんな場所で長く話し込んでいる訳にもいかない。残念そうな顔をする主人に手を振り、別の店へと急いだ。
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